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なぜ、大無量寿経だけが真実の経なのか。 [釈迦]


親鸞聖人は『教行信証』の中に、
それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり
と、明言なされております。

これは、釈尊の説かれた経典は八万四千とか、
七千余巻とかいわれるほどたくさんありますが、
釈尊の本心を説かれた、
いわゆる出世本懐中の本懐経は
『大無量寿経』ただ一つだ
、とおっしゃったものです。

そして、この『大無量寿経』以外の教典は、皆、
方便の経だと断定なされています。

では聖人は何を根拠として
このような断定をなされたのかといいますと、
まず『大無量寿経』の巻頭に、
釈尊自らが明言なされているからです。

すなわち、
如来、無蓋(むがい)の大悲を以て三界を矜哀す。
世に出興する所以は道教を光闡し、
群萌をすくい恵むに真実の利を以てせんと欲してなり

と、宣言なされています。
これは、私がこの世に生まれ出た目的は、
一切の人々を絶対の幸福に導く、
この経を説くためであったのだ
、ということです。
この巻頭のお言葉だけでも、
すでに真実の経であることは明らかですが、
なお、この経の終わりには次のようにおっしゃっておられます。

当来の世に経道滅尽せんに、
我慈悲を以て哀愍し、
特にこの経を留めて止住すること百歳せん。
それ衆生有りてこの経に値う者は、
意(こころ)の所願に随いて、皆得度すべし

と、出世の本懐経であることのとどめを刺しておられます。
これはやがて、『法華経』など一切の経典が滅尽する、
末法法滅の時機が到来するが、その時代になっても、
この『大無量寿経』だけは永遠に残り、ますます、
すべての人々を絶対の幸福に導くことであろう、
とおっしゃったものです。

仏として
  なすべきこと

このようなことが説かれてあるのは
一切経多しといえども、この『大無量寿経』のみです。

釈尊は『大集経』その他の経典に、
私の死後1500年たつと末法という時機が来るが、
この時代になると、
一人も私の教えで助かる者がいなくなるであろう、
と予言なされています。

釈迦の教法ましませど、修すべき有情のなきゆえに、
さとりうるもの末法に、一人もあらじとときたまう

            (正像末和讃)
とおっしゃっています。

しかも、その末法一万年の後には法滅の時機といって、
一切の経典が滅する時機がやってくるであろう、
とも予言なされています。

ところが『大無量寿経』には、
かかる法滅の時代が来ても、
この経だけは永遠に残るであろうと明言なされたことは、
永遠不滅の真実経は『大無量寿経』のみであることを
釈尊自ら告白されたのと同じです。

だからこそ、この『大無量寿経』を説き終わられた時、
釈尊は、

これで如来としてなすべきことは、皆これをなせり
と慶喜なされたのは当然でありましょう。

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阿弥陀仏に救われたら、どう変わるのか。 [曇鸞大師]

惑染凡夫信心発(惑染の凡夫、信心を発しぬれば、)
証知生死即涅槃(生死即ち涅槃なりと証知せしむ。)
必至無量光明土(必ず無量光明土に至れば)
諸有衆生皆普化(諸有の衆生、皆普く化す。)
                         (親鸞聖人・正信偈)

親鸞聖人が、深く尊崇されている曇鸞大師の、
『浄土論註』の教えを紹介されているところです。

先月は「惑染の凡夫」について、詳しく解説しました。
簡単におさらいしましょう。

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「惑染」の「惑」は、欲や怒り、ねたみそねみ、など、
百八の煩悩のこと、
「染」は「染まっている」、
「凡夫」とは「人間」のことですから、
惑染の凡夫」とは、煩悩に染まり切った人間。
煩悩以外に何もない、煩悩によってできている人間のことで、
「煩悩具足の凡夫」ともいわれます。

次に、「信心がおきれば」とは、
「阿弥陀仏に救われたならば」ということですから、
「惑染凡夫信心発」
の意味は、こうなります。

煩悩一杯の人間が、阿弥陀仏に救い摂られたならば、
どうなるか

そこでまず、「阿弥陀仏に救われた(信心発・しんじんほつ)」
とは、どんなことか。
親鸞聖人のお言葉を聞かせていただきましょう。

●私たちへのメッセージ

主著『教行信証』の冒頭に、こうおっしゃっています。

難思の弘誓は、難度海を度する大船 (教行信証)

弥陀の誓願は、苦しみの波の絶えない人生の海を、
明るく楽しくわたす大船である

人生を海に例えて、「難度海」と言われています。
「難度」とは「苦しみ」のこと。
私たちの一生は、生まれてから死ぬまで、
苦しみ悩みの波が次から次とやってくる海のようなものだ、
ということで「難度海」とか「苦海」とも言われているのです。

病苦、肉親との死別、不慮の事故、家庭や職場での人間関係、
隣近所とのいざこざ、受験地獄、出世競争、
突然の解雇、借金の重荷、老後の不安・・・。
一つの苦しみを乗り越えて、ヤレヤレと思う間もなく、
別の苦しみがあらわれる。

まさに「賽(さい)の河原の石積み」
ではないでしょうか。

言い伝えによると、死んだ子供の魂は「賽の河原」に送られ、
責め苦を受けるという。

子供たちは干上がった川底で、
小石を積み上げて小さな塔を造り、
苦しみを紛らわせようとする。
だがすぐに鬼がやってきて、せっかく積み上げた石を
バラバラにするので、
子供たちは一からやり直しをさせられる

というもので、これと同様、汗と涙で築いたものが
アッという間に崩されてゆく。

「こんなことになるとは」、地震や火事、
台風や交通事故など、予期せぬ天災人災に、
何度もおどろき、悲しみ、嘆いたことでしょう。

「人生は苦なり」の、2600年前の釈迦の金言に、
皆うなずいているのではないでしょうか。

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だが私たちは決して、
苦しむために生まれてきたのではなく、
生きているのでもない。
すべての人間の究極の願いは、
苦悩をなくして、いかに明るく楽しく
難度海の人生をわたるか、に尽きましょう。

この苦悩渦巻く人生の海を、明るく楽しくわたす大船がある。
それが弥陀の誓願なのだよ
と、
私たちに贈られた聖人のメッセージが、
「難思の弘誓は、難度海を度する大船」
という『教行信証』冒頭の、一大宣言なのです。

弥陀に救われたとは

「弥陀に救われた(信心発)」とは、
この大船に乗ったことだと、
親鸞聖人は自らの体験をこう告白されています。

大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば、
至徳の風、静かに、衆禍の波、転ず。

            (教行信証)

大悲の願船に乗って見る人生の苦海は、
千波万波(せんぱばんぱ)きらめく明るい広海だ。
順風に帆をあげる航海のように、ああ、
なんと生きるとは素晴らしいことなのか

「大悲の願船に乗じて」とは、
「難度海を明るくわたす弥陀の願船に、親鸞いま乗ったぞ」
という晴れやかな宣言であり、
キラキラ輝く乗船記といえましょう。
「弥陀に救われた(信心発)」法悦を、
「大悲の願船に乗った」ことだと、言われています。

ですから「惑染凡夫信心発」とは、言葉を換えれば、
「欲や怒り、ねたみそねみの煩悩に染まり切ったドロ凡夫が、
大悲の願船に乗ったならば」
ということです。

大悲の願船に乗ったならば、「煩悩」はどうなるか。
それを表明された聖人のお言葉です。

「凡夫」というは、無明・煩悩われらが身にみちみちて、
欲もおおく、瞋り(いかり)腹だち、そねみねたむ心、
多くひまなくして、臨終の一念にいたるまで、
止まらず消えず絶えず。
             (一念多念証文)

人間というものは、欲や怒り、腹立つ心、
ねたみそねみなどの、かたまりである。
これらは死ぬまで、静まりもしなければ減りもしない。
もちろん、断ち切れるものでは絶対にない

大悲の願船に乗っても、煩悩は少しも減りもしなければ、
無くならぬ。
煩悩一杯あるがままで親鸞、
大悲の願船に乗せられたのだ
、と言われています。

シブ柿のシブがそのまま甘味になるように、
    苦しみが、そのまま、喜びになる

そう聞きますと、
「なあんだ、煩悩は変わらないのか。
それなら弥陀に救われる意味がないじゃないか。
結局、苦しみは変わらないのだから」
と言う人があります。

そんな人に聖人は、
とんでもない。変わり果てた世界があるぞ
と、次に、
「証知生死即涅槃
(生死即ち涅槃なりと証知せしむ)」
「生死、即ち、涅槃なり」とハッキリするのだ、
と言われているのです。
「生死」とは、苦しみ悩みのこと。
「即」とは、そのまま。
「涅槃」は、幸せであり満足のことですから、
生死、即ち、涅槃なり」とは、
苦しみが、そのまま、幸せになる
という、驚くべき世界です。
これを、先の『教行信証』のお言葉では、
衆禍の波、転ず」(苦しみが、喜びに転じ変わる)
とも言われています。

苦しみがそのまま、喜びに転ずるなんて、
本当なのか。
誰にでも納得できるような説明は困難ですが、
こんな例えででも、想像していただきましょう。

・・・・・・・・・・・・
少年は山ひとつ越えた学校に、
一人で通学しなければならなかった。
課外活動で遅くなった帰路などは、
どきっとするようなさびしい山道もある。
夏はジリジリ照りつける太陽に焼かれ、
冬は容赦なくたたきつける吹雪に、
しゃがみ込むこともあった。
雨が降ると、たちまち坂道が滝になる。
「ああ、もっと学校が近ければ・・・。
この山さえなかったら・・・」
いつも山と道とが、恨めしかった。
やがて学校に、美しい少女が転校してきた。
なんと彼女は同じ村ではないか。
以来、しばしば一緒に通学し、遠い学校のこと、
さびしい山道のことなども語り合う、
親しい仲になっていた。
ある日、学校を出てしばらくすると、
にわか雨に襲われた。
なかなかやみそうにない。
傘は少女の一本だけ。
思いがけず相合い傘(あいあいがさ)になった少年は、
村に着くまでひそかに願った。
“雨がやまないように”“山がもっとさびしければ”
“村がもっと遠ければいい”

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

“苦しめるもの”と、あんなに恨んでいた道の遠さも、
山のさびしさも、変わってはいないはずなのに、
今は少しも苦にならない。
“苦しみ”がかえって楽しみになっているようです。
一時的にしろ、誰にでも、
身に覚えのあるようなことではないでしょうか。

シブ柿の シブがそのまま 甘味かな
シブ柿が甘くなるのは決して、
白衣を着た科学者が、注射器で柿のシブをまず抜き取って、
それからオリゴ糖を注入しているわけではありません。
シブが、そのまま甘味に転ずるのです。
だから、百のシブなら百の甘味になる。
シブが五十しかなければ、甘味も五十。
千のシブだったら、千の甘味になります。
シブが多ければ多いほど甘味も多くなる。

これが「そのまま」ということ。
同じように、「私ほど不幸な者はいない」
と世間を呪い、他人を恨み、己の業に苦しんでいる人ほど、
弥陀に救われたならば、
「私ほどの幸せ者はない」
と、大宇宙一の果報者と生まれ変わるのです。

心は浄土に遊ぶなり

苦しみが、そのまま喜びに転ずる不思議な世界を、
親鸞聖人は、

有漏の穢身(えしん)はかわらねど
こころは浄土にあそぶなり

        (ご和讃)
ともおっしゃっています。

有漏は「漏れるものが有る」ということ。
「漏れる」とは、「煩悩が漏れ出る」ということですから、
「有漏の穢身」とは、煩悩一杯の穢い肉体、
煩悩具足の塊、ということです。

このお言葉は、
煩悩いっぱい変わらぬままで、親鸞、
浄土へ往って遊んでいるように、明るく愉快なのだ

という告白です。
29歳で弥陀に救い摂られてからの、
波乱万丈の聖人のご生涯を知れば、
いかに凄いことを言われているか、
お分かりになるでしょう。

31歳の肉食妻帯の断行は、
「色坊主じゃ」「堕落坊主じゃ」「仏法を破壊する悪魔だ」
と非難罵倒の嵐を呼びました。
35歳、死刑判決を受けられた聖人は、
関白九条公の計らいで越後流刑となり、
配所の5年、風雪に耐えておられます。
その後、関東へ移られてからは、
邪険な日野左衛門の門前で、
石を枕に雪を褥(しとね)に休まれたり、
聖人の興隆をねたんで山伏弁円が白昼堂々、
刀振りかざして殺しに来たりと、
ひどい目に遭われました。
還暦過ぎて京都に戻られてからも、
83歳の時には自宅全焼の悲運、
更に84歳の、長子善鸞の義絶事件は、
聖人最大の悲劇でありましょう。

これら万丈の波乱は、まさに「生死」の大海に
さまよっておられた親鸞聖人の、紛れもないお姿です。

ところが、そんな聖人が、
「こころは浄土にあそぶなり」
と謳いあげておられるのですから、
びっくり仰天です。

かりに29歳から毎年、一億円の宝くじが当たって、
他人もうらやむ贅沢三昧の暮らしをしておられた聖人ならば、
「こころは浄土にあそぶなり」
と断言されて、当然だと思うでしょう。
ところが、まるでその逆、
典型的な不幸続きの人生としか思えない聖人が、
「こころは浄土へ往って遊んでいるように、
明るく愉快なのだ」
と言われているのですから、
「そりゃ一体、どうことですか?」
「どこが浄土ですか?」
と皆びっくりするのです。

そんな不思議な世界のあることを、
有漏の穢身はかわらねど 
こころは浄土にあそぶなり
と叫ばれ、『正信偈』には短い言葉で、
「生死即涅槃」と、明言されているのです。

「惑染凡夫信心発(惑染の凡夫、信心を発しぬれば、)
証知生死即涅槃(生死即ち涅槃なりと証知せしむ。)」
の2行は、
曇鸞大師さま、あなたも煩悩一杯のまま、
弥陀に救い摂られて、生死の苦海が、
そのまま光明輝く広海に転じられたのですか。
親鸞も、そうでありました

という御心であると、知らされます。

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そんな世界に生かされた人は、
「必至無量光明土(必ず無量光明土に至れば)
諸有衆生皆普化(諸有の衆生、皆普く化す。)」
と次に宣言されているのは、
無量光明土」とは、弥陀の浄土のことですから、
「死ねば必ず弥陀の浄土へ往って
諸有の衆生を、皆、普く化すぞ」
と言われているのです。

「諸有の衆生」とは、苦しみ悩みの人たちのこと。
「皆」とは、一人残らず。
「化す」とは、弥陀の救いに導くことですから、
死ねば極楽へ往くけれども、
ゆっくり休んでなどおらないぞ。
すぐに戻ってきて、すべての人を助けずにおれないのだ

と曇鸞大師がおっしゃっていることを、
親鸞も同じく、無限の活動をせずにおれません
というお気持ちで、書かれているお言葉です


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まことなのは、弥陀の本願だけ! [親鸞聖人]

印度西天之論家(印度西天の論家)
中夏日域之高僧(中夏・日域の高僧)
顕大聖興出正意(大聖興世の正意を顕し)
明如来本誓応機(如来の本誓、機に応ずることを明かす)

これは親鸞聖人が、
“インド、中国、日本の正しい仏教の先生方のおかげで、
親鸞、お釈迦さまの教え、阿弥陀如来の本願を
聞かせていただけた”
とお喜びになっているお言葉です。

そして「親鸞、更に私なし」
と90年の生涯、弥陀の本願をそのまま伝えていかれたのが
親鸞聖人でありました。

驚くべき聖人の信仰告白

このように聞くと、こんな誤解をする人があるようです。
“お釈迦さまは遠い昔の方、
ましてや弥陀の本願と言われても、
私たちには信じ難い。
だから、信頼できる仏教の先生の言葉を信ずる。
これが信仰というものだ”

“親鸞さまも、お師匠さまの法然上人が、
「弥陀の本願に間違いはないぞ」と言われるから間違いない、
と信じておられたのだろう”
ところが親鸞聖人は、全く逆の、
驚くべき信仰を表白(ひょうはく)なされています。

有名な『歎異抄』第2章の、次のお言葉で聞いてみましょう。

「弥陀の本願まことにおわしまさば、
釈尊の説教、虚言なるべからず。
仏説まことにおわしまさば、
善導の御釈、虚言したまうべからず。
善導の御釈まことならば、法然の仰せ、
そらごとならんや。
法然の仰せまことならば、親鸞が申す旨、
また以て虚しかるべからず候か」

            (歎異抄二鈔)
弥陀の本願がまことだから、
それ一つ説かれた釈尊、善導、法然の教えに
間違いがあるはずがない。
これらの方の教えがまことならば、
そのまま伝える親鸞に、
どうしてウソ偽りがあると言えるのか

聖人帰京後、関東に起きた動乱

このお言葉は、どんな時に、
どんな人におっしゃったものでしょうか。
20年間、関東で布教活動された聖人は、
還暦過ぎて故郷の京都へ帰られました。
ところが、その後の関東では、
聖人の教えを聞く人たちの信仰を惑乱する、
種々の事件や問題が起きました。

その一つが日蓮の問題です。
日蓮は、後の日蓮宗を開いた人物ですが、
この男ほど仏法をそしった者はないでしょう。

念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」(四箇格言)
と触れ回り、
「念仏称える者は無間地獄に堕ちるぞ、
禅宗の者たちは天魔じゃ、
真言宗のやつらは国を亡ぼすぞ、
律宗は国賊じゃ」
当時盛んであった仏教の宗派を、
片っ端から攻撃したのです。

仏教では、仏法をそしる謗法罪は、
大恩ある親を殺すよりも重罪であると教えられます。

真実の仏教をねじ曲げ、
そしることは、すべての人の救われる唯一の道を破壊し、
幾億兆の人々を地獄にたたき堕とすことになるからです。

もちろん、お釈迦さまの一切経のどこにも
「念仏無間」などという言葉は出てきません。
それどころか釈尊は、
臨終の父王に念仏を勧められています。
「念仏無間」は日蓮の造語にすぎません。


しかし“デタラメだ”と、
初めは相手にしていなかった関東の同行たちも、
日蓮があまりに熱狂的であったため、
「ウソも百ぺん言えばホントになる」で、
次第に信仰が動揺してきました。
“もし日蓮の言うことが本当なら大変だ”
“いやいや、念仏の教え、弥陀の本願しか助かる道はないと、
親鸞さまはいつも仰せだった。
親鸞さまに限って間違いない”
“そう信じてはいるが・・・”
“本当のところを、確かめたい”
“じかに聖人さまに、お尋ねするしかない”

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かくして関東の同朋たちは、
親鸞聖人一人を命として、京都へ向かったのです。

事は後生の一大事

当時、関東と京都の往復は60日かかったといいます。
道中、箱根の山や大井川など、
旅人の難所は幾つもありました。
盗賊や山賊もウロウロしている。
まさに命懸けの旅路であったに違いありません。

しかし、事は後生の一大事。

長生きしたところで、死なぬ身になったのではありません。
必ず飛び込まねばならぬのが後生です。
吸った息が吐き出せなければ、
吐いた息が吸えなければ、その時から後生です。
一息切れた後生、浮かぶか沈むかの一大事を解決し、
いつ死んでも極楽参り間違いなしの
大安心・大満足の身になることこそ、
“なぜ生きるか”の人生の目的であると、
親鸞聖人は教え続けていかれました。

この世、50年か70年、“どう生きるか”にさえ、
命をすり減らして、
朝から晩まで走り回っているではありませんか。

捨ててはおけぬ後生の一大事に、関東の同朋たちは、
弥陀の本願が本当に救われる道なのかどうか、
これ一つ聞きたいと、命懸けの旅を決行したのです。

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弥陀の本願がまことだから

それに対する聖人のお言葉は、
意外なものだったと言えましょう。

弥陀の本願がまことだから、
それ一つ説かれた釈尊、善導、
法然の教えに間違いがあるはずがない。
これらの方の教えがまことならば、
そのまま伝える親鸞に、
どうしてウソ偽りがあると言えるのか

これでは話が逆さまではないか、
とクビをひねる人もあるでしょう。
なぜかといえば、「弥陀の本願(念仏)に疑いが起きて、
言われるとおりに「本願」が“まことかどうか”
を確かめに来ている人たちに、
「弥陀の本願」は「まことなのだから」という大前提で
語られているからです。

この大胆な逆説的な断言は、何を意味し、
どのような体験からなされたものなのでしょうか。

まことなるかなや、歓喜の叫び

親鸞聖人は29歳の時、法然上人のお導きによって、
信心決定なされました。
信心決定とは、弥陀の本願に救い摂られたことをいいます。
弥陀の本願とは、
「後生の一大事を解決して、“極楽へ必ず往ける”
大安心・大満足の身にしてみせる」
という、本師本仏の阿弥陀如来のお誓いです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある男が表を通りかかると、
道ばたの家で自分のうわさをする者がいる。
「あの男は怒りっぽくて、手が早くてね。
それが彼の欠点だよ」
「へえ、それは本当か」
男は、いきなり家に飛び込んで、
「何でオレが短気で手が早いもんか。
でたらめ言うな」
とみんなの頭をポカポカ殴りつけた。
なるほどうわさにたがわぬ男だと、
一同ハッキリしたといいます。

友人に貸した大金が返った時に、
“彼の誓約は本当だった”と、
それまでの疑いは晴れるように、
弥陀のお約束どおり、“必ず浄土へ往ける”
と大満足の身になられた聖人は、

誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法
             (教行信証)

と仰っています。
「摂取不捨の真言」も「超世希有の正法」も、
ともに弥陀の誓願のことですから、
このお言葉は、
まことだった!本当だった。
弥陀の本願にウソはなかった”
という、弥陀の本願に、
ツユチリほどの疑心もなくなった聖人の、
真情あふるる歓喜の叫びなのです。

さらに、こうも断言されています。

煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、
万のこと皆もって空言・たわごと・真実あること無きに、
ただ念仏のみぞまことにて在します(おわします)」

             (歎異抄)

いつ何が起きるか分からない火宅無常の世界に住む、
煩悩にまみれた人間のすべてのことは、
そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない。
ただ念仏(弥陀の本願)のみがまことなのだ

聖人には、弥陀の本願のほかに、
まことはありませんでした。

「念仏のみぞ、まことにて在します」は、
「本願のみぞ、まことにて在します」
を言い換えられただけです。
弥陀の本願以外に、この世に確かなものは何もない、
鮮明不動の世界に出られた聖人には、
「弥陀の本願はまことだから・・・」と、
何のためらいもなく言えたのでしょう。

「弥陀の本願まこと」が、常に聖人の信仰の原点であり、
大前提なのです。

●信前・信後で、大間違い

ところが、関東の同行にとっては、
最も間違いないのが親鸞聖人、
いちばん信じられないのが弥陀の本願。

まるっきり反対です。

弥陀に救われる前、信前は、
本願ではなく人を信じているのです。
だから、その人に間違いがあれば、
信心が全部崩れてしまいます。

関東の同行は、
“親鸞さまのおっしゃる弥陀の本願だから、間違いなかろう”
と信じているから、
「念仏無間じゃ!おまえらは親鸞にだまされているんだ」
と言われると、信仰が動揺したのです。

それに対して、弥陀に救い摂られたあと、
信後の心は、絶対に間違いない弥陀の本願の上に
立っていますから、崩れることがありません。

親鸞聖人は、
“法然上人が間違いないと言われる弥陀の本願だからまことだ”
と信じ教えられたのではありません。
法然上人のご教導を通して、
そのまま救う
という阿弥陀如来のじかの呼び声を聞き
「まことなるかな!弥陀の本願」
と、不倒の仏地に心を立てられたのです。

だから、かりに、お釈迦さまが実在の人でなかったとしても、
善導大師が間違い者だと立証されても、
法然上人はうそつきだと非難されても、
何がどのようになろうと、
弥陀の本願に対する疑心は、
兎の毛(うのけ)の先で突いたほども出ることがないのです。

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金剛の信心を獲得せよ

これを金剛の信心といわれます。
金剛石といえばダイヤモンド。
これ以上硬いものはありません。
硬いということは変わらないということ。
金剛心とは、何があっても微動だにしない心です。
迷った人間の言葉ぐらいでぐらつくような信心では、
臨終のあらしの前に吹き飛ぶのだぞ。

だが、日蓮を縁に、金剛の信心でなかったことが
知らされたのは喜ぶべきことだ。
ニセの信心を破り捨ててこそ、
真実の信心獲得まで進ませていただけるのだから、
そこまで求め抜きなさいよと、
親鸞聖人はご教示になっています。

聖人のお言葉に従い、
永遠不滅の「弥陀の本願まこと」に心を立て、
金剛不壊(こんごうふえ)の信心を
獲得させていただけるよう、
聞法精進させていただきましょう。


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