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真実の仏教を明らかにされたのは、善導大師ただお独りだった! [善導大師]

(善導大師)
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今回は、親鸞聖人が七高僧として尊敬されているうちの、
五番目に挙げられている、善導大師に関してご紹介したいと思います。

七高僧とは、
①龍樹菩薩(インド)
②天親菩薩(インド)
③曇鸞大使(中国)
④道綽禅師(中国)
善導大師(中国)
⑥源信僧都(日本)
⑦法然上人(日本)

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善導大師は、大変まじめで、
三十年間一度も布団を敷いて休まれることもなく
仏教の勉学に励まれたといわれます。
また、修行の妨げにならぬようにと、
道で女性とすれ違うときは笠で顔を隠された、
ともいわれます。

このような善導大師親鸞聖人は、
極楽浄土からヌーッと現れたような方だと、
大心海化現の善導」と尊敬されています。

(大心海化現とは阿弥陀仏の浄土から現れた方)
親鸞聖人のような方が崇敬される、
偉大な宗師になられるまでの半生を、
見てみましょう。

●極悪人が救われる道は、ないのか

善導大師は、中国が隋といわれていた年、
613年山東省に生まれられました。
当時、隋の政治は腐敗し、内乱が相次いでいました。
そのような社会不安と戦乱を見ながら、
大師は成長されたのです。
六一八年、隋が滅び、唐が建国、
ようやく長い戦火は治まったものの、
国中は荒れ果て、戦災で家を焼かれた群衆が、
路上をさまよい歩いていました。
こうした世の乱れは、幼い大師に安楽な世界を欣求(ごんぐ)させ、
また母親と寺院で見た極楽浄土の絵は、
その心を堅固なものにしたのでしょう。

 

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天親菩薩、大乗仏教に乗りかえて弥陀に救われる! [天親菩薩]

(天親菩薩)
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「釈迦の説かれた一切経にいかにすごい阿弥陀仏の誓願が説かれていても、
正しく伝えてくださる方がなかったならば親鸞、
阿弥陀仏に救い摂られることはなかったであろう。」
親鸞聖人はインド、中国、日本の七人の高僧のお名前を挙げて、
その広大なご恩に感謝しておれらます。
そのお一人が、インドの天親菩薩です。

七高僧とは、
①龍樹菩薩(インド)
天親菩薩(インド)
③曇鸞大使(中国)
④道綽禅師(中国)
⑤善導大師(中国)
⑥源信僧都(日本)
⑦法然上人(日本)


聖人がいかに天親菩薩を慕われていたかは、
天親菩薩の「親」の字を頂いて、親鸞と名乗られたことでも、
よく分かります。

ちなみに親鸞聖人は、ご幼名を松若丸といわれ、
九歳で出家されてより範宴(はんねん)といわれました。
二十九歳で法然上人のお弟子になられてからは綽空(しゃくくう)、
善信と名を変えられ、三十五歳の越後流刑後、
最後に名乗られたのが親鸞というお名前です。

この親鸞、天親菩薩のご教導なかりせば、
弥陀の本願に救われることはなかったであろう。
天親菩薩のご恩を忘れることはできない。
皆さんも天親菩薩の教えを聞いてもらいたい
と正信偈に書き記されているのです。



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源信僧都、母への臨終説法! [源信僧都]

(源信僧都)

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今回は、源信僧都について書かれた記事を
載せたいと思います。

「釈迦の説かれた一切経に
いかにすごい弥陀の誓願が説かれていても、
正しく伝えてくださる方がなかったならば親鸞、
弥陀に救い摂られることはなかったであろう。」

親鸞聖人はインド、中国、日本の七人の高僧のお名前を挙げて、
その広大なご恩に感謝しておれらます。
そのお一人が、日本の源信僧都です。

七高僧とは、
①龍樹菩薩(インド)
②天親菩薩(インド)
③曇鸞大使(中国)
④道綽禅師(中国)
⑤善導大師(中国)
⑥源信僧都(日本)
⑦法然上人(日本)

源信僧都の幼少期

源信僧都は、平安時代の中頃に、
大和国(現在の奈良県)に生まれられ、
幼名を千菊丸(せんぎくまる)といった。
千菊丸、七歳の時のことである。

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一人の旅の僧が、村に托鉢に訪れた。
昼になり、川原の土手に腰を下ろして、
弁当を食べ始めた。
いつの間にか、周囲の村の子供たちが集まり、
物欲しそうな眼差しで、僧を見つめている。
子供たちの格好はいかにも貧乏そうで、
ボロ着に荒縄の腰ひも、
髪の毛は汚れて乱れたまま
無造作にもとどりを結わえてある。
浅黒い顔に鼻汁を垂れている者もいる。
中に一人だけ、鼻筋の通った、
いかにも利発そうな子がいるのに気がついた。
千菊丸である。

やがて食事を終えた僧侶は、
川原で弁当箱を洗い始めた。
前日からの雨で、水が濁っている。
構わず洗っていると、
千菊丸が近づいて言った。
お坊さん、こんなに濁った水で洗ったら、汚いよ。
わずか六、七歳の子供に、
もっともらしく注意されて、
“何を生意気な”と内心思ったが、
あらわにするのも大人げない。

平静を装って、こう諭す。

坊や、浄穢不二(じょうえふに)ということを知ってるかい。
世の中には、きれいなものも、穢いものも、ないのじゃよ。
それをこれは浄い、これは穢いと差別しているのは、
人間の迷いじゃ。
仏の眼からご覧になれば、
きれいも穢いも、二つのことではない、浄穢不二なのだよ。

そう聞いて千菊丸、即座に反問した。
浄穢不二なら、なぜ弁当箱を洗うの?
当意即妙とはこのことだろう。

僧侶は二の句を継げず、あぜんとした。
“こざかしい小僧!”
わずか七つの子供に、
自分の持ち出した仏語を逆手にとられ、
何とも気持ちが治まらない。
一方、千菊丸は何事もなかったように、
すぐ川原に行っては、
他の子供たちと石投げをして遊んでいる。
“あんな子供に!”
何とか一矢報いてやらねば立ち去れぬ。

“よし、これだ!” と一策を思いついた僧は、
無邪気に戯れている千菊丸に近づいていった。
おい坊や、お前さんは大層利口そうだが、
十まで数えられるかい

うん、数えられるよ、お坊さん
それなら数えてごらん
いいよ、一つ、二つ、三つ、・・・九つ、十
僧侶はわざわざ十まで数えさせてから、
坊や、今おかしな数え方をしたな。
一つ、二つと皆、
つをつけていたのに、
どうして十のときだけ十つと言わんのじゃ

と底意地の悪い質問をした。

“どうじゃ、今度は答えられんじゃろ”
と内心ほくそえんだ次の瞬間、
そりゃ坊さん、五つの時に、
イツツとツを一つ余分に使ったから、
十のときに足りなくなったんだよ。

“なんと・・・・、”
またしても完敗である。
あまりにも鮮やかな反撃に、
もはや憎らしいの思いは失せていた。

惜しい。こんな優れた子を田舎に置いておくのは。
出家させたらどれほどの人物になるかも知れぬ。”

とすっかり千菊丸の才気に惚れ込んでしまった僧侶は、
「そなたは大層賢いのぉ。
ご両親にお会いして、ぜひとも頼みたいことがある。
案内してもらえんか。」

すでに千菊丸には父はいないということなので、
村はずれのあばら屋に母親を訪ね、懇願した。
私は比叡山で天台宗の修業をするもの。
今日たまたま会ったお子さんの、
あまりに利発なことに驚きました。
失礼ながら、これほどの才能を田舎に埋もれさせてしまうのは、
いかにも惜しくてなりません。
どうか私に預けてくだされませんか。
出家の身となられれば、
さぞや立派な僧侶となられることでしょう。」

結果、千菊丸は、
その僧侶の師・良源の弟子になる決心をして、
九歳の時に、比叡山に入った。

以来、閑静な仏教の聖地・叡山にて、
千菊丸、後の源信は、
一心不乱に天台教学の研鑽に励まれるのである。

叡山時代

元来、才知卓抜な源信が、
よき環境に包まれて学問修業を
続けられたのだから、
その上達ぶりは目覚ましたかった。
全国から俊秀が結集した叡山においても、
なお頭角を現し、
十五歳のころには
叡山三千坊に傑出した僧侶として、
源信の名を知らぬ者はないほどになった。

そのころ、時の村上天皇から叡山に勅使が下り、
「学識優れた僧侶を内裏に招いて、講釈を聞きたい」
という天皇の意志を伝えてきた。
当時の仏教界は、
国家権力の手厚い保護のもとに発展を
約束されていたから、
天皇の機嫌はそのまま叡山盛衰の動向に
連なっていた。
ために、
派遣すべき僧侶の人選は慎重を極めたが、
一山の首脳の衆議の結果、
白羽の矢が立ったのが、源信であった。

源信は光栄に感激しつつ、
全山の期待を担って村上天皇のもとに赴いた。
そして群臣百官の居並ぶ前で堂々と、
『称讃浄土経』(阿弥陀経の異訳本)を講説したのである。


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年若い源信の、豊かな才覚と巧みな弁舌に
感嘆した村上天皇は、
「見ればまだ若いが、そなたはいくつか」
と尋ねたが、十五と聞いてさらに驚嘆した。

美として、七重の御衣や金銀装飾の香炉箱など、
多くの物を与えられ、
さらに「僧都」という高位の称号を受けられたのである。

使命を全うして帰山する源信に、
叡山は惜しみない賛辞を送った。
一躍僧都となり、
天下に名声を博した源信の喜びと得意は、
察するに余りあろう。
母を思う源信は、自身の出世をどんなにか
喜んでくださるに違いないと、
早速、事の始終を手紙にしたため、
褒美の品々とともに郷里へ送った。

ところが、である。
しばらくしてから荷物が、
封も切られないまま突き返されてきた。
しかも、添えられた母の歌は、
実に意外だった。

後の世を 渡す橋とぞ 思いしに
             世渡る僧と なるぞ悲しき

源信は、母の心が瞬時に分かった。
「お前を仏門に入らせたのは、苦悩の人々に、
後生救われる道を伝える僧侶になってもらいたい。
それ一つのためでした。
ところが今のお前はどうでしょう。
名利を求め、処世の道具に仏法を使うとは、
何と浅ましい坊主に成り果ててしまったことか。
天皇とて仏の眼からご覧になれば、
迷いの衆生。
そんな者に褒められて有頂天になっているとは、
情けない限りです。
なぜに仏に褒められる身にこそ、
なろうとしないのですか。」
浮かれる心を見透かされた母君の、
恐ろしいまでの叱責に、
迷夢から覚める思いであった。

道を踏み外したわが子を悲しまれる
鉄骨の慈愛に、
翻然として己の非を悟った源信は、
たちどころに褒美の品々を焼却し、
僧都の位をも返上したのである。
名利を求める心を固く戒めて、
決意新たに後生の一大事、解決を求めた。

いつの世も、子供の社会的な成功を願い、
実現して家や車をプレゼントされようものなら、
泣いて喜ぶ親が多いのではなかろうか。
出世を誇るわが子を、
心を鬼にして叱りつけた母。
その母心に敏感に猛省した源信。
いずれにも驚かずにはいられない。

「この母にして、この子あり」とは、
これを言うのだろう。

弥陀の誓願のみ

死に物狂いで魂の解決に向かった源信が、
峻烈な修業を重ねるほどに思い知らされてくることは、
その厳しさに自惚れる恐ろしい心、
煮ても焼いても食えぬ、
お粗末な自己の本性だった。

身につけた天台の教学は、
良源門下三千人の中でも他の追随を許さず、
主な聖教は暗誦するほどであったが、
学問を極めるほど、
その深さをひそかに誇るという有り様。
捨てたはずの名利の心は、
少しもやむことはなかった。
無常迅速のわが身、悪業煩悩の自己、
理においては充分すぎるほど分かっていながら、
本心においては少しも後生の一大事に驚く心がない。
愚かというか、アホというか、
迫り来る一大事を前にしてなお、
仏法を聞こうという心を持ち合わせていない。
その悪を懺悔する心もない。
こうなればただの悪人ではなくて、
極重の悪人というべきか。
道心堅固な聖者には進みえても、
私のような頑魯(がんろ)の者には
とても後生の解決は達せられない。

※頑魯・・・頑固で愚かな者

どうすればいいのか。
ついに源信僧都は、
叡山北方の森厳たる谷間の地、
横川の草庵にこもって、
極重悪人の救われる道を、
求めるようになったのである。

横川の草庵においても、
源信の煩悶の日々は続いた。
来る日も来る日も、
寝食忘れて経典やお聖教をひもとき、
一大事の解決を求めた。

やがて歳月は容赦なく流れ、
四十歳を過ぎたころ、

たまたま目にした中国の善導大師の著書に、
深い感銘を受ける。
大師のご指南に従って、
阿弥陀仏の本願こそが、
万人の救われる唯一の道であることを知らされ
ついに、弥陀の誓願不思議に救い摂られたのである。


母への臨終説法

母にもこの真実を伝えたい。
すぐさま故郷の大和国(やまとのくに)を
目指して旅立った。
ところが、すでに母は年老いて病床の身となって、
明日をも知れぬ容体であった。

使いの者より母の病状を知り、
夜を日に継いで家路を急いだ。


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ようやく三十年ぶりのわが家へ
たどりついた源信僧都は、
今まさに臨終を迎えようとしている母に、
精魂込めて説法する。
母上、どうかお聞きください。
後生救われる道は、
本師本仏の阿弥陀仏に一心に帰命するより
他はないのです。
後生暗い心をぶち破ってくださる仏は、
阿弥陀仏しかましまさぬのです。

やがて母君も、弥陀の本願を喜ぶ身となり、
浄土往生の本懐を遂げたといわれている。

源信僧都は、母の往生に万感極まり、
こう述懐されている。

我れ来らずんば、恐らくは此の如くならざらん。
嗚呼、我をして行を砥(みが)かしむる者は母なり。
母をして解脱を得しめし者は我なり。
この母とこの子と、互いに善友となる。これ宿契なり。

※宿契・・・遠い過去世からの不思議な因縁

母の野辺送りのあと僧都は、
横川の草庵に帰り、
母の往生を記念して一冊の書物を著された。
世に有名な『往生要集』である。

以後、源信僧都は、
『往生要集』とともに浄土仏教の先達として、
後世にも多大な影響を与え、
七十六歳にて生涯を閉じられたのである。


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お釈迦さまは龍樹菩薩の出現を予言されていた! [龍樹菩薩]

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“親鸞、阿弥陀仏に救われることができたのは、
ひとえに釈迦の教導のおかげであった、
その仏教を、正しく伝えて下されたインド・中国・日本の、
七人の高僧方のおかげであった”
と、深きご恩を讃えています。
その七高僧の最初の龍樹菩薩について
今回はご紹介したいと思います。

釈迦如来楞伽山(しゃかにょらいりょうがせん)
為衆告命南天竺(いしゅうごうにょうなんてんじく)
龍樹大士出於世(りゅうじゅだいじしゅっとせ)
悉能摧破有無見(しつのうざいはうむけん)
宣説大乗無上法(せんぜつだいじょうむじょうほう)

(釈迦如来楞伽山(りょうがせん)にして
衆の為に告命(ごうみょう)したまわく、
「南天竺に、龍樹大士、世に出でて、
悉く(ことごとく)能く(よく)有無の見を摧破(さいは)し、
大乗無上の法を宣説す」)

まず、
「釈迦如来、楞伽山にして」とは、
「釈迦如来が、楞伽山でご説法なされていた時に」
ということです。
釈迦如来とは、今から約2600年前インドに現れられて、
仏教を説かれたお釈迦さまのことです。
ほかにも、釈迦牟尼仏とか、釈尊とも、
また世間ではよくブッダとも言われている方です。
その釈迦如来が、
「衆の為に告命したまわく」とは、
「その時の参詣者に告げられた、話をされた」
ということです。

どんなことを釈迦は仰ったのかというと、
『楞伽経(りょうがきょう)』にこう説かれています。
私・釈迦が、この世を去って700年後、
南インドに龍樹という勝れた人が現れるであろう。
そして『有無の見』を悉く(ことごとく)打ち破り、
『大乗無上の法』を広めるであろう

果たして、その予言通りに龍樹菩薩が現れて、
大活躍なされたことを親鸞聖人は『正信偈』に、
「南天竺に、龍樹大士、世に出でて
悉く能く有無の見を摧破(さいは)し、
大乗無上の法を宣説す」
と讃えられておられるのです。

「悉く能く有無の見を摧破された」
と言われている「有無の見」とは、
「有の見」と「無の見」のこと(いずれも間違った思想のことです。)
その2つの謬見(びゅうけん)を龍樹菩薩は、
「悉く能く摧破された」
と言われているのは、
“徹底的に排斥された”“すべて、完膚なきまでに打ち破られた”
ということです。
(謬見とは、あやまった考えのこと)
「大乗無上の法を宣説す」とは、
“すべての人が救われる、真実の仏法を明らかにされた”
ということですから、聖人はここで、
「釈迦が予言された通り、インドに龍樹菩薩が現れて、
大活躍してくだされたのだ。
間違った教えを黙って見過ごすような方ではなかった。
大衆の中に飛び込み、邪義を破り、
真実の仏法を命がけで明らかにされた、

そのおかげで親鸞、弥陀の本願に救い摂られることができたのだ。
龍樹菩薩の厚きご恩を忘れることはできない。
骨を砕いても報いずにはおれない」
と感泣されているのです。
龍樹菩薩がこのように、
聖人からも尊敬されるような偉大な方になられるのは、
紆余曲折を経てのことでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・

南インド、コーサラ国のバラモンの家に生を受けた龍樹は、
聡明な頭脳をもって、
幼少にしてバラモンのベーダ経典を悉く(ことごとく)
そらんじてしまったといわれる。
青年になると、清新な知識を求めてインド中を巡り、
天文学、薬学、錬金術、易学など手当たり次第に習得し、
学び尽くしていった。
龍樹に出会う者、ただただ学問の深さに驚き、
舌を巻くばかり。
20歳の頃にはもはや、国内に並ぶ者なき天才として、
名声はとどろいていた。
「オレはもう、天下の学問を成し終わった。
すでに学ぶべきものは何もない」
若年にして功を成すは身を誤らせる元なのであろう、
傲慢が彼を支配したのである。

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類は友を呼ぶと言われるように、
龍樹の3人の親友も、人並みの学問ではなかった。
そんな友人らと交友を重ねていたある時、
「お互いにもう学問は学び尽くしてしまった。
楽しみが無くなってしまったな」
一人が言うと、
「確かに学問に楽しみはもうないが、
快楽とはそればかりではあるまい。
我々はまだ、肉体の歓びを十分に味わっていないではないか」
人生最高の歓楽は情欲にあり、と聞いて若い血潮は騒いだ。
4人は、色欲の満足を求めて巷の女性を誘惑し、
欲望の餌食としていったのである。
市井(しせい)に美女を求め、女漁りを続けていた4人は、
やがて並の女性では飽きたらず相談の末、
城の後宮に忍び込み、国王の寵愛する女たちを、
情痴の餌としようと画策する。
後宮こそ、国中から選りすぐられた麗人の宝庫。
ある晩、夜陰に乗じて龍樹らは巧みに王宮に潜入し、
女性たちの部屋を目指す。
国王の愛人たちは、この意外な闖入者(ちんにゅうしゃ)に
最初は驚きの色を示したが、
別に危害を加えられるのでもなく、
彼らの目的が自分たちの肉体であると知ると、
もはや騒ぎ立てるような愚かな真似はしなかった。
数十人で、たった一人の国王の寵を
競っていた彼女たちにとって、
中年を過ぎた肥満体とは対照的な、
龍樹たちの若く逞しい魅力的な肉体は、
かえって歓迎すべきものであった。
こうして4人は、夜な夜な思いのままに、
美女たちと戯れあったのである。

だが、このようなことがいつまでも発覚せぬはずがない。
後宮の微妙な変化を感じとった王は、
家臣に調べさせた。
事実を知って激怒した王はその夜、
宮廷の庭陰に屈強な衛兵を配備して、
侵入者を待った。
そうとも知らず龍樹らはいつものように、
宮中が寝静まった頃、愛欲の蜜を求めて忍び込んできたが、
庭半ばに進んだ時、「賊どもを切り捨てよ」の王の号令一下、
飛び出してきた群臣の刃に包囲されてしまう。
抵抗むなしく、3人の親友はたちまち斬り伏せられ、
混乱の中、龍樹だけがなんとか難を逃れたのであった。
城外に脱出した龍樹であったが、
眼前で斬殺された友の死に、悔悟の念と、
激しい無常を痛感したのである。

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ああ、バカだった。オレは間違っていた。
情欲こそ災いの元であった。
それにしても、何とはかない人間の命か。
彼らの魂はどこへ行ったのだ。
オレが死んでたら、一体どうなっていたのだろうか

以来、龍樹の煩悶は深さを増し、矢も盾もたまらず、
魂の解決を仏道に求めたのであった。

出家受戒した寺院にて、早速、小乗仏教に取り組み、
わずか90日で読み尽くしてしまった。
だが、魂の救いは得られない。
今度はインド北方、ヒマラヤ山の麓、
仏跡の散在する地域に秘伝されるという
大乗経典を求めて旅立ったのである。

道中、各地に名立たる学者を訪問するが、
いずれも龍樹の博識にかえって驚嘆するばかりで、
師と仰ぐに値する人物に巡り会うことはなかった。
やがてヒマラヤ山中の古びた寺を訪ねたとき、
大乗経典を伝持する老比丘に出会うことができた。
念願の大乗経典に接した龍樹の歓びは大きく、経典に基づき、
能う(あとう)限りの仏道修行に精進していった。
精勤(しょうごん)十数年、
修行の峻厳さは古の釈迦もかくやと思われんばかりである。
結果、仏覚に至るまでのさとりの52位中、
41位の初地という位まで到達したのである。
自力修行によって41位を悟ったのは、釈迦を例外にすれば、
龍樹と、後の天親菩薩の兄・無著(むじゃく)の
2人だけといわれている。
しかし、さずがの龍樹も、初地に至るのが精一杯であった。

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これから、五十段位の十地(じゅうじ)を超え、
仏覚を極める難行苦行の道は、
釈迦のごとき丈夫志幹の方ならともかく、
儜弱怯劣(ねいじゃくこれつ)な人間の歩める道ではない。
ああ、どこかに、私のような劣機(れっき)でも
救われる法はないのだろうか

(丈夫志幹とは、意志の強い人
儜弱怯劣とは、悪い、弱い、卑怯な、愚劣なもの)

厚い修行の壁に悩む龍樹に、光明は意外な方面から射し込んできた。
ヒマラヤの奥深い地域に龍族という部族があり、
その長老・大竜が、龍樹を訪ねてきたのである。
「菩薩よ。我々の村に遠く伝わる経典がある。
しかし、いまだその真意を会得する賢人がおらず、
今日まで経蔵に眠っている。
あなたこそ、その経典を伝授するにふさわしい方だ。
どうか一度、確かめていただけないだろうか」

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大竜の言葉に新たな希望を見いだし、
龍樹がその村を訪れると、
経蔵には数多(あまた)の大乗経典が、ぎっしり詰まっていた。
龍樹はむさぼるように、それらの経典を読破していく。
必死にひもといていくうちに、ついに『大無量寿経』を発見。
どんな極悪人をも救い摂る「阿弥陀仏の本願」を知られる。
やがて龍樹は、弥陀の本願に疑い晴れた一念に、
必定の位に救い摂られたのである。

「必定」とは、あと一段で仏、という五十一位のことで、
「正定聚」とも「等覚」とも、「歓喜地」とも言われる。
不変無上の幸福であるから、今日の言葉で「絶対の幸福」といえよう。
魂の解決を果たし、生命の歓喜を獲られた龍樹の目に映ったのは、
種々の外道が競い起こり、
混乱の極に達している宗教・思想界の実態であった。
迷える人心に飛び込んで、
悉く(ことごとく)それら一切の邪義を打ち破り、
暗黒の魂を唯一救いたもう「弥陀の本願真実」を、
命を懸けて宣布せられたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのことはすでに釈迦如来が、楞伽山にて説かれた『楞伽経』に、
未来世に当に我が法を持つ(たもつ)者あるべし。
南天竺国の中、大名徳の比丘あらん。
その名を龍樹となす。
能く有無の宗を破し、世間の中にして我が無上大乗の法をあらわさん

と予言された通りの大活躍であったのだと、
親鸞聖人は『正信偈』に、
釈迦如来楞伽山にして、
衆の為に告命したまわく、
南天竺に、龍樹大士、世に出でて、
悉く能く有無の見を摧破し、
大乗無上の法を宣説す
と仰っているのです。
では、龍樹菩薩が悉く摧破された、
「有の見」「無の見」とはどんなことか。
以下の記事を読んでいただければと思います。
人間死んだらどうなるか(諸法無我)


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死んだら仏でしょ? [釈迦]

(親鸞聖人)

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浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、約八百年ほど前、
日本の京都にお生まれになり、九十歳まで長生きされました。
今日、世界の光と仰がれ、尊敬されています。
九十年のご生涯、聖人はどんなことを教えていかれたのでしょうか。

親鸞聖人の教えといいましても、仏教以外にはありません。
仏教は文字通り、仏の説かれた教えということです。
そこで仏とは何かが分からなければ、仏教は始まりません。
親鸞聖人の教えも分からないということになりますね。



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『死んだら仏』と思っている日本人は多いと思います。
葬式などでよく、亡くなった人を「仏さま」と言われています。
以前公開された『おくりびと』という映画がありましたね。
主人公が納棺師という、亡くなった人を棺に納める仕事に就くところから
物語が始まります。そんな職種があるんですね。
どうも東北地方に多いようですが、
東北出身の知人が、
「納棺師が仏さまをきれいに棺に入れて、葬式のあと、みんなで火葬場に行ってね、
『この仏さまは骨格がしっかりしとる』とか言いながらお骨拾って。
のどぼとけが見つかると、『仏さまが出たぞ!』と叫ぶんや・・・」

やはりその知人も亡くなった人のことを仏、仏と言ってました。
しかも「のどぼとけ」まで。

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お釈迦さまが仏教を説かれた目的は何か!? [釈迦]

(問)お釈迦さまが仏教を説かれた目的は何か

(答)
世界文化史の大家、H・G・ウエルズは、
世界の偉人のトップにお釈迦さまをあげ、
私は公平にどの点からみても、
世界で最大の偉人は仏陀釈迦牟尼世尊である

と言っています。
ドイツのハイラー教授も、
仏陀釈迦は、世界の最も偉大な宗教家であり、
世界の光である

と絶賛しています。

世界の三大聖人、二大聖人といわれても、
トップに挙げられる釈尊は、
インドのカピラ城主、浄飯王の長男として生まれ、
仏覚を悟られるまでは、ジッダルタ太子と呼ばれていました。
生まれながらにして、社会的には最高の地位、名誉、財産を持ち、
その上、親の溺愛を受け思うままの生活が約束されていた人でした。
19歳で国内一の麗人といわれたヤショダラ姫と結婚し、
翌年、男子ラゴーラをもうけていられます。
さらに、春夏秋冬の四季の御殿に住まわされ、
500の美女とたわむれる栄耀栄華の限りを尽くした方でした。
私たちが、その中の一つでも手に入ればと、
日々、必死に求めているもの全てをお釈迦さまは、
すでに持っておられたのです。
その釈尊が、なお満足できない魂の叫びに驚き、
29歳の2月8日、突如、それら一切の名誉、地位、財産、
妻子を捨てて城を出て、入山学道の人となられたのです。

●人生の実相に驚き
     不変の幸福を追求

この世の一切のものは、常住しないのだ。
いずれの日にか衰え、いずれの日にか亡ぶのだ。
歓楽つきて哀情多しといわれるではないか。
快楽のカゲにも、無常の響きがこもっている。
美女の奏する弦歌は、欲をもって人を惑わすのみだ。
人生は、苦悩に満ちている。
猛き火のごとく、浮かべる雲のごとく、
幻や水泡の如きものではないか。
若きを愛すれど、やがて、老いと病と死のために
壊れ去るものばかりである

人生の実相を洞察なされた釈尊は、
常住不変の絶対の幸福とはなにか。
いずこに存在するのか。
それこそが、万人の希求するものではないか
と、
勤苦6年、35歳の12月8日、ついに大悟徹底、仏陀となられたのです。
かくして、80歳、2月15日、ご入滅になるまで、
布教活動をなされたのです。
この45年間の釈尊の教えの記録が一切経といわれるものです。
ゆえに一切経は、7000余巻という膨大な数にのぼっていますが、
釈迦出世の本懐は、唯一つ、阿弥陀仏の本願であったのです。
その明証は種々ありますが、
いよいよ弥陀の本願を説かんとなされた時、
釈尊は
「これより私の出世の本懐を説き示そう」
と厳粛に宣言なされ、弥陀三昧に入って五徳現瑞なされて
弟子たちを驚嘆させられています。

そして、最後には「特留此経(とくるしきょう)」とおっしゃって、
「弥陀の本願を説く此の経(大無量寿経)は、
一切の経典が滅する時が来ても残り、
すべての人が真実の幸福に救済されるであろう」
と予言されています。

弥陀の本願を説き終わられた釈尊は、
いかにも満足そうに、
「これで如来として、なすべきことはみななし終わった」
と慶喜されています。

ですから釈迦一代の教えといっても、
阿弥陀仏の本願に収まるのです。

私たちが釈尊の大恩に報いる道は、
弥陀の本願を聞信し、絶対の幸福になることに極まるのです。

釈尊の一切経をホゴにするか、どうかは、
私たちが弥陀の救いに値うか、否かにかかっていることを忘れてはなりません。


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これも過去世の業なのか? [Q&Aシリーズ]

 (真実の仏教を説かれている先生の書物「とどろき」から載せています。 )

(質問)
仏教の因果の道理では、善も悪も自分に現れる運命は、
全て過去の自分の種まき(業)の結果であると聞きました。
それならば例えば、無免許少年の運転する車が、
登校中の児童の列を襲い、
10人が死傷するような事件があれば、
これも仏法では、本人の過去世の業の結果と
片付けられるのでしょうか。
このような交通事故や通り魔、無差別殺人などで、
子供の命が失われているのを見ると、
かわいそうでなりません。
それではあまりにムゴイのではないでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(答え)
あどけない子供たちが、いわれなき殺され方をすると、
やりきれぬ気持ちになるのは全く同感です。
いつも胸が痛みます。
ですが、
「これも仏法では、前世の業として片付けてよいのか」という、
ご不満に同調できません。
ご承知のように仏法は、釈尊(釈迦)一代の教えです。
その根幹は、三世十方を貫く因果の理法であることは
一切経を見れば明らかです。

因果の理法とは、
「まいたタネは、必ず生える」が、
「まかぬタネは、絶対に生えぬ」ということです。
しかも、因と果の関係は、
善因善果 悪因悪果 自因自果であることは、
いつでもどこでも変わらず、
現在世だけでなく、
過去世、未来世の三世を貫く道理だと
厳然と説き切っています。

それを『経』には、次のように説かれています。

「過去の因を知らんと欲すれば、
現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲すれば、
現在の因を見よ」  (釈尊)
(過去のまいた因を知りたければ、
現在、現れている結果を見れば分かる。
未来の運命を知りたければ、
現在、まいている因を見れば分かる)

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「因」とは「行為」のことであり、
「運命」とは「結果」のことです。
現在世の結果は、
過去世にまいた因によって現れたものであり、
現在世にまいた因によって
未来世の結果(運命)は決まる

ということです。
これを三世因果といい、
仏教を信ずるとは三世因果を信ずることをいいます。

●因縁果の道理

ただここで、ぜひ知って頂かなければならないのは、
通常、因果の道理といいますが、
正しくは、因、縁、果の道理ということです。
仏教は、すべての結果は
因と縁の和合で現れると説かれています。

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一例をあげますと、「米」という結果の因はモミダネです。
温度や空気、土壌は縁です。
米は、モミダネの因だけでもできないし、
温度や湿度、空気や土壌の縁だけでもできません。
それらの因と縁とがそろって、
初めて「米」という結果が生まれるのです。

因果の理法というのは、
あくまでも縁を因にふくめての言い方であることを
忘れないでほしいのです。
かつて、東京の通り魔事件で数人が殺傷されました。
犠牲者には、母にひかれた乳母車の幼児も入っていたことに、
大きなショックを受けました。
「あんな幼児に、なんの罪があって・・・」
と、多くの人は嘆き、
「あれも幼児の過去世の業として、
片付けるのはムゴイ」と、
あなたも思われたのでしょう。
心情はよく分かります。
ですが、その幼児に全く関係のないことが、
幼児の身に起きるはずがありません。

事実、そこに居合わせたほかの多くの幼児に、
そんな結果が起きなかったのに、
なぜ、その幼児だけに、
そんなことが起きたのでしょう。
幼児の結果は、その時その場へ通り合わせたところに
原因があったのです。
それは、幼児自身の過去の業因にちがいありません。

そのような「因」に、通り魔という「縁」が加わって起きた、
悲しい「結果」なのです。
同じ時、同じ所を通っていても、
悲運に遭わなかった人はたくさんありました。

それは通り魔という悪い「縁」はあったのですが
「因」がなかったからです。

●悪縁は根絶すべき

当然、このような通り魔という悪縁は、
厳しく処罰されなければなりませんし、
一切の悪縁の根絶に、
私たちは全力を尽くさなければなりません。
「こんなことも、前世の業として片付けるのか。
ムゴイ。無慈悲だ。アキラメ主義だ」
と仏法を誤解されるのは、
因と縁とをゴッチャにしていられるところに
あるのではないでしょうか。
仏教は、このような反省と同時に、
無慈悲にツッパネルのでもなく、
アキラメよというのでもなく、
早く弥陀の絶対の救いに値って(あって)、
苦悩の人生を歓喜法悦の人生になって頂くために
説かれているということも、
ぜひ知って頂きたいと思います。


タグ:因果の道理
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阿弥陀仏の本願とは、どんなことですか? [Q&Aシリーズ]

 

(真実の仏教を説かれている先生の書物「とどろき」から載せています。 )

(質問)
私は、これまで仏教を聞いたことがない者ですが、
病気になり、今死ぬとどうなるのかと思うと、
大変恐ろしく思います。
仏教では、阿弥陀仏の本願(救い)一つが説かれていると
聞きましたが、
阿弥陀仏の本願とは、どんなことでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(答え)
阿弥陀仏といわれる仏は、
釈尊(釈迦)が本師本仏と言われている
宇宙最尊の仏です。

原子物理学者でなければ、
原子の小さい世界は分からないように、
仏の境界(きょうがい)のことは、
仏智を諦得(たいとく)された
仏でなければ分かりません。
この地球上で、仏の悟りを得られた方は
釈尊のほかにありません。
釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なしです。

●諸仏の王・阿弥陀仏

約2600年前、釈尊が35歳の12月8日に
仏の悟りを開かれて、
80歳の2月15日、涅槃の雲にかくれられるまでの、
45年間に説かれた一切経には、
大宇宙にまします多くの仏さまの名前が出ていますが、
その中で一番多いのが阿弥陀仏のお名前です。
「諸教に讃ずるところ、多く弥陀にあり」
と天台宗の荊渓(けいけい)でさえ、
驚嘆しているほどです。

「諸仏の中の王なり」
とか、
「最尊第一の仏」
「諸仏の中の極尊なり」
などと、十方諸仏の中の無上の仏であることが
説かれています。
大日や薬師や釈迦など大宇宙の仏方が、
本師本仏と仰ぐ仏が阿弥陀仏なのです。

蓮如上人は『御文章』に、

弥陀如来と申すは、
三世十方の諸仏の本師本仏なり
」(御文章二帖)
阿弥陀如来とは、
大宇宙の無数の仏方の師であり先生である

と言われています。

●すべての人を
     必ず絶対の幸福に

その阿弥陀仏の本願とは、
どんなことかといいますと、
本願とは誓願ともいいまして、
お約束ということです。
では、阿弥陀仏は、
どんなお約束をなされているのかといいますと、
すべての人は、煩悩具足で苦しみ続けている。
有れば有るで苦しみ、無ければ無いで苦しむ。
所詮、苦より離れ切れない私たちを見て、
何とか絶対の幸福に助けてやりたいという、
大慈悲心を起こされたのです。
そして誓われたのが、
「どんな人も 我を信じよ
必ず 絶対の幸福に救う。
もし救うことができなければ
命を捨てる」
とまで断言されているお約束です。

こんな、とてつもない本願ですから、
親鸞聖人は『正信偈』に、

無上殊勝の願を建立し、
希有の大弘誓を超発せり
」(正信偈)
阿弥陀仏は、十方世界に類のない、
無上の大本願を建てられた

とおっしゃっているのです。
どんな人も、この弥陀の本願を信ずる一念に、
(本願を信ずるとは、弥陀の本願にツユチリほどの疑いがなくなり、
弥陀より南無阿弥陀仏をいただいて
救われたという意味です。)
お約束通りに絶対の幸福に救われ、
死ねば弥陀の浄土へ
往生することができるのです。

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タグ:阿弥陀仏
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どの宗派がお釈迦さまの真意を伝えているのか!? [聖道仏教と浄土仏教]

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“仏教っていろいろな宗派があるけど、
どれでも同じなの?”

“うちは代々真宗だけど、
他の宗派と何が違うのかしら?”

そんな素朴な疑問を、抱えていませんか。
親鸞聖人に、お聞きしてみましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「本物の味を知る」

味覚の秋は、旬の魚や果物など豊富な時期ですが、
昔から、こんなことわざもあります。
「秋なすは嫁に食わすな」
これには3通りの説があり、

①秋なすは、とても美味しいから、
憎らしい嫁に食べさせるのはもったいない。
②秋なすは、身体を冷やすから、
大事な嫁に食べさせるのはよくない。
③秋なすは、種が少ないので、
子ができなくなるから嫁に食べさせてはならない。

嫁にとっては、「どれでもよい」と言えない、
この解釈。
どうも一番の説が有力のようです。
独り占めはいけませんが、ことわざになるほど、
ほかの季節のナスとは
一味も二味も違うということでしょう。

秋の味覚と言えば、松茸も欠かせません。
ある試食会に参加した奥さんから、
こんな話を聞きました。
最近は、安価な輸入品が目立つ松茸市場。
国産品は値段が高くて手が出ないが、
それほど味に違いはあるのだろうか。
皆で中国産、カナダ産、北朝鮮産、韓国産と、
食べ比べていった。
「あら、外国産も結構おいしいじゃない」
「これならほとんど国産と変わらないわ」
主婦たちの評価は上々だった。
やがて最後に出された、
国産松茸をパクリと口にした瞬間、
皆の動きが、ピタッと止まった。
「何、これ!?」「全然、違う!」
鮮度が命の松茸は、
どうしても輸入するまでに香りも味も落ちるもの。
国産品との差は明らかだったそうです。
本物に会う前は、「どれも似たようなもの」
と思っていても、本物に出会って、
本物が本物と分かってくる。
ハッキリ知らされる。
そんなことがよくあります。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●どう違う?「2つの仏教」

仏教とは、仏の説かれた教えということです。
この仏とは、約2600年前、
インドで活躍なされたお釈迦さまのこと。
35歳の12月8日に、
仏という大宇宙最高のさとりを
開かれたお釈迦さまが、
80歳でお亡くなりになるまで、
45年間、説いていかれた教えを今日、
仏教といわれます。

ところが、仏教といっても
いろいろな宗派がありますから、
「一体何が違うのだろう」
と疑問に思われる方も多いでしょう。

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しかし、いくつもの宗派がありましても、
大別すれば聖道仏教と、
浄土仏教の2つに分けれます。

聖道仏教とは、天台宗、真言宗、禅宗、
華厳宗、法相宗、律宗などを指します。
それに対して浄土仏教とは、
浄土宗や、浄土真宗をいいます。

「同じ仏教だから、どちらでもいい」でしょうか。
いいえ、決してそうではありません。
2つの仏教を、比べてみましょう。

●聖道仏教
      煩悩のさびを落とし、心のダイアモンドを磨け

まずは、聖道仏教です。
仏教の目的は、仏のさとりを得ることですが、
聖道仏教に共通する特徴の一つは、
「私たちの本性は、清らかな仏性である。
それが煩悩のさびによって曇っているから、
修行によってそのさびを落とし、
仏性を磨き出すことに全力を挙げよ」

というものです。
例えるなら、私たちは心の中にダイアモンドのような
素晴らしいものを持っている。
それが煩悩というゴミやホコリがついて見えなくなっており、
それが輝いていないのだ。
その煩悩の汚れやサビを、
修行により磨いていけば、
ピカピカに輝きわたる時が来る、
という考えです。
磨く方法こそ異なれ、
いずれの宗派も根底はこれしかありません。

(質問)煩悩とは、どんなものですか。

煩悩とは、「煩い(わずらい)、悩む」と書くように、
私たちを日夜、煩わせ悩ませる心で、
全部で百八あると教えられます。
大晦日に百八回突く除夜の鐘も、ここからきています。
来年こそは、欲や怒りの煩悩に煩わされないように、
との願いが込められているのでしょう。

百八の煩悩の中でも、
特に恐ろしいものが三つあり、
「三毒の煩悩」といわれます。

三毒とは、貪欲(欲の心)、瞋恚(怒りの心)、
愚痴(ウラミ、ネタミの心)の三つです。


○貪欲

貪欲とは、あれが欲しい、これが欲しいという欲の心です。
64億の人間の中で、欲のない人はありません。
代表的なものを五欲といい、
食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲の五つです。

食欲は、食べたい飲みたいという心です。
生きるためには仕方がないと、
死にたくないウシやブタ、ニワトリや魚など、
生き物の命をどれだけ日々奪っているでしょう。
一円でも多くのお金が欲しい、
物が欲しいという財欲のために、
遺産相続で肉親と骨肉相はむ争いを始めます。
男は女を、女は男を、
常に異性の関心を得ようと身を焦がし、
寸時も安からでないのが色欲です。
三角関係のトラブルは、古今を通して、
絶えたことがありません。
有名になりたい、褒められたい、
認められたいと焦っているのが名誉欲。
出世したい、一番になりたいと、
競争社会では地位や名誉を得るために、
人々は他人を欺き、蹴落としても平気です。
睡眠欲は、朝晩はもちろん、
暇があったら一分一秒でも長く寝ていたい、
楽がしたいと思う心です。
底なしの欲望は、
どこまでいっても満たされることはなく、
その欲のために、どれだけ恐ろしいことを
思い続けているかしれません。

○瞋恚

瞋恚とは、欲の心が妨げられると出てくる、
怒りの心です。

怒りという字は、心の上に奴と書きます。
あいつが邪魔するからだ。
こいつさえいなければと、
心の中で殺しているのが怒りであり、
激しいことは炎のようです。
人前で侮辱されたらどうでしょう。
「あいつのせいで、恥かかされた」
と一生忘れません。
逆上して、衝動のままに
親でも子供でも恩人でも切り刻み、
八つ裂きにします。
毎日のワイドショーでは、
そんな事例に事欠きません。

愚痴

愚痴とは、恨んだり、ねたんだりする心です。
他人の幸せは苦々しく、
他人の不幸がおもしろい心です。
にわか雨に遭って狼狽している人を見て、
喜ぶ心はないでしょうか。
犬にほえられ、困惑している人を見て、
笑ってはいないでしょうか。
艶々(えんえん)たる美人が泥道で足を滑らせ、
衣装を汚し、醜態を演じているのを見て
楽しんでいないでしょうか。
「お気の毒に」と口では言いながら、
ひそかにほくそ笑む心があることに
慄然とします。
醜い心がとぐろを巻いています。
このような心で悪を造り、
苦しんでいるのが私たちです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(質問)いかに煩悩に煩わされ、
悪を造っているか分かりました。
では、これらの煩悩はなくなるのですか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

親鸞聖人にお尋ねしましょう。
親鸞聖人は9歳で、当時、
日本の仏教の中心地であった
比叡山・天台宗の僧侶となられました。
聖道仏教の一つ、天台宗は『法華経』の教えに従い、
戒律を守り、煩悩と闘ってさとりを得ようとする教えです。
聖人は、その『法華経』の修行に打ち込まれました。
修業は峻烈(しゅんれつ)を極め、
言語を絶するものでした。
比叡山には今日でも、
千日回峰行なる荒行があります。
開山以来千数百年、
この修業を完遂した者はわずかという、
命がけの修業です。
叡山の麒麟児(きりんじ)といわれた聖人は、
その千日回峰行をしのぐ大曼(だいまん)の難行まで
成し遂げられましたが、
煩悩は減りもしなければ、
なくなりもしなかったとおっしゃっています。

●聖人が驚かれた
        「心の真実」

仏教では、私たちの行為を、
心と口と体の三方面から見られます。

思うこと、言うこと、やることです。
中でも、最も重視するのが心の行為です。
なぜなら、体や口の行いは、
心の指示によるからです。

いわば心が火の元であり、
体や口の行為は火の粉に例えられましょう。

「戦争は心の中ではじまるのだから、
平和の砦は心の中につくらねばならぬ」
とはユネスコ憲章の宣言です。
残虐非道の戦争も、根元は心と見ての訴えでしょう。
消火も火元に主力が置かれるように、
仏教は常に、心の動きに視点が置かれます。

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親鸞聖人が驚かれたのは、
この心の真実でした。

修行中のある日、聖人は比叡山のふもと、
赤山明神の前で、美しい女性に出会われます。
以来、滝に打たれても、読経していても、
その女性のことが忘れられなくなってしまわれた。
抑えようとすればするほど、
ますます愛欲の炎は噴き上がる。

「この親鸞ほどあさましい者はない。
上辺こそ立派にふるまっているが、
心では女性のことばかり
思い続けているではないか!」
頭の毛についた火をもみ消すほどの
真剣さでされても、心の悪だけは
どうすることもできなかったのです。

歎徳文』という古書に、
生々しい苦闘が記されています。

「定水を凝らすと雖も識浪頻に(しきろうしきりに)動き、
心月を観ずと雖も妄雲猶覆う」(歎徳文)

静寂な夜の山上で、
修業に励まれる聖人が、
ふと見下ろす琵琶湖の湖水は、
月光に映えて鏡のようだ。

「あの湖水のように、なぜ、心が静まらぬのか。
思ってはならぬことが思えてくる。
考えてはならぬことが浮かんでくる。
恐ろしい心が噴き上がる。
どうしてこんなに、欲や怒りが逆巻くのか。
この心、何とかせねば・・・」

平静な湖水に比べて
渦巻く煩悩に泣かれる聖人が、
涙に曇る眼を天上に移すと、
月はこうこうとさえている。

「あの月を見るように、
なぜ、さとりの月が見れぬのか。
みだらな雲がわき上がり、
心の天を覆い隠す。
こんな暗い心のままで、
死んでいかねばならぬのか」

吸う息吐く息に、
永遠の苦患(くげん)に沈む自己を知られて、
いても立ってもおれぬ不安に襲われる。
こんな一大事を持ちながら、
どうして無駄な時を流せよう。
早く俗念を投げ捨てて、
この大事を解決せねば。

一刻の猶予もなかった聖人は、
20年間の天台・法華の教えに絶望なされ、
ついに、下山を決意されたのです。

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●諸仏に捨てられた
       「煩悩具足の凡夫」

だれよりも真剣に心を磨こうと
努められて知らされた人間の実態を、
親鸞聖人は、
煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)の衆生」(歎異抄
と言われています。
「熾盛(しじょう)」とは、燃え盛るということ。
欲や怒りの煩悩が、燃え盛っているのが人間(衆生)である、
ということです。
これをまた、「煩悩具足の凡夫」とも言われます。
「煩悩具足の凡夫」とは、
煩悩に目鼻をつけたような人間、
ということです。

ちょうど、雪だるまは雪でできていますから、
雪を取ったら何も残らないように、
人間から煩悩を取ったら何も残らない。
私たちは百八の煩悩を持っているどころか、
煩悩の塊であるということです。

かかる煩悩具足の我々は、
「仏法修行の器にあらず」と、
諸仏からも見捨てられた極悪人であると
釈尊は説かれています。

今は蓮如上人にお聞きしましょう。

「十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人も、
空しく皆十方・三世の諸仏の悲願に洩れて、
捨て果てられたる我等如きの凡夫なり」
             (御文章)

「十悪・五逆の罪人」「五障・三従の女人」とは、
煩悩で悪を造り、苦しんでいる私たちのこと。

「空しく皆十方・三世の諸仏の悲願に洩れて」とは、
大宇宙にまします仏方が、
何とか救ってやりたいの慈悲心を
起こしてくだされたのですが、
残念なことに、私たちの罪業があまりにも重く、
とても救済することは不可能だったのです。

だから、「捨て果てられたる」とあるように、
私たちを捨てて逃げられた、
つまり我々は諸仏に
見放されてしまったのです。
いかに私たちの罪悪が
深重であるかが知らされましょう。

・・・・・・・・・・
浄土仏教
  極悪を、捨てず裁かず
       摂め取る(おさめとる)
・・・・・・・・・・

諸仏からも見放された、煩悩具足の私たち、
しかし、他人に嫌われるような子供は、
なおかわいい親心のように、
大宇宙の諸仏に見捨てられた極悪人なら、
なおさら捨ててはおけぬと、
大悲やるせなく、
何とか救わねばならないと
立ち上がって下されたのが、
阿弥陀仏といわれる仏です。

ゆえに私たちは、
阿弥陀仏のお力によってのみ
救われることができる、
と説くのが浄土仏教です。

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(質問)阿弥陀仏とは、どんな仏さまですか。

「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」
といわれるように、
地球上で、仏のさとりを開かれた方は、
お釈迦さまただお一人です。
そのお釈迦さまが、
「私の尊い先生を紹介しに来たのだよ」と、
私たちに教えてくだされたのが、
阿弥陀仏といわれる仏さまです。

蓮如上人は、
「ここに弥陀如来と申すは、
三世十方の諸仏の本師本仏なれば」(御文章)
と、明らかにされています。
三世十方の諸仏とは、大宇宙のすべての仏。
本師本仏とは先生ということですから、
この意味は、
「阿弥陀仏は、大宇宙のあらゆる仏の先生である」
ということです。
もちろん、釈迦も十方諸仏の一仏ですから、
阿弥陀仏の弟子・生徒ということになります。


●諸仏の遠く及ばぬ
      「十二光」

阿弥陀仏が、本師本仏とあがめられるのは、
阿弥陀仏の、私たちを救うお力が
ズバ抜けているからです。

仏法では、仏の念力、仏力を「光明」といいますが、
『大無量寿経』には次のように喝破されています。

「無量寿仏(阿弥陀仏)の威神光明は
最尊第一にして諸仏の光明の
及ぶこと能わざる所なり」

“阿弥陀仏のお力は、
諸仏をはるかに超えてずばぬけている”

この弥陀のお力を、十二とおりに分けて教えられたのが、
「十二光」といわれているものです。
順に解説しましょう。

①無量光

阿弥陀仏の寿命には限りがないので、
無量光といわれます。
過去、現在、未来にわたり、
常にはたらいてくださっているのが無量光です。

②無辺光
十方世界(大宇宙)で、阿弥陀仏のお力の届かない所は
ありませんから、無辺光といわれます。
どこで何をしていても、絶対の幸福の身に救わんと、
はたらいてくださっているのです。

③無碍光
太陽の光もエックス線も、障害物があれば通りませんが、
阿弥陀仏の光明は、何ものも遮ることはできません。
罪悪深重の我々が救われるのは、いかなる煩悩、罪業にも
妨げられない無碍光なるがゆえです。

④無対光
阿弥陀仏のお力は、他の何ものとも比べることはできません。
「諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり」とあるように、
大宇宙の諸仏方からも見捨てられた私たちを助けられるのは、
阿弥陀仏だけです。

⑤光炎王光
阿弥陀仏のお力は最尊第一、
諸仏の中の王なり、といわれます。
その絶大なお力によって、
人間界に生を受けることができたのです。

⑥清浄光
貪欲を照らすはたらきです。
救われても欲の心は変わりません。
それが清浄光に照らされて、
懺悔となり歓喜になるのです。

⑦歓喜光
瞋恚を照らすはたらきです。
怒りは、すべてを焼き尽くす恐ろしい心です。
それが、歓喜光に照らされて、
懺悔となり歓喜になるのです。

⑧智慧光
智慧がないために、
因果の道理が分からないバカな心が愚痴です。
自らの不幸を他人のせいにして恨み、
他人の幸福をねたみ、そねむ。
そんな者を照らして、
「バカだなあ」と知らせてくれるのです。

⑨不断光
途切れることのない阿弥陀仏のお力をいいます。
「憶念の心つねにして、仏恩報ずるおもいあり」
と親鸞聖人はおっしゃっています。
不断光に照らされるから、
阿弥陀仏のご恩を忘れがちな身を、
思い出しがちにさせていただけるのです。

⑩難思光
十二光のはたらきは、心も言葉も絶えたものです。

⑪無称光
とても言葉に表せないお力です。

⑫超日月光
太陽や月の光をも超えた光である、ということです。

このように、阿弥陀仏のお力には限りがなく、
どんな極悪人をも救い切ることができるので、
親鸞聖人は、
「願力無窮(がんりきむぐう)にましませば
罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば
散乱放逸もすてられず」(正像末和讃)
とおっしゃり、
「十方の諸仏に見捨てられた
極悪最下の親鸞が救われたのは、
ひとえに阿弥陀仏の十二光のお力であった」
と、
阿弥陀仏の偉大なお力を、
『正信偈』にも讃歎なされているのです。

●仏教の結論
      「一向専念無量寿仏」

果たして釈尊は、最後に、
「一向専念無量寿仏」(大無量寿経)
と説かれています。

無量寿仏とは、阿弥陀仏の別名ですから、
「すべての人々よ、一向に専ら阿弥陀仏を念ぜよ」
ということです。
あらゆる諸仏、菩薩、諸神を捨てて
一心一向に専ら
阿弥陀仏一仏を信ずる以外に、
一切の人々の助かる道はない。

29歳の春、弥陀の本願に救い摂られた聖人は、
浄土仏教こそ、
「煩悩具足のわれらが救われる
本当の仏教だった」

ハッキリと知らされ、90年のご生涯、
一向専念無量寿仏」一つを
叫び続けていかれたのです。


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次から次へと苦しいのはどうしてなのか!? [苦しみの根源]

仏教を説かれた釈尊は、
三十五歳で仏のさとりを開かれた第一声に、
人生は苦なり」と仰いました。
この世は苦しみが充満しています。
こんなことはあえて説明しなくても、
そう感じている人は多いのではないでしょうか。

かの家康は、
人の一生は、重荷を背負うて遠き道が行くが如し
と晩年に言っています。
徳川三百年の基礎を築き、
金も権力も手にした家康にして、
この言葉は、人生の果てなき苦悩を示すものでしょう。
また、『放浪記』の林芙美子女史の言葉には、
花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき
とあります。
女性の命を花に例え、短くて、
しかも苦しみに満ちていると嘆いたのでした。


すべての人は幸福になりたいと願っています。
どうすれば、人生苦から逃れられるのか。
それにはまず、苦しみの原因を、
正確に突き止めねばなりません。
病気も、どこに原因があるかによって、

治療法が変わってきます。
腹痛といっても、ただの食べ過ぎなのか、
それとも潰瘍なのか。
潰瘍なら、胃なのか、腸なのか。
治療を間違えれば、むしろ悪化し、
命取りになることさえあります。
正しく病気の原因を探ることが大事です。
 
人生の苦しみの原因はどこにあるのか、
人々の声を聞いてみますと、
「オレが苦しんでいるのは、金がないからだ」
「借家住まいだから苦しんでいるのだ。
早くマイホームが欲しい」
「同期生はもう、課長や係長になっているのに、
オレはまだヒラだからだ」
「こんな男と結婚したからよ」
「親に暴力を振るうような子供を持ったからだ」
「ヒドイ病気になったせいで苦しんでいる」
などなど。
金がない、家がない、地位・名誉がない、
夫や妻や子供に恵まれない、健康を失った・・・。
これらを苦しみの根源のように
思っている人が大半です。

十人いれば、八、九人までは

そのように思っているのではないでしょうか。

しかしこれらは、一つ解決しても、
また次の難題が浮かび上がるものです。

「世の中は、一つかなえば二つ、
三つ四つ五つ、六つかしの世」
とも歌われますように、
苦しみが何もなくなることは考えられません。






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たとえるなら、一本の大木があったとします。
その枝の先に、
「お金がない」という苦しみの花が咲くのです。
すると人生相談の先生が、
「それはね、今の商売があんたに合わんのだ。
仕事をかえたらどうかね」
とアドバイスします。
花の咲いている枝を
切り落としたらどうかと言っているのです。
そこで今の店を畳み、
もっと好きな商売を始めてみました。
ところが、なんとか軌道に乗ったころ、
無理したために、病気にかかってしまうこともあります。
枝を切り落としただけ、養分が別の枝にめぐって、
他の苦しみの花を咲かせるのです。


「主人とうまくゆかなくて・・・」
と人生相談所を訪れた奥さんに、先生は、
「もう別れなさい。無理やり続けてもダメです。
もっとイイ人と連れ添ったらどうですか」
などと言うでしょう。
「夫婦生活がうまくいかない」
という苦しみの花を、枝を切ってなくせと言うのです。
その通りに実行して、気の合った人と再婚、
ようやく平穏な生活を手に入れたと思うころには、
今度は、子供が新しい父親の愛情を受け入れず、
非行に走るといった新たな苦しみの花が咲くのです。

根から吸い上げられた水分や養分は、
幹を経由し、枝葉にまでゆき渡ります。
細い枝を切っていても、
苦しみの養分が花を咲かせないようにはできません。
苦しみの花がいっぱい咲かないようにするには、
太い幹を切るしかないのです。
幹に相当するのが、苦しみの根源です。

苦しみの根源は何か?
     臨終にわかる「無明の闇」

苦しみの根源は、「無明の闇」という心だと、
釈尊は教えられました。
これは、すべての人が持っている、暗い心です。
私たちは、未来に苦しいことが待っていると、
心も沈んで暗くなります。
明日は学校で試験があるとなると、
浮かれた気持ちにはなれません。
大手術を明日受ける人は、
今日から暗澹たる気持ちを拭いきることはできないでしょう。
試験や手術が終われば、暗い心は晴れてしまいますが、
無明の闇は、
無始より私たちを苦しめてきた心であり、
また未来永遠に苦しめてゆく心なのです。
これを「後生暗い心」とも言います。


「後に生まれる」と書きますように、
死んだ後の世界が後生ですが、
一息切れたらどうなるのか、ハッキリしません。
大地震が発生して、今死ななければならないという
非常事態になったとき、
「死にたくない!」という気持ちが出てきます。
病院で健康診断を受け、
医者からもし、
「来週もう一度検査しましょう。
いえいえ、念のためです」
と言われたら、
「ひょっとして、ガンではなかろうか」
と、不安でたまらなくなります。

こんな心を抱えて、どんな世界に行くのでしょうか。

自然主義文学の田山花袋(たやまかたい)が
六十歳で死んでゆくとき、
親友で詩人の島崎藤村が、臨終の覚悟を尋ねました。
「独りで往くのかと思うと淋しい」
と弱い声で答えています。

夏目漱石は大正五年十二月九日、胃潰瘍のため、
五十歳で亡くなりましたが、最後に、
「ああ苦しい。今、死んでは困る」
とつぶやいたのは有名です。

『金色夜叉』の尾崎紅葉も、胃ガンを宣告されたとき、
『断腸の記』という悲痛な記録を残しています。
彼の華やかな文学も、死の淵に臨んでは、
少しの明るさもありませんでした。

六十六歳で亡くなった平林たい子さんは、
「一生懸命働きますから、何とか生かしてください」
と、主治医に頼んで死んでいます。

「お母さんへ。山の死を美しいとするのは一種の感傷でした。
生還すればもう山をやめて心配はかけません」
「再び母へ。ありきたりのことだが先に行くのを許してください。
お父さん、心配かけて申し訳ありません」
これは冬山で遭難した、ある大学生の遺書です。

死に直面すれば、演技する余裕も、
意地も我慢もなく本音を吐くものです。
一歩後生へと踏み出したときに、
私たちはどのような気持ちになるか、
自分の人生を真面目に考えてみましょう。


死と隣り合わせの死刑囚
     私たちも無常の身

死刑囚の生活もまた、
死と隣り合わせであることを
自覚した人間がどう感ずるのか、
教えてくれています。

裁判で死刑が確定した受刑者に、
刑を執行するかどうかは、
法務省の印鑑で決まります。
ハンコが押され、執行日が決まると、大抵の場合、
当日の朝になって、本人へ告知されるのです。
ですから毎朝、
『今日こそは、わが身か』
という恐怖とともに目覚めねばなりません。
懲役囚に比べれば、食べ物の購入や差し入れが自由で、
強制労働もない死刑確定囚は、
肉体的には健康であってもよいはずですが、
実際にはやせ細り、生彩がないといいます。
『今日が執行の日かもしれない』という精神的重圧に毎日、
苦しめられているからです。
再審で無罪が確定した元死刑囚は、 
何を食べてもまずく、
好物の焼き肉はゴムを噛んでいるように感じられ、
ラーメンは紙のようだったと言っています。



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しかも、午前九時から十時の、
朝食後から十時の、
朝食後から運動までの時間に言い渡されるのが
慣例になっているため、
通常の巡視や掃除が
いつになく急いで行われたりすると、
死刑囚の舎房はそれだけで、
一気に恐怖のるつぼになるのです。
全員が息をひそめ、
緊張した静寂に包まれると言います。

あるとき、任務について間もない新入りの刑務官が、
この時間の様子をうかがいに死刑囚の廊下を歩きました。
その足音に、確定囚全員が息をのんで耳をこらし、
何気なく立ち止まった部屋の死刑囚は、
中で腰を抜かして失禁したのです。
数日後、その若い看守がくだんの死刑囚に呼ばれ、
扉の視察孔から部屋を覗くと、
いきなり目を突かれ、重傷を負ったとも言います。

死んでゆくのは果たして、死刑囚だけでしょうか。
フランスの文学者、ピクトル・ユーゴは、
人間は不定の執行猶予期間のついた死刑囚だ
と言っています。
私たちの死刑とて、今日かも、明日かもしれません。
牢獄の死刑囚が味わう恐怖と、
臨終に私たちが襲われるそれとは、
どこが異なるでしょうか。

むしろ、死と隣り合わせの死刑囚の方が、
人生を真面目に考えていると言えるかもしれません。
私たちにも、死に臨んで真っ暗になる
無明の闇の心があるのです。

この心を抱えて生きている全人類に、
本当の安心・満足はありません。


ちょうど、島影一つ見えない大海原の上空を
飛んでいる飛行機の機内で、
酒や食事でもてなされ、
楽しい映画が上映されていても、
燃料は限りなくゼロに近く、
間もなく墜落しなければならない
運命にあるようなものです。
空の旅を十分、楽しめますか。

「歓楽尽きて、哀情多し」とも言います。
どれほど宴会で、どんちゃん騒ぎをしていても、
終わって独り帰るころには、
淋しい気持ちがこみあげてくるではないですか。

酒やカラオケではごまかしきれない、
哀愁に満ちたこの心が、無明のカゲです。
これが一歩、後生へと踏み出すと、
真っ暗な心となって、胸一面覆うのです。


●台所とトイレ

「そんな暗い話なら、しない方がいいじゃないか。
明るく楽しく、笑って生きる方法を、僕は選ぶよ」
と言われる人もあるでしょう。
それはまじめな人生観とは言えません。
生と死は、切り離しては考えられないからです。

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仏法では、「生死一如」と言われます。
たとえるなら、「生」は台所で、
「死」はトイレのような関係です。

台所は誰もが好きな場所。
おいしい食べ物が置いてあり、
子供が学校から帰ってきて、
「おかあさん、ただいま~、何か、ない?」
と言ってのぞくのは台所です。
一家団欒、楽しい食事も、台所があってこそです。
反対にトイレが好きな人は、あまりないでしょう。
トイレ掃除は汚くて、御免蒙りたいものです。

では、家を新築するとき、台所だけ造って、
トイレは造らないことがあるでしょうか。
台所で食べたり飲んだりできるのは、
トイレがあるからです。
トイレのない家に住むとき、さぞ不自由でしょう。

不慣れな海外旅行をして、
トイレに困ることがあります。
そんなときには、あまり食べたり飲んだりせぬよう、
口の方で控えるものです。
トイレが確保されて初めて、
台所で安心して飲食できるのですから、
台所を活かすか殺すかは、
トイレにかかっているとも言えます。


明るく楽しい人生を送りたいのは、
万人の願いに違いありませんが、
生を根底から脅かすのが死ではありませんか。
「三十までに結婚して、子供は二人にして、
マイホームは四十で・・・」
と人生設計していても、いつ死ぬかわからないことが、
計算されていません。

起きるか起きぬか分からぬ火事を心配して、
火災保険に加入はしていますが、
必ずやってくる死の不安を感じている人は、
どれほどあるでしょうか。
老後の心配から貯金に励んでいる人はいても、
死の準備をしている人がありません。

絶対逃れられず、
しかもいつやってくるかわからぬ
死の不安を解消してこそ、
真に明るく楽しい人生を、
満喫できるのです。



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