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明白な地獄の実在 [後生の一大事]

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(真実の仏教を説かれている先生の書かれた「とどろき」より載せています。)


「仏教なんて聞かなくていい」とウソぶき、
眼前に迫る後生の一大事に耳を傾けない人が多い。
「死んだ後なんかない」
「人間死んだらそれまで」
といった安易な死生観に基づくのだろう。

しかし、思うと思わざるとにかかわらず、
必堕無間の一大事は厳然として、
我々の未来に待ち受けている。


「未来に地獄や極楽が、あるのないのと言うのは、
昔ならいざ知らず、今日ではオトギ噺(ばなし)ではないか。
そんなことどうして信じられるのか」

と冷やかし、仏法に謗難の唇をめぐらす者がいる始末である。


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このような発言を聞くと、
ウナギが生け簀の中で、
こんな話をしている情景を思い起こさせる。
「なぜ今日は、有象無象が沢山集まっているのだろう。」
「今日は、丑の日といって、
我々が人間どもの滋養分になって、
食われる日だそうな」
「本当に、そんな勝手なことをする、
人間という者がいるのか。信じられんなぁ」
「そんなこと言ったって、我々は、人間に食べられる
運命になっているのだそうな」
「誰も戻ってきて、そんなこと言った者はいないが本当か」
「そら、また、捕らえられて連れていかれたではないか」
「散歩にでもいったのではないか。そのうちに帰ってくるさ」
「引き揚げられると、頭に錐(きり)を立てられ、
背中を断ち割られるときの苦しみは、息もできないそうだ。
三つに切られて串に刺され、七転八倒の火あぶり。
恨み呪うているけれど、言葉が通じない。
料理している者も鬼なら、食べている者も鬼。
我々を八つ裂きにして食うそうな。
どうして帰ることができようか」




人間の会話も、同じことである。
「死んだら地獄へ堕ちて、鬼に責めたてられるのだ」
と聞くと、
「そんなバカなことがあるものか。
鬼でも蛇でもつれてこい。オレがひねりつぶしてやる。
地獄とか、鬼とか、誰か見てきた者がいるのかい。
地獄から戻ってきた者もいないではないか。
身体は焼けば灰になり、魂も同時に消えてしまうだけだ。
バカげたことにクヨクヨせず、
飲んで騒いで楽しんだらそれでよいのだ」
と、冗談言っている者やら、

「死んだら死んだときさ。
極楽には滅多に往く者がいないそうだから、
道中には草が生えている。
地獄には、道連れが多いから、
踏みにじられて草が生えていないそうだから、
草のたくさん生えている方に歩いたら極楽へ往けるそうな」
と茶化す。

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「地獄へいっても、私一人が苦しむのではない。
たくさんの人と一緒に苦しむのだから、
賑やかで楽しいではないか」
とゴマ化す者もいる。

船が沈没したとき、私一人ではない、
何百人も一緒だから苦しくないと、
言っていられようか。
水害で流される人、火災で焼け出される人、
大事な主人を失う人、独り子を亡くした人、
破産した人、行方不明になった人・・・。
世の中には、種々の苦難があるが、
そんな災難は、世間一般にあるのだから、
遭っても何とも思わない、
と言えるはずがない。
苦しむのは自分である。

こんなことを言っている人でも、
一緒に暮らしていた家族が突然息の根が止まって、
次の世界に運ばれると、
「待てよ。あの人は一体どこへ行ったのだろう。
また会う世界はないのだろうか。
人間は、どこから生まれてきて、死んでどこへゆくのか」
と、人生の根本的疑問はわいてくるのだ。



迷走する全人類

来た道も分からなければ、行く先も知らない。
アーで生まれて、ウンで死ぬ。
ヒョロリ生まれて、キュウと死ぬ。
その間、ただ、便所と台所の往復で、
勝った、負けた、取った、盗られた、増えた、
減った、得した、損した、と眼の色変えて、
息が詰まるまで走り続けるだけだ。

多くの人間が、押し合い、揉み合い、憎み合い、
名利栄達を得るために先陣争いをしているが、
何を達成するために走り続けているのだろう。
他人が走っているし、自分もジッとしておれないから走る、
といった調子ではないか。
目先の欲には馬車馬のように走っても、
確実な未来にはドタ牛のように動こうとしないのが
人間の実相である。


ではなぜ、私たちは死後を認めようとはしないのか。
その理由として、地獄絵図に対する誤解があろう。
地獄と聞けば、誰しも、青鬼、赤鬼、黒鬼が、
罪人をまないたの上で切り刻み、
また大釜に入れてゆでたりする
世界を想像し、
「そんなおとぎ噺のような世界があるはずがない」
と否定するのだ。
そのようなおどろおどろした地獄の説明を、
そのまま事実と思って誹謗するのは、
仏法の説き方への誤解であり、無知である。

誤解されている死後の世界
  地獄の釜を造った鍛冶屋は誰か

仏教の地獄とは、自分の心が生み出す世界で、
決して地下何万キロメートルにあるような
荒唐無稽なものではない。

ある門徒が、布教使に率直な疑問をぶつけたとき、
鮮やかな回答が与えられた。

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門徒「仏教では地獄があると言うが、
そんなものがあるとは、到底思えない」
布教使「あなたがあると思おうが、ないと思おうが、
地獄はある」
「それなら、鬼がいて、
罪人を釜ゆでにする
などということがあると言うのか」
「そうだ」
「それなら、地獄の釜を造った鍛冶屋は誰だ。
住所・氏名を知っているか」
「もちろん、鍛冶屋はおり、
住所も氏名も知っている」
「ならば、私に納得できるように話してもらいたい」
「鍛冶屋の住所・氏名はいつでも教えるが、
その前に一つ聞きたい。
あなたは恐ろしいものに追いかけられた夢を
見たことがあるか」
「それはある」
「その時、どの足で逃げるのか」
「それはこの二本足だろう」
「本当にその足で逃げているのだろうか。
夢見ている最中には布団の中で伸ばしているのではないか」
「そう言われれば、そうだ。
厳密に言えば、この足ではなく、
夢の中の私の足で逃げている」
「そうであろう。夢の中では夢の足で逃げ、
夢の中の手を振って逃げているので、
夢見ているときには布団に横たわっている体と、
自分の体が同時に二つある。
それが分かるだろうか」
「それは納得できる」
「それが分かれば、理解できると思うが、
仏教で説く地獄とは、
自らの悪業、罪悪が生み出す夢のような世界なのだ」
「何だ、地獄とは夢か」

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「『夢か』、という言葉には、幻、実態のないもの、
という響きがあるが、

夢が『夢だった』と分かるのは、
夢の覚めたときであり、
夢見ているときは絶対に、
それが夢とは分からない。

だから必死に逃げ回り、
覚めたときには汗びっしょりになっている。
夢の中では、みな実在なのだ。
忽然として山が崩れ、下敷きになる。
濁流におぼれて死にそうになる。
情景は千変万化するが、
夢の中では実在なのだ。

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地獄とは、自分の心が生み出した恐ろしい夢、
想像を絶する苦しい夢が八万劫中、
覚めることなく続く世界なのだ。
(八万劫とは、4億3千2百万年の八万倍の長年月)

しかし、地獄だけが夢ではない。
人間界もまた夢の世界だが、
今の我々は、
これが夢だとは毛頭思っていない。
それは夢の中にいるから夢だとは思えないだけだ。
人生もまた夢であることは
臨終になってみれば分かる。
人生はまだ苦しみの少ない夢だが、
地獄とは、大苦悩の夢の世界なのだ」



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「夢は分かったが、鍛冶屋の住所・氏名はどうなった」
「地獄の釜を造った鍛冶屋は自分自身だ。
自分の住所・氏名は誰でも知っている」
「どうして自分が鍛冶屋なのだ」
「昔から、『火の車造る大工はなけれども、
おのが造りて おのが乗り行く』と言われる。
火の車とは、苦しい状態を言うが、
これは自分の悪業が生み出したもの。
地獄も、各人の心が生み出し、
そこに各自が堕ちて苦しむのだから、
地獄の釜は、自分自身が造るのだ。

カイコが、白いまゆを作ってすんでいると、
養蚕業の人により、煮えたぎった湯の中に放り込まれる。
まゆの中のカイコは熱いから逃げようとするが、
まゆの壁に閉じ込められ、脱出できない。
そのまゆはかつて、自分の作り出したものなのだ。
カイコと同じく、我々は、自らの悪業で地獄を造り、
そこへ堕ちて苦しむのである」


このような説明を聞いた門徒はようやく納得したと言う。

明白に知らされる後生

世の中は、過去の原因によって、
現在の結果が現われ、
現在の原因が、未来の結果を生む。

過去といえば遠い昔のように思うが、
生まれる前も、去年も、昨日も、吐いた息までも過去であり、
未来といえば遠い先のようでも、
死んだ後も、来月も、明日も、入る息も未来なのだ。
一息一息が、過去や未来とふれ合っている。

未来が現在の延長だから
この世が極楽のようにならねば、
死後救われるはずがないのだ。

「人間死んだらそれまでよ。
死んだら何もなくなって楽になれる」
とは狂人の寝言でしかない。


聞即信の一念で、阿弥陀仏に救われたとき、
三世因果も後生未来の存在も
明らかに知らされる。
そこまでは、仏法を真剣に聴聞し
進んでいかなければならない。

親鸞聖人のご在世のときに、
関東で聖人から教え導かれていた人たちが、
京に帰られた聖人に、
田畑を投げ打って旅費を作り、
片道一月もかけ、
命がけで十余ヶ国の境を越えてまで
聖人に会いに行ったのは、
この恐ろしき後生の一大事の解決一つが
あったからなのだ。


 


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破天荒の肉食妻帯・三大諍論 [親鸞聖人]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

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僧侶も、在家の人も、

 男も、女も、ありのままで、

 等しく救いたもうのが

 阿弥陀如来の本願

       (親鸞聖人)

 

親鸞聖人は、ご両親の無常を縁に、9歳で仏門に入られ、

20年比叡山で仏道に励まれました。

しかし、暗い魂の解決ができず、やがて京都の吉水で

布教されていた法然上人のご教導によって、

29歳の御時、阿弥陀仏の本願に救い摂られました。

阿弥陀仏の誓われたとおり、絶対の幸福になられた喜びと、

そのご恩を報ずる思いは、90歳でお亡くなりになるまで、

聖人の一挙手一投足にあふれています。

それは、有名な「恩徳讃」にも記されています。

 

如来大悲の恩徳は

身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし

      (恩徳讃)

絶対の幸福に救ってくだされた阿弥陀如来の大恩と、

その弥陀の本願を伝えてくだされた知識〈仏教の先生〉の

ご恩は、身を粉に骨を砕いても返し切れない

 

それからの聖人は、阿弥陀仏の本当の御心をお伝えするために、

仏教界の常識をぶち破られる肉食妻帯や、

仏法上の争い(三大諍論)をなされました。

31歳でなされた肉食妻帯は、世間に衝撃を与えました。

当時の仏教界は、山の中で修行をしてさとりをえようとする

自力聖道の仏教で、欲や怒り・愚痴などの煩悩を抑え、

戒律を守らねば救われない教えでした。

煩悩のままに肉を食べ、妻をめとるのは、

仏道の戒律に反する殺生・女犯(にょぼん)の罪。

その戒律を公然と僧侶が破ったのですから、

聖人の肉食妻帯の断行に、嵐の如き罵声非難が

起きるのは当然だったのです。

案の定、聖人には、「肉食妻帯の破戒僧」「堕落坊主」

「色坊主」「悪魔」「狂人」と激しい悪口雑言が

浴びせられました。

暴言を吐かずとも、戸惑い反感を抱いた人が

ほとんどだったでしょう。

なぜそんな嵐を、親鸞聖人はわざわざ巻き起こされたのか。

もし山の上で厳しい修行をせねば助からないなら、

入山を禁じられていた女性をはじめ、ほとんどの人は

助からないことになるからです。

比叡山で大曼の難行までやり遂げられた親鸞聖人でさえ、

身は慎んでも、心はどうにもならないと告白されています。

 

自力聖道の菩提心

こころもことばもおよばれず

常没流転の凡愚は

いかでか発起せしむべき

       (正像末和讃)

 

●真実の仏法を弘宣

 

比叡山での天台・法華教の修行に絶望なされた聖人は、

泣く泣く下山。京都の町をさまよっておられた時、

比叡山での昔の法友・聖覚法印に出会い、

法然上人の元へ導かれました。

そして法然上人のご教導によって、

弥陀の本願に救い摂られたのです。

大宇宙の諸仏の本師本仏である阿弥陀仏は、

「煩悩具足の者を必ず極楽往生させる」

と約束なさっています。

厳しい仏道修行ができる者しか救われぬという

当時の仏教に対し、男も女も、智者も愚者も、

貴賤・貧富・老少・善悪を問わず、煩悩具足のままで、

みな平等に救いたもう阿弥陀仏の本願こそが

真実の仏教なのだと、強烈に大衆へアピールされたのが

肉食妻帯でありました。

また、34歳の御時には、同じ法然上人門下のお友達と

仏法上のけんかをなされて、法友の弥陀の本願の聞き誤りを

正されています。

このように仏法を決して曲げられない聖人の潔癖さは、

やがて法友から煙たがられ、憎まれるまでになりました。

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私たちが今日、阿弥陀仏の本願を

正しく聞かせていただけるのは、

かかる聖人の不惜身命のご布教によるのです。

大切に聞かせていただきましょう。

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親鸞聖人の教えの一枚看板「平成業成」とは!? [親鸞聖人]

 (真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

     親鸞聖人と

          同じ幸せに救われ

                 人生が躍動する

 

約800年前(平安末期~鎌倉時代)、親鸞聖人は

仏教を説かれたお釈迦さまの真意を明らかにするために、

当時の仏教界の常識を次々と覆され、

波乱万丈の活躍をされました。

 

なぜ親鸞聖人は今日、多くの人から

世界の光」と称賛されているのでしょう。

聖人の教えを一言で表した「平生業成」という

お言葉について、今回は特集いたします。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

親鸞聖人の教えの〝一枚看板〟

 

「平生業成」とは、親鸞聖人の教えから出た言葉ですから、

聖人がお生まれになる以前には、無かった言葉です。

「平生業成」の4文字は、親鸞聖人の教えの〝一枚看板〟と

いわれます。

一枚看板とはどんなことでしょうか。

 

東京の下町に、〝世界初の痛くない注射針〟を製造する

従業員6人の町工場があります。

その工場は、蚊の口吻(こうふん)とほぼ同じ

外径0.2ミリメートル、内径0.08ミリメートルの針を

作る高い技術を持っています。

そんな針は、世界中探してもそこでしか作れません。

だから日本のみならず、海外の大企業からも仕事の依頼が来る。

社員一人あたりの利益は、一般的な会社の100倍以上だそうです。

〝世界初の痛くない注射針〟は、この工場だけの

看板商品ですから、まさに一枚看板です。

 

「平生業成」は、世界に宗教多しといえども、

親鸞聖人からしかお聞きできない、他の宗教では

決して教えていないことですから、

親鸞聖人の教えの「一枚看板」といわれるのです。

 

●人生の大事業

 

「平生」とは、死んだ後ではない、

生きている現在ということです。

次に「業」とは、大事業の「業」。

仏教では「ごう」と読みます。

大事業というと最近なら、3月に開業した北陸新幹線。

北陸人の夢を乗せ、総工費2兆円を投じる

50年越しの大事業といわれました。

(2015年5月のとどろきです)

しかし「平生業成」の「業」は、

世間でいわれる大事業のことではありません。

1962年、イギリスでデビューしたビートルズは、

全世界で大ヒット。

20世紀の音楽界で最も偉業を成したといわれます。

しかしメンバーの一人、ジョン・レノンの言葉に驚かされます。

「ビートルズは、欲しいだけの金を儲け、

好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った」

ヨーロッパを席巻した、フランスの英雄ナポレオンは、

皇帝にまで昇り詰めましたが、こんな言葉を残しています。

「人生は取るに足りない夢だ。いつかは消え去ってしまう・・・」

「余の書物に不可能はない」と言ったほどの隆盛も、

ロシア遠征に失敗し、最後は幽閉された絶海の孤島

セント・ヘレナで「ジョセフィーヌ・・・」と

かつての妻の名を呼び、寂しく息を引き取っています。

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私たちの求める金や財産、地位や栄光、結婚、一家和楽などの

幸福は、どれだけ築き上げても、本当の喜びはありません。

一生涯それらに囲まれて続けても、心からの安心・満足は

得られず、最後は全てと別れ、独りぼっちでこの世を

去らねばならないと仏教では教えられています。

 

宗教学の権威であった東京大学の岸本英夫(故人)も、

ガンにかかってから10年間の闘病記にこう記しています。

 

本当の幸福とは、いったい、何でありましょうか。(中略)

たとえば、富とか、地位とか、名誉とかいう社会的条件は、

たしかに、幸福をつくり出している要素であります。

また、肉体の健康とか、知恵とか、本能とか、

容貌の美しさというような個人的条件も、

幸福をつくり出している要素であります。

(中略)だからこそ、みんなは、富や美貌に

あこがれるのでありまして、それは、

もっともなことであります。

しかし、もし、そうした外側の要素だけに、

たよりきった心持ちでいると、その幸福は、

やぶれやすいのであります。

そうした幸福を、自分の死と事実の前にたたせてみますと、

それが、はっきり、出てまいります。

今まで、輝かしくみえたものが、急に光を失って、

色あせたものになってしまいます。(死を見つめる心)

 

人も羨む天下人や地位・名誉を得る才能を有した人たちも、

「人間に生まれてよかった」

という歓喜はなかったようです。

 

作家・夏目漱石は、

「私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、

といって何をして好(よ)いか少しも見当が付かない」

と述懐しました。

では、親鸞聖人が仰る人生の大事業とはどんなことでしょうか。

それは、壊れたり、色あせたりする仮そめの幸福ではなく、

絶対不変の、真実の幸福になることです。

 

●阿弥陀仏の救い

     絶対の幸福

 

お金や物に恵まれていても、いなくても心はむなしく、

寂しい。そんな人を仏教では貧窮(びんぐう)といわれます。

幸せになれると思って他人と争ってまで手に入れた、

金や財、地位・名誉、恋人も、やがては煩いや苦しみの

タネに変わってしまう。

「何のために生きているのだろうか」

今昔変わらず、老若男女、皆嘆いています。

無くて苦しみ、有ってもなお迷い苦しむ、

そんな本質的に貧窮である私たちを、何とかして真実の幸せ、

絶対の幸福にしてやりたいと立ち上がられたのが、

阿弥陀仏という仏さまなのです。

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絶対の幸福とは、仏教の言葉では「正定聚(しょうじょうじゅ)」

といいます。

「正定聚」とは、必ず、仏に成れる人のことです。

親鸞聖人は「正定聚」という重要な仏語に、

「ワウシャウスヘキミトサタマルナリ」

(往生すべき身と定まるなり)と

左訓(さくん)をつけられています。

(左訓・・・言葉の左側に記された注釈)

仏教の究極の目的は、阿弥陀仏の極楽浄土へ往って

仏に成ることですが、そう聞くと、

仏教は死んでからの教えかと思われましょう。

しかし、親鸞聖人は、弥陀の浄土へ往生できるか否かは、

現在ただ今、ハッキリすると仰せです。

この世で弥陀の鮮烈な救いがあるのだと断言されているのです。

 

信心の定まると申すは摂取の与(あずか)る時にて候なり。

その後は正定聚の位にて、まことの浄土へ

生(うま)るるまでは候べし

              (末灯鈔13通)

 

〝信心が定まる〟とは、摂取不捨の幸福(絶対の幸福)を

獲得したときである。

それからは、必ず、浄土へ往ける正定聚といわれる

身になるのである。

 

阿弥陀仏に救われたら、いつ命がなくなっても、

阿弥陀仏の極楽浄土へ往って弥陀同体の仏に生まれる身に

ハッキリ定まりますので「往生一定」「信心決定」

ともいわれます。

 

この世で死なない人はありません。

私たちの100パーセント確実な未来は「死」ですが、

来世(後生)が、阿弥陀仏の極楽浄土とハッキリすれば、

毎日が明るい未来へ進む日々と大転換いたします。

親鸞聖人は、阿弥陀仏の浄土のことを無量光明土と仰っています。

行く先が限りなく明るい世界ですから、

現在が輝き、無碍の一道に生かされる。

一切が浄土往生の妨げとならないこの幸せこそが、

絶対の幸福です。

この身になるために生まれてきたのだ、

だからそこまで生き抜きなさい。

それが人生の大事業、人生の目的なのだよと、

親鸞聖人は90年のご生涯、万難を排して

教え続けていかれたのです。

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●一念の弥陀の救い

 

最後の「成(じょう)」は、完成、達成の意味で、

人生の大事業には、完成した・達成したということがあると

教えられています。

しかも、弥陀の救いは、平生の一念。

一念とは「時剋の極促(じこくのごくそく)」といわれる、

何百分の一秒より短い時間の極まりです。

臨終、息の切れ際にでも弥陀の救いに

あうことができるのですから、

手遅れの人はありません。

今、病院のベッドで狂しんでいる方も、弥陀を信ずる一念で、

必ず浄土へ往く身になれるのです。

あなたがたとえあきらめても、本師本仏の阿弥陀さまが

あきらめられません。

平生の一念に、人生の大事業である絶対の幸福になれる。

それが親鸞聖人のみ教えだから「平生業成」といわれるのです。

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●一日も片時も急いで

      聞き抜けよ

 

どうしたら、平生に人生の大事業を完成できるのか。

阿弥陀仏は、聞く一つで絶対の幸福に救うと

約束なされています。

故に、親鸞聖人も蓮如上人も

「仏法は聴聞に極まる」

と、真剣な聞法を勧められているのです。

蓮如上人は、『御文章』4帖目13通に、

 

抑(そもそも)、人間界の老少不定の事を思うにつけても、

いかなる病を受けてか死せんや。

かかる世の中の風情なれば、いかにも一日も片時も

急ぎて信心決定して、今度の往生極楽を一定すべし

 

と仰っています。

進むべき方角が分からず苦海の人生をさまよう私たちに、

生きる目的を示してくだされた親鸞聖人のご生誕に感謝し、

「平生業成」のみ教えをわが身に聞いて、

「今度の往生極楽は一定」となりましょう。

(2015年5月のとどろきです)

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「極悪を 捨てず裁かず 摂め取る」弥陀の大慈悲 [阿弥陀仏]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

「極悪を 捨てず裁かず 摂め取る」

       弥陀の大慈悲

 

如来大悲の恩徳は

身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし  (親鸞聖人・恩徳讃)

 

阿弥陀如来の洪恩は、

身を粉にしても報い切れない。

その弥陀の大悲を伝えてくだされた方々のご恩も、

骨を砕いても済みませぬ

 

最高の仏さまが、私たちとなされたお約束

 

今月も親鸞聖人の「恩徳讃」についてお話しいたします。

報恩の情あふれる「恩徳讃」。

身を粉に骨砕いても報い切れぬと、

感泣される感謝法悦の聖人がまぶたに浮かぶ和讃です。

親鸞さまは、一体どなたから、どのようなご恩を

受けられたのでしょう。

最初に親鸞聖人が言われている「如来」とは

「阿弥陀如来」という仏さまのこと。

「大悲」とは「大慈悲心」ですから、

「大慈悲心を持たれた阿弥陀如来から

返し切れぬ洪恩を受けているのだ」と言われています。

阿弥陀如来については、『御文章』に、こう示されています。

 

阿弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師・本仏なり

               (2帖目8通)

三世十方の諸仏とは、大宇宙にまします数え切れないほどの仏方。

本師本仏とは、先生、師匠のことですから、

阿弥陀如来はすべての仏の師であり、指導者なのです。

その弥陀がなされているお約束がある。

これを「阿弥陀如来の本願」といいます。

『大無量寿経』というお経に漢字36文字で書かれており、

今日の分かりやすい言葉に直しますと、

どんな極悪人も、聞くだけで、必ず絶対の幸福に救い摂る

というお誓いです。

 

一人でケンカはできないように、約束には相手が必要。

弥陀の約束の相手は、すべての人(十方衆生)です。

日本の首相は日本人と、アメリカの大統領はアメリカ人と

約束しますが、阿弥陀如来の約束の相手は、

老若男女一人も漏れぬ「大宇宙のすべての人」ですから

スケールが全く違います。

こんな広い約束はほかにありませんので、

「弥陀の本願」のことを「弘誓」とか「大弘誓」とも

聖人は言われています。

 

約束をするには相手をよく知らねばなりません。

銀行はお金を貸す時、信用できる相手が否か、

勤め先や経歴、資産や担保の有無など、

詳しく調べるでしょう。

百万円より一千万円、一千万円より一億円と、

金額が大きくなるほど調査は綿密になります。

また、医者が病人を「必ず治します」と約束するのは、

どれほどの病なのかをよく診断したうえでのこと。

大事な約束であればあるほど、相手をよく調べるものです。

 

●すべての人は、極悪人!?

 

医師が患者の精密検査をするように、

阿弥陀如来は万人の真実の相(すがた)を、

つぶさに調べられました。

悲観でも楽観でもなく、ありのままの相を

厳密に見て取られたのです。

その間、五劫という気の遠くなるほどの時間をかけられました。

結果はどうであったのか。

『御文章』に、次のように教えられています。

 

十悪・五逆の罪人も(乃至)空しく皆十方・三世の諸仏の

悲願に洩れて、捨て果てられたる我等如きの凡夫なり

                (2帖目8通)

 

「十悪・五逆の罪人」とは、仏さまは私たち人間を、

罪や悪を造り通しの者と見抜かれたのです。

「十方・三世の諸仏の悲願に洩れて」とは、

「大宇宙の仏方が何とか救ってやりたいと、

慈悲心をおこしてくだされたが、

私たちの罪業があまりにも深く重く、

とても助けることはできないとさじを投げてしまわれた」

ということです。

肉眼ならば、きれいに思える手のひらも、

微細なものまで映し出す顕微鏡だと、さまざまな雑菌が見える。

人の目からなら「善人」と思われる人も、

顕微鏡のごとき仏眼に映れた相は、「極重悪人」

「一生造悪」であったと親鸞聖人も『正信偈』に

教えておられます。

「そんな悪いことした覚えはない。それどころか人のために

尽くし、近所でも評判だ」

と思われるかもしれません。

では、どのような罪を犯しているのか、

仏さまにお聞きしましょう。

 

阿弥陀仏は、すべての人は「五逆と法謗の者」と

見抜かれています。

「五逆罪」「謗法罪」を造っている者ということです。

まず「五逆罪」から見ていきましょう。

 

●親を殺すという罪

 

五逆罪とは5つの恐ろしい罪のことですが、

中でも最初に挙げているのが親殺しの罪です。

私たちは両親から大変なご恩を受けています。


最近、こんな話がありました。

仕事募集の広告に集まった人たちへ

面接官から説明が行われている。

ところがそれはあまりにも苛酷な条件だった。

「ほぼ全ての時間、立ち作業で、とても体力を必要とする」

「仕事は週に135時間以上、基本的に週7日、毎日24時間」

「休憩時間は実質なし」

「徹夜の日もある」

「プライベートな時間は諦めてもらう」

「ボランティアのような感じで完全無給」等々・・・。

次々に繰り出される条件に応募者たちは〝ありえない!〟

〝非人道的だ!〟と騒ぎ立てた。ところが面接官は

「もし現実に、今この瞬間も、この職に

就いている人がいるとしたら?」

と問いかける。応募者が怪訝そうに

「いったい誰?」

と尋ねると、面接官はにこやかに

「お母さんですよ」

と答えた。この面接は「母の日」にちなんで

行われた企画だったのです。

とても考えられない苛酷な労働を、

母親は無償でやり続けてきたことを、

このキャンペーンで多くの人が知り、

心から感謝したといいます。


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私たちは、赤ん坊の頃に、お乳を飲ませてもらったり、

おむつを取り替えてもらいました。

病気になれば寝ずに看病してもらったり、

離れて暮らせば、いつも心配してもらって成長してきたのです。

そんな大恩ある親を自らの手で殺すなど、

人間の心を持たぬ鬼の仕業ではないかとさえ思われましょう。

仏教では、このような親殺しの大罪は無間地獄へ堕つる

恐ろしい無間業であると教えられています。

ところが親鸞聖人は、このように手にかけて殺すばかりが

親殺しではないのだよと、

 

親をそしる者をば五逆の者と申すなり (末灯鈔)

 

と言われています。親をそしるのも五逆の罪なのです。

「早く死んでしまえ」などと言うのは無論、

「うるさい」「あっちへ行け」などとののしるのも

親を殺しているのです。

また、仏教では、

「殺るよりも、劣らぬものは、思う罪」

と言われるように、体や口よりも心を最も重く見られます。

「殺る」とは体で殺すことですが、もっと恐ろしいのは

心で殺す罪だと言われます。

一つ屋根の下で暮らしておりながら、

ろくに口もきかず、食事も別々に取り、

呼ばれても聞こえないふりして親を邪魔者扱いしているのは、

心で親を殺しているのです。

親が病気にでもなり寝たきりになったらどうでしょう。

世話を嫌って、「邪魔だなあ」「いい加減に死んでくれたら」

という心が噴き上がってきます。

とても他人には言えない心が出てはこないでしょうか。

 

かつて、女手一つで、4人の男の子を大学まで出させ、

一流企業に入社、結婚させたお母さんの悲劇が報道されていた。

その4人の兄弟夫婦が集まり、年老いた母の面倒を

誰が見るか、ということで深夜まで激論したが、

誰一人として面倒を見ると言う者がいなかった。

その一部始終を隣の部屋で聞いていた母親は、

翌朝、電車に飛び込み、自殺した。

手にかけて殺してはいなくとも私たちは、

心でどれだけ親を殺しているか分かりません。

誰しも今まで一度や二度は

「こんなに苦しいのなら死んだほうがましだ」

と思ったことがあるでしょう。

「死んだほうがましだ」と思うのは、生みさえしなかったら

こんな苦しまなくてもよかったのにと、

心で親を殺しているのです。

親鸞聖人が、「私は五逆の者だ」と懺悔されているのは、

このような心からなのです。

しかも

縁さえ来ればどんなことでもする親鸞だ

(さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし)

と聖人は『歎異抄』に告白なされています。

何をしでかすか分からない業因を、私たちは持っている。

そんな者だから、諸仏方から捨てられてしまったのです。

 

●極悪を 捨てず裁かず 摂め取る

 

では私たちは助からないのか。

そうではありません。こんな諸仏に捨てられた者だからこそ、

なお救わずにはおれないと立ち上がられた

仏さまがお一人まします。

それが本師本仏の阿弥陀仏です。

「極悪を 捨てず裁かず 摂め取る」

大慈大悲の阿弥陀如来は、どんな極悪人も無条件で救うお誓いを

建ててくださいました。

この、底無しの弥陀の大慈悲によらなければ、

金輪際助からないのが私たちであります。

先に掲げた『御文章』は、こう続きます。

 

弥陀にかぎりて、「われひとり助けん」という超世の大願を

発(おこ)して             (2帖目8通)

 

「超世の大願」とは、罪業深重の私たちを、

現在ただ今から、永久に変わらぬ絶対の幸福に救うと

誓われた弥陀の本願のこと。

それは、諸仏も到底なしえない優れた誓いですから、

「世を超えた偉大な願(超世の大願)」

と言われています。そういう大変なお力を持たれた阿弥陀如来を、

「本師本仏だ。われらの尊い先生だ」

と十方・三世の諸仏(すべての仏)が

褒めたたえられているのです。

その弥陀の本願どおりに救い摂られた聖人は、

「弥陀が五劫という長い間、熟慮に熟慮を重ねて

お誓いなされた本願を、よくよく思い知らされれば、

全く親鸞一人のためだった。

こんな計り知れぬ悪業をもった親鸞を、

助けんと奮い立ってくだされた本願の、

なんと有り難くかたじけないことなのか」

 

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、

ひとえに親鸞一人(いちにん)が為なりけり、

されば若干(そくばく)の業をもちける身にてありけるを、

助けんと思召したちける本願のかたじけなさよ

                (歎異抄)

 

と感嘆されています。

親鸞聖人が「恩徳讃」に言われる「如来大悲の恩徳」とは

このような大恩なのです。

「こんな五逆の悪人を、そのまま絶対の幸福に

救い摂ってくだされた弥陀の本願。

その大恩に報いずにおれない」

と立ち上がられた親鸞聖人のご一生は、

「報恩」の二文字に貫かれていました。

谷深ければ山高し。罪の深さが知らされるほど、

救われた歓喜もまた大きい。

それはそのまま報恩感謝の大きさになる。

恨みと呪いの人生が、感謝法悦の人生に転じるのです。

 

●弥陀が喜ばれること

 

すべての仏に捨てられた私たち、しかも捨てられたと聞いても

ピンともカンとも感じません。

そんな箸にも棒にもかからないものだからこそ

見捨てておけぬと阿弥陀仏のほうが、

「どうか助けさせてくれ」と頭を下げておられます。

「よくよくお慈悲を聞いてみりゃ

助くる弥陀が手を下げて

任せてくれよの仰せとは

ほんに今まで知らなんだ」

と歌われるように、どこどこまでもお慈悲な仏さまが

阿弥陀仏なのです。

その阿弥陀如来が最もお喜びになることは、

私たちが弥陀の本願どおりに救われて絶対の幸福になることです。

絶対の幸福のことを仏教で「信心決定」といいます。

「信心の智慧に入りてこそ 仏恩報ずる身とはなれ」

                (正像末和讃)

信心決定(信心の智慧に入ったこと)してこそ、

阿弥陀如来のご恩に報いる身となれるのだと聖人は仰っています。

私たちが絶対の幸福に救われることを

いちばん望んでいらっしゃるのが

ほかならぬ阿弥陀仏だからです。

それは子供の幸せを願う親心の比ではありません。

「任せてくれよ。必ず絶対の幸福に救う。

そして、我が浄土に生まれさせてみせる」

と今も立ち上がって、声を限りにお叫びづめなのです。

信心決定するには、「聴聞に極まる」。

聴もキクなら、聞もキク。

聞いて聞いて聞き抜けよと教えられます。

落語や漫才を聞くのではない。

阿弥陀如来の御心を聞かせていただく。

「〝極悪の者を、聞くだけで、必ず絶対の幸福に救い摂る〟

と誓われた弥陀の本願まことだった」

とハッキリする時が必ず来ます。

真剣に聞かせていただきましょう。

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煩悩あるがままで絶対の幸福になれる [救われるとどうなる]

      シブ柿の シブが

           そのまま 甘味かな

 

                煩悩あるがままで

                絶対の幸福になれる

 

親鸞聖人への妬みそねみで苦しんでいた弁円が、

仏教を聞いて幸せな人生に転じたことを、

巻頭特集でお話しました。

(ブログでは載せていません)

 

山も山 道も昔に 変わらねど

 変わりはてたる 我が心かな

 

彼の詠んだこの歌は、何を表しているのでしょう。

親鸞聖人を殺害せんとして待ち伏せしていた山も道も、

当時と何も変わらないが、「絶対の幸福」となって、

苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わり果てた、

と弁円は歌っています。

仏教では私たちの生まれた目的、「なぜ生きる」の答えは、

阿弥陀仏の本願を聞いて「絶対の幸福」になることだ、

と教えられています。

弁円はここで、その絶対の幸福になった喜びを歌っているのです。

阿弥陀仏の本願とは、大宇宙のすべての仏(十方諸仏)が、

「本師本仏(先生)」と異口同音に褒めたたえる阿弥陀仏が、

すべての人を相手に「必ず絶対の幸福に助ける」と

誓われたお約束のこと。

 

阿弥陀仏の本願を聞いた、とは、このお約束どおりに

絶対の幸福に救われたことをいいます。

すべての仏が師と仰ぐ阿弥陀仏が、

「すべての人を必ず助ける」

と仰せだから、誰もが必ず幸せになれます。

「だから、早く絶対の幸福になりなさいよ」

と親鸞聖人は生涯、教え勧められました。

 

●絶対の幸福になっても煩悩は変わらない

 

では、絶対の幸福とは、どんな幸せなのでしょう。

〝汝自身を知れ〟といわれるように、〝私〟というものが

どんな者かを知らなければ、

その〝私〟が幸せになることはできません。

一体私たち人間は、どんな者なのでしょうか。

親鸞聖人は、

煩悩具足の凡夫

と仰っています。「煩悩具足」とは「煩悩100パーセント」

「煩悩によってできている」ということです。

 

『凡夫』というは無明・煩悩われらが身にみちみちて、

欲もおおく、瞋(いか)り腹だち、

そねみねたむ心多く間(ひま)なくして、

臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず

                (一念多念証文)

人間というものは、欲や怒り、腹立つ心、妬みそねみなどの、

塊である。これらは死ぬまで、静まりもしなければ減りもしない。

もちろん、断ち切れるものでは絶対ない

 

仏教を聞くと、欲の心が少しはなくなったり、

怒りの心がおさまったり、ましてや、他人を妬み、

そねむ心などなくなるだろうと思っている人もありましょうが、

親鸞聖人はそんな心は死ぬまで変わらないのだよ、

と仰っています。だから阿弥陀仏の本願に救われて、

絶対の幸福になったあとも、

「煩悩具足」が変わらぬ人間の姿です。

ところがそう聞くと、

「エッ!絶対の幸福になっても煩悩は変わらないの?」

と驚く人が少なくないでしょう。

それは人間の実態をよく知らないところから起きる誤解です。

親鸞聖人が仰るように、人間は「煩悩具足」。

そんな者を目当てに、阿弥陀仏は、「絶対の幸福にしてみせる」

と誓われているのです。

「ナーンダ、煩悩が変わらないのなら、救われても意味がない」

などと思ったら、これまた大間違い。

阿弥陀仏の本願に疑い晴れて、

煩悩具足の者が絶対の幸福になると、

煩悩は変わらぬままで喜びに転ずる

と親鸞聖人はこう和讃で教えられています。

 

罪障功徳の体となる

氷と水のごとくにて

氷多きに水多し

障り多きに徳多し」(高僧和讃)

弥陀に救われると、欲や怒りの煩悩〈罪障〉の氷が解けて、

幸せ喜ぶ菩提の水となる。氷が大きいほど解けた水が多いように、

罪障〈煩悩〉が多いほど、幸せ、功徳が多くなるのである

 

これが「煩悩即菩提」ということで、

絶対の幸福になると、欲や怒り、

妬みそねみの煩悩はなくなるどころか、

幸せのタネとなるのだと、驚くべき世界の厳存を、

聖人は断言されています。

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●エッ 悪が転じて善となるって!?

 

絶対の幸福とは本来、相対の言葉ではとても表現し切れませんが、

言葉によらなければ伝えられませんから、例えでなりと、

この世界を何とか分かってほしいと聖人は和讃されているのです。

古来、

シブ柿の シブがそのまま 甘味かな

とも詠まれています。

シブ柿を干せば甘い干し柿になる。

シブを抜いて甘味を注入したのではなく、

シブがそのまま甘味になったのです。

弥陀の救いは「転悪成善(悪が、そのまま善となる)」ともいい、

煩悩が減ったり、なくなって幸福になるのではなく、

煩悩がそのまま喜びに転ずるのです。

 

こら阿弥陀 助けたいなら 助けさそ

 罪は渡さぬ 喜びのもと

 

「どうか助けさせておくれ」

手を突いて願われる阿弥陀如来に、

〝阿弥陀さま、そうまで仰るなら、助けさせてあげましょう。

でも、罪悪(煩悩)は渡しませんよ。煩悩即菩提。

喜びの元ですからね〟

弥陀の本願を喜んだ人がユーモラスに歌っています。

言葉で説明するのはとても困難ですが、「煩悩即菩提」を

表す例え話を、もう一つ紹介しましょう。

 

●どんな困難も前向きに乗り越えられる

 

自然豊かな地方に住むある少年。近所に同級生は少なく、

彼は山一つ越えた中学校へ、ひとりで通学しなければならない。

部活動で遅くなった帰路などは、街灯もなく、

ドキッとするような寂しい場所もある。

夏はジリジリ照りつける太陽に焼かれ、

冬は容赦なくたきつける吹雪にしゃがみ込むこともあった。

雨が降ると、たちまち坂道が滝になる。

ズボンの裾からは水が滴り、運動靴はぬれてグズグズ。

朝からそんな天気で、一日体操着の日もあった。

「ああ、もっと学校が近ければ・・・。

この山さえなかったら・・・。」

いつも山と道とが、恨めしかった。

 

やがて学校に、美しい少女が転校してきた。

何と彼女は、同じ町ではないか。

以来、しばしば一緒に通学し、遠い学校のこと、

趣味や好みのことなど語り合い、親しくなっていった。

ある日、下校途中に、にわか雨に襲われた。

なかなかやみそうになく、傘のない彼は困惑する。

その時、少女が、

「この傘で一緒に帰ろう」。

思いがけず相合い傘になった少年は、内心、

跳び上がらんばかりに喜び、ひそかに願った。

〝どうか雨がやまないように〟

〝山がもっと寂しければ〟

〝家がもっと遠ければいいのに〟

あんなに恨んでいた道の遠さも、

山の寂しさも変わってはいないのに、

今は少しも苦にならない。

いや〝苦しみ〟がかえって楽しみにさえなっている。

誰にでも身に覚えがあることではないだろうか。

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かつてNHK朝の連続ドラマで、オーロラ輝子という

演歌歌手を演じて人気を博した女優の河合美智子さんが、

昨年、40代の若さで脳出血を発症し、

入院治療を余儀なくされました。

(2017年6月のとどろきです)

そんな河合さんが、復帰とともに結婚を発表し、

元気な姿を見せたのは今年3月。

半身不随になるかもしれぬ深刻な病状を、

パートナーが明るく支えてくれたのだといいます。

「病気はしたけど、楽しいことがいっぱいあったから、

手が動かなくなった、足が動かなくなったは、

そんなマイナスじゃなかった」

とコメントしています。

つらい療養やリハビリも、明るく支えてくれる人が

いれば楽しい、とさえ思える。

絶対の幸福になって底抜けに明るい人生と転ずれば、

どんな困難も前向きに乗り越えていけるのです。

 

●心は浄土に遊ぶように明るく愉快になる

 

最後に、絶対の幸福を教えられた親鸞聖人の次のお言葉を

お聞きしましょう。

 

有漏の穢身はかわらねど

心は浄土にあそぶなり」(帖外和讃)

欲や怒りの絶えない煩悩具足の身は変わらないけれども、

今が幸せ今日が満足、ウラミと呪いの渦巻く人生を、

浄土で遊んでいるような気分で生かされる

 

「有漏の穢身」とは、煩悩に汚れた私たちの肉体のこと。

絶対の幸福になっても煩悩具足の身は変わらないことを、

「有漏の穢身はかわらねど」と仰っています。

ところが、次の「心は浄土にあそぶ」は、弥陀の本願に

救い摂られると、いつ死んでも浄土往生間違いなしと

ハッキリしますから、生きている今から、

心は極楽浄土で遊んでいるように明るく、愉快だ

と言われるのです。

 

どんな人でも、こんなすごい絶対の幸福に必ずなれるのですから、

親鸞聖人の教えをよくよく聞かせていただきましょう。

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真に救われる仏法を伝えるのが僧の任務! [七高僧]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)


(正信偈より)

印度西天之論家 印度西天の論家

中夏日域之高僧 中夏・日域の高僧

顕大聖興世正意 大聖興世の正意を顕し

明如来本誓応機 如来の本誓、機に応ずることを明かす

 

仏教を説かれた釈尊は、約2600年前、

インドで活躍なされたお方。

親鸞聖人は、約800年前の日本のお方です。

時代も国も違います。

どのようにして聖人は、釈尊の教えを聞かれたのでしょうか。

〝インド・中国・日本に現れ、親鸞まで、

仏教を間違いなく伝えてくだされた方々の

おかげであったなぁ。

親鸞、決して忘れることができない〟

と、それらの方々の恩徳をしのび、

褒めたたえておられるのが「印度西天の論家、

中夏・日域の高僧」のお言葉です。

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論家とは、「論」を書き残された菩薩のことで、

印度西天(インド)の論家とは、龍樹菩薩天親菩薩です。

中夏(中国)の高僧は、曇鸞大師道綽禅師善導大師

日域(日本)の高僧として、源信僧都法然上人

挙げておられます。

 

●経・論・釈

 

経・論・釈という言葉が仏教でよく使われます。

「経」とは、仏のさとりを開かれた釈尊の説法を

記したものです。それでお経には「仏説○○経」とあります。

「論」とは、菩薩の書かれたもの。

菩薩とは、仏覚は開いていませんが仏に近い方です。

龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』『智度論』や、

天親菩薩の『浄土論』などが有名です。

「釈」は、高僧の書かれたものをいいます。

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論・釈いずれも、経を解釈したもの。

「仏意測り難し」と言われる深遠な仏説を、

菩薩や高僧方が、「この経文はこういう意味なのだよ」と

教えられたのが論・釈です。

「仏教はこうだ」と教える人があっても、経・論・釈に

根拠がなければ、「その人の思想」であって、

仏教とはいえません。

 

●更に親鸞、珍らしき法をも弘めず

 

親鸞聖人は常に、

 

更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法を

われも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり

 

と言われた方でした。

親鸞の伝えていることは、決して珍らしい教えではない。

釈迦如来の仏教を深く信じ、皆さんにも

お伝えしているだけなのだ

また、

 

親鸞、更に私(わたくし)なし

 

ともおっしゃっています。

このことは親鸞聖人の主著『教行信証』を見れば一目瞭然です。

『教行信証』は、聖人ご自身の作文は非常に少なく、

ほとんどが経・論・釈の引用です。

「経に言(のたま)わく、・・・・」

「論に曰く、・・・」

「釈に云く、・・・」

と字を使い分けられ、いずれも、親鸞は常に経・論・釈に

基づいて仏教をお伝えしている、独自の考えなど一切ないのだ、

と言われています。

 

●仏の正意を明らかにする善知識

 

では、論や釈を書かれた7人の方々は、

何を明らかにしていかれたのでしょうか。

親鸞聖人は、

「大聖興世の正意を顕(あらわ)し」

といわれ、釈尊の出世本懐(この世に生まれ出た目的)を

明らかにされたお方である、とおっしゃっています。

「大聖」とは、大聖釈迦牟尼世尊、釈尊のこと。

「興世」とは、この世に生まれ出られたこと。

「正意」とは、正しい御心、言葉を換えれば本懐、

目的をいうからです。

何を教えるために、お釈迦さまは仏教を説かれたのか。

仏の正意を明らかにされる方が、善知識であり、

真の僧です。

 

聖徳太子は『十七条憲法』に、

 

篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり

 

〝世の中には三つの宝がある。「仏」という宝、

仏の説かれた「法」が宝、その仏法を伝える「僧」が宝である。

三宝を心から敬いなさい〟と言われています。

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宝と言われる僧とは、仏法を明らかにする人です。

これ以外に僧侶の使命はありません。

昔も今も、すべての人は〝なぜ苦しくても

生きねばならないのか〟と生きる目的に渇いています。

〝生きてきてよかった〟と心から言える

本当の幸福を求めています。

この苦悩の群生海に甘露の法雨を注ぐ

(真に救われる仏法を伝える)のが、

僧の任務です。

田畑を耕したり勤めに出ることもなく、

ひたすら仏教をお伝えするのはそのためでしょう。

姿形や肩書きは問題ではない。

法を伝えているかどうかが大切なのです。

 

思えば、親鸞聖人は生涯、大衆の中に飛び込まれ、

仏法を伝える一つに命を燃やしていかれました。

日野左衛門の門前で、石をまくらに雪をしとねのご苦労は、

何とか仏法を聞いてもらいたいの大悲行でした。

剣をかざして殺しに来た、山伏・弁円の前に、

数珠一連で出て行かれたのも、仏縁あれかしの

決死的布教でした。

一字一涙の思いで書き残された『教行信証』はじめ

多くの著作も、末代の私たちに、何とか仏法を届けたいの

慈愛の結晶です。

龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・法然、これらの方は皆、

生涯かけて、釈尊の本意を明らかにされました。

だからこそ、親鸞聖人は「七高僧」と尊敬され、

忘れることのできぬ善知識だと紹介されているのです。

 

●阿弥陀如来の本願一つ

 

では、七高僧は、釈尊出世の本懐は何であると

明らかにされたのでしょうか。

それは「如来の本誓」であるとおっしゃっています。

この如来とは、阿弥陀如来のこと。

大聖釈尊によって紹介された、

大宇宙にまします諸仏の王であり、

師匠の仏、本師本仏と仰がれています。

本誓とは、本願のことですから、

如来の本誓とは、「阿弥陀如来の本願」のことです。

インド・中国・日本の、雷名とどろく善知識方は、

口をそろえて、釈迦一代の教えの真意は、

「阿弥陀如来の本願一つ」と鮮明にしていかれました。

そのおかげで親鸞、釈尊の正意を知ることができた。

弥陀の本願に遇わせていただけた、と聖人は、

七高僧のご教導をお喜びになっているのです。

 

●機に応ずる弥陀の誓願

 

では、

「如来の本誓、機に応ずることを明す」

〝阿弥陀如来の本願が、機に応ずることを

明らかにされた〟とは、どんなことでしょうか。

 

仏教では人間の心を「機」といわれます。

私たちの心は、新しい服を身に着けるとウキウキし、

タンスの角で足の指をぶつけた途端にドンと落ち込みます。

褒められると浮かび、そしられれば沈み、

朝から晩まで縁によって変わり通しなのが

私たちの心ではないでしょうか。

すべての機械は外からはたらきかけられて動き出すように、

私たちの心も外からの作用によってどうにでも動き出すから

機といわれるのです。

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「機に応ずる」とは、どんな人にも対応する、

つまり、すべての人を救うということです。

「人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ・・・」

(島倉千代子)と歌われるように、

世の中にはいろいろな人がありましょう。

しかし、丸い器に入れれば丸く、四角の器に入れれば四角、

水が器に応じるように、弥陀の本願は、

どんな人にでも応じ、どんな人をも助ける大誓願なのです。

 

●熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)、

   16歳の平敦盛を討つ

 

誓願に救い摂られた一例を挙げましょう。

 

七高僧の7番目、法然上人には、親鸞聖人をはじめ

380余人のお弟子がありました。

その中に、蓮生房という人があります。

元の名は熊谷次郎直実といい、武蔵国(埼玉県)大里郡熊谷の

豪族で平家を攻めた源氏の一方の大将でした。

義経の率いる源氏の精鋭は、「鵯越の坂落とし」で

一挙に一谷勢をけ散らし、総崩れとなった平家は海上の

軍船へと敗走しました。

そのしんがりに、にしきの着物に鎧兜も

あでやかな一人の武将が、静かに馬で沖に向かっていた。

敵将と見た先陣の熊谷は、馬上から大声で呼びとめる。

「あいや、敵に後ろ姿を見せるとは卑怯千万。

われこそは板東一の剛の者、熊谷次郎直実なり」

ハタと海中に立ち止まった相手は馬首一転、勝負を挑んだ。

もとより強力無双の熊谷に勝てるはずがない。

たちまち組み伏せ、かぶとをはぎ取って驚いた。

すでに覚悟の薄化粧をした、花も恥じろう美少年ではないか。

にっこり見返したひとみに、さすが千軍万馬の熊谷も

一瞬たじろぐ。

彼にも同じ年頃の16歳の子、小次郎がいた。

「だれかは知らねど名門のお方と見た。

せめてお名前だけでも聞かされい」

しかし相手は、

「早く討って手柄とせよ」

と言うばかり。源平両軍注視の手前、今はこれまでと

心を鬼に、首をはねた。

後で、平清盛の弟・経盛の末子(ばっし)、敦盛16歳と

知り愕然とする。

寿永3年2月7日。44歳の時でした。

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●鬼が、蓮台に生まれる身に

 

加えて頼朝などに対する不信から、一徹な彼は世の無常と

罪悪の恐ろしさに驚いて、八つ裂きにされても

助かりようのない「地獄一定」の自己に震えながら、

ひたすら京都の法然上人のもとへはせ参じたのです。

「多くの人を殺した私に、救われる道がありましょうか」

「阿弥陀仏の本願は、そんな極悪人のためにこそ

建てられたのです。一心に弥陀の本願を聞信すれば、

必ず無碍の世界に出られます。善人でさえ救われるのです。

悪人が救われないはずがありません。」

筋骨たくましい熊谷が、赤子のように法然上人のひざに、

よよと泣きくずれた。

「手足を切り捨てても、私ごとき者の助かることは

なかろうかと覚悟して参ったのに。

こんな者を救ってくださる阿弥陀仏のご本願があったとは・・・。

あまりのうれしさに・・・」

鬼を自覚すれば号泣せずにおれませんでした。

たちどころに信心決定した彼は、蓮生房と生まれ変わったのです。

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蓮生房だけではありません。

どんな人をも救い摂る弥陀の誓願は、

現に生きて働いています。

だから、必ず無碍の一道に雄飛させていただける時があるのです。

そこまで弥陀の誓願を聞き抜かせていただきましょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下の動画を観られると仏教がよく分かりますよ。



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人間死んだらどうなるか(諸法無我) [龍樹菩薩]

 


(真実の仏法を説いておられる先生の書かれた「とどろき」より載せています) 


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(お釈迦さまは約2600年前にインドに現れましたが、
龍樹菩薩はその700年後にインドに現れています。)


人間死んだらどうなるか。
有史以来、種々に議論されてきましたが、

大別すれば「有の見(うのけん)」と
「無の見(むのけん)」の二つになります。

有の見は、常見ともいい、
死後変わらぬ魂が存在するという考え方です。

無の見は、断見ともいい、
死後何もなくなるという見方です。

断見・常見ともに仏教では、
真実を知らぬ外道と教えられ、
龍樹菩薩は、この有無の二見を
徹底的に打ち破られました。


(※龍樹菩薩とは、“仏教を正しく伝えられた高僧で、
龍樹菩薩おられてこそ、
この親鸞は阿弥陀仏に救われたのだ”
と親鸞聖人が大変感謝され、
尊敬されている七高僧のうちの一人です。
第二の釈尊ともいわれた方です。


●“私”はどこに?

“私”とは何ですか、と尋ねると、
頭のてっぺんから足のつま先までで、
自分の体を指さして、「これが私」と答え、
「だから死ねば灰になって終わり。
死後なんてないよ」
と思っている人がありますが、
仏教にはこんな話があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

釈尊に大号尊者という弟子がある。
彼が商人であった時、他国からの帰途、
道に迷って日が暮れた。
宿もないので仕方なく、墓場の近くで寝ていると
不気味な音に目が覚める。
一匹の赤鬼が、人間の死体を持って
やってくるではないか。
急いで木に登って震えながら眺めていると、
間もなく青鬼がやってきた。
「その死体をよこせ」
と青鬼が言う。
「これはオレが先に見つけたもの、渡さぬ」
という赤鬼と大ゲンカが始まった。


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その時である。
赤鬼は木の上の大号を指さして、
「あそこに、さっきから見ている人間がいる。
あれに聞けば分かろう。
証人になってもらおうじゃないか」
と言い出した。
大号は驚いた。
いずれにしても食い殺されることは避けられぬ。
ならば真実を言おうと決意する。
「それは赤鬼のものである」
と証言した。

青鬼は怒った。大号をひきずり下ろし、
片足を抜いて食べてしまった。
気の毒に思った赤鬼は、
だれかの死体の片足を取ってきて大号に接(つ)いでやった。
激昂(げきこう)した青鬼は、
さらに両手を抜いて食べる。
赤鬼はまた、ほかの死体の両手を取ってきて
大号につけてやった。
青鬼は大号の全身を次から次に食べる。
赤鬼はそのあとから、
大号の身体を元通りに修復してやる。
青鬼が帰った後、
「ご苦労であった。おまえが真実を証言してくれて
気持ちがよかった」
と赤鬼は礼を言って立ち去った。

一人残された大号は、
歩いてみたが元の身体と何ら変わらない。
しかし今の自分の手足は、
己の物でないことだけは間違いない。
どこのだれの手やら足やら、と考えた。
街へ帰った彼は、
「この身体はだれのものですか」
と大声で叫びながら歩いたので、
大号尊者とあだ名されるようになったという。

●肉体が入れ替わっても“私”

これは単なるおとぎ話ではありません。
胃も腸も、顔や手足も、
身体の器官すべてが工場で生産され、
必要に応じて付け替える、
そんな時代が来るかもしれません。


心臓病患者は、障害のある心臓を、
あれこれ治療するのはやめて、
心臓メーカーから新品を買い求め、
手術で取り替え、再び元気を取り戻すことができる。
胃腸の悪い人も、新しい人工胃腸と
交換して丈夫になれるし、
手足が動かなくなれば、
これまた新品の人工手足と取り替える。
もちろん濁った血液は、
きれいな血液と全部入れ替えもできる、
という具合に未来の医学は、
肉体丸ごと替えるかもしれません。
“私”の肉体全部入れ替えた時、
一体“私”とは何者なのでしょうか。


いや現に私たちの肉体は
約六十兆の細胞でできていますが、
絶えず新陳代謝し、おおよそ七年間で
全部入れ替わるといわれています。
つまり七年前の私とは、
物質的には全然別人ということになります。
しかし実際は、別人の感じはなく、
やはり同一人に違いないでしょう。

●万物は流転する(パンタ・レイ)

古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは、
「万物は流転する(パンタ・レイ)」という
有名な言葉を残しています。
すべてのものは、変化し続け、
いっときとして同じではないということです。

「同じ川に二度と入ることはできない」
とも言っています。
なぜなら、二度目に入った時は、
川の流れも自分自身もすでに変わっているからです。

こんな小話があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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ある男が借金した。
債権者が取り立てに行ったところ、
「借りた人間と、オレとは別人だ。
何しろパンタ・レイだからね」
と返済を断った。
怒った債権者は、その男をポカポカ殴りケガさせる。
「何をする!」
と腹を立て、殴られた男は裁判所に訴えたが、
殴った男は、
「殴った人間と、オレとは別人だ。
なにしろ、パンタ・レイだからね」
とやり返したという。

●断見を否定し、永遠不滅の生命を説く仏教

肉体がどんなに変化しても、
自分のした行為に責任を
持たねばならないのは当然でしょう。
してみれば、そこには一貫して続いている
統一的主体を認めねばなりません。


仏教では、私たちの行為を業といいます。
業は目に見えぬ力となって残り、
決して消滅しません。
これを業力不滅といいます。
そして必ず果報を現します。
いわゆる、まかぬタネは生えませんが、
まいたタネは必ず生えると教えられます。
肉体を入れ替えても、焼いて灰にしても、
業不滅なるがゆえに、
その業報を受けねばなりません。


ここに仏教では、死後も存続する
不滅の生命を教え、
死後(後生)を否定する「無の見」を、
「因果応報なるが故に、来世なきに非ず」(阿含経)
と排斥しています。

では後生を説く仏教は、
死後変わらぬ魂が有るとする「有の見」ではないか、
と思うかもしれませんが、そうではありません。


●諸法無我

仏教では「無我」と教えられます。
固定不変の我というものは本来無い。
つまり有の見のような、
死んでも変わらぬ魂というものは
無いということです。
そしてあらゆるものは因縁所生
(いんねんしょせい)のものと説かれます。

因と縁とが結びついて、
仮に出来上がっているものということです。


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昔の人はこれを、
引きよせて 結べば柴の 庵にて
   解くればもとの  野原なりけり

庵というものは、野原の柴を集めて結べばできますが、
縁がなくなってバラバラになれば、元の野原になります。
一時、庵というものがあるのであって、
変わらぬ「庵」というものがあるのではありません。


家でも、因縁でいろいろのものが集まって造られています。
柱、土台の石、壁、畳、かわら、ふすま、などが集まって、
あのような形になっているものを「家」といっているのです。
因縁が離れてバラバラになれば、家はどこにもありません。
家というものが、いつまでもあるように思いますが、
やがて因縁がなくなれば、跡形もなくなりますから、
「家」という固定不変の実体はないのです。
因縁のある間だけ家ということです。


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自動車ならば約三万個の部品が、
因縁和合して、あのような形に出来上がっている間、
「自動車」といわれるのです。
部品が散乱していたら、誰も自動車とはいわないでしょう。


日本の最新ロケットH-ⅡAなら、
実に約二十八万個の部品が、
精密に組み合わさっている間、
ロケットなのです。
例外なく皆そうです。


これを仏教で諸法無我といわれます。
“私”“私”と言っていますが、
変わらぬ「我」という実体は無いということが、
無我です。

仏教の深い哲理ですが、
分かりやすく言うとそういうことです。

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●固定不変の霊魂を否定し、
          後生の一大事を説く仏法

仏教では、私たちの永遠の生命を
阿頼耶識といわれ、
「暴流のごとし」と説かれています。
暴流とは滝のことです。
遠くから眺めれば、
一枚の白布を垂らしたように見える滝でも、
実際はたくさんの水滴が激しく変化しながら
続いているのです。
そのように阿頼耶識は、自分の行為を次から次と
業力としておさめて絶えず変化し、
流転輪廻していくのです。


ゆえに釈尊(釈迦)は、
無我なるが故に、常有に非ず」(阿含経)
と言われ、固定不変の霊魂を否定されます。
だから、死ねば魂が墓の下にジッととどまったり、
山や木や石に宿り、
いつまでも残っていることなどできないと
教えられます。
ましてや、その霊魂が生きている人間に
禍福を与える力があるなどと説くものは、
迷信だと打ち破られているのです。


すべての人は、各自の造った業によって、
死ねば種々の形に変化し、
遠く独り去っていくものである
と、
次のように釈尊は説かれています。

遠く他所に到りぬれば能く(よく)見る者なし。
善悪自然に行(おこない)を追いて生ずる所、
窈窈冥冥(ようようみょうみょう)として別離久しく長し。
道路同じからずして会い見ること期無し、
甚だ難く甚だ難し、
また相値うことを得んや
                (大無量寿経

“遠く他の所へ去ってしまえば、
再び会い見ることはできない。
一人一人造った善悪の業により、
次の生へ生まれ変わっていく。
行く先は遠く、暗くしてたよる道もなく、
愛する者とも永劫の別れをしなければならぬ。
各自の行為が違うから、
死出の旅路は孤独なのである”


親鸞聖人は、
一たび人身を失いぬれば
万劫にも復(かえ)らず
」(教行信証)
と言われ、蓮如上人は、
われらが今度の一大事の後生」(領解文)
と言われているとおり、
すべての人の後生に一大事のあることを教え、
その解決の道を説示されているのが仏法です。


龍樹菩薩は、有無の二見をことごとく破られ、
後生の一大事を説く正しい教えを
徹底的に明らかにされたのでした。



晩年の聖人(最終回) [親鸞聖人の旅]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

      親鸞聖人の旅      

        晩年の聖人(最終回)

 

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関東からの道すがら、多くの人を勧化されながら、

親鸞聖人は、懐かしき京都へお帰りになった。

無実の罪で越後へ流刑に遭われてより、

約25年ぶりのことである。

90歳で、浄土へ還帰されるまでの30年間、

聖人は、どのように過ごされたのか。

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●ご帰洛後のお住まい

 

京都に着かれた聖人は、何回も住まいを変えておられる。

「聖人故郷に帰りて往事をおもうに、

年々歳々(ねんねんせいせい)夢のごとし幻のごとし。

長安洛陽の棲(すみか)も跡をとどむるに懶(ものう)しとて、

扶風馮翊(ふふふよく)ところどころに移住したまいき」

                (御伝鈔)

「或時は岡崎、または二条冷泉富小路にましまし、

或時は、吉水、一条、柳原、三条坊門、

富小路等所々に移て住みたまう」

            (正統伝)

このうち平太郎と面会された場所が、

上京区の一条坊勝福寺である。

現在の西本願寺前の堀川通を北へ進み、

中立売通を西に曲がってすぐだ。

しかし、本堂の屋根は高層ビルの谷間に埋もれているから

見つけにくい。

民家と変わらない大きさである。

門前には、「親鸞聖人御草庵平太郎御化導之地」と

石柱が立っていた。

平太郎だけでなく、聖人のみ教えを求め、

命懸けで関東から訪ねてくるお弟子が多数あった。

狭いながらも、信心の花咲くお住まいであったに違いない。

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●道珍の霊夢

 

西本願寺正面の細い通りへ入ると、

念珠店が立ち並んでいる。

そのまま東へ進むと、突き当たりが紫雲殿金宝寺である。

ここは、勝福寺より小さく、表札を見なければ寺とは気づかない。

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金宝寺はもと、天台宗の寺だった。

ところが、57代目の住職・道珍が親鸞聖人のお弟子になり、

真宗に改宗したのである。

その経緯を、当寺の『紫雲殿由縁起』は次のように記している。

道珍は、高僧が来訪される霊夢を3回も見た。

そこへ間もなく、親鸞聖人が訪れられたのである。

紛れもなく夢でお会いした高僧なので、

道珍は大変驚き、心から敬服した。

ご説法を聴聞して、たちまちお弟子となったのである。

時に、聖人67歳、道珍33歳であった。

道珍は、聖人のために新しく一室を作り、

安聖閣と名づけた。

道珍がしきりに滞在を願うので、約5年間、

聖人は金宝寺にお住まいになったという。

ここにも、関東の門弟が多数来訪した記録がある。

片道一ヶ月以上かけて、聞法にはせ参じる苦労は

いかばかりであったか。

後生に一大事があればこそである。

また、『紫雲殿由縁起』には、道珍が聖人に襟巻きを

進上したところ大変喜ばれた、と記されている。

 

●報恩講の大根焚き

 

京名物の一つ、了徳寺の大根焚きは、

親鸞聖人報恩講の行事である。

了徳寺は京都市の西、右京区鳴滝町にある。

山門をくぐると、すぐに大きなかまどが目に飛び込んでくる。

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報恩講には、早朝から大鍋で3500本の大根が煮込まれ、

参詣者にふるまわれるという。

どんないわれがあるのか。

略縁起には、次のように記されている。

聖人80歳の11月、ご布教の途中、鳴滝村を通られた。

寒風吹きすざぶ中で働いている6人の農民を見られ、

一生涯、自然と闘い、体を酷使して働くのは何のためか。

弥陀の救いにあえなければ、あまりにも哀れではないか・・・

と近寄られ、阿弥陀仏の本願を説かれた。

初めて聞く真実の仏法に大変感激した農民たちは、

聖人にお礼をしたいと思ったが、

貧しさゆえ、何も持ち合わせていない。

そこで、自分たちの畑で取れた大根を塩炊きにして

召し上がっていただいたところ、

聖人は大変お喜びになったという。

親鸞聖人は、阿弥陀仏一仏を信じていきなさいと、

なべの炭を集められ、ススキの穂で御名号を書き与えられた。

以来、聖人をしのんで大根を炊き、

聞法の勝縁とする行事が750年以上も続いている。

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●著作に励まれる聖人

 

晩年の聖人は著作に専念しておられる。

52歳ごろに書かれた『教行信証』6巻は、

お亡くなりになられるまで何回も推敲・加筆されている。

いわば、生涯かけて著された大著である。

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このほか、主なご著書とお書きになられた年代を挙げてみよう。

 

76歳 

 浄土和讃

 高僧和讃

78歳

 唯信鈔文意

83歳 

 浄土文類聚鈔

 愚禿鈔

84歳

 往相廻向還相廻向文類

 入出二門偈頌

85歳 

 浄土三経往生文類

 一念多念証文

 正像末和讃

86歳

 尊号真像銘文

88歳

 弥陀如来名号徳

 

このほかにも、親鸞聖人が書写・編集されたり、

加点されたお聖教は、全部で20冊以上知られている。

しかも、そのほとんどが76歳以降に書かれている。

ご高齢になられるほど、執筆に力を込められていることが

分かる。「体の自由が利かなくなった分、

筆を執って真実叫ぶぞ」と、聖人の並々ならぬ

気迫が伝わってくるようだ。

 

●聖人のご往生

 

親鸞聖人は、弘長2年11月下旬に病床につかれた。

あまり世間事を口にされず、ただ阿弥陀仏の大恩ばかり述べられ、

念仏のお声が絶えなかったという。

11月28日、午の刻(正午)、聖人は90年の生涯を終えられ、

弥陀の浄土に還帰なされた。

臨終には、弟子の顕智と専信、

肉親は、第5子の益方(ますかた)さまと

第7子の覚信尼さまのみが、わずかに臨んだ。

一切の妥協を排し、独りわが道を行かれた聖人にふさわしい、

ご臨終であった。

聖人は、ご自身の肉体の後始末に非情な考えを持っておられた。

『改邪鈔』に、こう記されている。

親鸞閉眼せば賀茂河にいれて魚に与うべし

私が死んだら賀茂河に捨てて、魚に食べさせよ、

とおっしゃっているのだ。

これは、肉体の葬式に力を入れず、早く、魂の葬式、

すなわち後生の一大事の解決(信心決定)に力を入れよ、

と教えられたお言葉です。

親鸞聖人は信心決定した時をもって、魂の臨終であり、

葬式であると教えられた。

覚如上人も、

平生のとき善知識の言葉の下に帰命の一念発得せば、

そのときをもって娑婆のおわり臨終とおもうべし

とおっしゃっているように、信心決定した人は、

もう葬式は終わっているのである。

だから、セミの抜け殻のような肉体の葬式など、

もはや問題ではないのだ。

「つまらんことに力を入れて、大事な信心決定を

忘れてはなりませんぞ」と最後まで真実を

叫び続けていかれた聖人のお言葉である。

このご精神を体したうえで、聖人のご遺体は、

鳥辺山に付された。

『御伝鈔』には、

「洛陽東山の西の麓・鳥辺山の南のほとり、

延仁寺に葬したてまつる。

遺骨を拾いて、同じき山の麓・鳥辺山の北の辺(ほとり)、

大谷にこれを納め畢(おわ)りぬ」

と記録されている。

 

●聖人のご遺言

 

「ご臨末の御書」は、親鸞聖人のご遺言として有名である。

我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、

和歌の浦曲(うらわ)の片男波の、寄せかけ寄せかけ

帰らんに同じ。一人居て喜ばは二人と思うべし、

二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人が親鸞なり。

我なくも法(のり)は尽きまじ和歌の浦

あおくさ人のあらんかぎりは

弘長2年11月 愚禿 親鸞満90歳」

29歳で阿弥陀仏の本願に救い摂られてより、

90歳でお亡くなりになるまでの、聖人のご生涯は、

まさに波乱万丈であった。

真実の仏法を明らかにされんがための肉食妻帯の断行は、

破壊堕落の罵声を呼び、一向専念無量寿仏の高調は、

権力者の弾圧を招いた。

35歳の越後流刑は、その激しさを如実に物語っている。

流罪の地でも、無為に時を過ごされる聖人ではなかった。

「辺鄙(へんぴ)の郡類を化せん」と、命懸けの布教を

敢行されたことは、種々の伝承に明らかである。

関東の布教には、聖人をねたんだ弁円が、

剣を振りかざして迫ってきた。

邪険な日野左衛門に一夜の宿も断られ、

凍てつく雪の中で休まれたこともあった。

今に残る伝承は、聖人のご苦労の、

ほんの一端を表すにすぎない。

まさに、報い切れない仏恩に苦しまれ、

「身を粉にしても・・・」と、

布教に命を懸けられたご一生であった。

その尽きぬ思いが、「御臨末の御書」に表されている。

「我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、

和歌の浦曲(うらわ)の片男波の、寄せかけ寄せかけ

帰らんに同じ」

「和歌の浦曲の片男波」とは、

現在の和歌山県和歌浦、片男波海岸である。

万葉の昔から美しい海の代名詞になっている。IMG_20221202_0008.jpg-5.jpg

親鸞聖人は、「命が尽きた私は、一度は浄土に

還(かえ)るけれども、海の波のように、

すぐに戻ってくるであろう。

すべての人が弥陀の本願に救われ切るまで

ジッとしてはおれないのだ」とおっしゃっている。

一人居て喜ばは二人と思うべし、

二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人が親鸞なり

一人の人は二人と思いなさい。

二人の人は三人と思いなさい。

目に見えなくても、私は常にあなたのそばにいますよ。

悲しい時はともに悲しみ、うれしい時はともに喜びましょう。

阿弥陀仏の本願に救われ、人生の目的を達成するまで、

くじけず求め抜きなさいよと、

全人類に呼びかけておられるのである。

真実のカケラもない私たちが、どうして聞法の場に足が向くのか。

そこには、目に見えない親鸞聖人が常に、

手を引いたり押したりしてくださっていることが知らされる。

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東海道の出会い(親鸞聖人の旅) [親鸞聖人の旅]

                           親鸞聖人の旅

      東海道の出会い

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箱根の山を越えられた親鸞聖人は、東海道を経て、

懐かしき京の都へ向かわれた。

その道中に、数々のドラマが残されている。

かつての法友・熊谷蓮生房(くまがいれんしょうぼう)に

顕正された人々との出会い、

親鸞聖人に法論を挑んできた僧侶たち、

参詣者の胸から胸へ拡大していく法輪・・・。

その出会いは、やがて、蓮如上人を危機からお救いする

源流となり発展していくのである。

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●福井長者の仏縁

 

駿河国(静岡県)で、親鸞聖人を心待ちにしている

夫婦があった。

彼らは、聖人の法友・熊谷蓮生房と縁があった人たちである。

25年以上も前のことであるが、

どんな出会いだったのだろうか・・・。

蓮生房が、京都から関東へ向かった時のこと。

小夜ノ中山(さよのなかやま)の峠で盗賊に襲われた。

腕に自信はあったが、なぜか「失って惜しい物は何もない」

と無抵抗を示した。賊は路銀や衣類、すべてを奪っていった。

さて、どうするか。身ぐるみはがされた蓮生房は、

大胆にも藤枝の宿で一番の富豪・福井憲順の屋敷の前に立って叫んだ。

「私は、武蔵国の蓮生房と申す者。

先ほど盗賊に路銀を全部与えてしもうた。

再度、京都に上る時にお返しするから、

銭をお貸し下さらんか」

素っ裸の見知らぬ男の借用にだれが耳を貸そうか。

憲順は、当然、断った。

すると蓮生房

「わしは無一文だが、この世で最も素晴らしい宝を持っている。

それを抵当にお預けするから、借金をお願いしたい。

大事なものゆえ、貴殿の腹の中にお預かりいただきたい。

さあ、口をお開けくだされ・・・」。

蓮生房は合掌し、南無阿弥陀仏と念仏を称えた。

すると蓮生房の口より、まばゆい金色の阿弥陀如来の化仏が現れ、

憲順の口の中に移った。

これは有り難い奇瑞(きずい)、と喜んだ憲順は、

蓮生房に路銀を貸しただけでなく、法衣を贈り、

温かくもてなしたという。

蓮生房が抵当に入れた「この世で最も素晴らしい宝」とは、

阿弥陀如来の本願である。

蓮生房は憲順に説法したのだ。

感激した憲順が蓮生房に心を開いたのだろう。

色も形も無い真実の教えをどう表すか。

すべての人を絶対の幸福に助けずばおかぬの、

阿弥陀仏の本願は、資産家の憲順には、まさに

「金色の阿弥陀如来像」を得たような喜びだったのだろう。

翌春、蓮生房は、約束どおりお金を返しに来た。

彼は、福井憲順に、

後生の一大事をゆめゆめ忘れてはなりませんぞ。

善知識の教えを受けて、往生を願いなさい

と言い残して京都へ帰っていった。

憲順は、尊い教えだなと思いながらも、

自ら急いで求めようという気持ちになれず、

長い年月が過ぎてしまった。

ところが、親鸞聖人が関東から京都へ

お帰りになるという話が伝わってきた。

これを縁に、かつて聞いた後生の一大事が思い起こされてきた。

老齢の身、「今死んだら・・・」と思うと、

不安はつのるばかりである。

道中で、夫婦そろって聖人をお待ちし、

自宅で法話をお願いした。

親鸞聖人は、南無阿弥陀仏の御名号の偉大な力を

懇ろに諭されたという。

夫婦はこれを聴聞し、宿善開発し、

たちどころに信心受得す

          (二十四輩順拝図絵)

(信心受得とは、阿弥陀仏に救われたということです)

福井長者夫婦は、聖人のお弟子になり、名を蓮順、蓮心と改め、

全財産を投じて自宅を聞法道場に改造した。

これが藤枝市本町に残る蓮生寺(れんしょうじ)である。

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●三河の柳堂でご説法

 

親鸞聖人が、京都に向かって関東をたたれたことは、

当時、ビッグニュースとして東海道を駆け抜けたのではないか。

聖人がお通りになることを知った三河国(愛知県)碧海郡の

領主・安藤信平は、「この機会にぜひ、高名な聖人に

お会いしたい」と城内の柳堂にお招きし、法話をお願いした。

ここでのご説法は、17日間に及んだ。

初めて聴聞する真実の仏法であったが、

安藤信平は、即座に決心した。

これこそ、生涯懸けて悔いなき道だ。

人生の目的をハッキリ知らされたぞ!

城主の位を弟に譲り、聖人のお弟子になって、

名を念信房と改めた。

柳堂は、現在、妙源寺の境内にある。

JR西岡崎駅の裏手、広い水田地帯の中に建っている。

山門をくぐった正面が柳堂。茅葺きの古い建物だ。

「親鸞聖人説法旧趾」と大きな石碑が立っている。

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●三河門徒の気概

 

聖人の、柳堂でのご説法中にハプニングが起きた。

参詣者の多さをねたんだ天台宗の僧侶3人が、

聖人を論破しようと乗り込んできたのである。

地元の上宮寺、勝鬘寺、本証寺の住職であった。

聖人は、ことごとく彼らの非難を打ち砕かれ、

釈尊の出世本懐は、阿弥陀仏の本願一つであることを

明らかにされた。

誤りを知らされた3人は、そろって聖人のお弟子になり、

寺ごと浄土真宗に改宗している。

これを三河三ヵ寺といい、強信な三河門徒を

形成していくのである。

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三河は、蓮如上人の時代に真宗一色に塗り変えられた。

その中心が、上宮寺であった。

上宮寺の末寺は三河64ヵ寺、尾張41ヵ寺あったというから、

絶大な勢力を振るっていたことが分かる。

寛正6年(1465年)、比叡山延暦寺の僧兵が、

蓮如上人のお命を狙って本願寺を襲撃した。

この時、上宮寺の住職・佐々木如光は三河の門徒を引き連れて

はせ参じ、比叡山との交渉を一手に引き受けている。

比叡山は金を要求した。如光は、「金で済むなら、

三河から取り寄せよう」と悪僧たちに宣言。

一晩で、山門に金を山と積ませ、比叡山を黙らせた。

事件解決後、蓮如上人は三河を巡教されて、

上宮寺にしばらく滞在されている。

これから約100年後のこと。

織田信長が桶狭間で今川義元を破って以来、

家康は今川の拘束から離れ、着々と三河の支配を固めていた。

永禄6年(1563年)、家康の家臣が上宮寺から兵糧として

米を略奪した。これを機に、家康の苛酷な支配に対する

信宗門徒の不満が爆発。一向一揆が起きた。

三河三ヵ寺を中心とする信宗門徒は一万余の勢力に及び、

半年にわたって家康を苦しめた。

一時は、岡崎城に攻め込むほどの勢いであったという。

窮地に追い込まれた家康は、勝算なしと判断し、

和議をもって臨んだ。

その条件は、

①寺・道場・門徒は元のままとする

②真宗側についた武士の領地は没収しない

③一揆の首謀者は殺さない

であった。真宗側にとって有利なものである。

ところが、一揆の勢力が各地へ引き揚げたと同時に、

腹黒い家康は約束を破って、寺院をことごとく破壊し、

真宗禁止令を出したのである。

卑劣な弾圧であった。

三河に真宗寺院が復活したのは、それから20年後のことであった。

 

●河野九門徒と瀬部七ヵ寺


真実は、一人の胸から胸へと確実に広まっていく。

三河の柳堂で親鸞聖人のご説法を聴聞した人の中に、

尾張国羽栗郡本庄郷の人がいた。

「こんな素晴らしいみ教え、私の故郷にもお伝えください」

との願いに、聖人は快く応えられ、帰洛の途中に立ち寄られた。

現在の、岐阜県羽島郡笠松町円城寺の辺りだといわれている。

この地の参詣者の中で、新たに9人が聖人のお弟子になっている。

親鸞聖人は一人一人に直筆の御名号を書き与えられた。

彼らは、それぞれ一寺を建立し、聖人のみ教えを伝えたので

「河野九門徒」と呼ばれている。

さらに京へ向かって歩みを進められたが、

木曽川の氾濫で、しばらく、現在の愛知県一宮市瀬部に

滞在された。

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その間も地元の人々にご説法なされ、

7人がお弟子になっている。

その中には、武士も商人もいた。

彼らも、それぞれ聞法道場を築き親鸞聖人のみ教えを伝えた。

これを「瀬部七ヵ寺」という。

聖人のご出発にあたり、この7人のお弟子は、

木曽川の激流へ入って瀬踏みをし、無事、聖人を対岸へ

ご案内したと伝えられている。

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