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弥陀の救いは2度ある [Q&Aシリーズ]

(質問)二益法門とはどんなことですか?

(答え)二益とは、「現益(げんやく)」と「当益(とうやく)」の
2つの利益(救い)をいいます。

現益とは、本師本仏の阿弥陀仏のお力によって、
現在ただいま無碍の一道(絶対の幸福)に
救われること。
いつ死んでも浄土往生間違いなしという
大安心・大満足の幸せな身になります。


当益とは、死ぬと同時に弥陀の浄土へ往き、
弥陀同体の仏に成れるということです。


このように阿弥陀仏は、
この世と死後の2回救うと誓われていますから、
これを現当二益の教え、「二益法門」といわれます。
しかし、当益を得られるのは飽くまで
現益を頂いている人のみですから、
親鸞聖人は、“現在の救いを急げ”と
教えられています。

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(質問)えっ!?「この世はどうにもなれない、
死んだらお助け」ではないのですか?

(答え)この世さえどうにもなれない人が、
死んでどうなれましょうか。

「そこは阿弥陀さまのお力で・・・」
と言う人がありますが、
死後の地獄を助けることのできる阿弥陀さまなら、
なおさら、この世のジゴクを
助けられないはずがありません。

人間でさえ、今、おぼれて苦しんでいる人に、
「土左衛門になったら助ける」と言う人はいません。
今、腹痛で苦しんでいる人に、
「死んだら治す」と言う医者もいなしでしょう。

いわんや大慈大悲の阿弥陀仏が、
「この世は助けられないから我慢せよ。
死んだら助ける」とおっしゃるはずがないのです。

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(質問)「この世で救われる」という根拠は?

(答え)その根拠は、「弥陀の本願」にあると
聖人は教えられています。

本願とは、誓願ともいわれ、約束ということ。
弥陀の本願とは、本師本仏の阿弥陀仏が
なされているお約束です。
その中に弥陀は、
「若不生者 不取正覚」
“もし、生まれさせることができなければ、
正覚(仏のさとり)を取らない”

と誓われています。
ここで、「生まれる」といわれているのは
肉体のことだけではありません。
仏法では肉体よりも心を重んじます。
弥陀は、私たちの後生暗い心を、
現在ただいま、大安心の明るい心に生まれさせる、
と命(正覚)を懸けて誓われているのです。

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(質問)本当に、この世で助かるのですか?

(答え)そうです。
親鸞聖人は『教行信証』に、
「誠なるかなや、摂取不捨の真言」
“まことだった、本当だった、
弥陀の誓いにうそはなかった”
と、弥陀の誓願どおり、
この世で助かったとおっしゃっています。
救われたら、ハッキリするのです。

原因なくして結果なし。
平生の救い(因)にあわずして、
死後の救い(果)は望めません。

足元の小川が渡れぬ人に、
その先の大河がどうして渡れましょう。
今生救われた人だけが浄土往生できるのです。

ですから、「この世はどうにもなれない、
助かるのは死んでから」
などと思っている人は、
死んでもどうにもなれません。

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