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親鸞聖人の教えの一枚看板「平成業成」とは!? [親鸞聖人]

 (真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

     親鸞聖人と

          同じ幸せに救われ

                 人生が躍動する

 

約800年前(平安末期~鎌倉時代)、親鸞聖人は

仏教を説かれたお釈迦さまの真意を明らかにするために、

当時の仏教界の常識を次々と覆され、

波乱万丈の活躍をされました。

 

なぜ親鸞聖人は今日、多くの人から

世界の光」と称賛されているのでしょう。

聖人の教えを一言で表した「平生業成」という

お言葉について、今回は特集いたします。

 

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親鸞聖人の教えの〝一枚看板〟

 

「平生業成」とは、親鸞聖人の教えから出た言葉ですから、

聖人がお生まれになる以前には、無かった言葉です。

「平生業成」の4文字は、親鸞聖人の教えの〝一枚看板〟と

いわれます。

一枚看板とはどんなことでしょうか。

 

東京の下町に、〝世界初の痛くない注射針〟を製造する

従業員6人の町工場があります。

その工場は、蚊の口吻(こうふん)とほぼ同じ

外径0.2ミリメートル、内径0.08ミリメートルの針を

作る高い技術を持っています。

そんな針は、世界中探してもそこでしか作れません。

だから日本のみならず、海外の大企業からも仕事の依頼が来る。

社員一人あたりの利益は、一般的な会社の100倍以上だそうです。

〝世界初の痛くない注射針〟は、この工場だけの

看板商品ですから、まさに一枚看板です。

 

「平生業成」は、世界に宗教多しといえども、

親鸞聖人からしかお聞きできない、他の宗教では

決して教えていないことですから、

親鸞聖人の教えの「一枚看板」といわれるのです。

 

●人生の大事業

 

「平生」とは、死んだ後ではない、

生きている現在ということです。

次に「業」とは、大事業の「業」。

仏教では「ごう」と読みます。

大事業というと最近なら、3月に開業した北陸新幹線。

北陸人の夢を乗せ、総工費2兆円を投じる

50年越しの大事業といわれました。

(2015年5月のとどろきです)

しかし「平生業成」の「業」は、

世間でいわれる大事業のことではありません。

1962年、イギリスでデビューしたビートルズは、

全世界で大ヒット。

20世紀の音楽界で最も偉業を成したといわれます。

しかしメンバーの一人、ジョン・レノンの言葉に驚かされます。

「ビートルズは、欲しいだけの金を儲け、

好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った」

ヨーロッパを席巻した、フランスの英雄ナポレオンは、

皇帝にまで昇り詰めましたが、こんな言葉を残しています。

「人生は取るに足りない夢だ。いつかは消え去ってしまう・・・」

「余の書物に不可能はない」と言ったほどの隆盛も、

ロシア遠征に失敗し、最後は幽閉された絶海の孤島

セント・ヘレナで「ジョセフィーヌ・・・」と

かつての妻の名を呼び、寂しく息を引き取っています。

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私たちの求める金や財産、地位や栄光、結婚、一家和楽などの

幸福は、どれだけ築き上げても、本当の喜びはありません。

一生涯それらに囲まれて続けても、心からの安心・満足は

得られず、最後は全てと別れ、独りぼっちでこの世を

去らねばならないと仏教では教えられています。

 

宗教学の権威であった東京大学の岸本英夫(故人)も、

ガンにかかってから10年間の闘病記にこう記しています。

 

本当の幸福とは、いったい、何でありましょうか。(中略)

たとえば、富とか、地位とか、名誉とかいう社会的条件は、

たしかに、幸福をつくり出している要素であります。

また、肉体の健康とか、知恵とか、本能とか、

容貌の美しさというような個人的条件も、

幸福をつくり出している要素であります。

(中略)だからこそ、みんなは、富や美貌に

あこがれるのでありまして、それは、

もっともなことであります。

しかし、もし、そうした外側の要素だけに、

たよりきった心持ちでいると、その幸福は、

やぶれやすいのであります。

そうした幸福を、自分の死と事実の前にたたせてみますと、

それが、はっきり、出てまいります。

今まで、輝かしくみえたものが、急に光を失って、

色あせたものになってしまいます。(死を見つめる心)

 

人も羨む天下人や地位・名誉を得る才能を有した人たちも、

「人間に生まれてよかった」

という歓喜はなかったようです。

 

作家・夏目漱石は、

「私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、

といって何をして好(よ)いか少しも見当が付かない」

と述懐しました。

では、親鸞聖人が仰る人生の大事業とはどんなことでしょうか。

それは、壊れたり、色あせたりする仮そめの幸福ではなく、

絶対不変の、真実の幸福になることです。

 

●阿弥陀仏の救い

     絶対の幸福

 

お金や物に恵まれていても、いなくても心はむなしく、

寂しい。そんな人を仏教では貧窮(びんぐう)といわれます。

幸せになれると思って他人と争ってまで手に入れた、

金や財、地位・名誉、恋人も、やがては煩いや苦しみの

タネに変わってしまう。

「何のために生きているのだろうか」

今昔変わらず、老若男女、皆嘆いています。

無くて苦しみ、有ってもなお迷い苦しむ、

そんな本質的に貧窮である私たちを、何とかして真実の幸せ、

絶対の幸福にしてやりたいと立ち上がられたのが、

阿弥陀仏という仏さまなのです。

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絶対の幸福とは、仏教の言葉では「正定聚(しょうじょうじゅ)」

といいます。

「正定聚」とは、必ず、仏に成れる人のことです。

親鸞聖人は「正定聚」という重要な仏語に、

「ワウシャウスヘキミトサタマルナリ」

(往生すべき身と定まるなり)と

左訓(さくん)をつけられています。

(左訓・・・言葉の左側に記された注釈)

仏教の究極の目的は、阿弥陀仏の極楽浄土へ往って

仏に成ることですが、そう聞くと、

仏教は死んでからの教えかと思われましょう。

しかし、親鸞聖人は、弥陀の浄土へ往生できるか否かは、

現在ただ今、ハッキリすると仰せです。

この世で弥陀の鮮烈な救いがあるのだと断言されているのです。

 

信心の定まると申すは摂取の与(あずか)る時にて候なり。

その後は正定聚の位にて、まことの浄土へ

生(うま)るるまでは候べし

              (末灯鈔13通)

 

〝信心が定まる〟とは、摂取不捨の幸福(絶対の幸福)を

獲得したときである。

それからは、必ず、浄土へ往ける正定聚といわれる

身になるのである。

 

阿弥陀仏に救われたら、いつ命がなくなっても、

阿弥陀仏の極楽浄土へ往って弥陀同体の仏に生まれる身に

ハッキリ定まりますので「往生一定」「信心決定」

ともいわれます。

 

この世で死なない人はありません。

私たちの100パーセント確実な未来は「死」ですが、

来世(後生)が、阿弥陀仏の極楽浄土とハッキリすれば、

毎日が明るい未来へ進む日々と大転換いたします。

親鸞聖人は、阿弥陀仏の浄土のことを無量光明土と仰っています。

行く先が限りなく明るい世界ですから、

現在が輝き、無碍の一道に生かされる。

一切が浄土往生の妨げとならないこの幸せこそが、

絶対の幸福です。

この身になるために生まれてきたのだ、

だからそこまで生き抜きなさい。

それが人生の大事業、人生の目的なのだよと、

親鸞聖人は90年のご生涯、万難を排して

教え続けていかれたのです。

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●一念の弥陀の救い

 

最後の「成(じょう)」は、完成、達成の意味で、

人生の大事業には、完成した・達成したということがあると

教えられています。

しかも、弥陀の救いは、平生の一念。

一念とは「時剋の極促(じこくのごくそく)」といわれる、

何百分の一秒より短い時間の極まりです。

臨終、息の切れ際にでも弥陀の救いに

あうことができるのですから、

手遅れの人はありません。

今、病院のベッドで狂しんでいる方も、弥陀を信ずる一念で、

必ず浄土へ往く身になれるのです。

あなたがたとえあきらめても、本師本仏の阿弥陀さまが

あきらめられません。

平生の一念に、人生の大事業である絶対の幸福になれる。

それが親鸞聖人のみ教えだから「平生業成」といわれるのです。

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●一日も片時も急いで

      聞き抜けよ

 

どうしたら、平生に人生の大事業を完成できるのか。

阿弥陀仏は、聞く一つで絶対の幸福に救うと

約束なされています。

故に、親鸞聖人も蓮如上人も

「仏法は聴聞に極まる」

と、真剣な聞法を勧められているのです。

蓮如上人は、『御文章』4帖目13通に、

 

抑(そもそも)、人間界の老少不定の事を思うにつけても、

いかなる病を受けてか死せんや。

かかる世の中の風情なれば、いかにも一日も片時も

急ぎて信心決定して、今度の往生極楽を一定すべし

 

と仰っています。

進むべき方角が分からず苦海の人生をさまよう私たちに、

生きる目的を示してくだされた親鸞聖人のご生誕に感謝し、

「平生業成」のみ教えをわが身に聞いて、

「今度の往生極楽は一定」となりましょう。

(2015年5月のとどろきです)

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