仏教の目的は何ですか? [Q&Aシリーズ]
(質問)仏教の目的は何ですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日、仏教と聞くと何が思い浮かぶでしょうか。
葬式や法事で生き延びている葬式仏教、
おみくじやゴマをたいてゴ利益を振りまく祈祷仏教、
伽藍や大仏を売り物にする観光仏教・・・。
もちろんこれらは論外ですが、中には、
仏教を道徳や倫理と兄弟のように考えて、
「仲良く生きていく方法を教えたもの」
と思っている人もあるでしょう。
だからケンカもせず、人の言うことは何でもハイハイと
聞く円満な人格者、角の取れた人間が
仏教信者だと信じています。
しかし、仏教はそんな修養の道具でもありません。
では、仏教を聞く目的は何でしょうか?
それは、後生の一大事の解決をするためです。
(質問)後生の一大事とは何ですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・
蓮如上人は、『御文章(お文)』の至るところに、
「後生の一大事を思いとりて」とか、
「今度の一大事の後生」とおっしゃっています。
有名な「白骨の章」には、
「誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて」
とあります。
仏教は、後生の一大事に始まり、
その解決で終わる教えです。
釈尊一代の教え、八万の法蔵といわれる一切経も、
この一大事を私たちにいかに知らせるか、
この一大事をいかに解決するかを
教えられた以外の何ものでもありません。
ですから、後生の一大事ということが分からなければ、
仏教は分からない。
これが仏教の出発点なのです。
(質問)後生とはどんな意味ですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
後生とは、死後のことです。
後生と聞くと、カビの生えた古い言葉のように感じたり、
30年も50年も先のこと、
自分とは関係のないと思う人もありますが、
本当にそうでしょうか。
吸った息が吐き出せない時、
吐いた息が吸えなかった時が、
もうその人の後生です。
だから、一息一息が取り返しのつかない価値を持ち、
吸う息、吐く息が後生と密着している。
こんな差し迫った現実問題はないのです。
「後の世と 聞けば遠きに似たれども
知らずや今日も その日なるらん」(古歌)
のとおりです。
されば、蓮如上人は、
「仏法には、明日という日はない」とまで言われています。
(質問)一大事とはどんなことですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一大事とは、取り返しのつかないことをいいます。
自宅が火事や地震に見舞われると、
私たちは、「一大事!」と叫びます。
確かにそれも大変なことですが、
後生の一大事と比べたら皆、
小事だと仏教ではいわれます。
取り返しがつくからです。
家ならば、建て直すこともできるでしょう。
釈尊はズバリ、「必堕無間」と経典に説かれています。
(必堕無間とは、死ぬと大苦悩の世界に堕つること、
六道の一つである地獄界)
親鸞聖人は、
「一たび人身を失いぬれば万劫にも復らず(かえらず)」
(教行信証)
とおっしゃり、“一息追(つ)がざれば次の生、
永久にもどらぬ人生となる”と、
警鐘乱打なされています。
この後生の一大事を解決することが、
仏教を聞く目的なのです。
阿弥陀仏とはどんな仏さま? [阿弥陀仏]
①阿弥陀仏とはどんな仏さまなのでしょうか。
一般には阿弥陀仏、お釈迦さまと、呼び名こそ違っても、
仏さまといえば、皆、同じだと思っている人が多いようです。
仏教では、
「阿弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師・本仏なり」
(御文章)
“阿弥陀仏は大宇宙のすべての仏方の先生、
指導者である”と教えられています。
後で詳説しますが、
お釈迦さまも「三世十方の諸仏」の一仏であり、
阿弥陀仏とは違う仏です。
この違いが分からねば、
仏教は決して分かりませんから、
まずよく知っていただきたいと思います。
②たくさんの仏さまが大宇宙にまします
仏教では、大宇宙には地球のような世界が
無数にあると説かれています。
今日の天文学でも、生命を持ちうる惑星が
銀河系だけで億単位に上るというのが定説です。
宇宙全体で考えれば、どれほど膨大な数になるか
想像も及びませんね。
それをお釈迦さまは、「ガンジス河の砂の数」と表現され、
その宇宙観を2600年前に説いておられるのです。
地球にお釈迦さまが出られたように、
十方世界、大宇宙には、
数限りもない仏さまがおられます。
大日如来や薬師如来、
奈良の大仏として有名なビルシャナ仏、
お釈迦さまも、皆、「三世十方の諸仏」の一仏なのです。
③阿弥陀仏は諸仏の先生
阿弥陀仏は諸仏の「本師本仏」といわれています。
「本師」も「本仏」も先生のことですから、
阿弥陀さまは諸仏の指導者であり、
諸仏方は、阿弥陀仏の弟子、生徒ということです。
私たちの地球に現れた唯一の仏、お釈迦さまは、
「私の尊い先生を紹介しに来たのだよ」
と、生涯、先生である阿弥陀仏のことばかりを
説いておられます。
それを親鸞聖人は、
「如来、世に興出したまう所以は、唯、弥陀の本願海を
説かんがためなり」 (正信偈)
とおっしゃっています。
弟子の使命は、師の御心を多くの人に
伝える以外にないからです。
④阿弥陀仏は最尊第一の仏
では、なぜ阿弥陀仏を本師本仏と尊敬するのでしょう。
それは阿弥陀仏の能力がズバ抜けて素晴らしいからです。
お釈迦さまは、
「無量寿仏(阿弥陀仏)の威神光明は最尊第一にして、
諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり」(大無量寿経)
とおっしゃって、
大宇宙で最も尊い仏が阿弥陀仏であり、
諸仏の力は足下にも及ばない。
だから「諸仏の王」ともいわれています。
その最尊第一阿弥陀仏が、私たち一人一人と、
崇高なお約束をなさっている。
それが阿弥陀仏の本願といわれるものです。
どのような内容か、次回で明らかにしましょう。