死んだら何も無くなるのでは? [Q&Aシリーズ]
(質問)死んだら何も無くなるのでは?
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(答え)「死んだ後なんかないよ」と言い続けている人も、
知人や友人が死ぬと、
「ご霊前で」とか「ご冥福を祈ります」と言います。
「霊前」は故人の霊の前であり、
「冥福」は冥土(死後)の幸福のことですから、
いずれも死後を想定してのことです。
死後を否定し切れないものがあるのでしょう。
「社交辞令だよ」と笑って済ませられるのは、
肉親などの死別にあわない、
幸せな時だけに違いありません。
死後の幸福を願うのは、
深い人間性からくるもので、
「死後はない」という一片の知識で、
否定できるものではありません。
(質問)死んだら何もなくなるのでは?
(答え)ある所に、死後を否定し、
「オレが死んだら葬式など、
無駄なことは一切やるな」
といつも公言していた、
仏法の大嫌いな男がいました。
ところが、この世は老少不定。
不幸にも、その男より先に、
かわいがっていた一人息子が急死したのです。
悲しみにうちひしがれた男は、
大嫌いだった寺へ行き、
盛大な葬式を依頼して、
遺骨を墓地に納めました。
その日は雪でした。
墓にやってきた男は、墓石に積もった雪を
手できれいに払いのけ、
持参したミカンやお菓子を供えて手を合わせ、
「息子よ、さぞかし寒かろう。
さあ、お上がり」
と生ける者に話しかけるように、
いつまでも墓前を去ろうとしなかったといいます。
(質問)お釈迦さまは、「死後はない」という考えについて
どう教えられていますか?
(答え)
釈尊は、「死後はない」という考え方を
「断見外道」といわれ、
間違いだと教えられています。
その理由を『阿含経』には、
「因果応報なるが故に来世なきに非ず」
と説かれています。
例えば、人を1人殺したら死刑という結果を
受けるとします。
では10人殺した人は、後の9人分の報いを
いつ受けるのでしょうか。
死後がないとすれば、何人殺しても一緒だという
自暴自棄的な考えに賛同することになるでしょう。
しかし釈尊は、三世を貫く因果の道理を説き、
後の報いは未来世(死後の世界)で、
必ず受けていかなければならないと
教えられているのです。
(質問)「親鸞聖人は死後の浄土のことは教えられなかった」
と言う人がありますが?
(答え)
いいえ、とんでもない。
親鸞聖人がこの世と死後の浄土を
ハッキリ区別され、
弥陀の救いは二度あることを示された
お言葉はたくさんあります。
一例を挙げれば、
「この身は今は歳きわまりて候えば、
定めて先立ちて往生し候わんずれば、
浄土にて必ず必ず待ちまいらせ候べし」
“親鸞、いよいよ今生の終わりに近づいた。
必ず浄土へ往って待っていようぞ。
間違いなく来なさいよ”
と、『末灯鈔』におっしゃっています。
私たちも、一日も早く、
弥陀の本願を聞き開き(信心獲得)、
いつ死んでも浄土往生間違いない身と
ならせていただきましょう。