SSブログ

心でやる悪&弥陀に救われたら煩悩はどうなる!? [罪悪深重]

(真実の仏法を説いておられる先生の書かれた「とどろき」より載せています) 

大悲の願船に乗じて、
光明の広海に浮かびぬれば
至徳の風しずかに、
衆禍の波、転ず

          (親鸞聖人・教行信証

阿弥陀仏の大悲の願船に乗って見る人生は、
千波万波きらめく明るい広海ではないか。
順風に帆をあげる航海のように、
なんと生きるとは素晴らしいことなのか

今回は最後の行「衆禍の波、転ず」
についてお話したいと思います。

●不思議な弥陀の救済

親鸞聖人は、阿弥陀仏の大慈悲によってつくられた
南無阿弥陀仏の大船の乗せていただいても、
「衆禍の波」はやってくると言われています。
「衆禍」とは、“いろいろな禍い”
“様々な悪果”ということです。

EPSON013.jpg-1.jpg
世間では、「阿弥陀仏に救われたら、
災難や事故などの禍いに遭わなくなるのだろう」
と思われています。
言葉を換えれば、
「弥陀に救われた人は、欲や怒りの煩悩は、
なくなるか、大きく減少するだろう。

悪も造らなくなって、その報いも受けなくなるだろう」
と誤解しています。

ところが、阿弥陀仏に救われ、
大悲の願船に乗せていただいても
煩悩は減りもしなければなくなりもしない、
だから衆禍の波も変わらない、
と親鸞聖人は言われるのです。

こう聞くと、「えっ、それで救われたことになるの!」
と驚かれたり、「読み間違えたかな」
と読み直される方もあるかもしれません。
しかし、親鸞聖人は、救われても、
煩悩は全く変わらないとハッキリ教えておられます。

煩悩あるがままで救われる不思議な弥陀の救済を、
明らかにされた方が、親鸞聖人なのです。

その不思議な世界を、親鸞聖人は、こう和讃されています。

有漏(うろ)の穢身はかわらねど
こころは浄土にあそぶなり


「有漏」は「煩悩」の別名。
煩悩とは、私たちを煩わせ悩ませるもので、
全部で百八つあります。

除夜の鐘を百八回突くのは、この煩悩の数からきています。

EPSON014.jpg-1.jpg


代表的なものは、貪欲、瞋恚(しんい)、愚痴の三つで、
これを三毒の煩悩といいます。


「貪欲」とは欲の心。
あれが欲しい、これも欲しい、ああもなりたい、
こうもなりたいという心で、
「成果を横取りしてでも儲けたい、褒められたい」
「ライバルを蹴落としてでも愛されたい」
「手抜きして少しでも楽したい」
と、何でも自分の思い通りにしたい自己中心的な心です。
欲を満たそうとして、どれだけ浅ましい心が
噴き上がってくることでしょう。


この欲が妨げられると出てくるのが「瞋恚」の心。
瞋恚とは怒りです。
あいつのせいで儲け損なった、
こいつのせいで恥かかせられた、
コンチクショーと怒りの心が燃え上がります。
上司を、部下を、同輩を、怒りの心で切り刻む、
恐ろしい心が瞋恚です。

夫婦喧嘩で「死ぬ」「殺す」と修羅場になった発端も。
冷静に振り返れば、ささいでつまらないことなのですが、
一旦怒りの炎が点火すると、理性もへったくれもない。
散々辺りを焼き尽くし、焼け野原にボツネンと
たたずんで残るは後悔のみ。
まさに、「怒りは無謀に始まり、後悔に終わる」のです。

愚痴は、ねたみそねみの醜い心であり、
他人の不幸を喜ぶ悪魔の心。

不幸話が耳に入ると、「おかわいそうに」
と眼を潤ませながら、
「どうしてそうなったの?それでどうなったの?」
と興味津々。
自分でも知らぬ間に心が躍り、人気ドラマを見る以上に
ドキドキワクワクしてしまう。
不幸の度合いが深いほど関心も深まる醜い心、
それが愚痴です。

上辺は立派な善人を演じながら、
内面は、浅ましく、醜い心が渦巻いている。
このような心を「煩悩」といい、
ここでは「有漏(うろ)」と言われています。

EPSON015.jpg-1.jpg


「穢身」は「穢い身体」ですから、
「有漏の穢身」とは、
「煩悩に穢れた肉体」「煩悩具足の身」ということです。
私たちは、心のドン底から噴き上がる煩悩のために、
どれほど身を焦がし、もだえ苦しんできたことでしょう。

煩悩さえなくなれば、心穏やかに過ごせるのにと
思わないではいられません。

しかし、親鸞聖人は、
有漏の穢身はかわらねど
阿弥陀仏に救われても、煩悩は少しも変わらない)」
と断言されているのです。

●もし煩悩をなくさねばならないのなら

もし、煩悩をなくさねば救われないとすれば、
峻烈な修行が必要になるでしょう。
かりにそうなら、身体の不自由な方や、病床の人、
年配の方はとても救われないことになってしまう。

また親鸞聖人、法然上人、龍樹菩薩といった方々が
何年も血のにじむ修行に励まれても、
煩悩はなくせず、減りもしなかったと言われています。

今日でも、千日回峯行を成し遂げた人も
「残ったのは足跡だけ」と述懐しているのです。

煩悩の塊の我々が、
煩悩をなくすことなどできるはずがありません。

かといって無限の欲を満たそうとすれば、
死ぬまで不満は絶えず、苦しまなければなりません。
満たせもせず、なくすことも不可能な煩悩を前に、
私たちはどうすることもできない。
真の幸せはどこにあるのか。
あらゆる哲学、思想もここで八方塞がりです。

●煩悩あるがまま、心は浄土に遊ぶ

そんな中、親鸞聖人は、欲や怒りの煩悩を、
減らしも無くしもしないままで体験できる、
驚くべき幸福の存在を、


有漏の穢身はかわらねど
こころは浄土にあそぶなり

と言われているのです。
これは、
「煩悩いっぱい変わらぬままで、親鸞、
極楽浄土へ往って遊んでいるように、
明るく愉快なのだ」

という宣言です。
『正信偈』にも、次のような例えで教えられています。

すでによく、無明の闇を破すといえでも、
貪愛・瞋憎(とんない・しんぞう)の雲霧、
常に、真実信心の天を覆えり。
たとえば、日光の雲霧に覆わるけれども、
雲霧の下、明らかにして闇なきがごとし
            (正信偈)
阿弥陀仏に救われ、
苦悩の根元である無明の闇が破れると、
欲や怒り、ねたみそねみの煩悩〈貪愛・瞋憎の雲霧〉以外、
何もない自己の裸形〈らぎょう〉が知らされる。
だが、雲や霧がどんなに天を覆っていても、
日光で雲霧の下は明るいように、
欲や怒り、ねたみの煩悩いっぱいあるままで、
心は浄土に遊んでいるように明るく愉快なのだ

「貪愛」とは、貪欲・愛欲のことで、底知れぬ欲の心。
「瞋」は瞋恚、怒りの心。
欲が邪魔されてカーッと腹が立つ心。
「憎」は憎しみ・うらみ・ねたみそねみの愚痴の心です。
親鸞聖人は、この煩悩を霧や雲に例えて
「貪愛・瞋憎の雲霧」と言われています。
弥陀に救われる前は、
日光が出ていない夜の状態ですから、
暗い心を抱え、何のために生まれてきたやら
分かりません。
弥陀に救われた時、日光が闇を破って昼になり、
「人間に生まれてよかった」の明るい心に大転換します。

では、日光が出たら、同時に雲や霧もなくなるのでしょうか?
そうではありません。
親鸞聖人は、日光が出ても、
雲霧は常に天を覆ったまま(貪愛・瞋憎の雲霧、常に、
真実信心の天を覆えり)と言われています。
しかし、いかに雲霧の煩悩が天を覆っていても、
昼になれば、雲霧の下は明るいのです。
これが「雲霧の下、明らかにして闇なし」の一大宣言です。
煩悩の有無は問題ではない。
苦悩の根元、無明の闇が晴れたかどうかが肝心です。

煩悩(雲霧)あるままで救われた(闇が破れた)
世界があることを何とか知ってもらいたいと、
親鸞聖人は例えを駆使して
私たちに教えてくださっているのです。

●波乱万丈の衆禍の波、逆巻こうとも

このように、救われても煩悩具足の身は変わりませんから、
救われる前も、救われた後も、悪果はやってきます。
ですが、どれだけ衆禍の波が逆巻こうとも、
心が浄土に遊ぶ幸せは崩れることも
色あせることもありません。

29歳で弥陀に救い摂られてからの、
波乱万丈の聖人のご生涯を知れば、
これがいかにすごいことか、お分かりになるでしょう。
31歳、すべての人がありのままで救われることを
明らかにされるため、当時、
僧侶には固く禁じられていた肉食妻帯を断行なされ、

「堕落坊主じゃ」「破戒坊主」「色坊主」
「仏法を破壊する悪魔だ」と非難罵倒の嵐を呼んだ。

35歳、仏教の結論である「一向専念無量寿仏」
(阿弥陀仏に一向専念せよ、必ず絶対の幸福に救われる)
をあまりにも強調された
ため、
当時の権力者の逆鱗に触れ、
死刑判決を受けられた聖人は、
関白九条公の計らいで越後(今の新潟県上越)に流刑となり、

配所の5年、風雪に耐えておられます。
その後、関東へ移られてからは、
聖人の興隆を妬んだ山伏弁円が白昼堂々、
刀振りかざして殺しに来たりと、
たびたび命も狙われました。
還暦過ぎて京都へ戻られてからも、
83歳の時には自宅全焼の悲運に遭われ、
さらに84歳の、長子善鸞の義絶事件は、
人生最大の苦悩であったでしょう。
これら万丈の波乱は、紛れもなく「衆禍の波」が
荒れ狂ったご生涯でした。

そんな親鸞聖人が、「こころは浄土にあそぶなり」
と謳い上げておられるのですから、
驚く他はありません。

たとえ災難続きであろうと、心に欲や怒りが逆巻いていようとも、
ありのままで「念仏者は無碍の一道なり」

万人救済の道が、ここに開かれているのです。
私たちは、災難や事故に遭わないために
仏法を聞くのではない。
どんな目に遭っても永久に変わらぬ
絶対の幸せ者になるために聞くのです。


nice!(112)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ネットコミュニティ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。