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我利我利では幸せになれない! [人間の実相]

●「あなたは何のために生きていますか?」

昨夏から秋にかけて、
南米のチリの鉱山で起きた落盤事故
世界中の関心を集めました。
地中深く閉じこめられた33人の作業員全員が、
70日ぶりに無事生還したのです。
(平成23年のとどろきの記事を載せています)
救助を待つ間、互いを思いやり、規律正しく過ごした彼らは、
救出用の掘削が完了した時、口々にこう言ったといいます。
「自分は最後でいい。仲間を先に助けてくれ」
一人はみんなのために、みんなは一人のために。
その麗しい友情に世界中が感動し、
“こんな思いやりの輪が世界に広がればいい。
人は一人では生きられないのだから、
互いに助け合い、よりよく生きるのが
私たちの生まれてきた目的だ”
と思った人も多いでしょう。

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「なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!」
の主題歌で知られるアニメ『アンパンマン
は子供に大人気。
この歌詞の答えをアンパンマンは、劇中で
「僕が生まれてきたのは困っているみんなを
助けるためなんだ」
と言い、おなかをすかせた人に
顔のアンパンを与えて助けます。
その利他の精神は子供だけでなく、
大人をも感動させています。

「君を守るために生まれてきたんだ」
「あなたのために生きる」
歌謡曲でよく聞くこんなフレーズも、
そういう人生観を代弁しているといえましょう。
だれかのために生きる。
これこそ生きる意味、と考える人は多いようです。


「私は
  だれかの幸せの
        ために・・・」

●「自分さえよければいい」
    こんな人は幸せになれる?
        「自利利他」こそ

一方“自分さえよければいい”という身勝手な考え、
風潮が生きづらさを助長しています。
相手の立場を無視し「オレが」「私が」
と自分優先で互いに怒り、人を悲しませる。
経済が行き詰まり、
生活に明かりが見いだせないような世相が、
図らずもそういう人間の姿を
浮き彫りにしているのかもしれません。

仏教ではこういう言動を「我利我利」といい、
それでは幸せになれませんよ。
「自利利他」、他人の幸せを優先するままが、
自分も幸せになれるのだ、と説かれています。

成功者の多くは、この自利利他を
心がけていたからといえるでしょう。

「若い人たちのために
役に立つような仕事を続けていきたい」
昨年、ノーベル化学賞を受けた
北海道大学の鈴木章名誉教授は、
受賞の喜びとともに後進への貢献を誓いました。
栄誉の根底には、多くの人の役に立った、
という誇りがあるのではないでしょうか。
かりに大きなことはできなくても、
家族や周囲のために自分はある。
目の前のことから着実にやっていけば、
やがて社会はよりよく変わる、
と教育や医療、福祉などの分野で
懸命に努力する人も少なくありません。
少しでも住みよい、平和な世の中を保つには
非常に大切な心がけであり、道徳倫理、
ほとんどの宗教もそう教えています。

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しかしここで、もっと深く掘り下げて考えてみたいのは、
私たちは他人のために心底から親切ができるのか、
ということです。

果たして人間は、自分の行う善で真の満足や安心を
得ることができるものなのでしょうか。

真面目に努めると
   見えてくる自分の姿

真摯に精一杯、だれかの幸せのために生きたいと願った、
ある女性読者の体験を聞いてみましょう。

中学生のころ、同じ生きるなら、
自分のためではなく人のために生きたい、
貧困や紛争で苦しむ人たちの助けになりたいと、
国連の職員になろうと思い始めました。
世界を舞台に活躍しようと夢は膨らみましたが、
国連の職員になるには、
高度な語学力に専門分野の職務経験など、
様々な能力と経験が求められます。
またグローバルな問題の解決など、
自分にはとても自信がありませんでした。
人生の羅針盤が欲しいと、
オーストラリアにホームステイしました。
何もかもが新鮮で楽しい日々でしたが、
本当に期待したものをつかむことはできません。
周りの友達は、具体的に目標に向かって進んでいる。
一方、私は向かうべき方角が見いだせず不完全燃焼。
人のために生きたいとは言いながら、
友達の成功をねたましく思う醜い心も知らされました。
こんな身近な人の幸せさえ喜べない者が、
どうして異国で苦しむ人々を幸せにすることなどできようか。
ますます自己嫌悪に陥るばかりでした。

焦りといらだちをぶつけるように、
いろいろな先生や友達にも相談しましたが、
心は晴れません。
そんな私が大学生となり、
巡り遇ったのが親鸞聖人のみ教えでした。

世のため他人のために一生をささげたいと願ったが、
親しい人の幸せさえもねたましく思う自己の姿に気づき、
彼女は自分の限界にぶち当たって悩んだといいます。
真面目に他人に尽くそうとすると、
できぬ心ばかりが見えてきて苦しむことがあります。

真剣に孝行したいと、
親の介護に努めたある人が、
こう述懐しています。
「病気の母を支えてみせる」
と自信をもって家族と看病を始めた私。
ある深夜、トイレの回数が頻繁になった母を前に、
「またかー、30分前に行ったやろ」。
そんな心が動いたのです。
愕然としました。
私は何のためにここにいて、
これほどまでに尽くしているのか。
母を支えるためではないのか。
楽したいいっぱいで母を邪魔に思う、
こんな心しかない自分だと気づいたのです。
「ごめん、お母ちゃん、こらえてなあ、お母ちゃん」
真心込めた看病ができるとうぬぼれていました。

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●「罪悪まみれのおまえを救う」
    弥陀の救いはどんなものか

人類の幸福に貢献したい、
母の恩に報いたいと尊い願いを起こしても、
真心尽くせない私。

善のでき難い人間の正体を、骨の髄まで見抜かれて、
「そんな罪悪にまみれたおまえを必ず救うぞ」
と誓われたのが、
大宇宙の仏方の本師・師匠であられる
阿弥陀仏の本願です。

親鸞聖人は、この宇宙最尊の阿弥陀仏の本願力によって
救い摂られ、
信知させられたことを、こう仰っています。

小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもうまじ
如来の願船いまさずは
苦界をいかでかわたるべき
      (悲歎述懐和讃)
「小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもうまじ」
“微塵の慈悲も情けもない親鸞に、
他人を導き救うなど、とんでもない”
こんな聖人の告白を聞けば驚く方も多いでしょう。
親鸞さまといえば慈悲の塊、
仏さまの化身のように思われているからです。

事実、聖人が29歳で阿弥陀仏の救いを獲得されてからの
命がけのご苦労は、
迷える人々を救うためにほかなりません。

「どんな人をも必ず救う」
と誓われた阿弥陀仏の救いを明らかにするため、
当時の僧侶の常識を公然と破って、
31歳、肉食し結婚なされました。

まことの仏法を知らぬ人々からは、
大変な非難を浴びましたが、
我利我利亡者の聖人ならば保身に走ったでしょう。
あえていばらの道を歩まれたのは、なぜなのか。
35歳、無実の罪で風雪の越後(新潟)へ
流罪となった聖人のご布教も、
その後、赴かれた関東で、石を枕に雪を褥(しとね)の
日野左衛門の済度も、剣で迫る弁円に「御同朋・御同行」
とかしずかれたのも、
仏の慈悲の顕現としか思えません。

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そんな聖人が、
「無慈悲な親鸞、人の幸せなど願う心は微塵もない」
とはどういうことなのでしょう。

これは仏眼に映れた人間の真実の姿を仰ったものです。
弥陀の願力に照らし抜かれて
初めて知らされる自己の本性なのです。

こんなあさましい者であったか。
少しは他人を憐れみ、
助ける心があると思っていたが、
とんでもない錯覚だった

と無二の懺悔をなされた聖人は、
極悪最下の親鸞が、
極善無上の幸福に救い摂られた不思議さよ”
と勇躍して真実開顕の道をひたすら歩まれました。

それはひとえに弥陀のお力以外にはなかったのだと、
「如来の願船いまさずは
苦界をいかでかわたるべき」

阿弥陀如来の本願の船に乗らずして、
どうしてこの苦悩の人生(苦界)を
渡り切ることができようか
弥陀の大慈悲あればこそ、
すべての人が救われるのである”
こう聖人は確言されています。

わずかばかりの善のまねごとでうぬぼれ、
自己の本性をごまかしてはなりませんよ。
真剣に光に向かい、弥陀の救いに一刻も
早くあってもらいたい。
往生一定の身に救われることこそが、
万人の生きる目的なのだからね”
と聖人は教導なさっているのです。


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まとめ
●私たちがよりよく生きるには

○我利我利・・・自分さえよければいいという考え
○自利利他・・・他人の幸せを優先するまま、
         自分も恵まれること
「我利我利」ではなく「自利利他」でなければならない、
と仏教では教えられています。

●親鸞聖人は一生涯、自利利他の道を歩まれました。
そしてそれは、全く阿弥陀仏の本願力によると仰っています。
私たちは善のでき難い者である、
と仏さまは見抜かれて、
そういう者を必ず救う、とお約束なさっています。

阿弥陀仏の本願
   どんな悪人も信ずる一念で絶対の幸福に救う、
   というお約束

(信ずるとは、弥陀の本願にツユチリほどの疑いもなくなったこと。
一般的に使われている信ずるとは意味が違います。)

この弥陀の救いにあい、
たくましい人生を歩ませていただきましょう。


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体験手記

看護師として30年
 「私を変えた
     患者さんの“説法”」

     【岐阜県】山本 奈津美さん(仮名)
「聞法のつどい」スタッフとして活躍している山本さんは、
3年前まで訪問看護師でした。
「患者さんに叱咤されて、
今、私は聴聞させていただけるんです」
30年の看護師生活で知らされたこととは・・・

幼いころは、何をするにも自信が持てず消極的でした。
ところが家族の看病となると、途端に張り切るのです。
「はい、横になって、熱を測ってね!」
「血が出ているところを強く押さえて」
と大した症状でもないのに、
氷枕や氷のうを作り、包帯を巻いていました。
他人の役に立てる、元気になって感謝される。
何とも言えない充実感に、
夢は小学生の時から看護師一つでした。
看護学校の病院実習で見た先輩看護師の姿は、
今も目に焼き付いています。
植物状態の患者さんにも、
声をかけながら排泄の処理をし、
ちり紙をもんで優しく拭く。
何気ないしぐさですが、
“これこそ患者さんの立場に立ったケアだ”
と感動し、自分もそんな看護がしたい、
と強く思ったのです。

一方、仏法熱心な父・本田孝文さんに連れられ、
小学生のころから聞法していた。
父親がよく暗唱する、蓮如上人の「白骨の御文章」が
好きだった。
仏法を尊く思いながらも、
「阿弥陀さま一つ」
という教えには、
“信仰は人それぞれ。
その人が幸せだと思えばそれで十分では?”
となかなか納得できなかった。

●見せつけられた現実

21歳で看護師の第一歩を踏み出したのですが、
早々に現実の厳しさを知らされました。
将来を有望視されていた大学生に待っていた透析、
かわいい子供が欲しいと願う新婚夫婦を襲った卵巣摘出・・・。
“だれもが普通に願う幸せさえも、
病で握りつぶされる。
どうしてこう、人生は思い通りにならないのだろう”
悶々とした思いが、日を追うごとに膨らんでいったのです。

初めて、患者さんの臨終に立ち会った日。
“さっきまで私と話していたのに・・・。
命はなんて儚いの?”
体の底からの恐怖に、ただ立ちすくむばかりでした。

「朝(あした)には紅顔ありて、
夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
既に無常の風来たりぬれば、
すなわち二つの眼(まなこ)たちまちに閉じ、
一の息ながく絶えぬれば、
紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、
六親・眷属集まりて歎き悲しめども、
更にその甲斐あるべからず」
蓮如上人が「白骨の御文章」に
お書きくだされたとおりなのです。

“あの患者さんはどこへ行っちゃったの?
死んだらどうなるの?”
この問いが、わが身の問題となって、

「誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏を深くたのみまいらせて」(白骨の章)
の仰せどおり、答えは仏法にしかない、
私を救う力があるのは本師本仏の弥陀のみだ、
と思うようになりました。

●真心尽くした看護とは?
答えを求め続けて・・・

看護師が検温する時、排泄の介助をする時、
点滴を交換する時、入院患者さんは、こう言われます。
「忙しいのに悪いねえ・・・ごめんね」
そのたびに、“どうして・・・?”
とやり切れない思いになるのです。
スタッフにさえ気を遣いながらの入院生活、
患者さんはどれほど忍耐されているのだろう。
慣れ親しんだ家で、家族と一緒ならば、
もっと心安らかに療養できるのでは?
こうして“患者の立場に立った看護”
の答えを求めて、
訪問看護師を目指すようになったのです。

結婚し、子供3人を育てながら、
新たな目標に向かい始めた。
だが間もなく、実母が病魔に冒されたことを知る。
これを機に訪問看護師に転向。
午前は働き、午後は介護のために実家へ通った。
入院を拒み続けた母の介護は、
一年半続いた。

知らず知らず、介護の疲労がたまっていたのでしょう。
ある日、
「お母さんもつらいだろうけど、
私もしんどい。もう入院する?」
とつい言ってしまったのです。
翌日、いつもどおり実家へ行くと、
机の上には「入院します」とだけ書かれた紙。
“しまった!私があんなことを言ったばかりに・・・”
病室で横たわる母に、
「お母さん、ごめん」
と心の中で何度も叫びました。

わずか一ヶ月で母は帰らぬ人となりました。
悲しみを思い出すまいと、
訪問看護の仕事と家事に打ち込みました。
訪問看護では、与えられた時間内で、
効率よく要望にこたえることを追求する毎日。
ケアマネジャー、アロマセラピスト、
フットセラピスト等の資格を取得したのもそのためです。
しかし、真心尽くせば尽くすほど、
「これが本当に相手の望んでいることなの?
本当の救いになることがしたい」

●「これがおまえの姿だぞ!」

現場を退いた今は、月に一度、
ボランティアでホスピス(末期ガン患者の病棟)へ赴き、
フットセラピーを行っている。

ボランティアの私たちは、
病院から、「入院患者とは約束をしないように」
と言われています。
次会える保証がないからです。
目の前の患者さんとは、一度きりのご縁。
幼子を心配する若い女性、
パソコンを見せてこれまでの業績を
誇らしげに語る年輩の男性など・・・。
いろんな方の思い出話を聞かせていただきながら、
ひたすら仏縁を念じつつ、
足のマッサージをしています。

私にとっては、これまでに出会ったすべての患者さんが、
姿にかけて“生きた説法”をしてくださる善知識です。

「私を見なさい。これがおまえの未来の姿だぞ。
早く弥陀の救いを求めよ!」
患者さんのお叱りをしっかり受け止め、
光に向かって進みます。


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