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親と子の失われた絆(父母恩重経) [父母恩重経]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)


私たちは、両親からどれほどの恩を受けて生きているのか、

先月号で説明しました。

親の大恩十種を簡単に復讐しますと、

懐胎守護(かいたいしゅご)の恩

子供を宿すと、五体満足に育ってくれよと

常に念じ守る。

臨床受苦(りんしょうじゅく)の恩

出産のとき、握った青竹を割るほどの苦しみを受けても、

子供のために耐える。

生子忘憂(しょうじぼうゆう)の恩

出産の苦しみを忘れて、子供の誕生を喜ぶ。

乳哺養育(にゅうほよういく)の恩

昼夜問わず、乳を与え、育てる。

廻乾就湿(かいかんしゅうしつ)の恩

子供が小便をしたとき、濡れたところに自分が移り、

子供を自分の寝ていたあたたかいところへ寝かせる。

燕苦吐甘(えんくとかん)の恩

自分がまずいものを食べても、子供においしいところを

食べさせる。

為造悪業(いぞうあくごう)の恩

子供のために、多くの悪を造って、育てる。

遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩

子供が遠くに行けば行くほど、その子を思う。

究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩

死ぬまでわが子を案じ続ける。

 

両親を縁として人間界に生を受け、

今日まで育てられたからこそ、

私たちは、真実の仏法を聞き、

人生の目的を達成できるのです。

 

●親を悲しませるような

    仕打ちをしていないか

 

このような大恩を受けながら、私たちは、

親にどんな態度をとっているでしょうか。

父母恩重経』に、続けて説かれています。

既に婦妻を索(もと)めて他の女子を娶(めと)れば、

父母をば転(うた)た疎遠して夫婦は特に親近し、

私房の中に於て妻と共に語らい楽しむ

子供が結婚すると、父母を疎遠にして夫婦は特に親近し、

夫婦の部屋に入ったまま、親のことは眼中になくなってしまう

と仰っています。

父母年高(た)けて、気老い力衰えぬれば、

依る所の者は唯子のみ、頼む所の者は唯だ婦(よめ)のみ。

然るに夫婦共に朝(あした)より暮に至るまで、

未だあえて一たびも来り問わず

親が歳をとって、気力も衰えると、

頼りにするのは息子と嫁のみです。

しかし、夫婦ともに、朝から晩まで、親に

「何か用事はないですか。食べたいものはないですか」

などと尋ねることがありません。

或は父は母を先立て、母は父を先立てて独り空房を

守り居るは、猶お孤客の旅寓(りょぐう)に

寄泊(きはく)するが如く、常に恩愛の情なく復(ま)た

談笑の娯(たのし)み無し。

夜半、衾(ふすま)、冷にして五体安んぜず。

況んや褥(しとね)に蚤虱(のみしらみ)多くして

暁に至るまで眠られざるをや。

幾度か輾転反側して独言すらく。

噫吾れ何の宿罪ありてか、斯かる不幸の子を有てるかと

父か母、どちらかが亡くなると、

残された一人は、まるで、知らない土地で旅館に

泊まっているかのように、淋しい思いをすると

仰っています。

今日なら、座敷牢に閉じ込められて、

テレビを見るしかないような状態です。

孫とも話せず、夜になれば、一人淋しく休まねばなりません。

当時のインドには、ノミやシラミがいっぱいいたのでしょう。

夜明けまで眠れず、寝返りうってばかり。

人生の黄昏に、一人、つぶやくのです。

「なぜ、あんな子供を生んだのだろう」と。

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●自分もやがて  

   同じ目に

 

事ありて子を呼べば、目を瞋(いか)らして怒り罵る。

嫁も兒(こ)も之を見て共に罵り共に辱しめば、

頭を垂れて笑いを含む。

婦(よめ)も亦た不孝、兒(こ)も亦た不順、

夫婦和合して五逆罪を造る

何か用事があって、「オーイ」と息子や嫁を呼ぶと、

怒りながらやってきます。

来るのは怒るときだけ。

息子も嫁も、孫までもののしり、

あざけり笑うと説かれています。

こんなことをしていると、因果の道理で、

自分もやがて子供から同じ目にあわされるのが

分からないのでしょうか。

或いは復(ま)た急に事を弁ずることありて、

疾く呼びて命ぜんとすれば、十たび喚びても九たび違い、

遂に来たりて給仕せず、却(かえ)りて怒り罵りて云く。

『老いぼれて世に残るよりは早く死なんには如かず』と

どうしてもしてもらいたいことがあって、

十回呼んでも、九回は返事をしません。

やがてしぶしぶ来ても、ろくなことをせず、

ののしってゆくだけです。

「おいぼれ、まだ生きているのか。

早く死んだらどうだ」と言うのです。

父母これを聞いて怨念胸に塞がり、

涕涙(ているい)瞼(まぶた)を衝(つ)きて、

目眩み心惑い、悲しみ叫びて云わく。

『ああ汝幼少の時、吾れに非(あら)ざれば養われざりき、

而(しか)して今に至れば即ち却って是(かく)の如し。

ああ吾れ汝を生みしは本より無きに如(し)かれざりけり』と

子供が可愛いと思う心が憎しみに変わり、

こう叫ぶのです。

「お前は、ワシがいなかったら育つことはできなかったのだ。

ところが今になって、こんな仕打ちをするとは・・・。

お前を産むのではなかった。

子供など、いない方がよかった」

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若し子あり、父母をして是の如き言(ことば)を

発(はっ)せしむれば、子は即ちその言と共に堕ちて

地獄・餓鬼・畜生の中にあり。

一切の如来・金剛天・五通仙も、これを救い護ること能わず

もし親にこういうことを言わせる子供があれば、

この世から「地獄・餓鬼・畜生」に堕ちているのだ、

と仰っています。

これが、2600年前のインドのことと、思えるでしょうか。

現代の姿そのままです。

人間の進歩はどこにあるのでしょう。

科学は長足の進歩を遂げましたが、

人間の心は何も変わらず、この世はジゴクなのです。

自殺者は跡を絶たず、殺したり殺されたりしている

五濁悪世(ごじょくあくせ)が現出しています。

 

●親の大恩に報いる方法

 

「父母の恩重きこと天の極まり無きが如し」

親の大恩を知らされた私たちは、では、

どうすればよいでしょうか。

「『世尊よ、是の如き父母の重恩を、

我等出家の子は如何にして報ゆべき。

具(つぶ)さに其の事を説示し給え』と」

「親の大きなご恩を、どうお返ししたらよいでしょうか」

と、阿難尊者が尋ねました。

汝等大衆よく聴けよ。孝養の一事は、

在家出家の別あることなし。

出でて時新(じしん)の甘果(かんか)得れば、

将(も)ち帰り父母に供養せよ。

父母これを得て歓喜し、自ら食うに忍びず、

先ず之れを三宝に廻(めぐ)らし施せば則ち菩提心を

啓発せん

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「皆さん、よく聞きなさい。

孝行は大切だから、出家した者だけでなく、

在家の人も心がけねばなりませんよ」

と釈尊は仰り、具体的に教えられました。

まず、「美味しいものや旬のものが手に入ったら、

親にあげなさい」と教えられます。

親が喜び、仏さまにお供えすれば、

親の仏縁を深めることになります。

父母病あらば、しょう辺を離れず、

親しく自ら看護せよ。

一切の事、これを他人に委ねること勿れ。

時を計り便を伺いて、懇に粥飯(しゃくはん)を勧めよ

「親が病気になったときは、

寝ている布団の周りを離れるな、

他人に任せず自分で看護せよ」

と仰っています。

下のことも必要と思ったら聞くように。

食べ物や飲み物を懇ろに勧めなさいと教えられています。

親暫く睡眠すれば、気を静めて息を聞き、

睡覚むれば医に問いて薬を進めよ。

日夜に三宝を恭敬(くぎょう)して、

親の病の癒えんことを願い、

常に報恩の心を懐きて片時も忘失(わす)るること勿れ

親がすやすやと眠りについたら、

静かに離れ、目を覚ましたら、医者に聞いて、

適切な薬を飲ませます。

「ひたすら、報恩の思いをいだいて、

親の病気が治るように念じなさい」とも仰っています。

 

●真の孝行とは何か

 

お釈迦さまはしかし、

未だ以て父母の恩に報いると為さざるなり

と仰り、

「それでも親の恩に報いることにならないぞ」

と教戒なされています。

親頑闇(かたくな)にして三宝を奉ぜず、

(乃至)子は当に極諫(ごくかん)して

之れを啓吾せしむべし。

若し猶お闇(くら)くして未だ悟ること能わざれば、

則ち為めに譬を取り類を引き、因果の道理を演説して

未来の苦患を救うべし

親が頑なに、仏法を信じなければ、

ご恩返しできたとは言えません。

親に聞法を勧め、阿弥陀如来の本願に救い摂られるように

導くことが、一番の孝行なのです。

因果の道理をよく話し、地獄しか行き場のない

後生の一大事を知らせねばなりません。

自分でうまく話す自信がない人も、

ともに『世界の光・親鸞聖人』を見る機会を作れば、

アニメの親鸞聖人が、直接、両親に仏法を伝えてくださいます。

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ところが、親は、なかなか子供の言う通りにはしないものです。

「子供の言うことなんか、聞けるか。

お前のオムツを替えていたんだぞ」と。

そんな場合は、どうするか。釈尊のご教導が続きます。

若し猶お頑なにして未だ改むること能わざれば、

啼泣歔欷(ていきゅうきょき)して己が飲食を絶てよ。

親頑くななりと雖も、子の死なんことを懼るるが故に、

恩愛の情に牽かれて強忍して道に向わん

「それでも親の聞法心が起きなかったら、

激しく泣いて断食せよ」と仰っています。

どんな頑迷な親でも、衰弱するわが子の姿に、

「聞く、聞く。だから、食べてくれ」

と、仏縁を結ぶようになるだろうと、

釈尊は仰っています。

 

●仏法を伝えてこそ

 

父母のために心力を尽くして、

あらゆる佳味・美音・妙衣・車駕(しゃが)・宮室等を供養し、

父母をして一生遊楽に飽かしむるとも、

若し未だ三宝を信ぜざらしめば猶お以て不孝と為す

どんなに心を尽くして、両親に、

佳味(美食)・美音(美しい音楽)・妙衣(立派な着物)

・車駕(乗用車)・宮室(豪邸)などを用意して、

何不自由のない生活をさせても、

それは、50年乃至100年の、この世だけの幸福にすぎない。

未来永劫、救われる仏法を聞かせなければ、

なお不孝なのだ

と、さらに具体的にご教導なさっています。

仏法を聞くよう導いてこそ、本当の孝行となるのです。

 

●阿弥陀仏・善知識の

    深恩知る仏法者に

 

以上、『父母恩重経』では、親の恩の重さを諄々と説かれ、

恩知らずな仕打ちをしていれば、

この世から恐ろしい悪果がくると戒められています。

では、どうしたら親の大恩に報いることができるのか、

それは仏法を伝えるよりないのですよ、

と真の孝行をハッキリと明示されたものです。

親鸞聖人は、恩徳讃に教えられました。

如来大悲の恩徳は

身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし

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本師本仏の阿弥陀仏と、その御心を伝えてくださる

善知識(仏教の師)から、私たちは、身を粉にしても、

骨を砕いても報謝せずにおれぬほど、

広大なご恩を受けているのです。

そのご恩徳の深さを知るには、まず身近な親の恩から

感じなさいと、釈尊が方便して説かれた経典が

『父母恩重経』なのです。

両親は眼に見える存在であり、その恩は比較的、

感じやすいと思います。

親の恩を知り、さらには、善知識の高恩、

阿弥陀仏の深恩に感泣する仏法者にならねばなりません。


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