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弥陀は「極楽への往復切符」も授けてくだされる! [親鸞聖人]

 

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の「とどろき」より載せています)

約800年前、親鸞聖人がお生まれになり、
教導されなければ、
私たちは知ることも、達成することも
できなかったであろうことがあります。
その聖人のご生誕を寿ぎ(ことほぎ)
無上の妙法聞かせていただく勝縁が、
「親鸞聖人・降誕会(ごうたんえ)」です。

(平成21年5月号のとどろきから載せています)

今日、世界の光と仰がれる親鸞聖人は、
90年の生涯、どんなことを教えていかれたのでしょうか。

今回は、「恩徳讃」といわれる有名なお言葉に込められた
親鸞聖人の御心を、聞かせていただきましょう。

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「如来」とは、本師本仏の阿弥陀如来のこと。
「本師本仏」とは、大宇宙に無数にまします
仏方の先生ということです。
「如来大悲の恩徳」とは、
阿弥陀如来の大慈悲心によって救われたご恩
ということで、
「そのご恩には、身を粉にしても」とは、
身命を賭してもお返しできない、
と言われているのです。


私たちの生活で、そこまでの恩返しがあるでしょうか。
どの医者にも見放された病気を治してもらったとしても、
その報恩に命まで捨てようとは思いませんし、
全財産投げ出そうとも思えません。

ところが親鸞聖人は、阿弥陀如来から受けた洪恩(こうおん)は、
死んでも報い切れない、
その阿弥陀如来の大悲を伝えてくだされた
方々(師主知識)のご恩も、
骨を砕いても済みません、と言われています。

恩徳讃は、親鸞聖人が救われて
阿弥陀如来と先生方のご恩を
讃嘆(さんだん)された詩なのです。

絶対の幸福に
     救われたからこそ

阿弥陀如来に救われたことを、親鸞聖人は、

愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦
雑行を棄てて、本願に帰す
 (教行信証)

親鸞は、29歳、雑行をすてて阿弥陀仏に救われた
と記されています。
『正信偈』冒頭にも、

帰命無量寿仏如来
南無不可思議光

“阿弥陀如来に親鸞、救われたぞ。
阿弥陀如来に親鸞、助けられたぞ”
と叫ばれていることは、
繰り返し詳述してきたとおりです。

「救われた」といっても、いろいろあります。
凍死しそうな時に、温かいものをもらって命拾いした。
遭難を救助されて急死に一生を得た。
これらみんな「救われた」といいますが、
親鸞聖人が
「救われた」と言われているのは、
阿弥陀仏の本願に救われた」ことです。

阿弥陀仏の本願とは、阿弥陀仏のお誓い、
お約束のことで、

「  どんな人をも
我をたのまん衆生は
  必ず助ける
       絶対の幸福に

というお約束です。
その本願に救われた、とは、
本願のとおりに「絶対の幸福に救われた」ことです。

「阿弥陀仏の本願まことだった、まことだった」
とハッキリ知らされたことを、
「本願に帰す」と言われているのです。
しかも、この弥陀のご恩はあまりにも大きくて、
身を粉にしても報い切れない、
とおっしゃっているのです。

そして、弥陀がいかに尊いご本願を建立されていても、
伝えてくださる方がなければ親鸞、
知ることはできなかたであろう。
弥陀の本願を届けてくだされた、インド・中国・日本の
師主知識(善知識)方の厚恩にも親鸞、
骨を砕いてもお返しできない、
と感泣されているのが「恩徳讃」なのです。

●「浄土へ往っても
         日帰りだ」

「身を粉に、骨砕いても」とは
オーバーに聞こえるかもしれませんが、
親鸞聖人はお亡くなりになる時、
こう言われています。

我が歳きわまりて、
安養浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲(うらわ)の片男波(かたおなみ)の、
寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人(みたり)と思うべし、
その一人(いちにん)は親鸞なり

            (御臨末の御書)

「我が歳きわまりて」とは、
「親鸞いよいよこの世の命尽きた」ということですが、
これは聖人だけにあるのではない。

私たちすべての確実な未来です。
早ければ今晩。
では、死んだらどうなるか、ハッキリしているでしょうか。

今年の2月、滝田洋二郎監督の映画『おくりびと』
がアカデミー賞を受賞し、
「外国語映画部門」では日本人初の快挙と報じられました。
死者に化粧を施し、
衣装を着せて棺に納める「納棺師」の男性が、
人間の生と死を見つめ直し成長していく物語。
「死」という普遍的なテーマを正面から描き、
「人間の尊厳」を訴えたことが、文化の違いを超えて
世界中の心をとらえた、と評価されています。
考えてみれば私たちは、遅かれ早かれ、
百パーセント死んでいかねばなりません。
「死の旅路」への、いわば「おくられびと」になる時が来るのです。

死ねば遺体は大事に納棺され、通夜、
葬儀が執り行われるでしょう。
最後は火葬され、一つまみの白骨となりますが、
それは肉体のこと。
では魂の行く先は?ハッキリしているでしょうか。

そもそも物質的なもの以外に、
消えずに残る何かが、有るのか、無いのか。
「死後の有無」すらも分かっていないのが、
実際のところでしょう。

私たちの肉体を、単純に「物質」として計算すると、
一人分の原価はわずか5000円だそうです。
内訳は、脂肪が石鹸7個分、炭素が鉛筆の芯9000本分、
鉄分が2寸釘1本分、リンがマッチの頭2200個分、
以上合計5000円、というわけです。

そう知ると、「遺体を大事に扱うことに、
そんなに意味があるのだろうか」と疑問に思ったり、
「人間の尊厳」が、
5000円ぽっきりの「肉体」にあるはずがないと、
なんとなく感じる人もあるでしょう。

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では、肉体が死んで灰になると、
「私」は一体どうなるのだろうか。

ガンと10年闘って世を去った岸本英夫氏(東大宗教学教授)が、
死と真正面から向き合った記録は壮絶です。

生命を断ち切られるということは、
もっとくわしく考えると、どういうことであるか。
それが、人間の肉体的生命の終わりであることは、
たしかである。
呼吸はとまり、心臓は停止する。(中略)
しかし、生命体としての人間を構成しているものは、
単に、生理的な肉体だけではない。
すくなくとも、生きている間は、人間は、
精神的な個と考えるのが常識である。
生きている現在においては、自分というものの意識がある。
「この自分」は、死後どうなるかという点に集中してくる。
これが人間にとっての大問題となる。

          (『死を見つめる心』)

死後が「有る」ように思うし「無い」ようにも思う。
分からない。
すべての人は、未知なる後生に向かって生きているのです。

われわれは断崖(危険)が見えないように、
何か目隠しをして平気でそのなかへ飛びこむ

パスカルは危ぶみます。
思えば私たちは、真っ暗がりの中を、
突っ走っているようなもの。
「死んだらどうなるか」未知の世界に入ってゆく底知れぬ不安を、
何かでごまかさなくては生きてはゆけない。

文明文化の進歩といっても、
後生暗い心が晴れない限り、
このごまかし方の変化に過ぎないといえましょう。

しかし、このごまかしは続かないし、
なんら問題の解決にはなりません。
何を手に入れても束の間で、
心からの安心も満足もない、
火宅のような人生にならざるをえないのです。

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ところが親鸞聖人は、そうではなかった。
「安養の浄土に還帰す」

親鸞死ねば、阿弥陀仏の極楽浄土に往く”
とハッキリ言われています。

これを「往生一定」といい、
“阿弥陀仏の極楽浄土へ往くことが、ハッキリした”ことです。

往生一定になった時、
未来永遠変わらない大満足の身になりますから、
これを「絶対の幸福」ともいわれます。

しかもその弥陀の救いは、一念という何兆分の一秒よりも
短い時に完成します
から、蓮如上人は、

たのむ一念のとき、
往生一定・御たすけ治定
」(領解文)

と教えられています。

29歳の御時、「往生一定」の身になられた聖人は、
それから61年間、身を粉に骨を砕いて、
不思議な弥陀の本願の開顕一つに
驀進(ばくしん)されたのですが、まだ足らぬ、
相済まぬ、九牛の一毛も報い切れないと、
90歳でお亡くなりになる時には、
「極楽でのんびりなんかしてない。
寄せては返す海のように、親鸞、すぐに戻ってくるからなあ」
とおっしゃっています。

みんな、何のために生まれてきたのか、
生きているのか、分かりませんから、
科学は進歩し医学は発達して、
これだけ世の中便利になっても、
少しも自殺者は減りません。
苦しみ悩みは絶えないのです。

だから聖人は、
“人間に生まれたのはこれ一つのためであったと出世の本懐、
果たすまで、親鸞は寄せかけ寄せかけ戻ってくる。
だから、一人で喜んでいる時は二人、
二人の時は三人と思いなさい。
喜んでいる時だけでない。
苦しい時も、悲しい時も、悩める時も、
常に親鸞がそばにいるからね”
と呼びかけていられるのが、
このご臨末のお言葉なのです。

すべては
   弥陀より賜るもの

では、どうしてそんなことができるのでしょうか。
聖人は、

「小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもうまじ」
      (悲嘆述懐和讃)

慈悲のカケラもない親鸞、
他人を幸せにしたいという心など、
これっぽっちもない”
といわれています。
その聖人が、どうして“死んでからもすぐに戻ってくる”
と、「恩徳讃」の活躍をなされたのか、
と不審に思われる人もあるでしょう。

それについて『正信偈』には、

往還廻向由他力(往還廻向は他力による)
と教えられています。

「往還廻向(おうげんえこう)」とは、
往相廻向(おうそうえこう)と還相廻向(げんそうえこう)
の二つの廻向をいわれます。
「廻向」とは、差し向ける、与えること、
「他力」とは阿弥陀仏のお力のことですから、
往相廻向と還相廻向、二つの働きはひとえに
阿弥陀仏のお力によるのだ

と言われているお言葉です。
「往相」とは、「往生浄土の相状」のことです。
この世で阿弥陀仏の本願に救われて、
往生一定の身になった人は、
一日生きれば一日、一年たてば一年、
極楽へ極楽へと近づいていることになる。

この「極楽浄土へ往く相」を「往相」といいます。
この働きは阿弥陀仏が与えてくださるものですから、
これを「往相廻向」といわれます。

次に、「還相」とは「還相穢国の相状」のことで、
「還来」は戻ってくること。
「穢国」とは、この娑婆世界のことです。
娑婆というのはインドの言葉ですが、
中国では堪忍土といって、
言いたいことでも言ってはならない、
言いたくないことでも言わねばならない、
やりたいことでも我慢しなければならない時もあれば、
やりたくないことでも、やらねばならない時もある。
そのように、堪え忍ばなければ生きていけない世界なので、
この世のことを堪忍土、娑婆といわれる。
穢れた世界ですから「穢国」ともいわれます。

それで、阿弥陀仏に救い摂られ死んで極楽へ往った人が、
衆生済度のために娑婆世界に戻ってくる相を、
「還来穢国の相状」=「還相」といわれるのです。

(※衆生済度とは、苦しんでいる人々を助け、救うこと)

「寄せかけ還ってくる」の聖人ご臨末のお言葉は、
その告白であり、この働きも阿弥陀仏から賜るものですから、
「還相廻向」といわれ、「往相廻向」と合わせて
「往還二廻向(おうげんにえこう)といわれています。
分かりやすくいえば、
極楽への往復切符を頂くようなもので、
往くも還るも弥陀のお力による、ということです。

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『正信偈』には続いてこう書かれています。

正定之因唯信心(正定の因は唯信心なり)」

その往還廻向の働きの元は、
「唯信心一つなのだ」と言われているお言葉です。

この一念の信心一つで救われると教えられたのが
親鸞聖人ですから、
親鸞聖人の教えを、「唯信独達の法門」ともいわれます。
「ただ信心一つで、人生の目的が達成できる」
ということです。
これを無我に相承(そうじょう)された蓮如上人は、
有名な「聖人一流の章」に、

聖人一流の御勧化の趣は、
信心をもって本とせられ候
」 (御文章)

と断言され、また、

祖師聖人御相伝一流の肝要は、
ただこの信心一に限れり。
これを知らざるをもって他門とし、
これを知れるをもって真宗のしるしとす

          (御文章)

当流親鸞聖人の勧めまします所の一義の意というは、
先ず他力の信心をもって肝要とせられたり

             (御文章)

開山聖人の御一流には、それ、
信心ということをもって先とせられたり

             (御文章)

当流には信心の方をもって先とせられたる、
その故をよく知らずは徒事なり

              (御文章)

とも教示されています。

いずれも、
親鸞聖人90年の生涯、教えていかれたことは、
ただ信心一つであったのだ

(信心=阿弥陀仏からいただいた「南無阿弥陀仏」のこと)
ということです。そして、ご遺言には、

あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと
朝夕思いはんべり、
まことに宿善まかせとはいいながら、
述懐のこころ暫くも止むことなし

             (御文章)

と、私たちの「信心決定」一つを念じ、
真剣な聞法を教え勧めていかれたのです。

●「身を粉に骨を砕きても」の御心

29歳の御時、阿弥陀如来の本願に救い摂られた聖人は、
90歳でお亡くなりになるまで61年間、
文字どおり「身を粉に骨砕きても」の「恩徳讃」のご活躍をなされ、
なおもご臨末に、

“寄せかけ寄せかけ戻ってくる。
苦しい時も、悲しい時も、悩める時も、
常に親鸞がそばにいるからね”
と私たちに呼びかけていられる御心。
それは、「みなみな信心決定あれかし」
「どうかすべての人よ、片時も急いで、
阿弥陀如来の本願に救われてもらいたい」
これ以外に何もなかったことが、
お分かりになるでしょう。


 


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弥陀の本願ひとつを伝えられた七高僧方とは! [親鸞聖人]


(真実の仏教を説いておられる先生の書物「とどろき」から載せています)

印度西天之論家(印度西天の論家、)
中夏日域之高僧(中夏・日域の高僧)
顕大聖興世正意(大聖興世の正意を顕し)
明如来本誓応機(如来の本誓、機に応ずることを明かす)

                  (親鸞聖人・正信偈)

『正信偈』冒頭に、
「帰命無量寿仏如来
南無不可思議光」

“阿弥陀如来に親鸞、救われたぞ、
阿弥陀如来に親鸞、助けられたぞ”

と、絶対の幸福に救われた自らのことを
告白された聖人が、
どうしてこの身に救われることができたのか。
まったく弥陀のお計らいであった、

その弥陀の御心を明らかにされた釈迦の教えを、
インド・中国・日本の七高僧方が、
親鸞まで正しく伝えてくだされたおかげであったのだ

と、広大なご恩を喜ばれているのが、
「印度西天之論家
中夏日域之高僧
顕大聖興世正意
明如来本誓応機」
の4行です。

「印度西天之論家」とは、
印度で活躍された龍樹菩薩天親菩薩
二菩薩のことであり、
「中夏日域之高僧」とは、
中国の曇鸞大師道綽禅師善導大師のお三方と、
日本の源信僧都法然上人のお二人のこと。
これら三国の七人の方を、
親鸞聖人は「七高僧」と仰がれ、
その偉大な功績を続いて、
「顕大聖興世正意」
七高僧方は、大聖興世の正意を、
顕かにしてくだされたのである

と讃えておられます。

「大聖」とは、仏教を説かれたお釈迦さまのこと、
「興世」とは「現れられたこと」、
「正意」は「正しい御心」のことですから、
「大聖興世の正意」とは、
「釈迦がこの世に現れられて、仏教を説かれた目的」
ということです。

それを七高僧方は、
どのように鮮明にされているかというと、

唯、阿弥陀如来の本願ひとつを説かれるためであった
と、共通して、明らかにされているのです。

●ただ、阿弥陀如来の本願ひとつ

「阿弥陀如来の本願」とは、
本師本仏の阿弥陀如来が、


“どんな人をも
必ず助ける
絶対の幸福に”


と誓われているお約束のことで、
有名な『歎異抄』の冒頭には
「弥陀の誓願」とも言われています。

「誓願」とは「約束」のことです。
釈迦は、この「弥陀の誓願」ただ一つを説くために
仏教を説かれた、
それが「大聖興世の正意」であったのだ
と、
七高僧方が顕らかにされたことを『正信偈』に、
「顕大聖興世正意(けんだいしょうこうせしょうい)」
“大聖興世の正意を顕らかにされた”
と仰っているのです。

釈迦の教えは、
七千冊余りの膨大な数のお経になって
書き残されており、「一切経」と言われます。

その一切経に、何が説かれているのか。
釈迦は80年の生涯、どんなことを教えられたのか。
古今の歴史上、いろいろな人が、それぞれに解釈して、
「これが仏教だ」「釈迦の真意だ」と主張します。
そんな中、七高僧方はいずれも、
「仏教を説かれた釈迦の正意は、
弥陀の本願一つであったのだ」
と断言されているのです。


これは、ちょっとやそっとの問題ではありません。
ことは仏法です。
未来永劫の救いを説かれた仏教を、
間違って伝えたならば、
取り返しのつかないことになる。

たぶんこうでしょう」「私はそのように味わっています」
などという無責任発言は許されません。

その仏教について、
「釈迦の正意は、これ一つであったのだ」
と断定することは、誰でも彼でもできることではない。

7千余巻の一切経を余すところなく読破して、
すべて正しく理解されていなければ、
とても言えることではないのです。


その難事を、インド・中国・日本の、
これらの方々なればこそなされたのだ、
そのおかげで親鸞、弥陀の本願を知らされ、
救い摂られることができたのだ。
深きご恩を忘れることはできない、
お返しせずにおれないと、
このあと七高僧をお一人ずつ、名前を挙げて、
その活躍を懇ろ(ねんごろ)に紹介されているのです。

では七高僧方は、どのように、
釈迦の正意である「弥陀の本願」
を明らかにしてくだされたのか。

●七高僧方のご活躍

龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)
約1900年前、インドの人です。
釈迦がお経に、
「私の死後700年ののち、
南インドに龍樹という者が現れ、
大乗無上の法を伝えるであろう」
と予言されている、
その通りに世に登場して大活躍されました。


今日「小釈迦」と呼ばれるほど、
仏教の諸宗派かた尊敬され、
『御文章』にも
八宗の祖師龍樹菩薩」(一帖目十四通)
と言われています。

主著の『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろうん)』に、
仏教を「難行道」と「易行道」に分けられ、
易行の「弥陀の本願」を勧められているのです。

天親菩薩(てんじんぼさつ)
約1700年前、インドの人で、「世親菩薩」ともいわれます。
主著の『浄土論』は、
弥陀の本願を釈迦が説かれた
『大無量寿経』の注釈書
であり、
仏教で「論」といえば
『浄土論』のことを指すほど有名です。
『往生論』ともいわれます。
他にも多くの著書があり、
「千部の論主(せんぶのろんじゅ)」
ともいわれています。

曇鸞大師(どんらんだいし)
約1500年前、中国の人です。
親鸞聖人は、お名前の「鸞」の字を
曇鸞大師から頂かれました。

また、『高僧和讃』の中で、
曇鸞大師についての和讃が一番多く、
三十四種あります。

『正信偈』にも「本師」曇鸞と仰っている
(他には直接のお師匠・法然上人のみ)ことからも、
いかに聖人が曇鸞大師を
尊敬されていたかが知られます。

主著の『浄土論註』は、
天親菩薩の『浄土論』を解釈されたもの。
「註」とは解釈のこと。
仏教で「論註」と言えば『浄土論註』を指すほど有名で、
『往生論註』ともいわれます。

道綽禅師(どうしゃくぜんじ)
約1400年前、中国の人です。
主著『安楽集』に、
仏教を「聖道仏教」と「浄土仏教」
の二つに分けられ、
「聖道仏教では助からぬ。
浄土仏教・弥陀の本願のみを信じよ」
と、断言して教えられました。

これは道綽禅師のような方でなければ
できないことであったと、
偉大な功績を親鸞聖人は、
「道綽決聖道難証(道綽は聖道の証し難きことを決し)
唯明浄土可通入(唯浄土の通入すべきことを明かす)」
                (正信偈)
と讃嘆されています。

善導大師(ぜんどうだいし)
約1300年前、中国の人。
中国で最も仏教の栄えた唐の時代。
親鸞聖人は『正信偈』に、
「善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶっしょうい)
多くの僧侶がいたが、
「仏の正意」に明らかであったのは、
善導大師お一人であった

と、絶賛されています。
とても普通の人間とは思えないと、
聖人は「大心海化現の善導」
(仏さまが、極楽から姿を変えて現れられた方)
とも言われています。


主著の『観無量寿経疏』は、
釈迦の『観無量寿経』を解釈されたものです。

夢に現れた仏の教導を仰いで著されたので、
「写す者は経の如くせよ。一字一句、加減すべからず」
と、自ら仰っているお聖教です。

源信僧都げんしんそうず
約1000年前、日本の人。
「恵心僧都」ともいわれます。
主著の『往生要集』には、
地獄・極楽の様子がつぶさに描写され、
早く浄土往生の身になることを勧められています。


臨終の母君に説法され、
弥陀の本願に喜ぶ身となられたことをご縁として、
著されたといわれます。
(※弥陀の本願に喜ぶ身とは、弥陀に救われたこと)

法然上人(ほうねんしょうにん)
約900年前、日本の人。「源空」ともいわれます。
親鸞聖人の直接のお師匠さまです。
智慧優れ、仏教の大学者であられたことから、
「智慧第一の法然房」「勢至菩薩の化身」
と仰がれました。

勢至菩薩は、阿弥陀如来の智慧を表す菩薩であり、
化身とは、その生まれ変わりのこと。

かの有名な『選択本願念仏集』は、
弥陀の本願以外のすべての仏教を捨てよ、
閉じよ、閣けよ(さしおけよ)、抛てよ(なげうてよ)」
と徹底された書で、「捨閉閣抛(しゃへいかくほう)」
といわれます。

当時の仏教界に、水爆のような衝撃を与えました。
いずれの方も、「弥陀の本願」ひとつを
教えられたことがお分かりでしょう。


そして、
「明如来本誓応機(みょうにょうらいほんぜいおうき)」
「如来の本誓、機に応ずることを明らかにされたのだ」
と、親鸞聖人は『正信偈』に続けて仰っています。

「如来の本誓」とは、「阿弥陀如来の本願」のこと。
その「弥陀の本願」が、
「機に応ずる」と言われている「機」とは、
私たち人間のことです。

世の中にはいろいろな人があります。
男もいれば女もいる。
肌や瞳の色、国や言葉も違えば、顔かたちも違う。
感情的な人、論理を重んじる人、性格もまちまちですが、
阿弥陀如来の本願は、どんな人にも適応する」ことを、
「如来の本誓は、機に応ずる」
と言われているのです。

ちょうど水が、どんな器にも、
器に応じて入るようなものです。
丸い器なら丸く、
四角い器なら四角く水は入ります。
水が器を選んで、
こんな器には入らない、適応しない、
ということはありません。

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同様に、阿弥陀如来の本願は、
「どんな人でも必ず救う」
と誓われたお約束であることを、
七高僧方が明らかにしてくだされた
ことを、
「如来の本誓は、機に応ずることを明かす」と言われ、
そのおかげで親鸞、救われることができたのだと
感泣されている聖人は、
『教行信証』の冒頭に
こうも感激を告白されています。

ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしきかなや、
西藩・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、
遇い難くして今遇うことを得たり、
聞き難くして已に聞くことを得たり。
真宗の教・行・証を敬信して、
特に如来の恩徳の深きことを知んぬ。
ここを以て聞く所を慶び、獲る所を嘆ずるなり

              (教行信証総序)

ああ、幸せなるかな親鸞。
なんの間違いか、毛頭遇えぬことに、今遇えた。
絶対聞けぬことが、今聞けた。
釈迦が、どんなにすごい弥陀の誓願を説かれていても、

伝える人がなかったら、絶対の幸福に
救われることはなかったにちがいない。
ひろく仏法は伝えられているが、
弥陀の誓願不思議を説く人は雨夜の星である。
その希有な、弥陀の誓願を説く
インド・中国・日本の高僧方の教導に、
今遇うことができたのだ。
聞くことができたのだ。
この幸せ、何にたとえられようか。
どんなによろこんでも過ぎることはない。
それにしても知らされるのは、
阿弥陀如来の深い慈恩(じおん)である。
なんとか伝えることはできないものか

はじめに『教行信証』を起草せずにおれなかった心情を、
こう述べて、六巻の『教行信証』は書き始められています。
『正信偈』の中ではこれを、
「印度西天之論家
中夏日域之高僧
顕大聖興世正意
明如来本誓応機」
と讃えられ、懇ろにその教えをひらかれているのです。 

 


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