SSブログ

冥福とはどんなことか [Q&Aシリーズ]


(真実の仏教を説かれている先生の書かれた「とどろき」より載せています)

 (質問)人が亡くなった時に「冥福を祈る」と
よくいわれますが、冥福とは、どんなことでしょか。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

冥福という言葉は、本来、仏教から出たものです。
いわゆる、冥土の幸福ということを略したものです。

冥土というのは、禅僧一休の「門松や 冥土の旅の 
一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
の有名な歌にもありますように、
死後の世界をいいます。
なぜ、死後の世界を冥土というのかといいますと、
冥には、片あかりという意味があります。
ちょうどスダレのように、
片方からはよく見えるが、
反対方向からは見えないということです。
死後の世界からは、この世の有様はよく分かりますが、
この世の私たちには、死後の世界が分かりませんから、
死後を冥土といわれるのです。

ですから、冥福を祈るということは、
亡くなった人の幸福を祈るということです。

肉親や知人、友人が亡くなった時には、
ほとんどの人が使用する言葉といってもよろしいでしょう。

●死後はないと言う人も

面白いことには、平生は死後の世界なんかあるものかと、
せせら笑っている人でも、
肉親や知人が亡くなると、たちまち殊勝そうな顔をして、
「あなたのご冥福を祈ります」とか言い出します。

かつて、共産主義国の北ベトナムの大統領、
ホー・チミンが亡くなった時も、
北ベトナムはもちろん、当時のソ連、中国などの
共産圏の人たちでさえ、
その葬儀の日には半旗を掲げて、
ホー大統領の冥福を祈っております。
共産主義を信奉している人たちは、
死後の世界を認めないはずですが、
このような言動をとらずにおれないのは、
思想的矛盾といわれるかもしれません。
日本でも、インテリを自認している人たちは、
概して、死後の世界を否定します。
否、死後を否認することが知識人なのだという、
迷信を持っている人が多いのですが、
それらの人でも、一たび肉親や知人、
友人などの死に遭うと豹変して、

「あなたのご霊前で謹んで申し上げます」
とか、「心からご冥福を祈る」とか、
弔詞(ちょうじ)をよんで平気でいます。

中には、泣きながら「静かに、お眠りください」
とか、「草葉のカゲで、見ていてください」
などと呼びかける人もあります。

また、肉親が殺されて、犯人が捕らえられない時は、
「これでは、娘の霊が浮かばれません」とか、
犯人が捕まった時は、
「これで、娘の霊も浮かばれましょう」
とか言います。

しかも、言っている人も聞いている人も、
何の疑問も不審もたてません。
死後もなければ、死ねば何も残るものがないとすれば、
霊前もなければ、冥土の幸福を祈る必要もなく、
全くナンセンスになってしまいます。

また、死ねば何もかも無になってしまうのならば、
「安らかに眠る」ものもなければ、
「草葉のカゲで見る」ものもないはずですし、
浮かばれるとか、浮かばれないとかいって、
嘆いたり喜んだりすること自体、
滑稽といわなければなりません。

●否定しきれぬ死後

こういう明らかな思想的矛盾に、
少しも気づかず平然としておれるということは、
驚くべきことであると同時に、
悲しむべき現象であると思わずにおれません。

人間の一片の知性によって、
いくら死後の世界を否定してみても、
否定しきれない死後の実存を、
私たちの霊性は鋭く感じているのでしょう。
理屈からはおかしいと思いながらも、
そう思わずにおれないということは、
そう思わせる実存があるからだという、平凡な真理を
私たちはよく噛みしめてみなければなりません。

 


nice!(64)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ネットコミュニティ

nice! 64

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。