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「白骨の章」の由来 [蓮如上人]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

  「白骨の章」の由来

 

蓮如上人の『御文章』に中で、最も多く知られているのが

白骨の章』であろう。

「夫(そ)れ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに・・・」

で始まる5帖目16通である。

お盆や葬儀、法事には、必ずといっていいほど拝読され、

痛切な無常観が、人々に深い感銘を与えている。

果たして「白骨の章」は、どんな経緯で書かれたのか。

また、上人は、何を教えられたのだろうか。

 

  ◆青木家の不幸◆


山科本願寺の近くの安祥寺村に

青木民部という下級武士がいた。

蓮如上人のご説法がある日には、

妻と娘との3人で、欠かさず聞法に通う

仏縁深い親子であった。

一人娘の清女(きよめ)は17歳。

その優しさ、美しさは近隣の評判となり、

ある有力な武家より縁談が持ちかけられた。

やがて婚約が結ばれ、挙式は8月11日に決まった。

しかし、民部は、下級武士ゆえ経済的な蓄えがない。

武士として容易に手放せぬ先祖伝来の武具、馬具を、

ことごとく売り払って、娘の衣装、嫁入り道具を調えた。

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ついに迎えた婚儀の日。

朝から、両親は、お祝いに来た近隣の人々に

衣装などを見せて喜んでいたが、2人の傍らにいた花嫁が、

にわかに苦しみだした。

周囲の人々が、医者だ、薬だと、あわてふためくうちに、

娘は息絶えてしまった。

民部夫婦は驚き悲しんで、半狂乱になって慟哭したが、

氷の如く冷えた亡骸を、如何ともする術がなかった。

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隣近所の人たちが手伝って、その夜のうちに野辺の煙とし、

翌12日、骨を拾って帰った。

父親は、その白骨を手に乗せ、

「これが、待ちに待った娘の嫁入り姿か」と、

激しく泣き伏し、嗚咽のまま、息絶えてしまった。

民部、51歳であった。

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その場にいた人々の驚きは、たとえようがなかった。

だがそのままにもしておけない。

娘と同じ火葬場で荼毘(だび)に付された。

あとに一人残った民部の妻は、ただ悲嘆に暮れていたが、

翌13日、愁い死にしてしまった。

37歳の、余りにも悲惨な死であった。

数日の間に、一家3人が亡くなったのである。

親類縁者は寄って相談した結果、

残された青木家の家財一切は、3人が心から信奉していた

山科本願寺へ寄進されることになった。

これは、蓮如上人75歳、延徳元年のことであった。

 

  ◆相次ぐ無常◆

 

上人は、青木家の不幸をお聞きになり、生前、

聞法に励んでいた3人だったので、

大変哀れに感じられ、落涙されること、

しばしであったという。

そして、これを縁に、世の無常について『御文章』に

表そうと思われた。

ところが、続いて8月15日、山科本願寺の聖地を財施した

海老名五郎左衛門の息女が急死したという報せが入った。

五郎左衛門の娘も17歳だった。

この日、行楽地へ出かけようと、朝早くから髪を結い、

美しく化粧して、大勢のお供を連れて門前へ出たところ、

にわかに気分が悪くなって家へ引き返した。

そのまま容態はどんどん悪化し、昼頃には、

もう息を引き取っていた。

娘の葬儀を終えた海老名五郎左衛門は、

17日、山科本願寺を訪れ、涙にくれつつ、

「我々のごとき仏道懈怠の者に、なにとぞ人の世の無常を

表す御文(おふみ)をお書きください」と、

蓮如上人に伏して願い出た。

蓮如上人も、その構想を練っておられたところなので、

ただちに筆をとられ、五郎左衛門に書き与えられたのが

白骨の章』であった。

その後、上人のお弟子たちも、この御文を拝読して

感涙にむせんだ。

その外、武家や公家にも広く伝わり、

明日はなき無常の世を知らされ、山科本願寺へ聞法に

訪れる人が多く現れたという。

以上の経緯が『御文来意鈔(おふみらいいしょう)』に

記されている。

 

 ◆「白骨の章」の御心◆

 

では、有名な「白骨の章」の全文と、現代語訳を記そう。

(原文)

夫れ、人間の浮生なる相(すがた)をつらつら観ずるに、

凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。

されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。

一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。

我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、

おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。

されば、朝(あした)には紅顔ありて、

夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。

既に無常の風来りぬれば、即ち二つの眼(まなこ)

たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、

紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、

六親・眷属集りて歎き悲しめども、

更にその甲斐あるべからず。

さてしもあるべき事ならねばとて、

野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、

ただ白骨のみぞ残れり。

あわれというも中々おろかなり。

されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、

誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、

阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、

念仏申すべきものなり。    (5帖目16通)

 

(現代語訳)

浮き草のように不安な人生を、よくよく眺めてみれば、

人の一生ほど、儚いものはない。

生まれて、大きくなり、やがて老いて死ぬ。

まさに幻のごとく過ぎ去ってゆく。

どんなに長生きしても、一万年も生きた人は、

聞いたことがない。

平均寿命80年と聞けば、長いようであるが、

過ぎてしまえばアッという間の出来事である。

実際に、100歳まで生きる人は稀なのだ。

死ぬのは他人で自分はまだまだ後だ、と思っているが、

とんでもない間違いである。

「死の縁無量なり・・・病におかされて死する者もあり、

剣にあたりて死する者あり、水に溺れて死する者あり、

火に焼けて死する者あり・・・」

          (覚如上人)

今日とも明日とも知れぬのが私たちの命である。

雨の日、木の枝から滴り落ちる雫のように、

毎日多くの人が後生へ旅立っているではないか。

朝、元気に出かけた者が、交通事故などで、

変わり果てて帰宅することも珍しいことではない。

一度、無常の風に誘われれば、どんな人も二度と

眼を開かなくなる。

一息切れたら、顔面は血の気を失い、

桃李の肌色はなくなってしまう。

肉親や親戚が集まって、どんなに泣き、悲しんでも、

二度と生き返ってはこない。

泣いてばかりもおれないから、火葬場に送って

荼毘に付せば、ひとつまみの白骨が残るのみである。

我が身を忘れ、死者を哀れんでいる者も、

やがて同じ運命をたどるのだ。

老いも若きも関係なく、いつ死ぬか分からぬのが、

人間のはかなさである。

どうか、すべての人々よ、早く後生の一大事に驚きをたて、

阿弥陀仏に救われ、報謝の念仏を称える身となってもらいたい。

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 ◆「後生の一大事」とは◆

 

痛切な無常観が漂う「白骨の章」の結びの部分を、

もう一度、拝読させていただこう。

人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、

誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、

阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、

念仏申すべきものなり

蓮如上人が、「早く心にかけよ」と、

すべての人に訴えておられる「後生の一大事」とは何なのか。

一息切れたら「後生」。

「一大事」とは、取り返しのつかない大事をいう。

すべての人間はやがて死んでゆくが、

一息切れると同時に無間地獄へ堕ちて、

八万劫中苦しみ続けなければならない大事件をいうのである。

死後の世界を認める人も認めない人も関係なく、

この一大事から逃れることはできない。

地獄の実在を肯定する人にも、

否定する人にも同じくこの一大事が引き起こる。

経典に釈尊は、

一切衆生 必堕無間

と説かれている。すべての人間は必ず無間地獄へ

堕ちて苦しむということである。

親鸞聖人はこれを、

念仏誹謗の有情は

阿鼻地獄に堕在して

八万劫中大苦悩

ひまなくうくとぞときたまう

と仏意を述べておられる。

蓮如上人も、

この信心決定されずんば、極楽に往生せずして

無間地獄に堕在すべし

と『御文章』にしばしば仰っている。

無間地獄の寿命は八万劫と説かれている。

一劫は4億3200万年だから気の遠くなるような期間である。

では、無間地獄の苦しみは、どれほどなのか。

賢愚経』に釈尊は、

如何なる喩をもってしても地獄の苦は説けない

と言われている。

しかし、強いて「教えたまえ」と願った仏弟子に対して、

「では喩えをもって説こう」

と仰有って、

「朝と昼と夜と、それぞれ100本の槍で突かれる。

その苦しみを何と思うか」

と尋ねられた。

弟子は、

「わずか一本の槍で突かれてさえも苦しいのに、

一日300本で突かれる苦しみは、心も言葉も及びません」

と答えるしかなかった。

その時、釈尊は豆粒大の石を御手にとられて、

「この石と向こうの雪山と、どれほど違うか」

とお聞きになり、

「それは大変な違いでございます」

と答えた弟子たちに、

「日々300本の槍で突かれる苦はこの石の如く、

地獄の苦は、あの雪山の如し」

と仰有っている。

これは魚に火煙のことを知らせようとする以上に

困難なことであり、犬猫にテレビや原爆の説明を

するよりも至難なことだったと思われる。

こんなことを知らずに、虎のフンドシの鬼や釜を

そのまま事実と思ってアザケッタリ、

疑っているのは情けない幼稚な仏教の聞き方なのである。

されば、無間地獄はその苦しみからいっても、

その期間からいっても、人生50年乃至100年とは

ケタ違いであることが分かる。

 

 ◆釈尊の出世本懐◆

 

ある時、弟子が釈尊に、

「世尊は一切の知人、何事でも苦痛に

思し召すことはないでしょう」

と尋ねたことがある。

その時、釈尊は、

その通りだ。しかしただ一つ苦痛に思われることがある。

それは刻々と縮まるはかない命を持ち、

念々に近づいている地獄に驚かず、

雨の降る如く地獄へ堕ちゆく人々のことを思うと、

胸がはりさける思いがする。

私の苦しみはこのことだ

と長嘆息なされたという。

想像を絶する一大事が後生にあることを、

一体、誰が知っているだろうか。

釈尊は、すべての人に、「後生の一大事」あることを

知らせるために、45年間叫び続けられた。

しかも、その結論として、釈尊出世の本懐経たる

『大無量寿経』に、

「一向専念 無量寿仏」

と説かれている。

一切の人々は、阿弥陀仏の本願によらねば、

絶対に助からないという、釈尊の一大宣言であった。

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この釈尊の大精神を無我に体験し、

身命を賭して伝承されたのが、

親鸞聖人、蓮如上人のご一生であった。

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