幸せの花ひらく「因果の道理」を身につける [因果の道理]
明日を変える
心のタネまき
幸せの花ひらく
「因果の法則」を
身につける
「実りある人生に」とは
誰もが願うことですが、
思うようにならないのも人生。
「七転び八起き」といわれても、
なかなか結果が出ないと、
「これも自分の運命か」
「私なんか、どうせダメ」
などとアキラメてしまうことも
少なくないのではないでしょうか
でも、お釈迦さまは
「どんな人も、
アキラメル必要はないのだよ。
人間に生まれてよかった、という
本当の幸福になれるのですよ」
と教えられています。
そのために説かれたのが仏教であり、
その根幹である運命の法則が
「因果の道理」です。
これを知ることで、今から
本当の幸福への道が開かれます。
未来は、自分の手でいくらでも
変わるのです。
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●「アキラメル」
本来は前向きな意味だった!?
アキラメルという言葉は今日、消極的な意味で使われていますが、
元は仏教に由来することをご存じでしょうか。
仏教では「諦観(たいかん)」と書き、
「アキラカニミル」と読みます。
「因果の道理」を明らかに見よ、ということです。
そうすれば、不幸や災難に遭っても、
迷信におびえたり、占いや霊能者にすがったりするような
生き方ではなく、反省すべきポイントをつかんで、
改善、進歩する、すがすがしい道が必ず開けます。
「明らかに見る」が縮まって「アキラメル」となったのですが、
本来、前向きな意味なのです。
その「因果の道理」とは、どんなことなのでしょうか。
●運命の法則「因果の道理」は
仏教の根幹
仏教を1本の木に例えると、因果の道理は、「根」であり、
「幹」に当たります。
根がなければ木は枯れ、幹を切れば木は倒れます。
7千巻に上るお釈迦さまの一切経を貫いている教えが、
因果の道理なのです。
●「道理」とは変わらぬ真理
「道理」とは、三世十方を貫くもの。
「三世十方を貫く」とは、「三世」とは過去世、現在世、
未来世のことで、「いつでも」ということ、
「十方」とは東西南北上下四唯で、「どこでも」ということです。
(四唯・・北西、南西、南東、北東)
いつでも、どこでも変わらない真理を「道理」といわれます。
時代や場所によって異なるものは、道理とはいいません。
地球上だけでなく、たとえ宇宙に飛び出しても間違いないのが
「道理」です。
因果の道理は「道理」ですから、いつの時代、
どこの国の人にも当てはまります。
それは、現代日本の私たちも例外ではありません。
それはどんな法則なのでしょうか?
●運命には原因がある
因果の道理の「因果」とは、「原因」と「結果」のことです。
因果の道理とは「全ての結果には必ず原因がある、
原因なしに起きる結果は万に一つもない」ということです。
例えば飛行機が海に墜落したという結果にも、
必ず原因があります。
原因なしに墜落することはありませんから、
多額の費用がかかっても、機体を引き上げ、原因を調査します。
もちろん原因不明ということはあります。
飛行機が海底深く沈んでしまえば、
墜落の原因を知ることはできないでしょうが、
原因が分からないことと、原因が無いこととは全く異なります。
エンジンが故障したとか、乱気流に巻き込まれたとか、
必ず何か原因があるのです。
この世のこと全て、どんな小さなことにも必ず原因があります。
中には、ほとんどの人が関心を持たない、
どうでもいいこともありますが、
私たちが最も知りたいのは、自分の将来の運命と、
その原因でしょう。
それさえ分かれば、未来の運命を
よいものにすることができるからです。
その運命の原因と結果の関係を教えられたのが、
仏教の「因果の道理」なのです。
●「行い」が「運命」を生み出す
私たちの運命と、その原因にどのような関係があるのか。
仏教では、こう教えられています。
善因善果
悪因悪果
自因自果
「善因善果、悪因悪果」とは、
「善いタネをまけば、善い結果が現れる。
悪いタネをまけば、悪い結果が現れる」
ということです。
植物で例えれば、ダイコンの種をまけばダイコンが、
キュウリの種をまけばキュウリが出てくる。
ダイコンの種をまいてキュウリが生えることも、
キュウリの種をまいてダイコンが出てくることもない。
まいた種と同じものしか生えてはこないのです。
だから、まいたものを知れば何が出てくるか分かるし、
出てきたものを見れば、まいた種も分かります。
ここでお釈迦さまが「因」といわれているのは、
私たちの「行い」のこと。
「果」とは「運命」のことですから、
善い行いは善い運命(幸福)を、悪い行いは
悪い運命(不幸)を生み出す。
善いことをして悪い運命が引き起こることもなければ、
悪いことをしたのに、善い運命が現れることもない。
ですから苦しみを逃れるには、悪い行いをやめ、
幸せになるには、善い行いをすればいいのです。
●成功も失敗もすべて「自業自得」
最後の「自因自果」とは、
「まかぬ種は生えぬ。刈り取らねばならぬ一切は、
自分のまいたものばかり」
ということです。
いつまでも寝ていたいのに、起きて仕事に出掛けるのは、
自分が働けばそれだけ収入が得られるし、
サボればクビになるからでしょう。
自分が一生懸命勉強すれば、自分の成績が上がるのであって、
友達が勉強しても自分の成績は上がりません。
毎日、添加物の多い物やお菓子ばかり食べていれば、
体を壊すのは本人で、他人が病気になることはない。
まいたタネは必ず自分に現れます。
これを「自業自得」ともいいます。
世間では「それは自業自得だ」といえば、
悪い結果ばかりに使われますが、本来は、そうではありません。
善いことにも悪いことにも「自業自得」といえるのです。
善いのも悪いのも、自分に現れる運命は全て自業自得です。
100パーセント自分の行為が生み出したものであり、
それは万に一つも例外はないのだと、
お釈迦さまは教えられています。
ですから、もし悪い結果が起きたなら、
そこにはそれ相応のタネまきがあったからです。
悪いことを人のせいにしていても何も変わりませんが、
悪い結果を引き起こした自分の行いを反省して、
それを改善すれば、必ず結果はよくなるのです。
仏教というと、雨にも負けず、風にも負けず、
何か悪いことが起きても、
何も反応せずに静かに笑っているイメージがあります。
不幸や災難をひたすら堪え忍ぶのみの、アキラメ主義のように
誤解されがちですが、「アキラメル」とは、
本来、仏教から出た言葉。
初めに述べたように「諦観」と書いてアキラカニミルと読み、
〝因果の道理を明らかに見よ〟ということです。
自業自得の因果の道理を諦観すれば、
自分の悪い行いを反省し改善しますから、
無限に進歩向上できるのです。
●心で思うことも「行い」!?
運命は自分の行いが生み出したもの、
とお話しました。「行い」と聞くと一般に、
身体を動かしたり、口で言うことと思いますが、
それだけでなく、心で思うことも行いだと、
仏教では教えられます。
身体の行いを「身業(しんごう)」、
口の行いを「口業(くごう)」、
そして心の行いを「意業(いごう)」といい、
これを「三業」といわれます。
中でも特に心の行い(意業)を重視します。
なぜなら、言ったり、やったり、
口や身体を動かしているのは心だからです。
心掛けを変えると身体や口の行いが変わるのは、
心が「元」だからです。
心掛けをほんの少し変え、
実行することで毎日が変わっていくのです。
●心が変われば、人生が変わる
私たちの日常生活の中でも、これは実感できることでしょう。
アメリカ出身の心理学者で、哲学者でもある
ウィリアム・ジェームズは次の言葉を残しています。
「心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる」
心掛けの変化は、必ず行動に表れ、善い行動の積み重ねは、
やがて習慣化し、人格となってにじみ出てくるもの。
人格が変われば、その人の人生は全く新しいものに
生まれ変わることでしょう。
●「ネタミ」と「感謝」
心のタネまきの差で運命は大違い
心掛けの大切さは、スポーツ界の話題の中にも
見ることができます。
昨年、カヌー日本選手権で優勝した選手が、
ドーピング検査で陽性反応が出て
資格停止処分を受ける問題が起きた。
ところがその後、処分を受けた選手の飲み物の中に、
他の選手が禁止薬物を混入させていたことが発覚。
今度は、この選手が8年間の資格停止処分を
受けることになりました。
「東京オリンピックに出場できないかもしれないという焦り」から、ライバルを引きずり下ろしたいという、
ネタミ、ソネミの心のタネまきが結局、
自らの不幸な結果を生んでしまいました。
一方、今年2月に行われた平昌オリンピックのスピードスケートで、
(2018年のとどろきです)
金・銀のメダルを分かち合った小平奈緒選手(日本)と
イ・サンファ選手(韓国)は、猛烈なライバル意識を持ちながらも、互いに尊敬し合っていた。小平選手は
「サンファはいつも親切です。3年前、ソウルのワールドカップで
私が初優勝した時、悔しいはずなのに、
飛行機の出発が迫る中、リンクから空港までのタクシーを
呼んでくれ、お金も出してくれた。
それがすごくうれしかった」
と言い、イ・サンファ選手も
「彼女とレースをして悪い気持ちになったことは
一度もない。彼女のライバルであることを誇りに思う」
と話しています。
ライバルを「邪魔者」と見てネタむか、
「向上させてくれる恩人」と見て感謝の心で努力するか。
心のタネまきによって、その人に現れる結果、
いわゆる「運命」も180度変わってしまうのです。
●家庭や職場から変えよう
何事も実行なしでは、結果は現れません。
では、私たちは、どんなことから始めたらいいのでしょうか。
まず、身近なことから着手してみてはどうでしょう。
例えば、家族に対して。
家族と永年一緒にいると、「○○してくれて当たり前」となり、
これが家庭不和の元でもあります。
「夫は給料を運んで当たり前」
「妻は食事を作って当たり前」・・・。
でも、そんな時、「○○してくれてありがとう」と、
心のタネまきを変えてみてはどうでしょう。
日常のささいな出来事にも喜びを感じられるようになります。
職場でも、部下には「○○の仕事をしてくれてありがとう」。
上司には「忙しい中、○○してくださってありがとうございます」
などと心のタネまきを変えると、
人間関係もスムーズになり、仕事も順調に進むようになってきます。「面と向かっては、伝えにくい」という人には、
「間接的に伝える」という方法もあります。
会社の食堂や休憩室などで同僚と会話している時、
「○○さんは、厳しいことも言うけど、
仕事をきっちりする人だよね」などと、
その場にいない人を大いに褒めるのです。
うわさ話は回り回って必ずその人の耳に。
相手からの印象はグッとよくなります。
ただし、心から褒めることが大切です。
小さなタネと軽く見てはいけません。
1粒のモミダネから出る芽は1本でも、
枝分かれしてやがて何百もの実をつけます。
実行が未来を大きく変えるのです。
●誰も見ていないタネまきでも、
運命は変わるの?
さて、ここまでの話を読んで、
こんな疑問を持つ人もあるのではないでしょうか。
「確かに、心のタネまきは大切だろう。
でも、誰も見ていないところでコツコツとタネまきしていても、
結果は来るのだろうか?」
「正直者は馬鹿を見る、とも言うし」・・・。
確かに、人知れずタネまきを続けることは容易ではありません。
だから何事も続かず、挫折する人が多いのでしょう。
「どうせ私なんか、何をやっても・・・」
とアキラメてしまうのです。
では、お釈迦さまは、私たちのこんな疑問に、
どう答えられているのでしょうか。
●行いは、消えない
「私たちの行い(業)は、決して消えることはないよ。
残って未来の運命を生み出していくのだ。
だから、他人が見ていようと見ていまいと、
善いタネまきを続けていくことが大切なのだよ」
と教えられているのです。
あれを見よ
みやまの桜 咲きにけり
真心つくせ 人しらずとも
という古歌もあります。
因果の道理を「明らかに見る」ことで、
アキラメの人生に別れを告げ、元気な「アキラメない心」を
手に入れることができるのです。
因果の道理について、もっと深く知りたい方は、
次の更新までお待ちください。