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今、心から言いたい「命をありがとう」 [なぜ生きる]

今、心から言いたい

   「命をありがとう」


「銀(しろがね)も 金も玉も 何せむに

    まされる宝  子に及(し)かめやも」

『万葉集』の歌人・山上憶良(やまのうえおくら)は、

親心をみずみずしく歌っています。

この世に生を受け、親となり子となれたのは、

よくよくの因縁があってのこと。

その出会いを喜び、親は子供の成長を楽しみに、

懸命に子供を育てます。

でも、その一方で、

「なぜ、親に感謝しなければならないの?」

という声も聞こえてきます。

子供が親に、心から「ありがとう」と言えるのは、

どんな時なのでしょうか。


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「おめでとうございます。元気な赤ちゃんですよ」

かわいい産声(うぶごえ)が聞こえた瞬間、

今まで陣痛で苦しんでいた母親も、

そばで見守っていた家族も、医者も助産師も、

皆が喜びに包まれ、新しい生命の誕生を祝福します。

とりわけわが子と初めて対面した親の喜びは、

どんな宝を手にした時よりも大きいものです。

また、そこからが、育児の苦労のスタートでもあります。

生まれたばかりの赤ん坊は、だれかの世話がなければ

一日たりとも生きてはいけません。

昼夜を問わず、授乳してオムツを替えてもらい、

成長に合わせて必要な衣食住を与えてもらって、

やっと大きくなっていきます。

親は、子供が病気になれば寝ずして看病し、

おいしいものや、よい衣類や道具など、

自分は我慢してでも子供に与え、

わが子の喜ぶ姿を喜びとする。

金銭や物品だけでなく、スキンシップや笑顔、

言葉、親のぬくもり、愛情によって、

人として大切なものを受け取りながら、

子供は大人へと成長していきます。

お釈迦さまは、

父母の恩重きこと天の極まり無きがごとし

と教えられています。

私たちは、生まれてから今日まで、

両親の大変なご恩の中で生かされてきました。


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どうして、あの子が・・・

 

ところが、ご恩に感謝するどころか、

当たり前に思い、親を恨んでいる人さえあります。

そして、恩に報いるのではなく、

親を苦しめようとする人もいる。

最近、耳をふさぎたくなるような事件が聞こえてきます。

昨年7月、埼玉県の中学3年生の長女が、

寝ている父親を刺殺。

最も安心できるはずの自宅の寝室で、

娘に刺された父の驚きと悲嘆は想像に余りあります。

こんな事件を起こした女子中学生は、

どんな子だったのでしょう。

小学時代の同級生は

「頭がよくて面白い子だった」と語り、

その母親も「礼儀正しい子」と言っています。

また、長女と同じ中学に通う生徒は

「まじめで優しく、部活動を通じて

先輩や後輩に好かれていた」と言い、

成績上位者として校内に名前を

張り出されたこともあったそうです。

問題のあった生徒ではなく、普通の、

むしろ模範的な生徒だったことが分かります。

ところが、その後の調べで、

長女は成績や友人関係に悩み、

すべてを終わらせたいと

一家心中を計画していたことを

告白しています。

まじめで人気のある優等生も、

内に深刻な生きづらさを抱え、

心は悲鳴を上げていたのでしょう。

11月には、千葉県で見ず知らずの男性を車で

はね飛ばした19歳の少年が、

「仕事のことで父親に怒られ、

直前にけんかをしてイライラしていた。

だれでもいいから人をひいて殺そうと思った」

と語りました。

父親の経営する会社で働き、人一倍、

親の恩を受けたであろう少年が、

親に対する怒りから、殺人に走ってしまったのです。

親子関係を引き金とする加害者は、

未熟な十代の子供たちだけではありません。

高齢者への虐待で最も多いのは

息子からだという統計があります。

年老いて身体が不自由になった時、

最も頼りたいはずのわが子から

暴力を受ける人が少なくないのです。

「こんなはずではなかった・・・」

「どうしてあの子が・・・」

必死に育てた子供に裏切られた親の無念は、

いかばかりでしょう。

なぜ親の苦労が報われないのか。

子供は親に感謝できないのでしょうか。


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「〝子を持って知る親の恩〟、感謝できないのは、

育児の苦労を知らないからだ」

と言う意見があります。

確かに、体験を通して、親にかけた苦労を

しのぶことは多々あります。

しかし、子供を育てている人が

必ずしも育ててくれた親を大切にしているとはいえません。

反対に、子供がいなくても、

親の恩を深く感じている人もいます。

ここで、読者から寄せられた両親への思いをつづった

お便りを読んでみましょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

仏教を学ぶまでは、どうしても両親に恩を

感じることができませんでした。

特に父に対して、全く尊敬することができず、

恩があるとはとても思えませんでした。

しかし、仏法を聞いてハッキリしたのは、

仏縁を与えていただいたということにおいて、

大変な恩があるのだということです。

先日、父とともに仏法を聞くことができました。

それは、本当の親の恩とは何かを教えていただき、

それを少しでもお返ししようと

思えた幸せな結果だと思います。

            東京都・男性(30)

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このように、〝仏法を聞いて、親の恩を知らされた〟

〝親子関係が好転した〟というお便りは、

全国から寄せられています。

両親に感謝できない読者の心を変えたものとは、

一体、何だったのでしょうか。

 

幸せ求めてきたけれど・・・

 

私たちは皆、幸せを求めて生きています。

金や財産があればなあ、地位や名誉、健康、

家族、恋人が得られたら幸福になれるのに、

とそれらを得ようと一生懸命、努力しています。

戦後、焦土から立ち上がった人々の苦労の末、

日本は経済的に豊かになり、電話は村に一台の時代から、

一家に一台どころか、一人一台の携帯電話を

持てる時代になりました。

今や小学生も携帯電話を使いこなしています。

どこにいても遠くの人と話せ、

ボタン一つで家事ができ、自宅にいながら、

テレビやパソコンで世界の情報を得たり、

買い物したりできる。

科学の進歩によって、まことに便利な生活を

送れるようになりましたが、果たして、

求める幸せは得られたのでしょうか。


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携帯電話を持ったばかりに、連絡がないと一層、

孤独に襲われる。

メールを返信する時、相手にどう思われるかを考え、

言葉の表現や送信のタイミングにも

神経をすり減らす子供たち。

学校の裏サイトなど、大人の目につきにくい、

新たないじめの問題も発生しています。

動かずに家事ができるようになった分、

おなかに贅肉がついてしまい、

今度は、家でダイエット・マシーンに乗って

汗を流す主婦たちの姿もあります。


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苦労して、欲しかったものをやっと手に入れたのに、

その喜びもほんのしばらくで、

いつの間にか色あせている。

新たな困難が発生すると、さっきまでの幸せはどこへやら、

目の前の苦しみを取り除こうと必死になります。

「越えなばと 思いし峰に きてみれば

  なお行く先は 山路なりけり」

病気、事故、家庭や職場での人間関係、出世競争、

突然の解雇、老後の不安・・・、

一つの苦しみを乗り越えて、ヤレヤレと思う間もなく、

別の苦しみが現れる。

どこまで行っても、生きてきて本当によかった、

という満足はありません。

また、手に入れたものは永遠に自分の元にあるのではなく、

いつかは離れていきます。

永年働いて得た退職金を投資し、

株価の暴落で失った人、企業の業績悪化で、

就職の内定を取り消された人など、

手にした喜びも、いとも簡単に去っていく。

まさに、一寸先は闇です。


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人間に生まれてよかった

 

私たちが真に求めるのは、

やがて色あせてしまう幸せではありません。

どんなことがあっても崩れない、

本当の幸せになりたい、と願って生きているのです。

これを「絶対の幸福」といいます。

この変わらぬ幸福こそ、すべての人の求めるものであり、

人生の目的ではないでしょうか。

その「絶対の幸福」のあることを教え、

その幸福になれる道を明らかにされたのが仏教なのです。

 

親鸞聖人は29歳の御時、阿弥陀仏の本願によって、

絶対の幸福に救い摂られました。その世界を、

念仏者は無碍の一道なり」(歎異抄

とおっしゃっています。

無碍の一道とは、一切の障りが障りとならぬ、

素晴らしい世界です。

生きる目的を達成し、

絶対に裏切られない幸福に生かされた時、

「生きてきて、本当によかった」

という生命の歓喜が起きるのです。

これをお釈迦さまは、

人身受け難し、今已(すで)に受く。

仏法聞き難し、今已に聞く

と言われています。

生まれ難い人間に生まれることができて、よかった。

聞き難い仏法を聞けて、本当によかった

真の人生の目的を知った時、

一切の悩みも苦しみも意味を持ち、

それに向かって生きる時、

すべての努力は報われるのです。


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この命、ありがとう

 

そんな素晴らしい目的を知り、

大きな喜びにあふれている人は、

生んで育ててくれた両親のご恩を知り、

心から感謝せずにおれなくなるでしょう。

自分が生きていることを喜べなければ、

周囲がどんなに苦労して生かしてくださっていても、

心からの感謝は起きてきません。

茨城県の19歳の女性は、

仏縁を結んだ喜びを次のように語っています。

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私が仏法に遇(あ)わせていただけたのは、

両親がこの世に生んでくれたからであり、

その両親の親、そのまた親、さかのぼれば

日本の人口よりも多い先祖の存在があったからです。

仏法を聞かせていただくことができたという

最も重要な一点において、

私はこのご恩に感謝し、報いずにいられません。

私には真実を知らされた喜びがあります。

それが私の原動力です。

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生きることの意味を知れば、

自分に命を与えてくれた両親や先祖のご恩を感じ、

そのご恩に報いようという心になれるのです。

ギクシャクしていた親子関係が、

仏教を聞くようになって好転した、

と語る読者もいます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

両親のおかげで私が人間に生まれ、

今、仏法を聞かせていただけると思うと、

大変な恩を受けていることが知らされます。

私は小学校高学年のころから反抗期で、

両親に迷惑をかけ通しでした。

親子関係がギクシャクして、

悩むことが多々ありました。

しかし、仏法を知らされてから、

何とか両親にもこの教えを伝えたい、

と思いました。

仏縁を念じて手紙を出したり、帰省した時に、

家の手伝いをしたりしています。

すると、父は『とどろき』を会社の人に配るようになり、

母も私の話に耳を傾けてくれるようになりました。

両親の大恩に報いる道は、私が光に向かって

進ませていただく以外にないと、

ますます元気がわいてきます。  大阪府・女性(23)

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仏法で心が通い合う家族の様子が

髣髴(ほうふつ)とするようです。

生きるために必要なものは、たくさんあります。

それらを与えていただいたからこそ、

今日まで生きることができたのです。

人は決して、一人で生まれて成長することはできません。

では、そうやって生きている人にとって

最も大切なことは何か。

それは、どんなに苦しくとも生きねばならない、

全生命を投入して悔いなし、といえる人生の目的です。

その目的を知り、達成し、

「人間に生まれてよかった」

という喜びに満たされてこそ、

「生んでくれて、本当にありがとう」

と心から言えるのです。

大切な家族とともに、親鸞聖人の教えを聞き求め、

生命の歓喜にあふれる、真の家族とならせていただきましょう。

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今なら言える 

    「ありがとう」

「仏法に出遇って人生が変わった」

読者の体験手記を紹介するコーナー。

大学院でモンゴル語を研究する宮本さん(25)は、

モンゴルへの留学経験もあります。

「なぜ生きるんだろう」と悩んだ高校時代を経て、

生きる目的を知った喜びを語ります。

 

私は会社員の父と小学校教諭の母の元に生まれました。

両親は、私が

「公文式をやりたい」

と言えばさせてくれ、

「塾に行きたい」と言えば行かせてくれました。

両親に褒められるのがうれしくて、

勉強もスポーツも頑張りました。

いい高校に入って、いい大学に行って、

いい会社に就職する。

エリート人生こそ、素晴らしい人生なんだ、

と思っていました。

しかし、その考えは高校に入って、

大きく揺らぎました。

「なぜ」ということをよく考えるようになったからです。

私は、なぜ勉強しているのか。

なぜ大学に行くのか。

結局死んでしまうのに、

何をそんなに頑張っているんだろう、

と疑問になったのです。

このころ、私は精神的にとても不安定で、

何より人に接するのが怖くてなりませんでした。

「学校をやめたい」と本気で思っていましたが、

だれにも相談できませんでした。

「こんなに苦しい人生なら、

生んでくれなければよかったのに」

高校のころ、ずっと思っていたことです。

〝ほかの人はなぜこんな人生、生きていられるんだろう〟

と思い、倫理の勉強に打ち込み、

テレビ番組『プロジェクトX』も欠かさず見ていました。

しかし、そこから分かるのは他人の答えであって、

私の答えではありませんでした。

疑問は晴れぬまま、3年生になりました。

正直なところ、大学を受験する気はありませんんでした。

母に、「大学に入れば楽しいから」

と説得されましたが、

「お母さんは楽しかったかもしれないけれど、

私とお母さんは違う」

と受験を拒みました。

〝人と接することができない私は、

皆と同じようには生きていけない。

かといって自殺する勇気もない。

ならば尼さんになろう!〟

と思いました。

しかし両親に言い出せずにいるうちに、

「受験校を決めなさい」

と先手を打たれました。

〝やっぱり普通に生きて欲しいだろうな〟

と思い、もし大学に行っても何も変わらなければ、

その時は尼さんになろう、と受験を決意しました。

無事に合格して4月、大学の門をくぐりました。

その学生時代に、親鸞聖人の教えに出遇うことができたのです。

人として生まれた意味、本当の幸せとは・・・、

聞く話、聞く話が、驚きの連続でした。

〝人生とは素晴らしいものだったんだ!〟

結局死ぬのに、なぜ頑張って生きなければならないのか、

という疑問はなくなりました。

それまで、人と仲良くする意味も分からず、

自分から話しかけることのなかった私ですが、

生きる意味を知ってもらいたい、

と思うようになり、いろいろな人と

コミュニケーションをとるようになりました。

何より、心から笑えるようになったのが、

信じられない変化でした。

学ぶ環境も、留学もすべて両親が与えてくれたもの。

苦労して稼いだお金を私のために使ってくれる。

そんな両親がいなければ、

生きる意味を知ることはできませんでした。

つらかったとはいえ、

「生まれてこなければよかった」

と思ってしまったこと、申し訳なく思います。

生きる目的が分からなければ、

両親から受けた恩に本当に感謝することはできないのですね。

特に逆境の時は、感謝どころか、恨んでしまいます。

でも、生きる意味を知ると、たとえ逆境であっても、

「生まれてこなければ」

という後ろ向きな気持ちはもう出てきません。

今、両親に、

「生んでくれてありがとう」

と心から言えます。

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