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施しは生きる力の元と知れ [因果の道理]

    施しは

     生きる力の

       元と知れ

 

         布施のこころ

 

経済大国日本で、心の貧しさを象徴する事件が

日々報道されています。

警察白書によると、刑法犯は過去10年間で100万件増加し、

戦後最悪の記録を更新中。

とりわけ路上強盗やひったくりは10年前の4~5倍に上っています。

(2004年2月のとどろきです)

その要因として、多くの識者は〝他人を思いやる心、

我慢する心を持ち合わせない青少年の増加〟を挙げ、

自己中心的な人が増えていることを警告しています。

 

2600年前、布施の大切さを説かれた釈尊。

自分の損得ばかりを考えている我利我利亡者は、

決して恵まれませんよ。

他人を喜ばせよう、幸せにしようとする利他の心を持ちなさい、

と仏教では教えられます。

 

物は豊かになりましたが、目に見えないところで、

大切な何かが、急速に失われつつあるのではないでしょうか。

いつの時代も、だれにとっても大切な「布施のこころ」を

学びましょう。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●仏教を一貫する廃悪修善の勧め

 

昔、中国に、いつも樹上で、座禅瞑想していた

鳥窠(ちょうか)という僧がいた。

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ある日、儒者で有名な白楽天が、その樹下を通って、

ひとつひやかしてやろうと思った。

「坊さんよ、そんな高い木の上で、目をつむって座っていては、

危ないではないか」

鳥窠は、

「そういう貴殿こそ、危ないぞ」

と切り返す。

この坊主、相当偉いのかもしれぬ、と見て取った白楽天は、

「私は名もなき白楽天という儒者だが、

貴僧の名を承りたい」

と尋ねると、

「私は鳥窠という名もなき坊主だ」。

これが有名な鳥窠禅師と知った白楽天は、

かねてから仏教に関心を持っていたので、

「いい所で貴僧に会った。一体、仏教とは、

どんなことを教えているのか、一言でお聞きしたい」

と頭を下げた。

鳥窠は即座に、

もろもろの悪をなすことなかれ、

謹んで善を修めよ、と教えるのが仏教である

と答える。

白楽天、いささかあきれて、

そんなことくらいなら、三歳の子供でも知っている

と冷笑すると、鳥窠すかさず、

三歳の童子もこれを知るが、八十の翁もこれを行うは難し

と大喝しています。

 

●仏教の根幹は因果の道理

 

仏教を一貫するものは、因果の道理です。

 

善因善果 

悪因悪果 

自因自果

 

因とは私たちの行為のこと。果は果報、

つまり、私たちの受ける幸福や不幸という運命です。

幸福という運命は、善い行いが生み出したものであり、

不幸や災難は、悪い行いが引き起こしたものなのです。

神というものがいて運命を造ったのでもなければ、

先祖のたたりで不幸になるのでもありません。

自分の運命のすべては、自分の行為が生み出したもの

であると教えられます。

これは三世十方を貫く真理です。

この真理に立って、廃悪修善を勧めているのが仏教です。

 

●あらゆる善を六つにまとめると

          六度万行

 

では、何をすればいいでしょうか、

という私たちの疑問に釈尊は、

たくさんの善を教え勧められています。

これが諸善万行です。

しかし、あれも善、これも善と並べられても、

私たちはどれから手をつけてよいか迷います。

ちょうど、服を買いに行っても、何百着も並んでいると、

目移りして選択できません。

そんな時、店員さんが気を利かせて、

数着候補並べてくれると選びやすいでしょう。

私たちが実行しやすいように釈尊が、

善を六つにまとめられたのが、

六度万行(六波羅密・ろっぱらみつ)です。

その六つを挙げ、現代語で表現すると次のようになります。

 

○布施・・・親切

○持戒・・・言行一致

○忍辱・・・忍耐

○精進・・・努力

○禅定・・・反省

○智慧・・・修養

 

この六つに数え切れぬほどの善がおさまっています。

しかも、どれか一つでも実行すれば、

六つ全部したと同じことになるのが六度万行の特色です。

中でも私たちがいちばんしやすいのは布施ですから釈尊は、

六度万行の最初に挙げられています。

 

●与えられるより、与える人が幸せの実を結ぶ

             財施

 

布施は、施すものによって、大きく財施と法施の2つに

分けられます。

財施とは、財を施す、つまりお金や物を人に上げることです。

名利のために千金を投げ出すは、髭をなでるより易く、

慈悲のために一銭を出すは、生爪はがるるよりも痛し

といわれるように、欲一杯の私たちが、命の次に大事にしている

金や財を人に上げるのはつらいことでしょう。

しかしそれを乗り越え、施すことが大きな善なのです。

因果の道理に狂いはありません。

まいたタネの結果は、その人自身に必ずもたらされます。

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●長者の万灯よりも貧者の一灯

       ーー大切なのは心

 

〝それは金や財に恵まれた人のことだろう〟

と思う人があるかもしれません。

しかし財施の功徳は決して、その量の多少で

決まるものではありません。

心こそ大切だと教えられます。

 

釈尊在世中、ナンダという貧女がいました。

街中の人が釈尊に灯を布施するのを見て、

自分も何とかしたいと、ある日、わずかな金を

恵まれたのを持って、油屋へ走った。

彼女の尊い布施の心に感激した油屋の主人は、

不足分を足して一灯分の油をくれました。

彼女は何とかそれで釈尊に一灯を布施することができ、

大変喜びました。

彼女の布施した一灯は、万灯の中に赤々と燃え、

明け方に万灯が皆消えたあとも、

ナンダの布施した一灯だけは、

なぜか消えません。

当番であった目蓮尊者は、どうしてもその火が消えないので、

不思議に思って釈尊に尋ねると、

「おまえの力では、とてもあの灯を消すことはできない。

四大海水を注ごうとも燃え続けるだろう。

なぜならあれは、四大海水よりも、なお大きな広済の心から

布施された灯火であるからだ」

と仰っています。

金持ちが万の灯を布施することも尊いが、

貧しい人が心から布施する一つの灯は、

もっと尊いことなのだと教えられているのです。

ここから、

長者の万灯よりも貧者の一灯」といわれます。

布施はお金や物の多寡(たか)ではなく、

心こそ最も大切なのです。

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●3つのことを

  忘れるほど功徳は大きい

     ーー施す時の心掛け「三輪空」

 

また、布施の心掛けとして釈尊は、「三輪空」を

教えられています。

分かりやすく言いますと、

 

○私が(施者)

○だれだれに(受者)

○何々を(施物)

 

この3つを忘れるように努めなさい、ということです。

そうしないと、

〝私があんなに苦労したのに〟

〝あの人、いつになったら礼を言うのか〟

〝あんな高価な物を上げたのに〟

と、腹を立て、罪を造ることになります。

3つを忘れれば忘れるほど、布施の功徳は大きいのだよ、

と教えられているのです。

 

●施しは、田畑に

   タネをまくがごとし

     ーー布施の相手「三福田(さんふくでん)」

 

ただしここで注意しなければならないことは、

相手構わずだれにでも優しく親切にしたり、

施しをすればよいのではありません。

例えば、放蕩息子に金銭を与えれば、

ますます堕落していくだけでしょう。

泥棒の手助けをしてよいはずがありません。

釈尊は布施の相手を「三福田」と説かれています。

 

○敬田(きょうでん)・・敬うべき徳を備えられた方

○恩田(おんでん)・・ご恩を受けた方

○悲田(ひでん)・・気の毒な人

 

最も敬うべき、計り知れないご恩を受けている方は、

無上仏の阿弥陀如来です。

この世も未来も、私たちの魂を救い切ってくださる方は

ほかにありません。

次いで親鸞聖人や蓮如上人など、その弥陀の救いを

命懸けで伝えてくだされた善知識方です。

また、両親や学校の先生など、陰に陽にお世話になっている方々。

病人や怪我人、災害や貧困で苦しむ人など、

気の毒な方に布施することも、大いにしなさいよと、

釈尊は教えられています。

ここでなぜ、布施の相手を田んぼに例えられるのでしょうか。

それはちょうど、田畑がまいたタネを

何倍もの収穫にして返してくれるように、

三福田に布施をすれば、その福徳は布施した人のものになり、

やがて大きな幸せの実を結ぶからです。

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●麦こがしと多根樹のタネ

       ーー布施の功徳

 

仏典にこんな話があります。

 

ある時、柔和な釈尊のお姿に貧しい主婦が、

昼食のために用意していた一握りの「麦こがし」を

差し上げました。

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釈尊は弟子の阿難に向かって、

「この女は今行った善根によって、

やがてさとりを開くであろう」

と仰いました。

そばで聞いていた主人が腹を立て、

「そんな出任せを言って麦こがしを出させるな。

取るに足らぬ布施で、どうしてそんな果報が得られるか」

と食ってかかる。

静かに釈尊は、

「あなたは世の中で、これは珍しいというものを

見たことがあるか」

と聞かれると男は得意になって、

「あの多根樹ほど不思議なものはない。

一つの木陰に500両の馬車をつないでも、

まだ余裕があるからだ」

と言う。

「そんな大きな木だからタネは、挽き臼ぐらいはあるだろう。

それともかいば桶ぐらいかな」

「とんでもない。そんな大きなものではない。

ほんのケシ粒の四分の一ぐらいしかない」

と答える。

「そんな小さなタネから、そんな大きな木になるとは

だれ一人信じないね」

と仰ると、男はムキになり、

「だれ一人信じなくともおれは信じている」

と大声で反発する。

ここで釈尊は言葉を改められ、

どんな麦こがしの小さな善根でも、

やがて強縁に助けられてついにはさとりを

開くことがもできるのだ」。

当意即妙の説法に、夫婦は直ちに仏弟子となったといいます。

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●焼けもせず、流されも、盗まれもしない不滅の宝

               ーー法施

 

もう一つの法施について説明しましょう。

法施とは、法を施す、つまり仏法を人に教えてあげることです。

財施も尊い善ですが、

「財は一代の宝、法は末代の宝」

といわれ、法施は財施に勝る功徳があると、

釈尊は教えられています。

お金や財は、生きている間は相手を喜ばせるものですが、

死ぬ時には輝きを失ってしまいます。

ところが、仏法は未来永遠の幸福に導く教えですから、

焼けもせず、流されも、盗まれもしない、

不滅の宝を施すことになるのです。

それはたとえ、自分で仏法を話すことができなくても、

真実の仏法が説かれる場所に人を誘って、

聞かせてあげることも尊い法施です。

また財を、仏法を広めるために使えば、

法施と財施の両方をすることになります。

こんな素晴らしい教えを、

自分だけ聞いているのはもったいない。

ぜひ皆さんにも聞いてもらいたいと、わが家を開放して

講師を招きご法話を開いたり、

聞法道場を建立するために財施をする。

これは、財施と同時に法施もすることになりますから、

その功徳は大変なものです。

昔から、自分の家で法座を勤めると、

その家の屋根に留まった鳥から、

床下の虫まで尊い仏縁を結ぶといわれているほどです。

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●「その土地を欲しいだけ

      黄金で埋めなさい」

       祇園精舎建立のドラマ

 

お釈迦様と巡り会い感激した給孤独長者という

富豪がありました。

ぜひ自分の国にも仏法を広めたいと、

精舎(寺院)を建立し寄進するため、

土地を探しました。

国中を回り、理想的な樹林を発見しましたが、

そこは祇陀太子(ぎだたいし)の所有地でした。

そこで祇陀太子に土地を譲ってもらうために、

八方手を尽くして懇願しましたが、

どうしても太子は承知しません。

しかも、長者があまりに熱心なので、

太子は難題をふっかけ断念させようとしました。

それでは、その地を欲しいだけ黄金で埋めなさい。

その分の土地を、その金と引き換えに売ろう

ところが長者は逆に大喜び、早速、その土地に

金貨を敷き詰めていったのです。

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驚いたのは祇陀太子。

土地の半ばまで黄金色に染まった時、

長者よ、待ってくれ。あなたは、そこまでしてだれに、

この土地を寄進するつもりなのか」。

お釈迦さまが仏のさとりを開かれ、

万人の救われる教えを今、説いておられます。

私は、この国に仏法を伝えたい。金や財は一時の宝。

真実の法は永久に輝く不滅の宝です。悔いはありません

太子の心は大きく動きました。

ああ、あなたがそれほど尊敬される釈尊とは、

どれほど偉大な方なのでしょうか。

もう金貨はけっこうです。残りの土地はお譲りします。

私にも布施の善を求めさせていただきたい。

この樹林の立ち木を精舎建立の用材に寄進します

こうして落成した壮大な建物が、有名な祇園精舎です。

ここで『阿弥陀経』『玉耶経』はじめ、多くの経典が説かれ、

仏法興隆に大きな役割を果たしました。

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●さん然と輝く、

    親鸞聖人のご一生

 

仏法を広める功徳の広大さを知れば、法施に生きる人が、

恵まれ生かされるのもうなずけます。

 

「まことに一人なりとも信をとるべきならば

身を捨てよ、それはすたらぬ」

           (御一代記聞書)

蓮如上人は、たとえ一人でも、信心決定したいと

仏法を求める人あれば、己の生活など顧みず、

命を懸けて説法しなさい。

決して生活できぬことなどない、必ず生かされる、

と仰っています。

法を受け取った人がほっておかないからです。

何億円でも買えぬ尊い教えを聞かせていただいたと

分かれば、財施せずにおれません。

生活の心配は要らぬどころか、恵まれすぎるほど恵まれ、

無上の道を歩ませていただくことができるのです。

あのたくましき親鸞聖人や蓮如上人を見れば明らかでしょう。

法施一筋の人生は、さん然と輝いているではありませんか。

 

財施も法施もともに善。

因果の道理に狂いなし。

まいたタネの結果は、他人のものにはなりません。

すべて、実行した人のものです。

恵む人は恵まれる。

生かす人は生かされる。

慕われ、愛され、幸福な人生を歩むことができるのです。

 

「施しは

  生きる力の 

    元と知れ」


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