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平凡な人生を輝くダイヤと転じよう! [因果の道理]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

   平凡な人生を

     輝くダイヤと転じよう

 

      誰でも絶対の幸福になれる

        驚きの法とは?

 

今月は仏教に説かれる「運命の法則」を解説しています。

「因果応報」という言葉は、

「行為(因)に応じて、善悪の結果が現れる」

ということですが、過去の行為が運命を生み出す、と聞くと、

「運命は決まってしまって、もう変えられないのでは?」

「悪因を造ってしまえば取り返しがつかないのか」

と考える人もあるでしょう。

しかし私たちの運命は、「因」だけでなく「縁」がなければ

現れない、と仏教では説かれています。

お釈迦さまはこれを、

 

一切法(万物)は因縁生(いんねんしょう)なり

(全ては、因と縁が結合して生じたものである)

 

と仰っています。

因だけでは結果は生じないし、縁だけでも生じない。

この世の森羅万象は因と縁とが和合して

現れたものばかりなのです。

 

因と縁の関係について、米の栽培で説明しましょう。

米はモミダネからできます。

モミダネがなければ、米は絶対できませんから、

米の因はモミダネです。

しかし、モミダネだけあっても米はできない。

土や水、空気、陽気や農家の人の手間ヒマなど、

これらの縁がモミダネと和合して、

米という結果が生じるのです。

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昨今は米の「銘柄」や「産地」が宣伝されていますが、

「銘柄」は因の違いを、

「産地」は縁の違いをアピールしています。

果報が現れるには、因と縁が不可欠なのです。

 

●因だけで幸せな結果は現れない

 

大相撲で大関に昇進した高安関は、父親に勧められ、

15歳で角界入りした。初めは相撲一つに心が決まらず、

相撲部屋から7度の「脱走」。

逃げ帰った彼を、いつも父が送り届けていたという。

師匠の鳴戸親方は、そんな高安にあえて優しく応対していた。

「厳しくされていたら、今の自分がなかったかもしれない。

師匠はよく見ていてくれました」

と、その親方の心遣いに高安は感謝している。

入門の2年後、父の病気をきっかけに、

相撲に本気になり、同門の先輩、現・横綱、稀勢の里と

猛稽古を重ねて頭角を現していった。

(2017年7月のとどろきです)

相撲部屋に入門するのは相応の素質に恵まれた人たちです。

しかし彼らは、才能や努力(因)だけで

世に出られるわけではありません。

周囲で支えてくれる人たち(縁)があってこそでしょう。

特に、よき指導者との出会いは、

どの分野でも成功への大きな要素です。

野球やサッカーなどのチームスポーツでは、采配を振るう

監督の影響力は大きい。

勉強でも、成績最下位の学生が、優秀な塾講師と出会い、

現役で難関大学に合格した実話もあります。

また、スポーツでも勉強でも、ライバルがいれば、

互いに切磋琢磨して、より向上できる、ともいいます。

「孟母三遷」という言葉は、孟子の母親が子供の教育のために、

住まいを3度移った、という故事成語です。

墓地のそばに住んだ頃、幼い孟子は葬式の真似をし、

市場の近くでは商人の真似をした。

次に学校のそばに住むと、孟子は勉強するようになった。

「こここそ、わが子の住むべき場所である」と

母は満足したという。

このような環境や指導者を「縁」といい、

幸せな運命を開くには大切なことです。

仏教では縁を重要視して、こう教えられます。

善知識・同行には親しみ近づけ」(親鸞聖人・末灯鈔)

仏教を聞き求める時、一人では弱い心に流されがちになるが、

仏法を正しく説いてくださる師(善知識)や法の友(同行)と

接すると、徐々に心が前向きに調えられていく。

縁は選択できますから、真の幸福に向かう縁に

自ら近づいていくことが大切だと説かれているのです。

 

●因と縁の違いをよく知ることが大事

 

善い運命に恵まれると、因と縁の関係はよく納得できるでしょう。

ところが、悪果が現れた場合、因と縁を混同してしまうことが

往々にしてあります。

どういうことか、こんな例えで考えてみましょう。

 

ある夫婦の話。妻は人当たりもよく、

子供のしつけもキチンとして、夫にもよく尽くす良妻賢母。

ところが夫はささいなことでキレて暴力を振るう。

酒癖も稼ぎも悪く、挙げ句の果てにギャンブルで使い込む。

こんな夫に苦しむ妻を見て、周囲は〝ああ、お気の毒に・・・

奥さんはいい人なのにねぇ〟と言い、

悪いのは全面的に夫だと思う。

奥さん自身も、そのように考えるでしょう。

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でも、この妻の不幸の原因は本当に夫なのでしょうか。

そもそもこんな悪い男がいても、

関わらなければ実害はありません。

世の中に多くの女性がいても、

この男のせいで苦しんでいるのは、奥さんだけ。

他の女性にはなくて、この奥さんだけが持っている

原因があるのです。

それは何か。彼女がこの男と「結婚」したということです。

当初、〝あの男はやめたほうがいい〟

と忠告する人もありましたが、

なぜか彼女のほうから好きになり、結ばれた。

この「好きになる」というのは、理屈では

どうにも説明できないものがあります。

そんなダメ男を好きになる何かが、奥さんにあったのだと

仏教では教えられます。

夫はあくまでも「縁」なのです。

運命を生み出す原因は過去の自分の行為、と説かれていますが、

これをもう少し詳しく言うと、身、口、意の三業が、

目に見えない不滅の力(業力)となって残り、

その業因が縁と和合すると、目に見える運命となって

私たちに現れる、ということです。

夫婦の事例でいえば、妻が過去に造った業因が、

ダメ男を好きになる力となって結婚し、

現在、その暴力夫(縁)によって苦しむという

結果を生み出しているのです。

これは決して、この夫に責任がないというのではありません。

夫は実際に妻に迷惑をかけ、苦しめていますから、

彼に反省を促して矯正するのは当然です。

このことは、今の自分に落ち度はなくても、

過去に悪業を造っていれば、こんな悲劇は幾らでも

起こりえることを示しています。

たとえ自分の業因でも、

目に見えませんから、自分には分かりません。

そこで、目に見える加害者(悪縁)ばかりを

責めたくなるのでしょうが、それは無理からぬこと。

しかし、大切なのは、因縁果の理法に従って、

確かに自分に現れた幸不幸の因縁を

よく弁(わきま)えることです。

 

●縁が変われば運命が変わる

 

運命は因縁和合して現れる。

過去に造った業因は変えられませんが、

縁を変えることで、運命は大きく変わります。

すべての人が生まれた目的は、今あって明日なき、

はかない幸せではなく、いつまでも変わらぬ

「絶対の幸福」になるためです。

この絶対の幸福には、「弘誓の強縁」にあえば、

誰でもなれると、親鸞聖人は教えられています。

「弘誓の強縁」とは、大宇宙のすべての仏方の

本師本仏(先生)と仰がれる阿弥陀仏の本願(お約束)のこと。

阿弥陀仏は、「どんな人も 必ず絶対の幸福に救う」

と約束なされています。

この弥陀の本願力(弘誓の強縁)によって、

私たちは絶対の幸福になれるのです。

それはどういうことか。

こんな例えでお示ししましょう。

縁によって、結果が驚くほど変わってしまうものに

炭素という物質があります。

地球上に無尽蔵にある炭素ですが、

常温・常圧の下では、真っ黒な炭。

ところが大変な高温・高圧の下では、地上で最も美しく、

高価なダイヤモンドとなります。

元は同じ炭素(因)なのに、これほど違うのは、

温度や圧力(縁)が異なるからです。

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阿弥陀仏はすべての人を「煩悩具足の凡夫(煩悩の塊の人間)」

と見て取られ、そんな煩悩いっぱいの者を必ず絶対の幸福にする、

と約束されました。

その絶大なお力(本願力)によって、

絶対の幸福になられた時、親鸞聖人は、

〝弥陀の本願は何と強烈な縁(弘誓の強縁)であったのか〟

とこう宣言されています。

 

噫(ああ)、弘誓の強縁は多生にも値(もうあ)いがたく、

真実の浄信は億劫にも獲がたし。

遇(たまたま)行信を獲ば遠く宿縁を慶(よろこ)べ

                  (教行信証)

ああ・・・不思議なるかな、親鸞は今、多生億劫の

永い間、求め続けてきた絶対の幸福を得ることができた。

これは全く、弥陀の本願力によってであった。

深く感謝せずにおれない

 

〝阿弥陀仏の本願の強縁にあわずして、誰一人、

真の幸福にはなれない〟と明らかに知らされた親鸞聖人は、

仏教はこの阿弥陀仏の本願一つを説かれたのだと断言され、

ご自身も弥陀の本願一つを生涯、伝えられたのです。

 

では、弥陀の本願の強縁にあい、絶対の幸福に救われるには

どうすればいいのでしょう。

阿弥陀仏は、

「聞く一つで絶対の幸福にしてみせる」

と約束なさっています。

だから、阿弥陀仏の本願を「聞く一つ」です。

何の修行も要りません。

また、修行ができるような私たちではありません。

阿弥陀仏の本願聞く一つで、

どんな人も必ず絶対の幸福になれるのですから、

真剣に弥陀の本願を聞かせていただくことが肝要なのです。

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因果応報を味方につける! [因果の道理]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)


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  70歳からでも人生は変えられる

 

「今日の運勢は・・・」

朝一番のテレビから聞こえてくると、

ちょっと知りたくなります。

〝運命はどうして決まるのか〟は

どんな人もいちばん知りたいことでしょう。

その最大関心事について、仏教は実に論理的に

説かれていることをご存じですか。

19世紀ドイツの哲学者、ニーチェも、

仏教についてこう称賛しています。

「仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと

論理的にものを考える宗教と言っていいでしょう」

仏教では、今の自分の運命は過去の自分の行為が

生み出したものであり、今の行為が未来の運命を

生み出すのですよ、と教えられています。

 

  カーネルおじさんが

   教えてくれたこと

 

ところがそう聞いても、

「理屈はそうだけど、今更行いを変えたって

人生はそう変わるものじゃないよ」

という方もあるでしょう。

そんな思いは全く不要です。

老若男女、貧富貴賤など全く関係なく、

まいたタネ(行い)は、正直に結果を現しますから、

何歳になっても人生を変えることができるのです。

 

町で見掛けるケンタッキー・フライドチキン(KFC)の

入り口に、白いタキシードを着た

おじさん(カーネル・サンダース)の人形が立っています。

 

彼は40歳で、幹線道路沿いにガソリンスタンドをオープンし、

その一角に物置を改造した6席のレストラン・コーナー

「サンダース・カフェ」を始めた。

途中で息子の死、火災に遭うなどの困難を乗り越え、

51歳の時には、147席のレストランを再建。

客席を回り「私の料理がもしおいしくなかったら、

お代は要りません」と意見を聞きながら、

フライドチキンのオリジナル・レシピを完成させた。

ところが65歳の時、町外れに高速道路が通ると、

車と人の流れが変わって、客が来なくなり、

閉店を余儀なくされた。

無一文になったサンダースは、ワゴン車で寝泊まりしながら

各地を回り、フライドチキンのレシピを売り、

1本売るごとに幾らかの利益をもらう

ビジネス(フランチャイズ)契約を取りに回った。

1009回の断りを受け続けたが、73歳までにサンダースの

フライドチキンを提供する店は600店舗以上になった。

その後、自分の調理法が正しく行われ、

きちんと提供されているか、年間数十万キロの移動もいとわず

世界の店舗を見て回った。

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現在、ケンタッキー・フライドチキンは世界で

約1万8000店舗あります。

6歳で父が亡くなり、女手一つで3人の子供を養う

母を助けるために、家族にパンを焼いて大喜びされたのが7歳の時。

「おいしいもので人を幸せにしたい」との熱い思いが、

フライドチキンとなって世界中に広まったのです。

「人生は自分でつくるもの。

遅いということはない」(サンダース)

 

幾つになってもあきらめなければ、必ず道は開けるのです。

 

因果応報

  因(行い)に応じた果(幸・不幸)が現れる

 

その運命の法則を仏教では「因果応報」という言葉で

表しています。

「因果応報」は、仏教の根幹の教えである「因果の道理」から

出た言葉です。

根幹とは、根や幹ということ。

仏教を1本の木とすると、根っこがなければ、木は枯れ、

幹を切ったら、木は倒れてしまいます。

ですから根幹の「因果の道理」が分からなければ、

仏教の教えは一切分かりません。

では「因果の道理」とはどんなことでしょう。

「因果」とは、原因と結果ということ。

どんな結果にも、必ず原因がある、

原因なく結果が現れるということは、

万に一つもない。

飛行機が墜落して海底深く沈んでしまった場合など、

原因がわからないことはありますが、

原因が〝ない〟のではありません。

それは、「運命が、何によって決まるのか」という

誰もが知りたい問いについて例外ではありません。

 

「あの人は運がいい」とか、

「あいつは運が悪い」とよく言いますが、

運命というのは何の原因もなく、

ただの偶然で決まるものではないのです。

運命の原因と結果についてお釈迦さまは、

このように教えられています。

 

善因善果 

悪因悪果 

自因自果

 

ここで因とは行い、果は運命を表しています。

善い行いは善い運命となり、悪い行いは悪い運命を引き起こす。

例えば植物なら、ダイコンのタネをまけばダイコンが、

スイカのタネからは、スイカが出てくるということです。

これは、いつの時代でも、どこの場所でもそうでしょう。

江戸時代には、ダイコンのタネからカボチャの芽が出たはずだ、

とは誰も思いません。

同様に私たちの運命も、いつでもどこでも

必ず原因(行為)に応じた結果が現れるということです。

そして善いのも悪いのも、自分のまいたタネ(行為)は

自分が刈り取らねばならないのだよ(自因自果)、

とお釈迦さまは教えられました。

これを「因果応報」ともいうのです。

 

●幸せになれる6つのタネまき・・六度万行

 

では、どんなタネをまけば善果が得られるのでしょう。

お釈迦さまは、たくさんの善を、具体的に

誰にでもできる6つにまとめて教えています。

これを「六度万行」といわれます。

次の6つです。

 

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この6つの善行が、運命を好転させる行いであり、

このうちの、どれか1つを行うと、他の5つ全てを

修めたことになると教えられています。

お釈迦さまは自分ができそうな善を、

まず実行しなさいと勧められました。

今回はその最初に挙げられる「布施」について

解説します。

布施」には大きく分けると、お金や物、

無償の労働などを施す「財施」と、

正しい教えを説く「法施」がありますが、

最も身近で、物やお金を持たなくても、

誰もが心がけ一つでできる和顔愛語(わげんあいご)という

布施行を紹介します。

和やかな顔で接し、優しい言葉をかけることです。

高齢になり、施設に入って元気のなかったおばあさん。

朝、施設の職員が部屋の窓を開けると、

通学途中の子供が元気に笑顔で挨拶してきた。

その子供たちに心を開いたおばあさん、

毎朝、窓を開けて自分からも挨拶することを楽しみにし、

リハビリにも積極的になって、施設職員をも

喜ばせたという話があります。

子供の笑顔が、おばあさんを元気にし、

おばあさん自身も笑顔で挨拶することで健康を回復させ、

周りの人も幸せにしたのですね。

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ある元警察官は、毎朝、庭から道行く人に挨拶をしています。

それは、近所の人と心を通わせるだけでなく、

犯罪を抑止して安心を得るためだそうです。

泥棒が犯行をあきらめる一番の理由は

「近所の人に声をかけられた」「近所の人に顔をみられた」から。

あるホームセンターでは、店員がお客さんに笑顔で

挨拶するようにしたところ、年間の万引き被害額が

30パーセント減ったといいます。

どんな対策も、思うように効果が上がらず頭を抱えていた犯罪が、

笑顔と挨拶で減らせるようになったのですから、

善因善果、自因自果、和顔愛語の力が知らされます。

相手を思って声をかければ、犯罪を犯すような

ささくれだった心をも癒やすのでしょう。

 

  小さな善行を続ければ

   人生が変わる

 

「そんなささいなことで、変わるもんじゃないよ」

という声が聞こえてきますが、

小さなタネでもやがて大きな結果となります。

樹齢2000年ともいわれる屋久杉の縄文杉は、

大人十数人が手をつないでようやく囲めるほど、

太く大きい幹のものがあります。

しかしそのタネは米粒よりも小さなタネ。

そんな小さなタネから、時間がたつと考えられないほどの

大きな樹木に育つのです。

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ほんの少しの笑顔や挨拶、優しい言葉をかけることは、

ささいなことのようですが、そのタネまきは人生を大きく

飛躍させる可能性を持つのですね。

いつでもどこでも変わらない因果の道理を深く信じ、

従って、どんな小さな善でも心がけていけば、

必ず善果が現れ、幸せな毎日が送れるようになる。

「因果応報」を味方につけるとは、このようなことです。

だから今日から、否、ただ今から、

少しでも善いタネまきを実践していきましょう。

 

●縁を選ぶことも大事


ところで、原因が結果となって現れるには

」というものが必要です。

原因が結果となって現れるのを助けるものが縁です。

簡単な例を紹介すれば、コシヒカリという品種の

おいしい米のモミ種でも、育てる地域によっては、

米の味は変わります。

同じタネでも縁によって結果は大きく変わりますから、

縁を選ぶことも大事なこと。

詳しくは、次回更新時に解説いたします。

運命の一切は自分のまいたもの、

まかぬタネは生えぬと反省し、一つ一つ誠心誠意、

できることから着実に対応していけば、人生、

思わぬ道が開けてくるものです。

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我々を救い摂る阿弥陀仏のすごいお力とは! [阿弥陀仏]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

(正信偈・親鸞聖人)

普放無量無辺光(ふほうむりょうむへんこう)

無碍無対光炎王(むげむたいこうえんのう)

清浄歓喜智慧光(しょうじょうかんぎちえこう)

不断難思無称光(ふだんなんしむしょうこう)

超日月光照塵刹(ちょうにちがっこうしょうじんせつ)

一切群生蒙光照(いっさいぐんじょうむこうしょう)

 

帰命無量寿如来(無量寿仏如来に、帰命いたしました)

 南無不可思議光(不可思議光に、南無いたしました)」

『正信偈』の冒頭は、

阿弥陀如来に親鸞、救われたぞ。

 阿弥陀如来に親鸞、助けられたぞ

という、聖人歓喜の絶叫です。

言葉は違いますが、二行とも同じことを繰り返されているのは、

何度でも言わずにおれない、どれだけ書いても書き足りない、

広大無辺な喜びを表されているのです。

この2行から、

弥陀の救いは、死後ではない。生きている現在ただ今である

弥陀に救われたら、ハッキリする

という、「弥陀の救い」の凄い特徴が明白になります。

言うまでもなく、『正信偈』を書かれたのは

「生きている時」であり、また、ハッキリしないことを

聖人が何度も叫ばれるはずがないからです。

 

●凄い「弥陀の救い」とは●

 

では、「阿弥陀如来に救われた」とは、

どうなったことを言われているのでしょうか。

一言で、「人生の目的が完成した」ことです。

人は何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか。

どんなに苦しくても、なぜ自殺してはならないのでしょうか。

これが「人生の目的」です。なぜ生きる。

すべての人にとって、これ以上大事なことはありません。

「生きる」とは、歩くことや走ること、泳ぐことや、

飛行機でいえば、飛ぶことといえましょう。

禅僧・一休は、

世の中の 娘が嫁と花咲いて 嬶としぼんで 婆と散りゆく

と歌いました。女性で一番良い時が、娘時代です。

だから娘という字は、女偏に良いと書きます。

娘が結婚して家に入ると、嫁になります。

嫁さんが子供を生むと、嬶といわれます。

「女は弱し、されど母は強し」といわれるように、

新婚当初はおしとやかでも、お母さんになると

鼻高くなりますので、女偏に鼻と書きます。

また、一家の中心はお母さんだから、顔の真ん中の「鼻」が

使われているとか。

嬶の次にお婆さんになります。

額に波がよってくるので、女の上に波と書くのだそうです。

これが女性の一生ですが、男性も呼び名が違うだけで、

すべて同じコースをたどります。

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何十億の人がいても、例外はありません。

いつまでも娘ではおれませんし、

お婆さんが娘に戻ることはできません。

「この間まで自分は娘だと思っていたのに、

もう息子が嫁をもらって孫ができた。

いやぁ月日のたつのは早いなぁ」

と言っているように、女は、娘から嫁、

嫁から嬶、嬶からお婆さんへと、どんどん歩き、

走り、泳ぎ、飛んでいくのです。

一休が「婆と散りゆく」と言っているのは、

そうしてみんな死んでいくからです。

だから、また一休は、

門松は 冥土の旅の 一里塚」とも歌っています。

「冥土」とは「死後の世界」のことです。

一日生きたということは、一日死に近づいたということですから、

生きるということは、死へ向かっての行進であり、

「冥土への旅」なのです。

年が明けると、みんな「おめでとう」「おめでとう」と言います。

しかし一年たったということは、それだけ大きく死に近づいた、

ということですから、元旦は、冥土の旅の一里塚なのです。

ついこの間、年が明けたばかりと思っていたのに、

バタバタしているうちにもう年末、すぐに元旦。

ホントに早いものですね。

こんな調子で10年、20年と、

アッという間に人生は過ぎ去っていくのです。

私たちが去年から今年、今年から来年へと生きる、

ということは、歩くことであり、走ることであり、

泳ぐことであり、飛行機なら飛んでいることに

例えられるのも、お分かりになるでしょう。

だれでも歩く時も走る時も、一番大事なのは、目的地です。

目的なしにあるいたら、歩き倒れあるのみだからです。

ゴールなしに走り続けるランナーは、走り倒れあるのみです。

行く先を知らずに飛んでいる飛行機は、

墜落の悲劇あるのみだからです。

あそこがゴールだ、とハッキリしていてこそ、

頑張って走ることができます。

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あの島まで泳ごう、と目的地に泳ぎ着いて初めて、

ここまで泳いできてよかったと、

一生懸命泳いできた満足があるのです。

では、私たちの生きる目的は、何でしょうか。

目的なしに生きるのは、死ぬために生きるようなものです。

死を待つだけの人生は、苦しむだけの一生に終わります。

私たちは決して、苦しむために生まれてきたのではありません。

生きているのでもありません。

本当の人生の目的を知り、それを完成し、

「人間に生まれてよかった、

この身になるための人生だったのか」と、

生命の大歓喜を味わうために生きているのです。

では、真の「人生の目的」とは何か。

歎異抄』には「摂取不捨の利益」(第一章)を獲ることであり、

「無碍の一道」(第七章)へ出ることだと、明言されています。

「摂取不捨の利益」も「無碍の一道」も、

今日の言葉で言えば「絶対の幸福」のこと。

絶対に壊れない、崩れない、変わらない無上の幸せです。

この「人生の目的」を全人類に知らせ、達成させてみせる、

と誓われているのが「阿弥陀如来の本願」であり、

そのお誓い通りに「人生の目的が成就した」ことを、

「弥陀に救われた」と親鸞聖人は言われているのです。

29歳の御時、

「帰命無量寿如来 南無不可思議光」

〝阿弥陀如来に救われたぞ、助けられたぞ!〟

と「人生の目的」を完成された聖人は、

「この広大な弥陀のご恩、なんとしても報いずにおれない」

と悲泣しつつ、90年の生涯、「弥陀の救い」ひとつを全身全霊、

伝えていかれました。

この無上の尊法が、「浄土真宗」です。

すべての人が最も知りたい「人生の目的」を、

鮮明にされた方が親鸞聖人ですから、

〝世界の光〟と仰がれて当然でしょう。

 

●底なしの弥陀のお力●

 

では、平生の一念に「人生の目的」を果たさせる、

阿弥陀如来のお力とは、いかなるものなのか。

それについて聖人は、

極悪最下の親鸞が、極善無上の幸福に救われたのは、

本師本仏の阿弥陀如来が、こんなに凄いお力のある

仏さまだからなのだ。

お釈迦さまが『大無量寿経』に説かれているとおりであった」

と、阿弥陀如来のお力を十二に分けて教えられたのが

「十二光」です。

今回は、初めの「無量光」について、お話しましょう。

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「無量光」とは、「量ることのできないお力」ということ。

阿弥陀如来のお力は、無限であることをいわれたものです。

「こんな悪いことをした者は助けられない」

という〝限界〟がない、底無しということです。

「十方諸仏」の力には、限りがあります。

十方諸仏とは、大宇宙(十方)に数え切れないほど

沢山まします仏方のこと。

大日如来も、薬師如来も、ビルシャナ如来も、

地球に現れられたお釈迦さまも、その中の一仏です。

それら十方諸仏の力には、

「こういう悪までなら助けることができるが、

これ以上の重い悪を犯した者は助けられない」

という境界線があります。

ですから「無量」ではありません。

お釈迦さまが、「大宇宙の仏方には、

お前たちを助ける力がなくて、見捨てられたのだよ」

と説かれているのは、私たちの造る悪が、

諸仏の力の限界を超えているからです。

ところが、本師本仏の阿弥陀如来のお力にだけは、

限界がない。

「5人殺した者までは助けられるが、

10人殺した者は助けられない」というような差別がありません。

どんな極悪人をも救う弥陀の量り知れないお力を、

釈迦は「無量光」と絶賛され、

親鸞聖人は〝その通りであった〟と知らされて、

『正信偈』に記されているのです。

『ご和讃』には、こうも説かれています。

 

願力無窮(むぐう)にましませば

罪業深重もおもからず

仏智無辺にましませば

散乱放逸もすてられず  (正像末和讃)

 

「阿弥陀仏のお力は、どんな極悪人をも救い切ることが

できるのだ」といわれたお言葉です。

 

●人のすべては、極悪人●

 

ここで「極悪人」と聞くと、文字からいえば

「極めて悪い人」ということだから、

こんなふうに思う人もあるかも知れません。

「世の中には、確かに酷い人間もいるなぁ。

法の網をすり抜けて、ドカ儲けする奴。

次々と詐欺商法を生み出しては、お年寄りをダマす者。

イヤそれより恐ろしいのは、〝人を殺したい、誰でもいい〟

と繁華街で白昼、包丁を振り回す凶悪犯だ。

〝極悪人〟とは、そんな人間のことだろう」

私たちは常に、常識や法律、倫理・道徳を頭に据えて、

「善人」「悪人」を判断します。

これらの基準では、

「1人殺すよりも、10人殺した方がもっと悪い、

10人より20人の殺人犯はもっと悪い」と、

善悪は相対的なものです。

ほとんどの人が、「自分は善人だとまでは言わないけど、

少なくともあいつよりはマシだ」などと、

他人と比較して、善悪の程度を

自覚しているのではないでしょうか。

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そして凶悪事件が起きると皆、即席評論家になり、

正義の側に身を置いて、「とんでもない奴だ」と

悪事を裁くのです。

ところが聖人の言われる「悪人」は、

犯罪者や世にいう悪人だけではありません。

極めて深く重い意味を持ち、人間観を一変させます。

 

いずれの行も及び難き身なれば

とても地獄は一定すみかぞかし   (歎異抄)

 

〝どんな善行もできぬ親鸞であるから、所詮、

地獄のほかに行き場がないのだ〟

この告白は、ひとり聖人のみならず、

古今東西万人の、偽らざる実相であることを繰り返されます。

 

一切の群生海、無始より已来(このかた)、乃至今日、

今時に至るまで、穢悪汚染(えあくおぜん)にして

清浄の心無く、虚仮諂偽(こけてんぎ)にして

真実の心無し       (教行信証)

 

すべての人間は、果てしなき昔から今日・今時にいたるまで、

邪悪に汚染されて清浄の心はなく、そらごと、たわごとのみで、

真実の心は、まったくない

世の中に「善人」と「悪人」2通りの人がいるのではない。

聖人の「悪人」とは全人類のことであり、

人間の代名詞なのです。

阿弥陀如来は、すべての人を「永久に助かる縁なき極悪人」と

見抜かれた上で、「我を信じよ、平生に、必ず絶対の幸福に

救い摂る」と誓われているのです。

 

さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし (歎異抄)

 

どうにもならない縁が来たならば親鸞、

どんな恐ろしいことでもするだろう。

人を10人殺す縁が来れば10人殺すだろう、

1000人殺す縁が来れば、1000人殺すこともあるだろう。

かかる量り知れない深い業をもった極悪の親鸞が、

絶対の幸福に救われたのは、弥陀のお力が

「無量光」であったからなのだ。

だから救われない人は一人もいない。

「私のような悪人が助かるんだろうか。

この世で救われるのだろうか」と疑っているのは、

弥陀のお力は無限であることを知らないからだ、

早く弥陀のお力を「無量光」と知らされるところまで進めよと、

親鸞聖人が訴えておられる『正信偈』のお言葉です。

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「白骨の章」の由来 [蓮如上人]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

  「白骨の章」の由来

 

蓮如上人の『御文章』に中で、最も多く知られているのが

白骨の章』であろう。

「夫(そ)れ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに・・・」

で始まる5帖目16通である。

お盆や葬儀、法事には、必ずといっていいほど拝読され、

痛切な無常観が、人々に深い感銘を与えている。

果たして「白骨の章」は、どんな経緯で書かれたのか。

また、上人は、何を教えられたのだろうか。

 

  ◆青木家の不幸◆


山科本願寺の近くの安祥寺村に

青木民部という下級武士がいた。

蓮如上人のご説法がある日には、

妻と娘との3人で、欠かさず聞法に通う

仏縁深い親子であった。

一人娘の清女(きよめ)は17歳。

その優しさ、美しさは近隣の評判となり、

ある有力な武家より縁談が持ちかけられた。

やがて婚約が結ばれ、挙式は8月11日に決まった。

しかし、民部は、下級武士ゆえ経済的な蓄えがない。

武士として容易に手放せぬ先祖伝来の武具、馬具を、

ことごとく売り払って、娘の衣装、嫁入り道具を調えた。

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ついに迎えた婚儀の日。

朝から、両親は、お祝いに来た近隣の人々に

衣装などを見せて喜んでいたが、2人の傍らにいた花嫁が、

にわかに苦しみだした。

周囲の人々が、医者だ、薬だと、あわてふためくうちに、

娘は息絶えてしまった。

民部夫婦は驚き悲しんで、半狂乱になって慟哭したが、

氷の如く冷えた亡骸を、如何ともする術がなかった。

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隣近所の人たちが手伝って、その夜のうちに野辺の煙とし、

翌12日、骨を拾って帰った。

父親は、その白骨を手に乗せ、

「これが、待ちに待った娘の嫁入り姿か」と、

激しく泣き伏し、嗚咽のまま、息絶えてしまった。

民部、51歳であった。

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その場にいた人々の驚きは、たとえようがなかった。

だがそのままにもしておけない。

娘と同じ火葬場で荼毘(だび)に付された。

あとに一人残った民部の妻は、ただ悲嘆に暮れていたが、

翌13日、愁い死にしてしまった。

37歳の、余りにも悲惨な死であった。

数日の間に、一家3人が亡くなったのである。

親類縁者は寄って相談した結果、

残された青木家の家財一切は、3人が心から信奉していた

山科本願寺へ寄進されることになった。

これは、蓮如上人75歳、延徳元年のことであった。

 

  ◆相次ぐ無常◆

 

上人は、青木家の不幸をお聞きになり、生前、

聞法に励んでいた3人だったので、

大変哀れに感じられ、落涙されること、

しばしであったという。

そして、これを縁に、世の無常について『御文章』に

表そうと思われた。

ところが、続いて8月15日、山科本願寺の聖地を財施した

海老名五郎左衛門の息女が急死したという報せが入った。

五郎左衛門の娘も17歳だった。

この日、行楽地へ出かけようと、朝早くから髪を結い、

美しく化粧して、大勢のお供を連れて門前へ出たところ、

にわかに気分が悪くなって家へ引き返した。

そのまま容態はどんどん悪化し、昼頃には、

もう息を引き取っていた。

娘の葬儀を終えた海老名五郎左衛門は、

17日、山科本願寺を訪れ、涙にくれつつ、

「我々のごとき仏道懈怠の者に、なにとぞ人の世の無常を

表す御文(おふみ)をお書きください」と、

蓮如上人に伏して願い出た。

蓮如上人も、その構想を練っておられたところなので、

ただちに筆をとられ、五郎左衛門に書き与えられたのが

白骨の章』であった。

その後、上人のお弟子たちも、この御文を拝読して

感涙にむせんだ。

その外、武家や公家にも広く伝わり、

明日はなき無常の世を知らされ、山科本願寺へ聞法に

訪れる人が多く現れたという。

以上の経緯が『御文来意鈔(おふみらいいしょう)』に

記されている。

 

 ◆「白骨の章」の御心◆

 

では、有名な「白骨の章」の全文と、現代語訳を記そう。

(原文)

夫れ、人間の浮生なる相(すがた)をつらつら観ずるに、

凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。

されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。

一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。

我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、

おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。

されば、朝(あした)には紅顔ありて、

夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。

既に無常の風来りぬれば、即ち二つの眼(まなこ)

たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、

紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、

六親・眷属集りて歎き悲しめども、

更にその甲斐あるべからず。

さてしもあるべき事ならねばとて、

野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、

ただ白骨のみぞ残れり。

あわれというも中々おろかなり。

されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、

誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、

阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、

念仏申すべきものなり。    (5帖目16通)

 

(現代語訳)

浮き草のように不安な人生を、よくよく眺めてみれば、

人の一生ほど、儚いものはない。

生まれて、大きくなり、やがて老いて死ぬ。

まさに幻のごとく過ぎ去ってゆく。

どんなに長生きしても、一万年も生きた人は、

聞いたことがない。

平均寿命80年と聞けば、長いようであるが、

過ぎてしまえばアッという間の出来事である。

実際に、100歳まで生きる人は稀なのだ。

死ぬのは他人で自分はまだまだ後だ、と思っているが、

とんでもない間違いである。

「死の縁無量なり・・・病におかされて死する者もあり、

剣にあたりて死する者あり、水に溺れて死する者あり、

火に焼けて死する者あり・・・」

          (覚如上人)

今日とも明日とも知れぬのが私たちの命である。

雨の日、木の枝から滴り落ちる雫のように、

毎日多くの人が後生へ旅立っているではないか。

朝、元気に出かけた者が、交通事故などで、

変わり果てて帰宅することも珍しいことではない。

一度、無常の風に誘われれば、どんな人も二度と

眼を開かなくなる。

一息切れたら、顔面は血の気を失い、

桃李の肌色はなくなってしまう。

肉親や親戚が集まって、どんなに泣き、悲しんでも、

二度と生き返ってはこない。

泣いてばかりもおれないから、火葬場に送って

荼毘に付せば、ひとつまみの白骨が残るのみである。

我が身を忘れ、死者を哀れんでいる者も、

やがて同じ運命をたどるのだ。

老いも若きも関係なく、いつ死ぬか分からぬのが、

人間のはかなさである。

どうか、すべての人々よ、早く後生の一大事に驚きをたて、

阿弥陀仏に救われ、報謝の念仏を称える身となってもらいたい。

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 ◆「後生の一大事」とは◆

 

痛切な無常観が漂う「白骨の章」の結びの部分を、

もう一度、拝読させていただこう。

人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、

誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、

阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、

念仏申すべきものなり

蓮如上人が、「早く心にかけよ」と、

すべての人に訴えておられる「後生の一大事」とは何なのか。

一息切れたら「後生」。

「一大事」とは、取り返しのつかない大事をいう。

すべての人間はやがて死んでゆくが、

一息切れると同時に無間地獄へ堕ちて、

八万劫中苦しみ続けなければならない大事件をいうのである。

死後の世界を認める人も認めない人も関係なく、

この一大事から逃れることはできない。

地獄の実在を肯定する人にも、

否定する人にも同じくこの一大事が引き起こる。

経典に釈尊は、

一切衆生 必堕無間

と説かれている。すべての人間は必ず無間地獄へ

堕ちて苦しむということである。

親鸞聖人はこれを、

念仏誹謗の有情は

阿鼻地獄に堕在して

八万劫中大苦悩

ひまなくうくとぞときたまう

と仏意を述べておられる。

蓮如上人も、

この信心決定されずんば、極楽に往生せずして

無間地獄に堕在すべし

と『御文章』にしばしば仰っている。

無間地獄の寿命は八万劫と説かれている。

一劫は4億3200万年だから気の遠くなるような期間である。

では、無間地獄の苦しみは、どれほどなのか。

賢愚経』に釈尊は、

如何なる喩をもってしても地獄の苦は説けない

と言われている。

しかし、強いて「教えたまえ」と願った仏弟子に対して、

「では喩えをもって説こう」

と仰有って、

「朝と昼と夜と、それぞれ100本の槍で突かれる。

その苦しみを何と思うか」

と尋ねられた。

弟子は、

「わずか一本の槍で突かれてさえも苦しいのに、

一日300本で突かれる苦しみは、心も言葉も及びません」

と答えるしかなかった。

その時、釈尊は豆粒大の石を御手にとられて、

「この石と向こうの雪山と、どれほど違うか」

とお聞きになり、

「それは大変な違いでございます」

と答えた弟子たちに、

「日々300本の槍で突かれる苦はこの石の如く、

地獄の苦は、あの雪山の如し」

と仰有っている。

これは魚に火煙のことを知らせようとする以上に

困難なことであり、犬猫にテレビや原爆の説明を

するよりも至難なことだったと思われる。

こんなことを知らずに、虎のフンドシの鬼や釜を

そのまま事実と思ってアザケッタリ、

疑っているのは情けない幼稚な仏教の聞き方なのである。

されば、無間地獄はその苦しみからいっても、

その期間からいっても、人生50年乃至100年とは

ケタ違いであることが分かる。

 

 ◆釈尊の出世本懐◆

 

ある時、弟子が釈尊に、

「世尊は一切の知人、何事でも苦痛に

思し召すことはないでしょう」

と尋ねたことがある。

その時、釈尊は、

その通りだ。しかしただ一つ苦痛に思われることがある。

それは刻々と縮まるはかない命を持ち、

念々に近づいている地獄に驚かず、

雨の降る如く地獄へ堕ちゆく人々のことを思うと、

胸がはりさける思いがする。

私の苦しみはこのことだ

と長嘆息なされたという。

想像を絶する一大事が後生にあることを、

一体、誰が知っているだろうか。

釈尊は、すべての人に、「後生の一大事」あることを

知らせるために、45年間叫び続けられた。

しかも、その結論として、釈尊出世の本懐経たる

『大無量寿経』に、

「一向専念 無量寿仏」

と説かれている。

一切の人々は、阿弥陀仏の本願によらねば、

絶対に助からないという、釈尊の一大宣言であった。

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この釈尊の大精神を無我に体験し、

身命を賭して伝承されたのが、

親鸞聖人、蓮如上人のご一生であった。

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今からできる恩返し [葬儀・法事とは]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています。

2014年7月のとどろきです)

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言えなかった

 「ごめんね、ありがとう」

 

親鸞聖人が9歳で仏門に入られたのは、

4歳でお父様、8歳でお母様を亡くされた、

悲しい別れがきっかけでした。

読者にも、肉親や伴侶との死別をきっかけに

仏法を聞き始められた方が少なくありません。

家族の無常にあわれた2名の方にお話を伺いました。

 

香川県の山本英二さん(仮名)は50年連れ添った夫人を

10年ほど前に病で亡くされました。

 

「春先の京都旅行中、ふと妻が『指輪が重い』と

つぶやくのです。その後、手を動かしにくい、

体がだるいと訴えるようになりました」

神経内科で検査入院し、告げられた病名は

『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』。

筋肉に命令を出す運動神経が日一日と死滅し、

最後は呼吸もできなくなる原因不明の病気だった。

「1日でも1時間でも長く生きてほしい、

の願いもむなしく、翌年の9月、妻は私を置いて一人、

旅立っていきました。72歳でした。

あんなに優しかった妻がなぜ・・・」

亡くなったあとも妻が部屋で寝ている気がして、

〝一人にするのはかわいそう〟と、山本さんはどこにも出掛けず、

引きこもる日が続いたという。

「でも現実には目の前に位牌があるだけです。

しかたなく位牌にいろいろと話しかけてみますが、

全く返事がありません。

それでは妻が喜ぶことは何かな・・・?

どうすれば正しい供養ができるだろうか?

そればかり考えるようになりました。

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そんな時、チラシの『浄土真宗』の文字が

目に飛び込んできました。

そういえば、わが家も真宗だ。

供養の仕方が分かれば、と思い、

『聞法の集い』に参加したのです。

そこで初めて、仏教には人生の目的が説かれていることを

知りました

 

 この世の最も深い悲しみ

        「愛別離苦」

 

「会者定離

 ありとはかねて 聞きしかど

 昨日今日とは 思わざりけり」

          (親鸞聖人)

(どんなに親しい人とも必ず別れの時がやってくると、

かねてお聞かせいただいておりましたが、

こんなにも早く、その時が来ようとは

思っておりませんでした。

あまりにも、早すぎます・・・」

 

会うは別れの始めといいながら、

大切な人を失って初めて知る、深い悲しみ。

お釈迦さまは、愛する人や物との別離の苦しみを

愛別離苦」と教えられました。

 

人間の八苦のなかに、愛別離苦これ最も切なり

              (覚如上人

愛情の幸福にすっかり身を委ねていればいるほど、

別離の悲しみは、いつ癒えることがあるのかと

思うほど深く、痛切です。

無常はいつも突然に、何の覚悟もできていないまま、

愛する人を引き裂かずにはおきません。

親や伴侶が健在の時は、いるのが当たり前で、

時に疎ましく思ったり、おろそかにしがちですが、

失って初めてそのありがたみを知るのも、

人の世の常でありましょう。


次に紹介するのは、若くして母親をガンで亡くされた

愛知県の田代久志さん(仮名)です。

        ◆

「私の母は学校の教師でした。

テストの採点など、仕事を家まで持ち込み、

生きることに必死な母の姿を見て育った私は、

親の気持ちも分からず、生きて苦しむなら

死んだほうがましではないか、と考えていました」

その後、田代さんは仏法と出遇い、生きる明かりを得たが、

数年後、母親からガンであることを打ち明けられる。

「医者は私に、母はもう長くないことを日常会話のような

冷静さで話してくれました。

私の結婚を案じる母のため、

入院先へ婚約者を連れて行きました。

母は彼女に、私の子供の頃のこと、

私が死を考えていたことを知った時のショックを

涙ながらに話し、最後に『久志を頼むね』と

付け加えました。

彼女が帰ったあとも、『お母さんの姿を見て、

気分を害していなかったかい』と心配してくれました。

余命いくばくもない病苦と闘いながら、

なお私の幸せを案じてくれる母。

気づかなかった母の大恩を知らされ、

その日から、私の毎日は一変しました」

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仕事が終わると往復5時間の道程を、

面会時間ギリギリに病院に駆け込む日々。

寝るのはいつも車の中だった。

「そんな私に気がついてか、母は見舞いに行くと

『早く帰ったら』と言ってくれました。

しかし私が帰ろうとすると『夜は怖くて一人で寝られない』

と泣いていました。

私は仕事をしていられなくなり、

付き添いで看病するようになりました。

しかし無常は容赦なくやってきたのです。

お母さん、ごめんなさい。

死ぬことばかり考えていた私が、仏法と出遇い、

今は人生の目的に向かって力いっぱい生きています。

母なくば、私の仏縁はありませんでした。

体を酷使してまで育ててくださったご恩、

決して忘れません」

 

 生み育ててくださった

      親の恩

 

「恩」という字は「原因を知る心」と書きます。

今の私の幸せがあるのは、どんな人や物のおかげなのか。

ふだんは意識していなくても、

私たちは様々なご恩の中に生かされています。

中でも身近で大きなものは、

生み育ててくださった両親の恩でしょう。

お釈迦さまは、生まれ難い人間に、

よくぞ生まれたものぞ、

「人身受け難し、今已(すで)に受く」

人間に生まれたことを喜びなさいと教えられています。

人間に生まれなければ、仏法を聞き、

本当の幸せになることもできません。

だから人間に生まれたことは大変喜ぶべきことなのだと

教導されているのです。

私が人間に生まれることができたのは、

両親がいたから。

その両親にもそれぞれ両親があり、

その両親にもまた両親があった。

そうしてたどっていくと、33代で現在の地球の人口70億を

超えるといいます。

その中の一人欠けても、私はこの世に生を受けられなかった。

さすれば、仏法は聞けなかった。

だから一人もおろそかにできません。

仏教で親の恩、先祖の恩を説かれる理由がここにあります。

このような深いご恩に対して、

私たちはどうすることが最もご恩返しになるのでしょうか。

親鸞聖人からお聞きしましょう。

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  親鸞聖人と真の先祖供養

 

亡くして初めて知るのが親の恩といわれます。

生前は分からずとも、親を失った時、

「もっと大切にしておけばよかった」と

後悔が起きるもの。

その気持ちは伴侶や愛児に対しても同様です。

墓に布団も着せられず、遺骨にごちそうも食べさせられず、

葬式や法事を勤めることで、それらの人の恩に報い、

このやりきれぬ気持ちを静めたいと思われる人も多いでしょう。

人一倍孝心の厚かった親鸞聖人は、亡き家族の供養について、

どのように教えられているかお聞きします。

 

 聖人の意外な「告白」

 

幼くしてご両親と悲しい別れを経験された親鸞聖人は、

深く父母の恩を感じておられました。

しかし、その聖人が有名な『歎異抄』で

「親鸞は、亡き両親の孝養に、一回の念仏も、

一巻のお経も読んだことがない」

と意外なことを仰っています。

 

親鸞は父母の孝養のためとて念仏、

一返にても申したること未だ候わず

           (歎異抄五章)

 

死者に対し、念仏も称えられず、その他一切の仏事儀礼も

行われなかった告白です。

なぜでしょうか。根本の理由は、

「先祖供養できるような親鸞ではない」

と、ご自身の姿をハッキリと知らされたからです。

 

仏教を説かれたお釈迦さまは、

「仏教は法鏡である」

と仰いました。「法」とは、三世十方を貫く真実をいいます。

いつでも、どこでも変わらない、

本当の私を映す鏡のようなものが仏教です。

お釈迦さまは法鏡に映る万人の姿を、

「心も口も身も、やっているのは常に悪ばかり。

いまだかつて一つの善もしたことがない」

と『大無量寿経』に道破されています。

 

心常念悪(心常に悪を念じ)

口常言悪(口常に悪を言い)

身常行悪(身常に悪を行い)

曽無一善(曽て一善も無し)

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これは閣僚もオリンピック選手も、

警察官も学校の先生にも共通する、

古今東西変わらぬ人類の真相である、

と説かれています。

こう聞けば、「そんな無茶な」とあきれる人ばかりでしょう。

誰もが悪人なら、警察官が窃盗犯を取り締まることも、

裁判官が放火魔に判決を下すこともできないからです。

時代劇や刑事ドラマは、勧善懲悪の爽快感がウケるのであって、

双方が悪ならば芝居になりません。

では、果たして「悪人」は犯罪者や悪代官だけなのでしょうか。

 

「私」は善人か悪人か

 

大正時代の有名な布教使・西村法剣にこんな話があります。

         ◆

ある寺で、説法していた時のこと。

大の仏法嫌いの小学校長が、参詣した。

「仏教は、すべての人は悪人と説くから気に入らぬ。

有名な坊主が来るなら、懲らしめてやろう」

との腹である。

そうとは知らぬ法剣はいつものように、

「仏さまの眼から、ごらんになれば、

善人は一人もいない。皆、悪人なのです」

と力説する。

説法後、控え室を訪ねた校長は、

「あなたは今、人間はすべて悪人と説かれたが、

まことに困る。そんなことを認めたら、

教師も皆悪人になり、教育が成り立たんじゃないか」

と、カンカンになって抗議した。

「いやー、これは、あなたのような方がお参りとはつゆ知らず、

とんでもないことを申し上げました。

何とぞお許しください」

あまりの意外な反応に、校長は薄気味悪くなってきた。

なにしろ大正の一休とまでいわれ、

歯に、きぬ着せぬ物言いをする法剣が、

ただただ謝り果てている。

「いやいやそこまでせんでも、

あのような説教さえしてもらわねばよいのです」

そう言って校長は、早々に退散しかけ、

「じゃあ、私はこれで」

と靴を履き、玄関を出ようとした時、

「先生、ちょっとお待ちください」。

法剣が声をかけた。

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「何か?」

「先ほど、この世には善人もいれば悪人もいると

言われましたな」

「はい、そう申しました」

「では校長先生、あなたご自身は、

その善人でいらっしゃいますか。

それとも悪人でしょうか」

答えにくい質問をする。

今更、悪人とは言えない。さりとて、

善人と答えるのもはばかれる。

校長が返答に窮していると、

「他人のことではなく、あなた自身のこと。

なぜ答えられないのですか?

では質問を変えましょう。

あなたは学校で、うそは善だと教えられますか。

悪だと教えておられますか」。

「もちろん、うそは泥棒の始まり。

悪いことだと教えています」

「では先生は、これまでにうそをつかれたことはありませんか」

校長ならずとも、誰にも身に覚えのあること。

「では、けんかはどうですか。善悪、

いずれと教えられますか」

「悪に決まっています」

「では、先生は夫婦げんかされたことは、

一度もないのでしょうか」

これまた日常茶飯事。

「生き物を殺すことは、いかがでしょう。

子供たちに善だと教えますか。悪だと教えますか」

「言うまでもない。悪だと教えます」

「それならば、あなたは、一切生き物を殺しておられませんか。

また、肉や魚は食べられないのですか」

「そ、それは・・・」

まごつく校長に法剣は、

うそもけんかも殺生も、皆、悪だと知りつつ、

毎日それを繰り返しているのではありませんか」。

日常、何とも思わずに重ねている悪を

一つ一つ指摘されるうちに、さすがの校長も

反省の心が起きてきた。

ついには玄関に座り込み、

先ほどは失礼なことを申し上げました。

よくよく振り返れば、自覚なしにどれだけの悪を

造っていることでしょう。ご無礼をお許しください」。

それ以来、熱心に仏法を聞くようになったという。

 

        ◆

肉眼や虫眼鏡で見ればきれいな手のひらも、

電子顕微鏡で観察すれば雑菌だらけ。

見た人は素手でおにぎりを食べられなくなるそうです。

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そのように、法律や倫理・道徳からは善人に見えても、

ごまかしのきかない仏教の顕微鏡で精査すれば、

人間は皆おびただしい悪の塊です。

親鸞聖人は法鏡に照破され、

「どんな善もできない、地獄行き間違いない私であった」

と告白されています。

 

いずれの行も及び難き身なれば、

とても地獄は一定すみかぞかし」 (歎異抄)

 

自分にできないことをできると思うのは、

邪見であり、うぬぼれといわれます。

聖人は、やった善を亡者に差し向ける「追善供養」が

できると思うのは、悪しかできない自己の姿が分からず、

「善ができる」とうぬぼれているからだ、と仰っているのです。

 

 真の孝養とは

 

では、私たちに孝養はできないのでしょうか。

親鸞聖人は真の孝養について、

至るところに教えられていますが、

今は『正信偈』で示しましょう。

 

「一生造悪値弘誓

 至安養界証妙果」

(一生悪を造れども、弘誓に値(もうあ)いぬれば、

安養界に至りて、妙果を証せしむ)

 

「弘誓」とは、「善のかけらもない全人類を、そのまま救う」

という阿弥陀仏の弘い誓いです。

それを『教行信証』の冒頭では、

「難思の弘誓は

 難度の海を度する大船」

と、苦しみの人生を明るく渡す大きな船に例えられています。

これを聖人は「大悲の願船」とも仰っています。

「値(もうあ)う」とは、過去から未来にわたって、

一度しかない、あい方をいいます。

大悲の願船に乗じたことです。

死ぬまで悪を造る極重の悪人が、

大悲の願船に乗せられ、絶対の幸福に救われたことを

「一生造悪値弘誓」と言われています。

そして大悲の願船に乗った人は、

来世は必ず阿弥陀仏の浄土(安養界)へ往って、

弥陀と同じ仏のさとり(妙果)を

開かせていただくことができると、

「至安養界証妙果」と教示されているのです。

 

では、極重の悪人が幸せに救われることが、

どうして亡き家族への孝養になるのでしょう。

歌舞伎のせりふに、

三千世界に子を持った親の心はみな一つ

とあります。いつの世の親も、

「幸せになれかし」と子に願い、わが子の笑顔には

無条件で幸せを感じるもの。

亡き妻や夫も、残された家族の幸せを望んでいるに

間違いありません。

肉親を失って初めて、「もっと孝行しておけばよかった」

と嘆いている人も、今からでも仏法を聞き求め、

弥陀の大悲の願船に乗せていただくことが、

真の孝行であり恩返しになるのです。

大悲の願船に乗るには

「聞思して遅慮することなかれ」

と、聖人は明示されています。

聞く一つで大悲の願船に乗じて、

無上の幸せに生かされる。

これが亡き家族の真の供養なのだよと、

親鸞聖人は教示されているのです。

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親と子の失われた絆(父母恩重経) [父母恩重経]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)


私たちは、両親からどれほどの恩を受けて生きているのか、

先月号で説明しました。

親の大恩十種を簡単に復讐しますと、

懐胎守護(かいたいしゅご)の恩

子供を宿すと、五体満足に育ってくれよと

常に念じ守る。

臨床受苦(りんしょうじゅく)の恩

出産のとき、握った青竹を割るほどの苦しみを受けても、

子供のために耐える。

生子忘憂(しょうじぼうゆう)の恩

出産の苦しみを忘れて、子供の誕生を喜ぶ。

乳哺養育(にゅうほよういく)の恩

昼夜問わず、乳を与え、育てる。

廻乾就湿(かいかんしゅうしつ)の恩

子供が小便をしたとき、濡れたところに自分が移り、

子供を自分の寝ていたあたたかいところへ寝かせる。

燕苦吐甘(えんくとかん)の恩

自分がまずいものを食べても、子供においしいところを

食べさせる。

為造悪業(いぞうあくごう)の恩

子供のために、多くの悪を造って、育てる。

遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩

子供が遠くに行けば行くほど、その子を思う。

究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩

死ぬまでわが子を案じ続ける。

 

両親を縁として人間界に生を受け、

今日まで育てられたからこそ、

私たちは、真実の仏法を聞き、

人生の目的を達成できるのです。

 

●親を悲しませるような

    仕打ちをしていないか

 

このような大恩を受けながら、私たちは、

親にどんな態度をとっているでしょうか。

父母恩重経』に、続けて説かれています。

既に婦妻を索(もと)めて他の女子を娶(めと)れば、

父母をば転(うた)た疎遠して夫婦は特に親近し、

私房の中に於て妻と共に語らい楽しむ

子供が結婚すると、父母を疎遠にして夫婦は特に親近し、

夫婦の部屋に入ったまま、親のことは眼中になくなってしまう

と仰っています。

父母年高(た)けて、気老い力衰えぬれば、

依る所の者は唯子のみ、頼む所の者は唯だ婦(よめ)のみ。

然るに夫婦共に朝(あした)より暮に至るまで、

未だあえて一たびも来り問わず

親が歳をとって、気力も衰えると、

頼りにするのは息子と嫁のみです。

しかし、夫婦ともに、朝から晩まで、親に

「何か用事はないですか。食べたいものはないですか」

などと尋ねることがありません。

或は父は母を先立て、母は父を先立てて独り空房を

守り居るは、猶お孤客の旅寓(りょぐう)に

寄泊(きはく)するが如く、常に恩愛の情なく復(ま)た

談笑の娯(たのし)み無し。

夜半、衾(ふすま)、冷にして五体安んぜず。

況んや褥(しとね)に蚤虱(のみしらみ)多くして

暁に至るまで眠られざるをや。

幾度か輾転反側して独言すらく。

噫吾れ何の宿罪ありてか、斯かる不幸の子を有てるかと

父か母、どちらかが亡くなると、

残された一人は、まるで、知らない土地で旅館に

泊まっているかのように、淋しい思いをすると

仰っています。

今日なら、座敷牢に閉じ込められて、

テレビを見るしかないような状態です。

孫とも話せず、夜になれば、一人淋しく休まねばなりません。

当時のインドには、ノミやシラミがいっぱいいたのでしょう。

夜明けまで眠れず、寝返りうってばかり。

人生の黄昏に、一人、つぶやくのです。

「なぜ、あんな子供を生んだのだろう」と。

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●自分もやがて  

   同じ目に

 

事ありて子を呼べば、目を瞋(いか)らして怒り罵る。

嫁も兒(こ)も之を見て共に罵り共に辱しめば、

頭を垂れて笑いを含む。

婦(よめ)も亦た不孝、兒(こ)も亦た不順、

夫婦和合して五逆罪を造る

何か用事があって、「オーイ」と息子や嫁を呼ぶと、

怒りながらやってきます。

来るのは怒るときだけ。

息子も嫁も、孫までもののしり、

あざけり笑うと説かれています。

こんなことをしていると、因果の道理で、

自分もやがて子供から同じ目にあわされるのが

分からないのでしょうか。

或いは復(ま)た急に事を弁ずることありて、

疾く呼びて命ぜんとすれば、十たび喚びても九たび違い、

遂に来たりて給仕せず、却(かえ)りて怒り罵りて云く。

『老いぼれて世に残るよりは早く死なんには如かず』と

どうしてもしてもらいたいことがあって、

十回呼んでも、九回は返事をしません。

やがてしぶしぶ来ても、ろくなことをせず、

ののしってゆくだけです。

「おいぼれ、まだ生きているのか。

早く死んだらどうだ」と言うのです。

父母これを聞いて怨念胸に塞がり、

涕涙(ているい)瞼(まぶた)を衝(つ)きて、

目眩み心惑い、悲しみ叫びて云わく。

『ああ汝幼少の時、吾れに非(あら)ざれば養われざりき、

而(しか)して今に至れば即ち却って是(かく)の如し。

ああ吾れ汝を生みしは本より無きに如(し)かれざりけり』と

子供が可愛いと思う心が憎しみに変わり、

こう叫ぶのです。

「お前は、ワシがいなかったら育つことはできなかったのだ。

ところが今になって、こんな仕打ちをするとは・・・。

お前を産むのではなかった。

子供など、いない方がよかった」

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若し子あり、父母をして是の如き言(ことば)を

発(はっ)せしむれば、子は即ちその言と共に堕ちて

地獄・餓鬼・畜生の中にあり。

一切の如来・金剛天・五通仙も、これを救い護ること能わず

もし親にこういうことを言わせる子供があれば、

この世から「地獄・餓鬼・畜生」に堕ちているのだ、

と仰っています。

これが、2600年前のインドのことと、思えるでしょうか。

現代の姿そのままです。

人間の進歩はどこにあるのでしょう。

科学は長足の進歩を遂げましたが、

人間の心は何も変わらず、この世はジゴクなのです。

自殺者は跡を絶たず、殺したり殺されたりしている

五濁悪世(ごじょくあくせ)が現出しています。

 

●親の大恩に報いる方法

 

「父母の恩重きこと天の極まり無きが如し」

親の大恩を知らされた私たちは、では、

どうすればよいでしょうか。

「『世尊よ、是の如き父母の重恩を、

我等出家の子は如何にして報ゆべき。

具(つぶ)さに其の事を説示し給え』と」

「親の大きなご恩を、どうお返ししたらよいでしょうか」

と、阿難尊者が尋ねました。

汝等大衆よく聴けよ。孝養の一事は、

在家出家の別あることなし。

出でて時新(じしん)の甘果(かんか)得れば、

将(も)ち帰り父母に供養せよ。

父母これを得て歓喜し、自ら食うに忍びず、

先ず之れを三宝に廻(めぐ)らし施せば則ち菩提心を

啓発せん

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「皆さん、よく聞きなさい。

孝行は大切だから、出家した者だけでなく、

在家の人も心がけねばなりませんよ」

と釈尊は仰り、具体的に教えられました。

まず、「美味しいものや旬のものが手に入ったら、

親にあげなさい」と教えられます。

親が喜び、仏さまにお供えすれば、

親の仏縁を深めることになります。

父母病あらば、しょう辺を離れず、

親しく自ら看護せよ。

一切の事、これを他人に委ねること勿れ。

時を計り便を伺いて、懇に粥飯(しゃくはん)を勧めよ

「親が病気になったときは、

寝ている布団の周りを離れるな、

他人に任せず自分で看護せよ」

と仰っています。

下のことも必要と思ったら聞くように。

食べ物や飲み物を懇ろに勧めなさいと教えられています。

親暫く睡眠すれば、気を静めて息を聞き、

睡覚むれば医に問いて薬を進めよ。

日夜に三宝を恭敬(くぎょう)して、

親の病の癒えんことを願い、

常に報恩の心を懐きて片時も忘失(わす)るること勿れ

親がすやすやと眠りについたら、

静かに離れ、目を覚ましたら、医者に聞いて、

適切な薬を飲ませます。

「ひたすら、報恩の思いをいだいて、

親の病気が治るように念じなさい」とも仰っています。

 

●真の孝行とは何か

 

お釈迦さまはしかし、

未だ以て父母の恩に報いると為さざるなり

と仰り、

「それでも親の恩に報いることにならないぞ」

と教戒なされています。

親頑闇(かたくな)にして三宝を奉ぜず、

(乃至)子は当に極諫(ごくかん)して

之れを啓吾せしむべし。

若し猶お闇(くら)くして未だ悟ること能わざれば、

則ち為めに譬を取り類を引き、因果の道理を演説して

未来の苦患を救うべし

親が頑なに、仏法を信じなければ、

ご恩返しできたとは言えません。

親に聞法を勧め、阿弥陀如来の本願に救い摂られるように

導くことが、一番の孝行なのです。

因果の道理をよく話し、地獄しか行き場のない

後生の一大事を知らせねばなりません。

自分でうまく話す自信がない人も、

ともに『世界の光・親鸞聖人』を見る機会を作れば、

アニメの親鸞聖人が、直接、両親に仏法を伝えてくださいます。

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ところが、親は、なかなか子供の言う通りにはしないものです。

「子供の言うことなんか、聞けるか。

お前のオムツを替えていたんだぞ」と。

そんな場合は、どうするか。釈尊のご教導が続きます。

若し猶お頑なにして未だ改むること能わざれば、

啼泣歔欷(ていきゅうきょき)して己が飲食を絶てよ。

親頑くななりと雖も、子の死なんことを懼るるが故に、

恩愛の情に牽かれて強忍して道に向わん

「それでも親の聞法心が起きなかったら、

激しく泣いて断食せよ」と仰っています。

どんな頑迷な親でも、衰弱するわが子の姿に、

「聞く、聞く。だから、食べてくれ」

と、仏縁を結ぶようになるだろうと、

釈尊は仰っています。

 

●仏法を伝えてこそ

 

父母のために心力を尽くして、

あらゆる佳味・美音・妙衣・車駕(しゃが)・宮室等を供養し、

父母をして一生遊楽に飽かしむるとも、

若し未だ三宝を信ぜざらしめば猶お以て不孝と為す

どんなに心を尽くして、両親に、

佳味(美食)・美音(美しい音楽)・妙衣(立派な着物)

・車駕(乗用車)・宮室(豪邸)などを用意して、

何不自由のない生活をさせても、

それは、50年乃至100年の、この世だけの幸福にすぎない。

未来永劫、救われる仏法を聞かせなければ、

なお不孝なのだ

と、さらに具体的にご教導なさっています。

仏法を聞くよう導いてこそ、本当の孝行となるのです。

 

●阿弥陀仏・善知識の

    深恩知る仏法者に

 

以上、『父母恩重経』では、親の恩の重さを諄々と説かれ、

恩知らずな仕打ちをしていれば、

この世から恐ろしい悪果がくると戒められています。

では、どうしたら親の大恩に報いることができるのか、

それは仏法を伝えるよりないのですよ、

と真の孝行をハッキリと明示されたものです。

親鸞聖人は、恩徳讃に教えられました。

如来大悲の恩徳は

身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし

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本師本仏の阿弥陀仏と、その御心を伝えてくださる

善知識(仏教の師)から、私たちは、身を粉にしても、

骨を砕いても報謝せずにおれぬほど、

広大なご恩を受けているのです。

そのご恩徳の深さを知るには、まず身近な親の恩から

感じなさいと、釈尊が方便して説かれた経典が

『父母恩重経』なのです。

両親は眼に見える存在であり、その恩は比較的、

感じやすいと思います。

親の恩を知り、さらには、善知識の高恩、

阿弥陀仏の深恩に感泣する仏法者にならねばなりません。


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こうまでしていただかねば、仏法を聞く私ではなかった [妙好人]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

「こうまでしていただかねば、

     仏法を聞く私ではなかった」

          ~六連島のお軽

 

江戸時代末期、山口県六連島(むつれじま)にお軽という

妙好人がありました。

(妙好人とは、阿弥陀如来に救われ、周囲に強い影響を与えた人をいいます。)

勝ち気な性格で、なかなか仏法を聞こうとしなかったお軽が、

どのようにして弥陀の本願を喜ぶ身に

生まれ変わったのでしょうか。

 

    ・     ・     ・

男勝りの性格で、村の若者たちから煙たがられていたお軽も、

19歳の時、幸七(こうしち)という青年を婿養子に迎えると、

別人のようにかいがいしく夫に仕えた。

だが、幸せな時期は長くは続かない。

夫の孝七は、芋やごぼうを舟に積み、

たびたび九州筑前に行商に出掛けていたが、

いつしか家を出たっきり、なかなか戻らなくなったのだ。

「さては、ほかに女が・・・」。

事情を察したお軽の怒りはすさまじかった。

「一緒に作った野菜を売って、別の女に入れ揚げるなんて・・・

許せない、絶対に許せない」

ひょっこり帰ってきた夫を船着き場で激しく罵倒することも

たびたびだった。

だが、幸七の放蕩は止まらない。

あまりの苦しみからお軽は、ついぞ足を運んだことのない

手次の寺の門をたたいた。

思いのままに怒りをぶちまけるお軽を、

和尚はこんこんと諭す。

「お軽!おまえの怒るのも無理はない。

だがな、それが浮世というものなのじゃ。

しかし妻を捨て、わが子を顧みない幸七に、

本当の楽しみなどあると思うか。

今おまえの夫は、色欲でもだえ苦しみ、

行きながら地獄に堕ちているのじゃ」

「確かにそうかもしれませんが・・・」

落ち着きを見せ始めたお軽の様子を見た住職は、

ここだとばかりひざをたたき、

お軽。考えてみると今回のことは、

おまえを仏法に導くための仏さまの

ご方便だったのかもしれんぞ。

こんなことがなければ、あんたは仏法を

聞くような人ではないじゃろう」。

さらに和尚は、〝火宅無常の世界は、万のこと皆もって

空事・たわごと・真実(まこと)あること無し〟と

祖師聖人もおおせになっている。

苦しいだろうがなあ、お軽、今のおまえの苦しみを

一滴の水とすれば、後生の苦しみは、

大海のごとしと教えられるのじゃ。

大慈大悲の阿弥陀如来の救いにあずかって、

未来永劫の幸福を頂きたいとは思わぬか」。

しかし、和尚さん。私のような愚痴いっぱいの

悪い女が、助けてもらえる道理がないでしょう

いやいや、大宇宙の諸仏にも見捨てられたわれら凡夫を、

阿弥陀如来だけが、『かわいい』と言われ、

命を懸けて、『必ず助ける』と誓っておられるのじゃぞ。

欲や怒り、愚痴のかたまりの、助かる縁の尽きた者こそ、

もったいなくも阿弥陀如来のお目当てじゃ

お軽は、思わず和尚の前にすり寄ってきた。

和尚さん、よく分かりました。

もっと詳しく尊い阿弥陀如来のご本願をお聞かせください

かくて、お軽の聞法求道が始まったのである。

 

「聞いてみなんせまことの道を

  無理な教えじゃないわいな」

 

夫の放蕩が縁となり、お軽の聞法求道が始まった。

法話があれば、船に乗り北九州や下関にも足を運んでいる。

だが聞法はいばらの道。

聴聞を重ねれば重ねるほど、お軽は、

まことを聞く耳のない自己の姿にあきれるのだった。

その信前(阿弥陀如来に救われる前)の胸中を、

後にこのように歌っている。

こうにも聞こえにゃ聞かぬがましか

聞かにゃ苦労はせまいといえど

聞かにゃ堕ちるし、聞きゃ苦労

今の苦労が先での楽と

気休めいえども気が済まぬ

済まぬまんまとすましにかかりゃ

雑修自力とはねだされ

どうして他力になるのじゃろ

まこと聞くのがお前はいやか

何が望みであるぞいな

屍のような心をたたいて、お軽は泣いた。

そして、ある日、お軽の求道に拍車をかける事件が起きる。

夫の幸七が畑仕事の最中にバッタリ倒れ、

そのまま帰らぬ人となったのである。

出息入息不待命終(しゅっそくにゅうそくふたいみょうじゅう)」

仏説そのままの激しい無常を眼前にしたお軽は、

居ても立ってもおれない。

聞法心に火がついた。

夫の葬式をすべて親類に任せ、京の町を善知識を求めて

駆けずり回ったのである。

だが、どれだけ血眼になって訪ね歩いても、

ついに善知識に巡り会うことはできなかった。

よくよく仏縁のないわが身に絶望し、

その場に泣き崩れるのであった。

自力間に合わなかったと、助かる望みが断ち切られ、

無間のドン底へたたき堕とされたその時、

十劫以来、呼び続けてくだされていた阿弥陀仏の御声が、

お軽の五臓六腑を貫いた。

阿弥陀如来に救い摂られ、心も言葉も絶えた世界に

躍り上がったのである。

その驚天動地の世界をこのように表している。

自力さらばといとまをやって

ワシが心と手をたたきで

たった一声聞いたのが

その一声千人力

四の五の言うたは昔のことよ

何にも言わぬがこっちの儲け

そのまま来いの勅命に

いかなるお軽も頭が下がる

聞いてみなんせまことの道

無理な教えじゃないわいな

〝こうまでしてくだされなければ、

仏法を聞く私ではなかった〟

と、お軽はそれまでの一切の境遇を、

如来のご方便と感謝するようになった。

そして生涯、村人たちに真実信心を説き続けたのである。

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阿弥陀仏の本願を説き切られた法然上人とはどんなお方か!? [法然上人]

本師源空明仏教(ほんしげんくうみょうぶっきょう)

憐愍善悪凡夫人(れんみんぜんまくぼんぶにん)

真宗教証興片州(しんしゅうきょうしょうこうへんしゅう)

選択本願弘悪世(せんじゃくほんがんぐあくせ)

 

本師源空は仏教を明らかにして、

善・悪の凡夫人を憐愍し、

真宗の教・証を片州に興し、

選択本願を悪世に弘めたまう

 

本師源空は仏教を明らかにして

本師源空とは親鸞聖人の本当の師匠、法然上人のことである。

鎌倉時代の当時、法然上人は知恵第一と謳(うた)われ、

日本最高の仏教学者であられたが、

そうなられるまで法然上人には三十幾星霜の努力精進があった。

 

法然上人は約850年前、美作国(みまさかのくに)の

武士・漆間時国(うるまのときくに)の子として

生を受けられた。幼名は勢至丸。

9歳の時、父の時国が政敵である源定明の夜襲を受けて

非業の死を遂げた。

 

  父の遺言

 

勢至丸が時国の寝所に駆けつけたとき、

既に敵は去り、血まみれの父が横たわっていた。

けなげに敵討ちを誓う勢至丸に時国は、

遺言した。

敵討ちなど愚かなことだ。

我が死はひとえに自己の業縁によるもの。

父を哀れと思うなら敵討ちの代わりに

日本一の僧侶となって我が菩提を弔ってくれ

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父の遺言を心に刻んで近くの寺に入り、

15歳で郷里を離れ、天台宗比叡山へ進まれたのである。

やがて法然と改め、仏学研鑽の日々を重ねられた。

天台にみならず、当時あった仏教各宗の教義に精通し、

40歳の頃には、天台宗に比肩するものなき僧となられた。

ところが、比叡山切っての学僧となられても、

今死んだらどうなるのか、と自身の後生を見つめられると

真っ暗な心しかない。

このまま死ねば無間地獄、後生の一大事は依然、

未解決のままだった。

既存のいずれの宗派も善のできる者の助かる教えであったが、

法然上人はそれまでのご修行で自身が罪悪深重な人間と

知らされておられた。

「私のような悪人はこれまでの仏教では到底、

救われ難い。

どこかに悪の連続の凡夫が救われる教えはないか。

仏の慈悲は一切衆生に及ぶと言われる。

釈尊は必ず一切経の中に極悪人の私のための教えを

説かれているはずだ」

それを見つけ出そうと、比叡山黒谷の報恩蔵に

籠もられたのである。

そこには7000余巻の膨大な一切経が収められていた。

以来、来る日も来る日も経典に取り組まれ、

一切経を読まれること実に5回。

数年に及ぶ血のにじむ探求の末、ついに『往生要集』の

指南によって善導大師の

『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』の中に、

極重悪人の救われる道を発見されたのである。

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  本願を実地に体験

 

一心専念弥陀名号・・・」

「一心に専ら弥陀の名号を念じ・・・」

その一文を読まれたとき、たちどころに、

阿弥陀仏の本願力に救い摂られ、大安心、大満足の身と

なられたのである。

阿弥陀仏が「どんな人をも信ずる一念、必ず助ける。

絶対の幸福に」

と誓われていた本願を実地に体験されたのである。

これを信心決定(しんじんけつじょう)という。

「救われたぞ、助けられたぞ。

ここにあったぞ、極重悪人の救われる道があったぞ」

信心決定なされて「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」

と高声に報恩の念仏を称えられたのだ。

承安五年の春、法然上人43歳の御時のことであった。

この年が浄土宗開創の年となっている。

以後、法然上人は天台宗、真言宗では救われなかった

ご自身の体験の上からも、それらの聖道自力の仏教を捨てよ、

浄土他力の仏教を信じよ、と徹底して勧められた。

 

  一切の人々に

 

善・悪の凡夫人を憐愍し

京都・吉水の草庵を拠点として法然上人は、

真実の仏教を末法の世に説き始められた。

善・悪の凡夫人」とは、

善人も悪人も一切の人々を、との意味である。

「憐愍し」憐れみ、愍(かな)しんで。

それまでの仏教諸宗の教えは、出家した僧侶でなければ

求められず、しかも比叡山、高野山などは女人禁制であった。

弥陀の本願は出家、在家を問わず、男性も女性も、

どんな人でも求められる教えである。

一切の人々に開かれた仏教である。

法然上人が慈父のごとき温容でどんな人も救われる

大乗無上の法を説かれたとき、貴族の関白九条兼実、

武士の熊谷直実(くまがいなおざね)、盗賊だった耳四郎、

聖道諸宗の僧侶など、あらゆる階層の人が

浄土真実の教法を求めるようになった。

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  選択の本願

 

真宗の教・証を片州に興し、

選択本願を悪世に弘めたまう

真宗とは浄土真宗であり、一切衆生の真実の拠り所のことである。

いかなる宗教を信じている人も、

最後は阿弥陀仏の本願によらなければ、救われない。

真宗の教えを、片州といわれるこの日本列島に興し、

阿弥陀仏の本願を、悪世に広められたのである。

選択の本願とは、阿弥陀仏の四十八願中、第十八の願をいう。

阿弥陀仏は四十八の願を建てられたが、

十八番目の願こそ阿弥陀仏が本心を誓われたものである。

故に選択本願とか王本願といわれるのだ。

法然上人が「天台宗、真言宗などの自力難行の仏教では

救われないから捨てよ、万人の助かる道は、

他力易行の阿弥陀仏の本願ただ一つである」と説かれたとき、

批判された自力仏教の側から猛反発が起き、

やがてそれが日本仏教史上空前の大法論、

大原問答となっていった。

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  知恵第一の法然房

 

法然上人は54歳の御時、京都大原の地で諸宗の学者と

大法論をなされた。当日、大原の勝林院には、

諸宗から三論宗の明遍、法相宗の貞慶といった

当時の仏教界を代表する学者たち380余人が集まって、

法然上人に痛撃を与えようとしていた。

直接、法論に参加できなかった者も含めると

2000人の僧侶が参集していたと伝えられる。

対する法然上人は唯お一人。

ところが法論が開始されるや、

法然上人は学者たちが次々に繰り出してくる

あらゆる非難攻撃を悉く論破してしまわれたのである。

一切経を縦横無尽に引用されての法然上人の破邪顕正に、

諸宗の僧侶たちは言葉は失った。

一日一夜が過ぎて肝腑なきまでに敗北を喫した自力聖道の

僧侶の中には、感服して浄土門に帰依する者も少なからずあり、

大原問答は法然上人の名声を一層高めることとなった。

まさに「本師源空明仏教」である。

知恵第一の法然房、勢至菩薩の化身とまで謳われた所以でもある。

法然上人は、『選択本願念仏集』という書物を著して、

阿弥陀仏の本願こそ、万人の救済される

唯一無上の法であることを明らかにされた。

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「死んだらどうなるか」、生きている今ハッキリする! [信心決定]

   「死んだらどうなるか」

       未来の行き先は

     生きている今、

        ハッキリする

 

       生死の大問題が解決すると

         絶対の幸福になれる

 

巻頭特集のお釈迦さまの例え話で、旅人は無常の虎から逃げ、

九死に一生を得て、命の藤蔓にぶら下がりました。

ところがその藤蔓は、太陽が昇れば白の、沈めば黒のネズミが

絶え間なくかじり続け、刻々と細くなっていきます。

絶体絶命と知って驚いたものの、

やがて旅人は甘いハチミツをなめて喜ぶようになりました。

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「そんな危ないところにいながら、どうして?」

と尋ねたら、旅人はどう答えるでしょうか。

〝どうせいつか死ぬ。どう抵抗しても死は避けられないから、

やりたいこと、楽しいことをやったらいいじゃないか〟

死を直視しても暗くなるだけ、

考えないで明るく生きたほうがいい、

せっかくのハチミツを楽しまなくっちゃ、

とごまかそうとしているのでしょう。

フランスの哲学者、ブレーズ・パスカルは、

『パンセ』にこう記しています。

「気を紛らすこと。人間は、死と不幸と無知とを

癒やすことができなかったので、幸福になるために、

それらのことについて考えないことにした」

そして、あと一週間の命なら何をすべきか。

それを今すべきである、と言っています。

「情念にじゃまされないために、

一週間の生命しかないもののように行動しよう」

「もし一週間なら、ささげるべきであるならば、

全生涯をささげるべきである」

             (パスカル『パンセ』)

 

不調を覚え病院へ行くと、病はすでに手遅れと診断された。

生きられるのはあと7日間となったら、どうしますか。

「もっと早く来ていれば・・・」

と医師に言われ、私の周りだけが切り取られ、

異次元の世界に迷い込んだよう・・・。

世の中はいつもと変わりなく動いているのに。

 

宝くじが当選して喜んだのもつかの間、

急転直下の暗闇となった人が実際にありました。

 

●1億円当たったけれど余命が・・・

 

アメリカ・ニューヨーク州北部に住んでいた大工の

ドナルド・サヴァスターノさん(51歳)は、

今年1月初め、地元のコンビニエンスストアで購入した宝くじで、

一等に当選し100万ドル(日本円で約1億900万円)を手にした。

(2018年5月号です)

「これで人生が変わるよ、本当に」

とドナルド氏は喜び、

「トラックを1台買って、それからバケーションにも

行きたいね。残りは定年後の資金にするつもり」

と、放送局のインタビューに答えていた。

そしてもう一つ、健康診断を受けようと思った。

最近、体調がよくなかったからです。

ところが、訪れた病院で告げられたのは、

ステージ4の肺がん。

すでに脳に転移、治療も不可能という事実でした。

宝くじ当選の23日後、ドナルドさんは51歳で亡くなりました。

ガンを告知された時、

「当たった宝くじ1億円で余命を思いっきり楽しんだら?」

と言われて喜べたでしょうか。

ガンを早期発見して完治していれば、

1億円で楽しい人生を過ごせたはずです。

 

●死を前にして楽しめることは

 

臨終を前に、その心を書き留めたのが、

10年間の闘病生活の末亡くなった、東大宗教教授の

岸本英夫氏です。

44歳で東大教授となりエリートコースを歩みました。

その後、アメリカのスタンフォード大学に客員教授として

滞在中、皮膚ガンの宣告を受けます。

手術の4年後に再発。再度手術するも、いつ再発して

死に至るかとの不安が常にありました。

その心境をこう述べています。

 

「人間が、ふつうに、幸福と考えているものは、

傷つきやすい、みかけの幸福である場合が、

多いようであります。

それが、本当に力強い幸福であるかどうかは、

それを、死に直面した場合にたたせてみると、

はっきりいたします。

たとえば、富とか、地位とか、名誉とかいう社会的条件は、

たしかに、幸福をつくり出している要素であります。

また、肉体の健康とか、知恵とか、本能とか、

容貌の美しさというような個人的条件も、

幸福をつくり出している要素であります。

これが、人間の幸福にとって、重要な要素であることは、

まちがいはないのであります。

だからこそ、みんなは、富や美貌にあこがれるのでありまして、

それは、もっともなことであります。

しかし、もし、そうした外側の要素だけに、

たよりきった心持ちでいると、その幸福は、

やぶれやすいのであります。

そうした幸福を、自分の死と事実の前にたたせてみますと、

それが、はっきり、出てまいります。

今まで、輝かしくみえたものが、急に光を失って、

色あせたものになってしまいます。

お金では、命は買えない。

社会的地位は、死後の問題に、答えてはくれないのであります

             (岸本英夫『死を見つめる心』)

 

元気な時は「死んだら死んだ時さ」と、欲しいものをかき集めて

喜んでいますが、いざ死に直面すると、全く楽しめない。

それを〝傷つきやすい、見せかけの幸福〟と言っています。

 

●不急のことで争っている

 

死は100パーセント確実に、すべての人に襲いかかり、

一切を奪ってしまいます。

これを仏教では「生死の一大事」とか「後生の一大事」と

いいます。

これほどの大事はないのですが、

なぜかほとんど問題にされません。

お釈迦さまは、

世人薄俗にして共に不急の事を諍(あらそ)う(大無量寿経)

と仰っています。

「世人」とは、世の中のすべての人。

「薄俗」は、浅はかで、俗っぽいこと。

すべての人は、急がなくていいことを争ってまでやっている。

人生の一大事に気づかずに、つまらない目先の小事に

とらわれている、ということです。

〝小事にこだわるには、人生は短すぎる〟

とイギリスの元首相、ベンジャミン・ディズレーリは

言いました。

 

●人生の一大事が、今、解決できる。

 

後生は小事ではない、一大事。

しかしその解決の道は、学校や親も、政治家も教えてくれない。

大学で研究されることもない。

すべての人が、準備もせず、何の予備知識もないまま

突如対面し、愕然とするのです。

どんな行き当たりばったりの人でも、

未来に重大なことがあると分かれば、

少しは準備するはずなのに・・・。

例えば自然災害や火災などは、誰もが遭うわけではありません。

一生涯、遭わない人も多いのに、

起きてしまったら大変だから、

万が一の準備に火災保険や地震保険に入ります。

そうしないと安心して暮らせないからでしょう。

ところが、死は万人が100パーセント直面します。

また、火事や災害なら、やけ太りや復興できましょうが、

命は一度失ったら取り返しがつきません。

それなのに、この無防備さはどうしたことでしょう。

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京都学派を創始した哲学者の西田幾多郎は、

死の問題を解決するというのが人生の一大事である

と言っています。

 

ここで誤解してはならないのは、

〝死を直視すれば人生が輝く〟とか、

〝死を意識すればより充実した生を送ることができる〟

と思うことが、生死の一大事の解決ではないということです。

そんなレベルの話ではなく「死んだらどうなるか」、

未来の自分の行く先をハッキリさせることなのです。

「そんなこと、死んでみなければ分からんだろう」

と思われましょうが、

〝違う。生きている時にハッキリさせることができる〟

と説くのが仏教です。

これを「平生業成」といいます。

 

●どうすれば一大事の解決ができるか

 

この生死の一大事の解決は、

阿弥陀仏のお力によってしかできないと、

お釈迦さまは教えられました。

2600年前、釈迦が7000余巻ものお経を説かれたことは、唯、

この生死の一大事の解決の道、阿弥陀仏の本願ひとつでした。

お釈迦さま自ら、こう宣言されています。

 

如来、世に出興する所以は道教を光闡(こうせん)し、

群萌(ぐんもう)をすくい恵むに真実の利を以てせんと

欲してなり      (大無量寿経

 

私〈釈迦〉がこの世に生まれ出た目的は、仏教を説き開き、

一切の人々を阿弥陀仏の真実の救いに導くためであった

 

この『大無量寿経』は、釈迦の説かれた7000余巻の

お経の中で、唯一真実の経典だと親鸞聖人は断言されています。

 (他の経典は方便ということ。つまり、真実に導くために

説く必要があったということ。

やればできると自惚れ強い我々に実際にやらせてみて、

自力無功を知らせるために、

善をやらせてみて、一つの善もできない罪悪深重の者と知らせるために、

7000余巻の教えが必要であった。by minsuke)


それ真実の教を顕わさば、すなわち『大無量寿経』これなり

                   (教行信証教巻)

阿弥陀仏とは、お釈迦さまが私たちに紹介された仏さまです。

大宇宙の諸仏方の師の仏が、阿弥陀仏です。

最高無上の仏さまですから、本師本仏とか無上仏とも

仰がれています。

その阿弥陀仏は、今にも命の蔓(つる)が切れ、

深海へ堕ちるしかない私たちを、

「必ず絶対の幸福に助ける」

と約束されています。

そのお約束を阿弥陀仏の本願といわれます。

人間の約束は不履行も少なくありませんが、

仏の約束は絶対です。

どんな人も、必ず救われるのです。

 

●絶対の幸福とは

 

私たちの求める幸福は、ハチミツのように、

なめている時は楽しいのですが、時間がたてば

色あせたり消えてしまう。

また、次第に甘さを感じなくなり、もっともっと、

と強烈な甘さを求めてのめり込んでしまいます。

心から満足できない楽しみなのです。

たとえ20~30年と求め続けても、最後死ぬ時には、

何の力にもなってくれません。

それを予感するからこそ、人生は常に不安と不足で一杯です。

 

一方絶対の幸福は、決して色あせたり壊れることがない、

何があっても、なくても喜べる幸福です。

この絶対の幸福は私たちの求めている幸せの

延長線上にあるのではありません。

生死の大問題を解決して初めて、本当の安らぎと満足の、

絶対の幸福になれるのです。

そしてやがてこの世の縁尽きれば、必ず極楽浄土へ

生まれられる、生きてよし死んでよしの身ですから、

何ものにも恐れるものはありません。

そんな幸せに、必ずしてみせると誓われているのが、

本師本仏の阿弥陀仏です。

 

室町時代に親鸞聖人の教えを日本中に広められた蓮如上人は、

こう言われています。

 

人間はただ夢・幻の間のことなり、後生こそまことに

永生の楽果なり。(中略)

人間は五十年・百年のうちの楽なり、後生こそ一大事なり

               (御文章1帖目10通)

 

人の一生は、50年から100年の夢や幻、

この世から永遠に変わらぬ幸せこそ、

求めるべき真実であり、必ず極楽浄土へ往く身に

なることが大事なのだと勧められています。

 

●みな人よ 信心決定あれかし

 

だから蓮如上人は、ご遺言に、

 

あわれあわれ、存命の中(うち)に皆々信心決定あれかしと

朝夕思いはんべり、まことに宿善(しゅくぜん)まかせ

とはいいながら、述懐のこころ暫くも止むことなし

                 (御文章4帖目15通)

 

あぁ、すべての人よ。命のあるうちに

信心決定(後生の一大事の解決)してもらいたい。

そのこと一つを終日、思い続けている〟と、

仰っています。

そして、仏法を聞いて後生の一大事解決できるか否かは

「まことに宿善まかせ」

と言われます。病気になれば「医者まかせ」、

車に乗れば「運転手まかせ」と言われるように、

「まかせ」とは一番大事なものにつける言葉です。

宿善とは、過去にやってきた善のこと。

最も大事なのは聞法善です。

仏法を真面目に真剣に聞いてきた人、そうでもない人、

善いことをたくさん行ってきた人、少ない人、

各人各様、皆違いますから宿善には厚い薄いの違いがあります。

宿善の厚い人と、薄い人はちょうど、枯れ松葉と青松葉の

ようなものだといわれます。

枯れ松葉はマッチ1本ですぐ火がつきますが、

青松葉に火をつけようとしても、プスプスと水をはじいて、

なかなか火はつきにくい。

聞法して早く救われる人は、阿弥陀仏のお慈悲の火が

すぐつく枯れ松葉のような人。

仏法を聞いても、同じことをどれだけ聞けばよいのかと

ブスブス文句ばかりの人は、青松葉のような人です。

しかし、どんな人も「聞く一つ」で、

阿弥陀仏の本願に救われるのですから、聞法が最も大事。

真剣な聞法に身を沈め、1日も早く一大事を解決して、

往生極楽の身になってもらいたい、

と蓮如上人は念じ続けられているのです。

仏法は聴聞に極まる

阿弥陀仏の本願を聞く一つで、後生の一大事が解決されれば、

孤独で寂しい人生も底抜けに楽しい人生に生まれ変わります。

「生きるって、こんなに素晴らしいことだったのか」

と、人生の醍醐味を満喫できるのです。

弥陀の本願に疑い晴れるまで、真剣に聞かせていただきましょう。


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善知識は何を教えられる方か

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)       

        善知識は何を教えられる方か

 

如来大悲の恩徳は

身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし

       (『恩徳讃』親鸞聖人

阿弥陀如来の洪恩は、

身を粉にしても報ぜずにはおれませぬ。

その弥陀の救いを伝えてくだされた師恩も

骨砕きても相済みませぬ

 

阿弥陀如来と善知識への感謝、讃嘆があふれ出る親鸞聖人の

「恩徳讃」。

一字一字に込められた御心は、時を超えて私たちの胸に

感動を与えます。

それは、聖人から届けられた、

何よりも大切なメッセージだからです。

「恩徳讃」に、「師主知識の恩徳」との言葉があります。

私たちも「師主知識」から骨を砕いても返せない

大恩を受けているのですが、「師主知識」とは、

どのような方なのか、私たちは、どんなご恩を受けているのか、

前回に続いてお話ししたいと思います。

 

●大恩ある「師主知識」とは、どのような方なのか

 

「師主知識」の「知識」とは、「仏教を伝える先生」のことです。

師主知識」を「善知識」「真の知識」ともいいます。

「善」は「悪」に対する言葉、「真」は「偽」に対して

使われる言葉ですから、「知識(仏教の先生)」にも、

善・悪、真・偽があるとお分かりになると思います。

無論、悪知識、偽の知識から話を聞いていても

幸せになれません。

善知識、真の知識から聞かせていただいてこそ、

歓喜無量の幸せになることが知らされるのです。

では、師主知識(善知識)とは、

どのようなことを教えられる方なのでしょうか。

親鸞聖人の教えを正確に、最も多くの人に伝えられた

室町時代の蓮如上人は、明確にこう教えられています。

 

善知識の能をいうは「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」

と人を勧むべきばかりなり   (御文章2帖目11通)

 

「一心一向に弥陀に帰命せよ」。

ひたすら、こう教え勧められる方が師主知識(善知識)である、

との教導です。

非常に簡潔な言葉ですが、この中に仏教の全てが

収まっていますので、どういうことなのか、

お話しいたしましょう。

まず、「一心」も「一向」も、「これ一つ」という

強い言葉です。

こう聞きますと、「偏るのはよくないのでは」

「みんな違って、みんないい」「多様性の時代には

合わないんじゃないの」という疑問が

わき上がってくるかもしれません。

では、「これ一つ」となるのは

本当によくないことなのでしょうか。

蓮如上人は、『御文章』に、こう記されています。

「一心一向というは、阿弥陀仏と他の仏を並べて

フラフラしないことである。

世間でも主人というのは一人ではないか。

『外典』でも、『忠義な家臣は2人の主君に仕えない。

貞淑な女性は2人の主人を持たない』と言われている」

 

一心一向というは、阿弥陀仏に於て、

二仏をならべざる意(こころ)なり。

この故に、人間に於ても、まず主をば一人ならでは

たのまぬ道理なり。されば外典の語(ことば)に云わく、

「忠臣は二君につかえず、貞女は二夫をならべず」といえり

               (御文章2帖目9通)

 

この中に出てくる「忠臣は二君につかえず、

貞女は二夫をならべず」という言葉は、

中国の『史記』という歴史書にあります。

仏教以外の書ですから、外典と言われているのですが、

その『史記』に、次のような有名な話があります。

 

      ◇    ◇    ◇

 

昔、中国に斉(せい)という国があった。

その王様は、おごりに長じて酒色にふけり、

大事な政治を怠っている。

国を憂いた王蠋(おうしょく)という大臣が、

たびたび諫めるが、耳を傾けようとはしなかった。

王蠋は、身の不徳を嘆き、一切の職を辞し、

画邑(がゆう)という所へ隠居した。

斉の国は、王蠋によって保たれ、

どの国も手が出せなかったのだが、

王蠋なき今は恐るるに足らず。

今こそチャンスと、隣国の燕王(えんおう)が、

楽毅(がっき)という男を総大将として斉を攻めた。

斉国は、たちまち敗れ去る。

その時、燕の大将・楽毅は、かねてから賢徳と手腕を

高く評価していたので、燕の高官に迎えたいと

幾度も礼を厚くして勧誘した。

だが、王蠋は頑として応じない。

それでも楽毅は、幾度となく使者を送った。

そこで王蠋、一つの言葉をしたため楽毅の使者に渡し、

庭先の松にかけた縄で首をつってしまったのである。

遺された書には、こう記されてあった。

「忠臣は二君につかえず、貞女は二夫をならべず」

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      ◇    ◇    ◇

 

主君は一人と貫いた王蠋は、『史記』に記され、

今日でも称賛されています。

また、貞淑な女性は浮気はしないもの。

「あの人も私の夫、この人も私のもの、たくさんの男に

頼っていれば、困った時に誰かが助けてくれるだろう」

と不貞を働けば軽蔑されるだけでしょう。

「主君は一人」と忠義を貫いた「赤穂浪士(あこうろうし)」

の話にアメリカの大統領も感動したといわれます。

国を超えて、忠節はたたえられ、裏切り者は罵られるのです。

 

蓮如上人は、この『史記』の例を出されて、

この世の主従でさえ、忠臣は二君に仕えずと、

心の潔白を表している。

ましていわんや、未来永劫の浮沈を決する大事に

弥陀一仏と心定まらずしてどうするか

と諭されているのです。

では、「一心一向になれ」といわれる「弥陀」とは、

どのようなお方なのでしょうか。

 

●私を救い切ってくだされる唯一の仏さま

 

親鸞聖人はよく、「弥陀」「弥陀」と言われるのは、

「阿弥陀仏」という仏さまのことです。

「阿弥陀仏」は、「阿弥陀」というお名前の仏さまですが、

そもそも「仏」とは、どのような方なのか。

「仏」という言葉は子供でも知っていますが、

正しい意味を知る人はまれです。

世間では死んだ人のことを仏といわれています。

例えば、ある火葬場で、90歳の女性と70歳の男性の遺骨を

取り違えて遺族に渡した。

それを報道したアナウンサーが、

「これでは仏も浮かばれませんね」と言っていた。

また葬式に行きますと、「ここのおじいさんも、

とうとう仏になってしもうたか」とか、

「こんなキレイな死に顔の仏さま、見たことないわ」

とか聞こえてくる。

しかし、もし仏=死人のことだとしますと、

仏教は死んだ人が説いた教えになってしまいます。

死人に口無し。死んだ人が教えを説けるはずがありませんので、

死人を仏というのは大変な間違いでありことが分かります。

では、仏さまとはどんな方かというと、

最高のさとりを開かれた方をいうのです。

一口にさとりといっても、低いさとりから高いさとりまで、

52の位があり、これをさとりの52位といわれます。

ちょうど、相撲取りでも、下はフンドシ担ぎから

上は大関、横綱までいろいろありますように、

さとりにも、ピンからキリまで全部で52の位があり、

それぞれ名前がついております。

その52のさとりの、最高の位を仏覚というのです。

これ以上のさとりがありませんから、

無上覚ともいわれます。

この最高無上の、仏というさとりを開かれた方を

「仏」とか「仏さま」と言われるのです。

そして、この仏のさとりを目指している人を、

「菩薩」といいます。

51段までは皆、菩薩です。

 

では、さとりといっても、何をさとるのかというと、

大宇宙の真理です。

真理にも、数学的真理、科学的真理などありますが、

ここでいわれるのは、すべての人が本当の幸福になれる

真理のことです。

この仏覚を開かれた方だけを仏といわれるのであって、

死んだ人を仏というのは、大間違いです。

この地球上で仏のさとりを開かれた方はお釈迦さまだけですから、

「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」

といわれます。そのお釈迦さまが、

「私の尊い先生を紹介しに来たのだよ」

と、私たちに教えてくだされたのが、

阿弥陀如来といわれる仏さまです。

弥陀如来と釈迦如来との関係について、

蓮如上人は『御文章』に次のように仰っています。

 

阿弥陀如来は三世諸仏の為には本師・師匠なれば、

その師匠の仏をたのまんにはいかでか弟子の諸仏のこれを

喜びたまわざるべきや   (御文章2帖目9通)

 

お釈迦さまは、地球上ではただ一人の仏さまですが、

大宇宙には地球のようなものが数え切れないほどあり、

無数の仏さまがましますと説かれています。

それらの仏を三世諸仏とか十方諸仏といわれているのです。

大日如来とか薬師如来、奈良の大仏のビルシャナ如来などが

よく知られていますが、それらの仏も皆、十方諸仏の一人です。

「本師・師匠」とは「先生」のことですから、

阿弥陀仏は、この大宇宙の仏方の師であり、

大宇宙の仏方は皆、阿弥陀仏のお弟子ということです。

地球のお釈迦さまも、十方諸仏の一人ですから、

弥陀如来と釈迦如来の関係は、師匠と弟子、

ということになります。

お釈迦さまだけでなく、大宇宙のすべての仏方は、

弥陀如来のことを

「偉大な仏さまだ、尊い仏さまだ、われらの先生だ」

と褒めたたえて、手を合わせ拝まれるのです。

親鸞聖人も晩年には、弥陀如来のことを無上仏と言われています。

無上仏と仰がずにおられなかったのでしょう。

 

では、阿弥陀仏は、なぜ「先生」と尊ばれるのか。

それは、阿弥陀仏にしかできないことがあるからです。

それは、私たちにとって一番大事な「生死の一大事」の解決です。

この生死の一大事とは、いかなる大事なのでしょうか。

 

●噴火山上の舞踏会

 

人生には思わぬ問題が噴出します。

ニュースを見ても、集中豪雨や竜巻、地震や噴火など、

突然の災害が各地で起きています。

NHKによりますと熊本にある阿蘇山では、

過去4回も大規模な噴火があったそうです。

放出したマグマは、富士山宝永噴火の千回分に

当たるといいます。

火砕流は九州のほぼ全域を襲い、一部は海を越え、

山口県にまで到達したことが分かっています。

火山灰は日本全土を覆い尽くし、なんと、

北海道でも10センチ以上に達したといわれますから驚きです。

本格的な大噴火が起こると、

周囲100~200キロメートルの範囲は火砕流で覆われます。

火砕流の速度は時速100キロメートルを超えるため、

その地域は数時間以内に数100度以上の高温の火砕流に襲われ、

壊滅状態となるのは避けられません。

しかも、この噴火は、いつ起こってもおかしくないと

専門家は指摘します。

もし、次の瞬間、噴火する山で遊んでいたら、

どうでしょう?

「今さえよければいい」「好きでやっているのだから満足だ」

などの言葉も、噴火と同時に吹き飛ばされてしまうでしょう。

ところが、これは、ある特定の場所だけの問題ではありません。

人生は噴火山上で舞踏会をしているようなものだ

と言った人がある。

実際に山が噴火しなくても、病気や事故、予想外の事件など、

一人一人に、必ず「死」という大噴火が起きるからです。

私たちが、日常、大切にしているものは、

全て「生」を土台としています。

家族も、会社も、お金も、財産も、皆、「命あっての物種」。

生きていることが大前提の幸福ばかりですが、

どう頑張っても150年も生きられる人はない。

それどころか、いつ死ぬかは全く不明。

早ければ今晩、いや、一息先さえ当てにならないのが

「命」というものです。

この「死」の問題を前に、どんな明かりがあるでしょうか?

何か準備ができているのでしょうか?

生の一息先が真っ暗がりですから、

これを生死の一大事というのです。

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この「生死の一大事」は、自分の力では

どうすることもできません。

諸仏も菩薩も諸神も、解決できない問題です。

解決できる力を持っておられる方は、大宇宙にただ一仏、

阿弥陀仏しかましまさないから、十方の諸仏方も、諸菩薩も、

諸神も、阿弥陀仏を本師師匠と仰ぎ、

ただ「阿弥陀仏一仏に向かいなさい」と、

私たちに教え勧められるのです。

 

一向専念無量寿仏(釈尊)

阿弥陀仏一仏に向け、阿弥陀仏だけを信じよ

 

これが、仏教の結論です。

生死の一大事には、諸仏や菩薩の力も及ばないし、

自分の力も間に合わないから、弥陀に一向専念し、

助けてもらいなさいと聖人は教え続けていかれました。

それで、世間では、親鸞聖人の教えを「一向宗」とまで

いうようになったのです。

 

●弥陀をタノメ

 

「一心一向に弥陀に帰命せよ」ということを、

蓮如上人は『御文章』の至るところに、

「弥陀をタノメ」とか「弥陀をタノム」と仰っています。

ところがそう聞くと、

「やはり私たちは、阿弥陀仏に『助けてください』と

お願いしなければならないのでしょうか」

と尋ねる人がありますので、最後に「弥陀をタノム」と

いうことについて、お話をしましょう。

これは大変重要な、しかも誤解されている言葉です。

ほとんどの人は、頭を下げて他人にお金を借りる時のように、

「阿弥陀さま、どうか助けてください」と、

お願いすることだと思っています。

『領解文』に、

「『われらが今度の一大事の後生御たすけ候え』

とたのみ申して候」

とあるのを読めば、現代人なら、必ず、

そのように理解し解釈するでしょう。

しかし、蓮如上人の教えられる「弥陀をタノメ」は、

全く意味が異なります。

古来、「タノム」という言葉に、

「お願いする」という祈願請求の意味は全くなかったのです。

今日のような意味で、当時この言葉を使っている書物は

見当たりません。

それが、「お願いする」という意味に使われるようになったのは、

後世のことなのです。

「タノム」の本来の意味は、「あてにする、たのみにする、

力にする」ということです。

一例を『御文章』の一節で挙げましょう。

 

まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、

わが身には一つも相添うことあるべからず。

されば死出の山路のすえ・三途の大河をば、

唯一人こそ行きなんずれ

              (御文章1帖目11通)

 

ここで「かねてから妻子や財宝を、あて力にしていた」ことを

「かねて、たのみおきつる」と言われています。

蓮如上人「タノム」の意味は、あてにする、たのみにする、

力にする、という意味なのです。

もし、蓮如上人が「阿弥陀仏にお願いせよ」と仰ったのなら、

「弥陀にタノメ」と書かれたはず。

とこが、そのような『御文章』は一通もありません。

常に「弥陀をタノメ」とか「弥陀をタノム」と、

「弥陀を」と仰って、「弥陀に」とは言われていません。

これらでも明らかなように、

「弥陀をタノメ」「弥陀をタノム」は、

祈願請求も意味ではないのです。

「阿弥陀仏に帰命した」とは、阿弥陀仏が「あてたより」

になったことです。

弥陀をたのむ一念に、生死の一大事が解決できて、

往生一定の身になるのです。

 

この如来(阿弥陀如来)を一筋にたのみたてまつらずば、

末代の凡夫、極楽に往生する道、

二つも三つもあるべからざるものなり

              (御文章2帖目8通)

 

だからこそ善知識は、

「一心一向に弥陀に帰命せよ」。

このこと一つを教示されるのです。

「私の生死の一大事、助けたもう方は

阿弥陀仏しかましまさなかった」と、

一切の自力が廃って一心一向に弥陀に帰命するまで、

師主知識(善知識)から真実の仏教を

真剣に聞かせていただきましょう。

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