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平凡な人生を輝くダイヤと転じよう! [因果の道理]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

   平凡な人生を

     輝くダイヤと転じよう

 

      誰でも絶対の幸福になれる

        驚きの法とは?

 

今月は仏教に説かれる「運命の法則」を解説しています。

「因果応報」という言葉は、

「行為(因)に応じて、善悪の結果が現れる」

ということですが、過去の行為が運命を生み出す、と聞くと、

「運命は決まってしまって、もう変えられないのでは?」

「悪因を造ってしまえば取り返しがつかないのか」

と考える人もあるでしょう。

しかし私たちの運命は、「因」だけでなく「縁」がなければ

現れない、と仏教では説かれています。

お釈迦さまはこれを、

 

一切法(万物)は因縁生(いんねんしょう)なり

(全ては、因と縁が結合して生じたものである)

 

と仰っています。

因だけでは結果は生じないし、縁だけでも生じない。

この世の森羅万象は因と縁とが和合して

現れたものばかりなのです。

 

因と縁の関係について、米の栽培で説明しましょう。

米はモミダネからできます。

モミダネがなければ、米は絶対できませんから、

米の因はモミダネです。

しかし、モミダネだけあっても米はできない。

土や水、空気、陽気や農家の人の手間ヒマなど、

これらの縁がモミダネと和合して、

米という結果が生じるのです。

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昨今は米の「銘柄」や「産地」が宣伝されていますが、

「銘柄」は因の違いを、

「産地」は縁の違いをアピールしています。

果報が現れるには、因と縁が不可欠なのです。

 

●因だけで幸せな結果は現れない

 

大相撲で大関に昇進した高安関は、父親に勧められ、

15歳で角界入りした。初めは相撲一つに心が決まらず、

相撲部屋から7度の「脱走」。

逃げ帰った彼を、いつも父が送り届けていたという。

師匠の鳴戸親方は、そんな高安にあえて優しく応対していた。

「厳しくされていたら、今の自分がなかったかもしれない。

師匠はよく見ていてくれました」

と、その親方の心遣いに高安は感謝している。

入門の2年後、父の病気をきっかけに、

相撲に本気になり、同門の先輩、現・横綱、稀勢の里と

猛稽古を重ねて頭角を現していった。

(2017年7月のとどろきです)

相撲部屋に入門するのは相応の素質に恵まれた人たちです。

しかし彼らは、才能や努力(因)だけで

世に出られるわけではありません。

周囲で支えてくれる人たち(縁)があってこそでしょう。

特に、よき指導者との出会いは、

どの分野でも成功への大きな要素です。

野球やサッカーなどのチームスポーツでは、采配を振るう

監督の影響力は大きい。

勉強でも、成績最下位の学生が、優秀な塾講師と出会い、

現役で難関大学に合格した実話もあります。

また、スポーツでも勉強でも、ライバルがいれば、

互いに切磋琢磨して、より向上できる、ともいいます。

「孟母三遷」という言葉は、孟子の母親が子供の教育のために、

住まいを3度移った、という故事成語です。

墓地のそばに住んだ頃、幼い孟子は葬式の真似をし、

市場の近くでは商人の真似をした。

次に学校のそばに住むと、孟子は勉強するようになった。

「こここそ、わが子の住むべき場所である」と

母は満足したという。

このような環境や指導者を「縁」といい、

幸せな運命を開くには大切なことです。

仏教では縁を重要視して、こう教えられます。

善知識・同行には親しみ近づけ」(親鸞聖人・末灯鈔)

仏教を聞き求める時、一人では弱い心に流されがちになるが、

仏法を正しく説いてくださる師(善知識)や法の友(同行)と

接すると、徐々に心が前向きに調えられていく。

縁は選択できますから、真の幸福に向かう縁に

自ら近づいていくことが大切だと説かれているのです。

 

●因と縁の違いをよく知ることが大事

 

善い運命に恵まれると、因と縁の関係はよく納得できるでしょう。

ところが、悪果が現れた場合、因と縁を混同してしまうことが

往々にしてあります。

どういうことか、こんな例えで考えてみましょう。

 

ある夫婦の話。妻は人当たりもよく、

子供のしつけもキチンとして、夫にもよく尽くす良妻賢母。

ところが夫はささいなことでキレて暴力を振るう。

酒癖も稼ぎも悪く、挙げ句の果てにギャンブルで使い込む。

こんな夫に苦しむ妻を見て、周囲は〝ああ、お気の毒に・・・

奥さんはいい人なのにねぇ〟と言い、

悪いのは全面的に夫だと思う。

奥さん自身も、そのように考えるでしょう。

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でも、この妻の不幸の原因は本当に夫なのでしょうか。

そもそもこんな悪い男がいても、

関わらなければ実害はありません。

世の中に多くの女性がいても、

この男のせいで苦しんでいるのは、奥さんだけ。

他の女性にはなくて、この奥さんだけが持っている

原因があるのです。

それは何か。彼女がこの男と「結婚」したということです。

当初、〝あの男はやめたほうがいい〟

と忠告する人もありましたが、

なぜか彼女のほうから好きになり、結ばれた。

この「好きになる」というのは、理屈では

どうにも説明できないものがあります。

そんなダメ男を好きになる何かが、奥さんにあったのだと

仏教では教えられます。

夫はあくまでも「縁」なのです。

運命を生み出す原因は過去の自分の行為、と説かれていますが、

これをもう少し詳しく言うと、身、口、意の三業が、

目に見えない不滅の力(業力)となって残り、

その業因が縁と和合すると、目に見える運命となって

私たちに現れる、ということです。

夫婦の事例でいえば、妻が過去に造った業因が、

ダメ男を好きになる力となって結婚し、

現在、その暴力夫(縁)によって苦しむという

結果を生み出しているのです。

これは決して、この夫に責任がないというのではありません。

夫は実際に妻に迷惑をかけ、苦しめていますから、

彼に反省を促して矯正するのは当然です。

このことは、今の自分に落ち度はなくても、

過去に悪業を造っていれば、こんな悲劇は幾らでも

起こりえることを示しています。

たとえ自分の業因でも、

目に見えませんから、自分には分かりません。

そこで、目に見える加害者(悪縁)ばかりを

責めたくなるのでしょうが、それは無理からぬこと。

しかし、大切なのは、因縁果の理法に従って、

確かに自分に現れた幸不幸の因縁を

よく弁(わきま)えることです。

 

●縁が変われば運命が変わる

 

運命は因縁和合して現れる。

過去に造った業因は変えられませんが、

縁を変えることで、運命は大きく変わります。

すべての人が生まれた目的は、今あって明日なき、

はかない幸せではなく、いつまでも変わらぬ

「絶対の幸福」になるためです。

この絶対の幸福には、「弘誓の強縁」にあえば、

誰でもなれると、親鸞聖人は教えられています。

「弘誓の強縁」とは、大宇宙のすべての仏方の

本師本仏(先生)と仰がれる阿弥陀仏の本願(お約束)のこと。

阿弥陀仏は、「どんな人も 必ず絶対の幸福に救う」

と約束なされています。

この弥陀の本願力(弘誓の強縁)によって、

私たちは絶対の幸福になれるのです。

それはどういうことか。

こんな例えでお示ししましょう。

縁によって、結果が驚くほど変わってしまうものに

炭素という物質があります。

地球上に無尽蔵にある炭素ですが、

常温・常圧の下では、真っ黒な炭。

ところが大変な高温・高圧の下では、地上で最も美しく、

高価なダイヤモンドとなります。

元は同じ炭素(因)なのに、これほど違うのは、

温度や圧力(縁)が異なるからです。

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阿弥陀仏はすべての人を「煩悩具足の凡夫(煩悩の塊の人間)」

と見て取られ、そんな煩悩いっぱいの者を必ず絶対の幸福にする、

と約束されました。

その絶大なお力(本願力)によって、

絶対の幸福になられた時、親鸞聖人は、

〝弥陀の本願は何と強烈な縁(弘誓の強縁)であったのか〟

とこう宣言されています。

 

噫(ああ)、弘誓の強縁は多生にも値(もうあ)いがたく、

真実の浄信は億劫にも獲がたし。

遇(たまたま)行信を獲ば遠く宿縁を慶(よろこ)べ

                  (教行信証)

ああ・・・不思議なるかな、親鸞は今、多生億劫の

永い間、求め続けてきた絶対の幸福を得ることができた。

これは全く、弥陀の本願力によってであった。

深く感謝せずにおれない

 

〝阿弥陀仏の本願の強縁にあわずして、誰一人、

真の幸福にはなれない〟と明らかに知らされた親鸞聖人は、

仏教はこの阿弥陀仏の本願一つを説かれたのだと断言され、

ご自身も弥陀の本願一つを生涯、伝えられたのです。

 

では、弥陀の本願の強縁にあい、絶対の幸福に救われるには

どうすればいいのでしょう。

阿弥陀仏は、

「聞く一つで絶対の幸福にしてみせる」

と約束なさっています。

だから、阿弥陀仏の本願を「聞く一つ」です。

何の修行も要りません。

また、修行ができるような私たちではありません。

阿弥陀仏の本願聞く一つで、

どんな人も必ず絶対の幸福になれるのですから、

真剣に弥陀の本願を聞かせていただくことが肝要なのです。

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