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独りぼっちの人生が底抜けに明るい人生になる [孤独な魂]

 (真実の仏教を説いておられる先生の書物「とどろき」から載せています)

「涙とともにパンを食べたものでなければ、
人生の味は分からない」
ドイツの詩人・ゲーテの言葉です。
肉親との死別、伴侶との別れ、老いていく体・・・。
年を重ねるごとに涙の数が増えていくのは、
世の習いでしょうか。
底知れぬほど寂しいところが人生のようです。
しかし親鸞聖人の教えに生かされれば、
無限に楽しい人生となることを、皆さんご存じでしょうか。

今回は、
お釈迦さまの有名な
譬え話を通して、
人生の原点を見つめてみたいと想います。

・・・・・・・・・・・・・・・・

今、団塊の世代は「同窓会」がブーム。
会社を定年退職し、
仕事のつきあいもなくなって思い出すのは、
青春をともに過ごした仲間たちのことでしょう。
「彼(彼女)は今、どんな人生を歩んでいるんだろう」
「初恋の人に、もう一度会いたい」
そんな人々の望みをかなえるべく、
幹事役を引き受ける「同窓会ビジネス」
まで登場しました。
久方ぶりの再会は、感慨もひとしおです。
しかしそこには紛れもなく、
数十年の歳月の足跡が刻まれています。
「お互い、年を取ったなぁ」
そう言って苦笑いする参加者たち。
「青春時代が夢なんて、あとからほのぼの思うもの」 
         (森田公一とトップギャラン)
歌の詞にもあるように、
激動の時代を駆け抜けた今、
振り返ると、笑ったのも、涙したのも
夢のようではありませんか。
光陰矢のごとし。
人は老い、やがて死んでいかねばなりません。
そんな人間の、ありのままの姿を
教えられたのが仏教です。

中でも、
「これこそ論じ合う余地のない、
人間の真実の姿だ」
とロシアの文豪トルストイが絶賛したのは、
『仏説譬喩経』に説かれた、ある例え話でした。

●「人間の実相」の譬え話

ある日、お釈迦さまの法話会場に、
一人の王様が参詣しました。
名を勝光王といいます。
初めて仏法を聞く勝光王に、釈尊は、
人間とはどんなものかを、
次のような例えで説かれたのです。

・・・・・・・・・・・・

王よ、それは今から幾億年という昔のことである。
ぼうぼうと草の生い茂った、果てしない広野を、
しかも木枯らしの吹く寂しい秋の夕暮れに、
独りトボトボと歩いていく旅人があった。
ふと旅人は、急ぐ薄暗い野道に、
点々と散らばっている白い物を拾い上げて
旅人は驚いた。
なんとそれは、人間の白骨ではないか。
どうしてこんな所に、
しかも多くの人間の白骨があるのだろうか。
と不気味な不審を抱いて考え込んだ。

そんな旅人に、間もなく前方の闇の中から、
異様なうなり声と足音が聞こえてきた。
闇を透かして見ると、
彼方から飢えに狂った、見るからに獰猛な大虎が、
こちらめがけて、まっしぐらに突進してくるではないか。

旅人は、瞬時に白骨の散らばっている意味を知った。
自分と同じく、この広野を通った旅人たちが、
あの虎に食われていったに違いない。
同時に旅人は自分もまた、
同じ立場にいることを直感した。
驚き恐れた旅人は無我夢中で、
今来た道を全速力で虎から逃げた。

しかし、所詮は虎に人間は、かなわない。
やがて猛虎の吐く、恐ろしい鼻息を身近に感じて、
もうだめだと思った時である。
どう道を迷って走ってきたのか、
道は断崖絶壁で行き詰まっていたのだ。
絶望に暮れた彼は、
幸いにも断崖に生えていた木のもとから
一本の藤蔓が垂れ下がってい
るのを発見した。

旅人は、その藤蔓を伝って
ズルズルズルーと下りたことはいうまでもない。
文字どおり、九死に一生を得た旅人が、
ホッとするやいなや、
せっかくの獲物を逃した猛虎は断崖に立ち、
いかにも無念そうに、ほえ続けている。
「やれやれ、この藤蔓のおかげで助かった。
まずは一安心」
と旅人が足下を見た時である。
旅人は思わず口の中で、「あっ」と叫んだ。
底の知れない深海の怒濤が絶えず
絶壁を洗っているではないか。

それだけではなかった。
波間から三匹の大きな竜が、
真っ赤な口を開け、自分が落ちるのを
待ち受けているのを見たからである。
旅人は、あまりの恐ろしさに、
再び藤蔓を握り締め身震いした。

しかし、やがて旅人は空腹を感じて
周囲に食を探して眺め回した。
その時である。
旅人は、今までのどんな時よりも、
最も恐ろしい光景を見たのである。
藤蔓のもとに、白と黒のネズミが現れ、
藤蔓を交互にかじりながら回っているではないか。
やがて確実に白か黒のネズミに、
藤蔓はかみ切られることは必至である。
絶体絶命の旅人の顔は青ざめ、
歯はガタガタと震えて止まらない。

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だが、それも長くは続かなかった。
それは、この藤蔓のもとに巣を作っていたミツバチが、
甘い五つの密の滴りを彼の口に落としたからである。
旅人は、たちまち現実の恐怖を忘れて、
陶然と蜂蜜に心を奪われてしまったのである。

・・・・・・・・・・・

釈尊がここまで語られると、
勝光王は驚いて、
世尊!その話、もうこれ以上しないでください
と叫びました。
どうしたのか
その旅人は、何とバカな、愚かな人間でしょうか。
旅人がこの先どうなるかと思うと、
恐ろしくて聴いておれません!

王よ、この旅人をそんなに愚かな人間だと思うか。
実はな、この旅人とは、そなたのことなのだ

※世尊とは、お釈迦さまのこと。

えっ!どうしてこの旅人が私なのですか
いや、そなた一人のことではない。
この世のすべての人間が、この愚かな旅人なのだ

釈尊の言葉に、聴衆は驚いて総立ちになりました。

この例え話は、何を教えられているのでしょうか。
今回は、「旅人」と「秋の夕暮れ」について、
お話しましょう。

●幸せ求めての旅路
       ーー旅人

「旅人」とは、私たち人間のことです。
「生きることは 旅すること 終わりのないこの道」
     (秋元 康作詞「川の流れのように」)
こんな美空ひばりの歌を思い出される方もあるでしょう。

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古くから人生は旅に例えられてきました。
一カ所にとどまっていたら旅ではありません。
旅は、どこかへ向かって行くもの。
人生もまた、昨日から今日、
今日から明日へと、どんどん進んで行きます。

様々な人との出会いは、
そんな旅の大きな楽しみの一つです。
「旅は道連れ、世は情け」
しかしまた、
「会うは別れの始め」なり。
最愛の人との別れに、号泣した日もあったでしょう。

ビートルズの名曲「ロング・アンド・ワインディング・ロード」
(長く曲がりくねった道

には、こんな一節があります。
孤独な時も 何度かあった
泣いた夜も 幾夜かあった
きみには 決してわかりはしないけど
人知れず試みた道も 幾つかあった
そうして ぼくが辿り着いた道
それは あの長く曲がりくねった道
          (山本安見・訳)
旅の道中は、晴天の日ばかりとは限りません。
風雪の日もあれば、暴風に見舞われる日、
上り坂もあれば、下り坂もある。
曲がりくねった遠い道で、
途方に暮れたこともありました。
あざなえる縄のごとく、苦楽が交互にやってくる人生は、
旅によく似ています。
「泣いてはいけない。簡単にあきらめてもいけない」
とは、人気韓国ドラマ『チャングムの誓い』の名せりふですが、
自らの心にこう言い聞かせ、何度立ち上がってきたでしょう。
それは一筋に明るい日差しの降り注ぐ、
幸せを求めてのことに違いありません。

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●幸せのゴールはどこ?

ところが、
「この坂を 越えたなら
しあわせが 待っている
そんなことばを 信じて
越えた七坂 四十路坂」
   (星野哲郎作詞「夫婦坂」)
と歌われます。
結婚すれば、お金があれば、
この坂さえ越えたなら幸せがつかめるのだと、
必至に目の前の坂を上ってみると、

そこにはさらなる急坂が、
「こんなはずでは・・・」
何度、驚き、悲しんだことでしょうか。

“ここまで来てよかった”の満足がなければ、
歩いた苦労は報われないように、
“生きてよかった”の生命の歓喜がなければ、
苦しむために生きているようなものでしょう。

人生は、決して、「終わりなき道」ではありません。
まして死ぬまで重荷を下ろせぬ悲劇などとは、
とんでもない。

真の人生のゴールを知ってこそ、
人間に生まれた喜びを心の底から味わえるのです。

「生きてよかった!」
と喜べる人生のゴールはどこにあるのか。
その解答が仏教なのです。

●やってくる黄昏の人生
      秋の夕暮れ

旅人が歩いていたのは、木枯らしの吹く、
秋の夕暮れでした。

日本ほど春夏秋冬鮮やかな四季のある国は
珍しいといわれます。
秋は、どことなく悲しい季節。
草木は枯れ、生命が大地に返る季節だからでしょう。
そんな秋の夕暮れに、
人生の寂しさが例えられています。

かつての幸せの象徴だった団地の一室で、
ひっそりと息を引き取り、
2、3ヶ月もたって発見される「孤独死」
が増えています。
しかも、その半数近くは、
65歳未満の中高年男性だといわれます。
死亡したある男性の机の上には、
ハローワークから取り寄せた20枚の求人票と、
負けても負けても走り続けた競走馬・ハルウララの馬券が
置かれていました。
「生まれる時は、みんなに祝福されて生まれてきて、
何がどうなって、だれにも見取られず独り亡くなったのか」
葬儀を終え、住人の一人がつぶやきました。

生きる気力を失い、部屋に閉じこもって
近所付き合いしない中高年者には、
複雑な事情を抱えた人も少なくありません。
過日も、次のような話を聞きました。

その男性は、72歳。45年間連れ添った妻に、
昨年の春、先立たれ、独り身となったそうです。
仕事を探し始めたものの、
高齢の彼を採用してくれる会社はありませんでした。
18年にわたる妻の介護もなくなり、
仕事も見つからないまま、
男性は町の公共浴場に足を向けました。
そこで一風呂浴び、広間のカラオケで、
生前、妻とよく歌った懐メロを歌うことに
楽しみを見つけたのです。
毎週、通っていると、顔見知りもでき、
弁当を分け合いながらの身の上話をするうち、
彼の話に涙を流してくれる人がいました。
男性も相手の話に涙することがあるといいます。
広間は歌と笑いと涙で大賑わい。
100歳のご老人とも友達になりました。
“皆と過ごすうちに、だれもが、
内に寂しく悲しい思いを秘めていることが分かった。
私一人ではないと知って、
少しだけ心に晴れ間が見えたよ”

その男性は、そう語ったといいます。

歌と笑いに交じる涙。
「心に晴れ間が見えた」と言っても、
それは瞬く間に暗雲立ち込める冬空と一緒で、
つかの間のことに違いありません。

●独りぼっちの旅

なぜ、人生はこうも寂しいのでしょうか。
その理由を釈尊は、
「独りぼっちだから」
と経典に、
「独生独死(独り生まれ、独り死し)
 独去独来(独り去り、独り来る)」
と説かれています。

人の一生は、初めから終わりまで、
連れがない独りぼっちの旅なのです。

そんなことはない。私には家族も、兄弟も、
友人もたくさんいると思われる方もあるでしょう。
しかし、多くの人に囲まれていても、
自分の心を本当に分かってくれる人は、
果たしているのでしょうか。

「親の心、子知らず」といわれます。
しかし、子の心も親分からずで、子供が何を考えているのか
分からないと悩むお母さん、お父さんが少なくありません。
血を分けた親子でさえ、分かり合えないお互いの心。
まして、元は他人の夫婦なら、なおさらかもしれません。

「永遠の愛」を誓った2人でも、擦れ違いだらけ。
一緒に映画を見た帰り道。
「この感動を分かち合いたい!」と思ったのに、
「それより、飯は?」と肩透かし。
安らぎを求めて一緒になったはずが、
分かり合えない寂しさは日ごとにつのり、
やがてあきらめに変わるのに、
それほど時間はかかりません。

やがて、子供たちが独り立ちしたある日、
「私も主婦を退職させてもらうことにしました」と、
ツッと差し出される一枚の紙切れ。
「分かってくれるはず」の思惑が外れたショックと、
自分だって妻のことを少しも分かっていなかったと
自責の念に駆られても、後の祭り。
こんな熟年離婚のケースが少なくありません。

●私一人がための本願

人は皆、一人一人それぞれの世界に生きています。
自分にさえ知りえぬ、秘密の蔵のような心があると
仏教では説かれています。

どんなに仲が良く、一緒に暮らしている親子、夫婦であっても、
お互いの心はかいま見ることも、
うかがい知ることもできません。
しかも心の奥底には、とても言えない、
言っても分かってもらえないものを抱えています。

もし知られたら、「そんなこと思っていたのか」
と相手は驚き、あきれ、
二度と口をきいてもらえないものを持っています。

「ある人には、何でも言える」というのは、
言える程度までならば、何でも言えるということです。
この悩み、苦しみのすべてを、
だれかに完全に理解してもらえたならば、
どれほど救われるかしれません。
しかし、それはかなわないのです。
肉体の連れはあっても、魂の連れがない。
だから人生は、底知れぬほど寂しいのです。

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そんな私の、孤独な魂を救ってくださるのは、
大宇宙広しといえども、
本師本仏の阿弥陀仏しかおられません。

弥陀の本願に救い摂られ、
底知れぬ孤独地獄から解放された親鸞聖人は、
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとえに親鸞一人(いちにん)が為なり」
            (歎異抄)
“親鸞一人を救わんがための、弥陀の本願であったのか”
と感泣なされています。


弥陀の本願とは何でしょうか。
大慈大悲の阿弥陀仏のお約束のことです。
阿弥陀仏は、私のすべてを見通されて、
「苦しみ悩むすべての人を、
必ず、摂取不捨の幸福に助ける」
と約束なされています。

「摂取不捨」とは、文字どおり、“摂め取って捨てぬ”こと。
弥陀は、私たちを、ガチッと摂め取って、
絶対捨てられぬ幸福にしてみせる、
と誓われているのです。

果てしない遠い過去からさまよい続けてきた、
孤独で不安な魂が、その弥陀の誓いどおり、
大安心、大満足の心に生まれる時があるのです。

●大悲の願船の風光

弥陀の本願に救い摂られた法悦を、
聖人は海と船に例えて、こうも述べられています。

大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば、
至徳の風静に、衆禍の波転ず

             (教行信証)
大悲の願船に乗って見る人生の苦界は、
千波万波きらめく明るい広海ではないか。
順風に帆をあげる航海のように、
生きるとは何と素晴らしいことなのか”

これはまさしく聖人の、
キラキラ輝く乗船記といえましょう。

「大悲の願船に乗じて」とは、
「弥陀の誓いどおり、摂取不捨の幸福になった」
晴れやかな宣言です。
弥陀の救いは、決して曖昧なものではないのです。
暗い人生が、明るく転じた慶喜を、
「光明の広海に浮かびぬれば」と言われています。
「闇」に泣いた人だけに「光」に遇った笑いがあり、
「沈んで」いた人にのみ「浮かんだ」という歓喜があります。
「至徳の風静に」とは、
最高無上の功徳・南無阿弥陀仏と一体になった、
至福の世界のこと。
「衆禍の波転ず」とは、
ロクな因まき(たねまき)してこなかった親鸞だから、
因果の道理に狂いなく
不幸や災難の禍いはいろいろ押しかけてくるが、
それらが南無阿弥陀仏のお力で転悪成善、
ご恩喜ぶ因(たね)となるから不思議である。
かくて、順境でよし、逆境でよし。

これを、「仏凡一体」ともいいます。
仏凡一体とは、仏心凡心一体の略で、
仏心とは、阿弥陀仏の大慈悲心、南無阿弥陀仏のこと。
凡心とは私の心です。
一体とは、ちょうど炭に火がついて、どこまでが炭で、
どこまでが火か分けられない状態をいいます。
炭のように黒く冷たい私の心に、
火のように清浄で暖かい
阿弥陀仏の大慈悲心が徹底すると、
“仏離れて私なし。
仏凡一体と、燃え上がるのです。”

蓮如上人はこれを、
「仏心と凡心と一つになるところをさして
信心獲得の行者とはいうなり」    (御文章)
と教えられています。

いつでもどこでも、
限りなく温かい弥陀の大悲に包まれて、
安心一杯、満足一杯、
人生の醍醐味を心行くまで味わうことができるのです。

この広大な世界に生かされるまで、
本当の仏教を、聞き抜かせていただきましょう。

(本当の仏教を聞き抜くとは、生きている元気なときに、弥陀に救われること)

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

体験手記
(底の知れぬ孤独な心で生きてきたという
林愛(りんあい)さんが、
台湾から手記を寄せてくださいました。
寂しい心の解決を求める林さんが、
心引かれたのは仏法でした。)

●この寂しい心を
   抱きしめて

「独生独死 独去独来」
お釈迦さまのお言葉が胸に響きます。
振り返れば、親鸞聖人のみ教えに出遇うまでの人生は、
「独り来て、独り去る」という
私たちの実相をわからせるための
ご方便と思わずにおれません。

私が生まれたのは台南(たいなん)という古い都です。
生まれてすぐに養父母にもらわれていった私は、
5歳で台北(たいぺい)へ引越し、
実の親とはその時が最後となったのです。
12歳の時、養母が亡くなり、
しばらくしてかわいがってくれた祖母も亡くなりました。
「死んだらどうなるのか」と思うと未来がハッキリせず、
不安で一杯になります。
何とも言えない、底知れぬ寂しい心があるのに
気づきました。
今思えば、私の寂しさは死に対する恐怖から
来ていたのだと分かります。

しかし、解決の道を教えてくれる人もなく、
漠然と生きるしかありません。
「実の親に会えば安心できるのでは」
と、台南を訪ねたこともありますが、
両親はすでに亡くなっており、
兄弟たちの冷たい態度にますます孤独感が深まりました。
日本語が分かる私は、日本の『釈迦』という映画を見て、
「仏教を聞けば、この不安が解決できるのではないか。
学んでみたい」
と思ったこともあります。
でも、台湾仏教はただ拝むだけで、
教えを説く人に出会うことはありませんでした。

そんな私が、何の不思議か、真実の仏法、
浄土真宗のみ教えに出遇い、『とどろき』を知ったのです。

大慈大悲の阿弥陀如来が摂取不捨と誓っておられる。
続けて聞かせていただくにつれ、
「この教えこそ、私の孤独な魂を助けてくださる」
と確信いたしました。
たった一人で泣き続けてきた孤独な魂を、
阿弥陀如来に抱き締めていただくまで、
求めさせていただきます。


 


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