SSブログ

死が恐ろしいとは思えない!? [なぜ生きる]

(問) 死が恐ろしいとは思えない

一度は死ななければならないことは分かっていますが、
僕は死ぬことがそんなに恐ろしいとは思えないのです。
だから後生の一大事ということが分かりません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(答)

 かつて滅亡寸前の南ベトナムの指導者であったグエン・カオ・キが、
「最後の一兵まで、祖国を死守せよ」
と絶叫しながら、
燃えさかるサイゴンを尻目に米空母へ逃げ込んだとき、
「逃げた男を叱った男が、逃げて来たよ」
とアメリカ人に笑われました。
その後、彼はアメリカで酒屋のおやじをしていたそうです。
日本でも例外ではありません。
あの有名な特攻隊を送り出した将軍が、
自分で転任令を書いて逃げ帰った例もあります。
あるガンの専門医は、
「不治のガン患者には、ガンであることを本人にも家族にも
知らせずにおくと、5年以上生きられるが、
家族だけに知らせても生きる期間は2年は縮まる。
それが本人にも知らせると、一年も生きる人は少ない」
と報告しています。
戦場とか大ゲンカで極度に興奮している時は、
案外、平気で死ねるようにみえますが、
そんな感情は続きません。

●あの大石も死を恐れた!?

あの忠臣蔵の大石内蔵助が切腹の時、
腹を開き短刀は握ったが、
手がふるえて腹に突き刺すことができなかった。
介錯人が見るに見かねて、
彼の輝かしい名声を傷つけまいと、
大石の切腹の前に首をはねた、と伝えられています。
「手を一つ 打つにつけても 
討つという 敵のことは 忘れざりけり」
の執念が実って、吉良邸に討ち入った時の内蔵助には、
死は眼中になかったかもしれませんが、
そのような激情は永く続くものではありません。

●人間最大の悲劇

シェークスピアは『尺には尺を』の中で、
「死ぬのは、こわいことだ」
と、クローディオに叫ばせ、
ユーゴーは、『死刑囚最後の日』の中で、
「人間は、不定の執行猶予期間のついた死刑囚だ」
と言っていますが、
すべての人間の最大の悲劇は、
遅かれ早かれ死なねばならないところにあるということでしょう。
「今までは
他人のことぞと 思うたに
オレが死ぬとは こいつぁたまらぬ」
と言って亡くなった医者があったといいます。
自己の死は動物園で見ていた虎と、
ジャングルの中で出会った虎ほどの違いがあるのでしょう。

EPSON179.jpg-1.jpg
「忘れていた、忘れていた、
やがて死ぬ身であることを・・・」
と呟き、死んだ文豪もあったと聞きます。
人間はみな死ぬ。
しかし、すぐに死ぬとは誰も思っていません。
それは本当に自分が死ぬとは思われないということでしょう。
だから、どれほど想像力をたくましくしても死の実態は、
死の直前まで目隠しをされているのです。

その目隠しをはずされた時は目隠しされていた時の、
それどころではないでしょう。
平生に弥陀の光明に照育されなければ、
後生の一大事は分からないことなのです。


nice!(25)  トラックバック(0) 
共通テーマ:資格・学び

nice! 25

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。