後生の一大事とは!? [Q&Aシリーズ]
(質問)後生の一大事とは、どんなことか
蓮如上人の『御文章』を拝読しますと、
後生の一大事といっても一つではないように
思われますが、
後生の一大事とは、どんなことなのでしょうか。
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(答え)
「後生の一大事」という意味から説明しましょう。
仏教では、来世を後生といいます。
誰しも、やがて死なねばなりませんが、
死ねば来世であり後生です。
死ねばどうなるか、“後生はどうなるか”は、
万人の大問題ですから、一大事といわれます。
その「後生の一大事」について、
阿弥陀仏の救いの前・後によって大きく分かれます。
●往生浄土の一大事
弥陀に救われている人の「後生の一大事」は、
来世「弥陀の浄土に往き、仏に生まれる」という
一大事をいいます。
この後生の一大事が書かれている『御文章』のご文は、
次のようなものです。
「他力の信心ということを詳しく知らずは、
今度の一大事の往生極楽は、
真に以てかなうべからずと、
経・釈ともに明らかに見えたり」
(『御文章』二帖)
(今生で弥陀に救われねば、
来世に弥陀の浄土に生まれるという
一大事は成就できないが、
平生、弥陀に救われれば、
必ず、後生は極楽浄土に往生できると、
どの経典や経釈にも明らかに説かれている)
「信心決定して、その信心の趣を弟子にも教えて、
諸共(もろとも)に今度の一大事の往生を、
よくよく遂ぐべきものなり」
(『御文章』一帖)
(平生に弥陀に救われて、皆にも、
弥陀の不可思議の救いを伝えて、
ともに極楽浄土へ往き、
仏に生まれる一大事を成し遂げねばならない)
これらのご文は、
今生で弥陀に救われた人の後生(来世)の
一大事を言われたものです。
●阿弥陀仏を深くたのめ
もう一つは、弥陀に救われていない人の
「後生の一大事」を
『御文章』のご文で挙げますと、
次のようなものです。
「後生という事は、ながき世まで地獄におつる事なれば、
いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、
弥陀の本願をたのみ、
他力の信心を決定(けつじょう)すべし」
(『帖外御文』)
(後生の一大事とは、
未来、永く地獄に堕ちて苦しむことだから、
急いで一大事の解決を心にかけて、
阿弥陀仏の救いに値わねば(あわねば)ならない)
この「後生の一大事」について蓮如上人が、
切々と詳述されているのが有名な「白骨の章」といわれる
『御文章』です。
その最後に、こう慈誨(じかい)されています。
「されば、人間のはかなき事は
老少不定のさかいなれば、
誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、
念仏申すべきものなり」 (『御文章』五帖)