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お釈迦さまが説かれた「なぜ生きる」の答え [なぜ生きる]

苦しみが

 幸せに変わる!

  お釈迦さまが説かれた

    「なぜ生きる」の答え

 

もうすぐ秋のお彼岸。

彼岸は、秋分の日を中日とした7日間をいい、

「暑さ寒さも彼岸まで」ともいわれるように、

厳しい暑さも和らぐ季節の変わり目です。

お彼岸には、おはぎを作ってお仏壇に供えたり、

読経や墓参りなど、彼岸会といわれる仏事を

毎年勤めている家庭もあるでしょう。

「彼岸」とは仏教由来の言葉ですが、

その意味を考えたことはあるでしょうか?

この「彼岸」を正しく知ったならば、

私たちが生きるうえでいかに大切な言葉か分かります。

お釈迦さまからお聞きしましょう。

 

●「彼岸」とは向こう岸。

〝こちらの岸〟はどんなところ?

 

「彼岸」とは字のとおり、彼の岸、向こう岸ということです。

向こう岸があるなら、当然、こちらの岸(此岸)もある。

仏教で「此岸(しがん)」とは私たちの生きている世界をいい、

「娑婆世界」ともいわれます。

娑婆(しゃば)はインドの言葉で、「堪忍土(かんにんど)」と訳されます。

堪忍とは「こらえ、しのぶ」と書きます。

今年の夏は、国内最高気温も更新するような猛暑続きで、

まさに〝堪え忍んだ〟堪忍土でした。

 

また、「ならぬ堪忍、するが堪忍」で、

家庭でも職場でも、耐え難くて怒りを爆発させたい時も、

ぐっとこらえねば、お互い生きてはいけません。

全国紙に載っている悩み相談で、

多いのはやはり「人間関係」。

近い関係であるほど悩みも多く、

一つ屋根の下で暮らす夫婦は、とりわけ大変です。

違う環境で育ってきた者同士なので、

生活習慣の違いが出てくるのは当然。

新婚当初はまず食事の味付けの違いに戸惑います。

夫の電気の消し忘れや、妻の長風呂が気になる。

ささいなことでは、洗濯物の畳み方がいつもと違うだけでも、

ストレスを感じるものです。

やがて、年数がたつと、夫婦はもともと他人だったことを

忘れてしまい、言動に遠慮がなくなりますから、

余計に腹が立ちます。

でも、いちいちケンカしてもいられないので、

ぐっとこらえる。

長く夫婦を続けている人にコツを聞くと、

「ガマンよ。結婚生活はガマンが大事」。

笑い話で済む程度の堪忍ならいいのですが、

近頃は、パートナーの言動への不満が積もりに積もって、

めまいや頭痛、不眠など心身に不調を来す人が増えており、

ある大学教授が「夫源病(ふげんびょう)」

「妻源病(さいげんびょう)」と命名したそうです。

こうなると、笑い話では済みませんね。

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●苦しみに耐えて

  頑張ってきたのに

 報われた感じが

  しないのは、なぜ?

 

人間関係に限らず、私たちには日々、

さまざまな苦難がやってきます。

一難去ってまた一難。

それらを堪え忍びながら、

〈こんなことが、いつまで続くのだろう〉

〈人生ってこんなものかなあ〉

と、ふと疑問を感じることはないでしょうか。

はた目からは成功し恵まれていると見える人でも、

実態は変わらないようです。

 

「いずくとも

身をやるかたの 知られねば

うしと見つつも ながらうるかな」

(どこに向かって生きればよいか分からないまま、

住みづらいと思いながらも、この世に生きながらえています)

 

こう詠んだのは、平安時代の才媛・紫式部でした。

当時、宮中で爆発的な人気を誇った長編小説『源氏物語』の

作者として、人も羨む才能、地位、名誉に恵まれていた女性ですが、

「向かうべき【方角】が分からぬまま堪え忍んで生きている」

と告白しています。

これが彼女の本音だったことは、

自ら編纂した歌集の最後にこの和歌を選んでいることからも

分かります。

 

同様の声は現代にもあふれています。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

34年間、看護職に従事し、2年前に退職しました。

その後は、同居の義母の介護をしていましたが、

昨年亡くなり、子供たちはすでに独立をしているので、

夫婦だけの生活になりました。

今までひたすら走り続けてきたのが、

急に止まったように感じており、

これから何をしようか考えています。

             (50代女性)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

定年になり、趣味などに自由に過ごせると思っていた時に

大病し、体が不自由になりました。

家族の介護を受けながら人生が終わるのか、

自分は今まで何をしていたのか・・・

              (60代男性)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

主人が亡くなり、生きる目標をなくしました。

人生が終わったようで、心の方向をどこに

持っていけばいいのか悩んでいます。

              (70代女性)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ダンテは『神曲』の冒頭に、

「人生の旅のなかば、正しい道を見失い、

私は暗い森をさまよった」

と書いていますが、共感する人が多いのではないでしょうか。

 

●まず「方角」を確かめる

 

誰もが、その時その時、頑張ってきたはずなのに、

人生の旅の半ばで「ああ幸せだ」「これで満足」

「堪忍の日々が報われた」と感じられないでいる。

そこで、〈それは、まだまだ努力が足りないからだろう〉

と思い、さらなる努力を続けようとするのです。

しかし、努力する前に、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。

それは、【方角】を間違えたら、

どんな努力も報われないことがある、

ということです。

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例えば、海の真ん中に放り出された時、

あなたならどちらへ向かって泳ぎだすでしょう。

陸や島の方角に向かっていけば、

泳げば泳ぐほど近づきますから、

やがては陸地に着いて助かるということがあります。

しかし、陸や島とは反対方向に泳いでいたなら、

沖に向かうばかり。

頑張って泳げば泳ぐほど助からないことになってしまいます。

ですから、泳ぐ前にまず確かめねばならないのは、

正しい【方角】です。

 

人生も同じことが言えるでしょう。

〈私の人生、このまま進んでいって、

本当に幸せになれるのか?〉

生きる方角を間違えて、進んでいった先を、

仏教ではこう教えられています。

 

まことに死せんときは、

予(かね)てたのみおきつる妻子や財宝も、

わが身には一つも相添うことあるべからず。

されば死出の山路のすえ、三途の大河をば、

唯一人こそ行きなんずれ

             (御文章1帖目11通)

いよいよこの世の別れとなれば、

かねてから、頼りにしていた妻子も財宝も、

何ひとつあて力になるものはない。

みんな剥ぎ取られて、独りでこの世を去らねばならぬのである

苦しみに耐えながら頑張って、いよいよ最期、

全てと別れてたった独りで旅立たねばならない。

だとすれば、一体、私たちは何のために生きるのでしょうか。

 

●彼岸に向かって進めば

   人生が劇的に変わる

 

そんな私たちに、正しい方角を示してくださる方が

お釈迦さまです。

「本当の幸せになりたければ、この方角に向かって

進みなさい」

とお釈迦さまが指し示されているのが、

此岸ではなく、「彼岸」なのです。

「彼岸」とは何か。それは釈迦の先生である阿弥陀仏の

極楽浄土のことです。

「阿弥陀経」というお経には、

「これより西方、十億万の仏土を過ぎて世界有り、

名(なづ)けて極楽と曰う」

と説かれています。

お釈迦さまは、具体的に「西」という方角を示され、

阿弥陀仏の極楽浄土の存在を明言なさっています。

浄土に生まれた人には、一切苦しみはなく、

ただいろいろの楽しみだけがあるので「極楽」という、

と『阿弥陀経』には説かれ、

その幸せが言葉を尽くして表現されています。

限りなく明るい世界ですから、

親鸞聖人は「無量光明土」とも仰っています。

こう聞くと、

〈浄土?死んだ後の極楽参りの話か〉

〈死んだ後のことなんか、死んでみなけりゃ分からんだろ〉

と思う人もあるでしょう。

ところが親鸞聖人は、

「浄土へ往けるかどうか、死んでから分かるのではない。

此岸にいる現在ただ今、浄土(彼岸)に往けることが

ハッキリするのだよ」

と教えられているのです。

確実な未来が限りなく明るい無量光明土とハッキリすれば、

われ生きるしるしありと現在が輝き、

生きてよし、死んでよしの大安心・大満足の

絶対の幸福に生かされます。

これを「平生業成」といいます。

「平生」とは、現在のこと。

「業」は絶対の幸福、「成」は成るということ。

この平生業成の身になることが、

仏教に明らかにされている「なぜ生きる」の答えなのです。

娑婆(この世)にいる限り、

苦しみや災難は変わらずやってきますが、

絶対の幸福に救われれば、

娑婆(しゃば)の苦しみ悩みは全て喜びに転じ変わり、

人生の醍醐味を心行くまで満喫できます。

ある女性が、「阿弥陀如来を殿御(とのご)に持てば、

娑婆の貧乏苦にならぬ」

と言ったのは、その喜びでしょう。

なぜそんな幸せになれるのか?

またどうすればなれるのか?

それは、前々回の記事を読んでくださればと思います。



年2回、春分と秋分は、太陽が真西に沈む日です。

西に沈む夕日を見ながら、

極楽浄土に思いをはせるようになったことから、

お彼岸といわれるようになったのでしょう。

せっかくの休日、お釈迦さまの説かれた

「なぜ生きる」の答えを聞く日にしたいものです。


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