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お釈迦様とは一体どんな人!? [釈迦]

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お釈迦様は約2600年前、インドで仏教を説かれた方です。

若い頃から「人間はなぜ生きるのか」で悩まれました。

一国の王子であったので、物質的には何の不自由もなかったのですが、

心は不満、不安で満たされていませんでした。

今は若くて、健康でいられるが、じきに歳をとる。

そうすれば腰も曲がり体も自由でなくなり、病気にもなる。

いざ死ななければならないとなれば、

地位、名誉、財産、妻子、全てのものをこの世に置いて、

一人で去っていかなければならないではないか。

今が不安で心が暗いのに、死後はどうなるのか!?

わたしは人間に生まれてきてよかった!と生命の歓喜を得たいのだと、

29歳で出家され、山にこもり難行苦行をされました。

父親の王様が使者をよこして帰るように説得しても、

シッダルタ太子(お釈迦様が仏様になる前の名前)は、

「おまえたちにはわからないのか、

あの激しい無常の嵐が、まだ分からないのか。

ものは皆常住しないのだ、いずれの日にか衰え、

いずれの日にか滅ぶのだ。

快楽の陰にも無常の響きがこもっているのだ。

この世の一切は、悩みのみ、

猛き火のごとく

浮かべる雲のごとく

幻や水泡のごとし

若きを愛すれど、

やがて老いと病と死のために壊れ去るのだ!」


と言われ、はねのけ帰ることはありませんでした。


難行苦行のために骨と皮だけになられ、

それでもまだ仏の悟りを開けなかったシッダルタ太子は、

身を清めようと川に入り、体を洗おうとしたのですが、

川から這い上がる体力がなくて、

危うく岸につかまっているのがやっとでした。

そんなときに通りかかったスジャータという若い女性に

乳粥をいただき、太子は気力を取り戻し、

川から這い上がることができました。

そして大河の畔の菩提樹の下に座られて、

「われ、無上の悟りを開かざれば、ついにこの座をたたず!」

と決意されます。

死ぬ覚悟で座禅されました。

さまざまな心の誘惑が太子を襲いましたが、

それら全てをはねのけ、

35歳の12月8日に仏の悟りを獲ることができたのです。

「われは一切の知者となれり、

一切の勝者となれり。

われついに永遠の目的を成就せり!」


そして生きる意味もわからず、

苦しんでいる我々に本当の幸せを伝えなければならないと

立ち上がられたのです。

80歳でお亡くなりになるまで45年間教えられたのが仏教であり、

それは一切経という7000余巻ある膨大なお経に記されているのです。

しかし、お釈迦様はいろいろなことを教えたかったのではありません。

説法をする人に応じて、いろいろな善を勧められたので、

膨大な量になりました。

なぜ善を勧めたかですが、
それは悪しかできないことを知らせるためでした。
例えば、掃除をしますね。
掃除をすると、今まで見えていなかった汚れや、
ほこりが目に入ります。
つまり善をすると、今まで気づかなかった悪が
見えてくるのです。
善をしないと、悪は見えてこないということです。
そして我々の気がついていないところで
いかに罪の重い悪をしているかを教え、
悪しかできない、極悪人であることをハッキリ分からせたかったのです。
そんなお前を救えるのは、
弥陀の本願しかないのだよと
一向専念無量寿仏させるのが狙いだったのです。
(弥陀一仏に向かせること)
仏教の根幹は因果の道理です。
悪をすれば必ず悪い結果が現れ、
やったものに必ず返ってくるというものです。
極悪人と知らされれば、死ねばどうなるかが分かります。
地獄しか行き場のないことを知らせ、
一切を弥陀にうちまかせ自力を捨てさせることが、
お釈迦さまの仕事だったのです。


道徳や倫理を教えたわけではもちろんありません。

どうすれば全ての人が後生の一大事を解決できて、真の幸福者になれるかを

教えたかったのです。

仏教の結論は、一向専念無量寿仏です。

阿弥陀仏一仏に向け、阿弥陀仏をもっぱら信じよ、そうすれば後生の一大事が解決できるぞと

我々に教えていかれたのです。

明日は、仏の悟りとはどういうことか、

運命はどのように決められていくのかをお話したいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記します。

(お釈迦さまは、始めから仏だったのか、
という疑問を持たれている方もいると思いますので、解説します。
8000遍極楽浄土と人間界を往復していると、梵網経に説かれていますので、
始めから仏でした。
(我々に弥陀の本願を教えて人生の目的を
果たさせるために、八千遍も釈迦は往来されていると
梵網経に説かれている、その御文を示します。
○われわれこの界の衆生を勧めんが為に
無勝荘厳の浄土より往きつもどりつ八千遍。)

しかし人間としてお生まれになり、
さとりを一段一段上っていかれます。

人間界にお生まれになるので、人間として生まれます。
そうででなければ、我々は怪しんで仏法聞くこともできませんよね。
もともとが仏でない人が、自力で修行された場合、
6年ぐらいの自力難行道で仏覚まで到達できるわけがないのです。
想像もつかないほどの長年月を要すのです。
兜率天で今修行されている弥勒菩薩は51段目にいるのですが、
仏覚の52段を悟るには56億7000万年かかるといわれます。
地球上に次に現れる仏さまだとお釈迦さまは教えています。
しかし、南無阿弥陀仏の名号にはものすごい力がありますので、
我々が仏教を真剣に聞き求め、生きているうちに阿弥陀仏に救われれば、
一念で51段までのさとりを開くことができ、
死ねば極楽に往生して52段のさとりを開き、仏になります。
弥陀の第18願で51段の正定聚にし、第11願で、極楽に往生させ、
52段のさとりを開かせ仏にすると願を建てられ、すでに成就しています)
すべての仏や菩薩は、阿弥陀如来の浄土より
現れ出でられた根拠を、経典で示しておきますね。
お釈迦さまが何度も何度も衆生救済のために
往復していることが分かると思います。

○十方の諸の刹土における衆生と菩薩の中の
あらゆる法報身(ほっぽうしん)と化身と
及び変化(へんげ)とは、
みな無量寿(阿弥陀仏)の極楽界中より出ず。
                (楞伽経)


タグ:釈迦 仏教
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コメント 3

yu-papa

仏の教えを伝える伝道者だと思います。
by yu-papa (2013-09-16 14:47) 

minsuke

yu-papaさん、コメントありがとうございます。
今は、どこの僧も葬式、法事、墓番しかしていません。
仏教を知らず、説けず、惨憺たる有様です。
人間が一番知りたいのはどうしたら本当に幸福になれるかです。
死に直面しても壊れない幸福者、たとえば癌ですよと宣告されても何も恐れることのない、その必要の無い幸福者になる方法を教えたのが仏教です。
それは観念の遊戯ではなく、実際に生きているうちに
阿弥陀仏に救われればそうなれます。
お釈迦様の仏教の結論は一向専念無量寿仏です。
いろいろなことを教えたかったわけではないのです。
ただ阿弥陀仏ひとつに向け、阿弥陀仏をひたすら信じよ、そうでないと後生の一大事(地獄に堕ちるということ)の解決はできないぞ!ということだったのです。(無量寿仏=阿弥陀仏)
by minsuke (2013-09-16 15:25) 

観音

はじめまして!
究極のさとりをめざして仏道修業8年してます

まだ悟れませんが、かなりのさとりの境地に達しました!!
究極のさとりはまだまだ先だと思います煜

高森先生のなぜ生きるという本は良いであります!
なぜ生きる2も良かったであります!

木村先生の親のこころも良いでありますね!

念仏も100万回くらいしたので念仏も良いであります!

行をしていくうちにいろんな気づきがありました

あなた様と仏道についていろいろ偏見なく語り合いたいのでコメントしました

メアド書いとくので気が向いたらメール下さいね!

僕はソウカ学会でも日蓮正宗でもないであります

一人孤独に仏道を極めようと孤独に仏道修業してる男であります

念仏100万回したくらいなので念仏の功徳は了解しております

法友になって下さい!!

az835@softbank.ne.jp
ハンドルネーム 弘法大師
by 観音 (2016-12-18 05:45) 

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