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我々は死刑前夜のパーティで浮かれている。 [阿弥陀仏]

  (真実の仏教を説いておられる先生の書「とどろき」より載せています。 

重誓名声聞十方(重ねて誓うらくは、「名声、十方に聞えん」と)
                    (親鸞聖人・正信偈)

今回は、この一行について学びましょう。
これは、
「重ねて誓うらくは、『名声、十方に聞えん』と」
と読みます。
「重ねて誓う」とは、
「阿弥陀仏が、重ねて約束なされている」
ということです。

本師本仏の阿弥陀仏は、
「すべての人を
平生に必ず助ける
絶対の幸福に」
と、凄いお約束をなされています。

これを「阿弥陀仏の本願」といわれます。
「本願」とは「誓願」とも言われるように、
「約束」のこと。
『歎異抄』冒頭に「弥陀の誓願」と言われているのも、
この「阿弥陀仏の本願」のことです。

約束には、必ず相手がありますが、
阿弥陀仏の約束の相手は、「十方衆生」。
すべての人と、誓われているのです。
この中に入らない人は、一人もありません。

今、キリスト教を信じている人も、
イスラム教の人も、ユダヤ教の信奉者も、無宗教の人も。
アメリカ人、イギリス人、日本人、
中国人、アフリカ人も、すべて。
相手構わず、一切差別のない
「弥陀の本願」ですから、
『歎異抄』には、

弥陀の本願には老少善悪の人をえらばず(第一章)

と説かれています。
男も女も、老いも若きも、慈善家・殺人犯、
頭の善し悪しなどは、まったく関係ない。
阿弥陀仏は、古今東西の全人類と、
約束されているのです。
しかも、その内容が凄い。
「死んだらお助け」ではありません。
「現在ただ今」救い摂る。

どんな極悪人も、平生の一念に、
「絶対の幸福」に助け切る

という、とてつもないことを誓われています。
こんな約束のできる方は、
大宇宙に無数の仏方ましませども、
本師本仏の阿弥陀仏だけ
ですから、
親鸞聖人は「弥陀の本願」を「無上殊勝の願」とか
「希有の大弘誓」と、『正信偈』に絶賛されています。

生きるのは、変わらぬ幸せになるため

ここで、「必ず救う」と弥陀が誓われている、
「絶対の幸福」とは、どういうことでしょうか。

生きる目的は幸福だパスカルも言います。
自殺するのも楽を願ってのことであり、
政治も経済も、科学、医学、すべての営みは、
幸せのほかにはありえません。
これに異論を唱える人はいないでしょう。

ドラマでも、事件が落着してようやく
娘の家庭に平穏が訪れた時、
親父さんが娘の両手を握って、
「いいか、○○子、この幸せ、離したらアカンで!!」
と語るシーンがありました。

人は皆、不幸や災難を厭い、
安心や満足を求め、手にした幸せは
いつまでも続いて欲しいと願って、
生きているのです。

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ところが、私たちの追い求める喜びは、
変わり通しで、やがては苦しみや悲しみに変質し、
崩壊、無に帰することさえあります。
恋のトキメキや結婚の喜びは、どれだけ続くでしょう。

相手がいつ病や事故で倒れたり、
変心して破鏡の憂き目にあうかも知れません。

幸せは、指の間から砂がこぼれ落ちるように消えていく。
最愛の人との突如訪れる離別や死別。
生涯かけて築いた家もマッチ一本で灰になり、
昨日まで団欒の家族の家庭も、交通事故や災害で、
「まさか、こんなことになろうとは・・・」
天を仰いで茫然自失。

辛い涙の現実が溢れてはいないでしょうか。

中国四川省の大地震は、深刻な被害をもたらしました。
崩壊した校舎の瓦礫を前に、
見つからぬ我が子の名を呼び続け、
泣き叫ぶ母親の映像に、
誰もが胸ふさがる思いをしたでしょう。

岩手・宮城内陸の震災でも、
「何もかも無くなってしまいました」
と嘆く被災者が映し出されていましたが、
決して他人事ではありません。
瓢箪の川流れのように、
今日あって明日どうなるか知れぬ幸福は、
薄氷を踏む不安がつきまといます。

たとえしばらく続いても、死刑前夜のパーティーで、
総崩れの終末は、悲しいけれど避けられません。

まことに死せんときは、
予てたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三途の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ 

                    (御文章)
病にかかれば妻子が介抱してくれよう。
財産さえあれば、衣食住の心配は要らぬだろうと、
日頃、あて力にしている妻子や財宝も、
いざ死ぬときには何一つ頼りになるものはない。
一切の装飾ははぎ取られ、独り行く死出の旅路は丸裸、
一体、どこへゆくのだろうか

蓮如上人の警鐘乱打です。

風前の灯火のような幸せ求めて、
今日も人はあくせく苦しんでいる。
悲劇の滝壺に向かっているすべての人を、
阿弥陀仏はご覧になられて、
「なんとしても助けてやりたい。
絶対に崩れぬ大安心・大満足の身に、必ず救い摂ってみせる。
若し平生に、真っ暗闇の心を、
絶対の幸福に生まれ変わらせることができなければ、
この弥陀は仏のさとり(正覚)を捨てる」
(若不生者不取正覚)
と、「平生の救い」に命を懸けて誓われているのが、
「弥陀の本願」です
から、
親鸞聖人は「若不生者のちかい」とも讃嘆されているのです。

この誓いを果たすために、
阿弥陀仏が大変なご苦労をなされて完成されたのが、
「南無阿弥陀仏」という六字の名号です。

重ねて誓われたのは、疑心を晴らすため

阿弥陀仏は、こう誓われています。

「すべての人を絶対の幸福にする力のある
『南無阿弥陀仏』の名号を、必ず作ってみせる。
私の完成する名号の素晴らしさを、
大宇宙にただ一仏でも、
褒めない仏さまがもしあるならば、
私は仏のさとりを捨てる」

大宇宙のすべての仏(十方諸仏)が褒め称える「名号」とは、
十方諸仏が“助けることができない”と見捨てたすべての人を、
助ける力のある「名号」のこと。

釈迦も、大日如来も、薬師如来も、
ビルシャナ如来も作ることができない「名号」、
十方諸仏の誰も成就できない、
そんな「南無阿弥陀仏」を完成させてみせると、
弥陀は命を懸けて約束されているのです。

ところが、そう聞いても、迷いの深い私たちは
「本当だろうか、そんなことができるのだろうか」と疑う。
そこで阿弥陀仏は重ねて、
「必ず、名号を作ってみせる。間違いなく完成させるぞ」
と誓っておられる
ことを、
親鸞聖人は『正信偈』に、
「重誓名声(みょうしょう)聞十方」
(重ねて誓うらくは、「名声、十方に聞えん」と)
と教えてくださっているのです。

「名声(みょうしょう)」とは、
「南無阿弥陀仏」の名号のこと。
「十方に聞えん」とは、
「その名号の素晴らしさを、大宇宙のすべての仏に、
褒め称えさせる」ということです。

それは、大宇宙のすべての人(十方衆生)に
名号の大功徳を聞かせ、受け取らせて、助けるため。
ですから、
「重ねて誓うらくは、『名声、十方に聞えん』と」
とは、
阿弥陀仏は、十方諸仏の褒め称える『南無阿弥陀仏』を、
必ず作ってみせる、
と命を懸けて約束されているのだ。
『絶対に間違いない、必ず完成させる。
そして苦しみ悩むすべての人に、その功徳の宝を与えて、
絶対の幸福に救ってみせる』と、
重ねて誓われているのだよ」
と仰っている、親鸞聖人のお言葉です。

名号は、すでに完成されている

では、阿弥陀仏は、約束されているとおりの「南無阿弥陀仏」を、
もう完成されているのでしょうか。
お釈迦さまは、こう証言されています。

十方恒沙の諸仏如来、皆共に無量寿仏の
威神功徳の不可思議なるを讃歎したまう

            (大無量寿経)

大宇宙にましますガンジス河の砂の数ほど沢山の仏方が、
異口同音に、阿弥陀仏の作られた『南無阿弥陀仏』に名号の、
想像できない大功徳を褒め称えておられるのだ」
このとおり、すでに阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」
を完成されていることが分かります。

お釈迦さまのお言葉ですから、間違いありません。
親鸞聖人は、弥陀が完成なされた、
私たちを一念で絶対の幸福に救い摂る、
この「六字の名号」の大功徳を、
「功徳の大宝界」とか「本願の大智海」とも
『正信偈』に讃嘆され、蓮如上人は平易に、
こう詳解されています。

南無阿弥陀仏」と申す文字は、
その数わずかに六字なれば、
さのみ功徳のあるべきとも覚えざるに、
この六字の名号の中には、
無上甚深の功徳利益の広大なること、
更にその極まりなきものなり

                (御文章)

「『南無阿弥陀仏』といえば、わずかに六字だから、
それほど凄い力があるとは誰も思えないだろう。
だが、この六字の中には、私たちを最高無上の幸せにする
絶大な働きがあるのだ。
その広くて大きなことは、天の際限のないようなものである

医者が薬を作ったのは、患者に与えるため

ところが、いくら素晴らしい「南無阿弥陀仏」が完成されていても、
私が受け取らねば、私は助かりません。

ちょうど、どんな病気でも治す力のある薬がすでに完成していても、
患者がそれを飲まなければ、病気は治らないのと同じです。

医者が薬を作るのは、それを患者に与えて、
患者の病気を助けるためだからです。
阿弥陀仏が、無上の宝である「南無阿弥陀仏」
を作られたのは、私たちに与えて、
「絶対の幸福」に救うためです。

では、どうすれば、私たちは「南無阿弥陀仏」の大功徳を、
阿弥陀仏から受け取らせていただけるのでしょうか。

それ一つを説かれたのが仏教であり、
仏教の真髄を明らかにされた親鸞聖人です。

『正信偈』には、その聖人九十年の教えが、
圧縮されています。
次号、解説を続けましょう。

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ひとりぼっちの魂を救う弥陀の本願! [孤独な魂]

(真実の仏教を説いておられる先生の書物「とどろき」から載せています。 ) 

「日本の10代が世界で一番孤独を感じている」
最近、ユニセフのイノチェンティ研究所が発表した、
先進国の子供に関するレポートです。
インターネットで「孤独」と検索すると、
二千九百七十万件もの関連項目が出てきます。
それほど「孤独」は、
身近で関心の高い言葉になっているようです。

大人も子供も、漠然とした寂しさを抱えている。
それはなぜでしょうか?

......................................

●欲しいのは「同意」や「理解」

安らぎやときめきを感じ合える相手、
例えば、親、子、妻、夫、恋人、友人などの
いないのを「孤独」と感じる人が多いようです。
ではそれらの人と寄り添い、楽しい会話や、食事、
ゲームやスポーツなどをして、
喜びや楽しみを分かち合うことで、
孤独は癒せないものでしょうか。

触れ合いを通して、「自分を理解してほしい」
という願望を、大人も子供も、皆、持っています。
例えば、子育てで大事なのは、
子供の話をよく聞くことだと、
多くの育児書は書いています。
子供がしゃべれなくても、
目を見て話しかけたり、よく甘えさせ、
泣けばすぐ抱っこして
スキンシップするのが、子供の安心を生み、
自立を促します。
親がそれを怠ると、
ある時から子供は無表情になり、
心のトラブルが始まる。
「サイレント・ベビー」といわれる状態です。
甘えたい気持ちを封じ込め、
喜怒哀楽を表さなくなります。
「自分は甘える価値がないんだ」
という思いになるからです。

生まれたばかりの赤ちゃんでも、
「認めてほしい」という欲求があるのですね。

育児をする母親も、
夫や周囲に分かってほしいと願う一人です。
仕事を抱えながら、育児や家事が集中し、
悩みや焦りで押しつぶされそうなお母さんたち。

その声に耳を傾け、ともに悩み、協力していくことが、
最大の子育て支援だという専門家もあります。
熟年離婚の理由に、
育児期に夫が非協力的だったことを挙げる妻が
非常に多いそうです。

「子供が病気なのに連絡も取れず、酔って深夜に帰宅した」
「自分が病気の時に、何も助けてくれなかった」など、
ため込んだ不満の根本に、
「分かってもらえなかった」の思いがあるのでしょう。
相手に関心を持ち、分かり合おうと努める。
「私を理解してほしい」というのは誰も皆、
求めていることなのです。

●増していく
   孤独の渇き

ところが互いに理解しようと努めても、
さらに深い孤独感にさいなまれることがあります。
それを癒やそうと私たちは、
一層の努力を重ねます。
人間の営みは、底知れぬほど寂しく、
不安なこの人生を、何とか明るく楽しくするためのものと
いえないでしょうか。

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科学技術の進歩が、コミュニケーションにも
大きな変化を与えました。
携帯電話やインターネットはその代表です。
日本の携帯電話の契約件数はおよそ一億。
(平成19年の記事です)
老若男女、ほとんどの人が持っていて、
いつでもどこでも、
だれかとつながっていたい人が増えています。
携帯電話を通じたひんぱんなやりとりは、
かえって、ここに取り残された私の身体と、
そのなかに存在する『孤独な私』の姿を浮き立たせてしまう

(「新世紀考 携帯時代が深める孤独感覚」森岡正博)
時代が進んで便利になるほどに、
寂しさの渇きは深まっているのではないでしょうか。

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●“自分の存在”を
     知らせたい

男は難破して一人、無人島にたどり着いた。
耐え難い孤独から、ビンにSOSを詰めて海へ流す。
返事はしかし、一年たっても届かない。
こうなることは、うすうす分かっていたが、
彼は落胆を隠せなかった。
ところがある朝、信じられない光景が男の前に広がっていた。
手紙が詰まったおびただしい数のビンが海岸に押し寄せ、
打ち上げられていたのだ。
彼は悟った。
“孤独なのはオレだけではなかったんだ”

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今年、20年ぶりに再結成したイギリスのロックバンド、
ポリスが、『孤独のメッセージ』
(『Mwsseage In A Bottle』詞 スティング)
で歌っている物語です。
耐え難い寂しさの中、男が世界中に発したのは
「自分はここにいる」というメッセージでしょう。
海岸に打ち寄せる無数のビンを見て彼は、
孤独なのは自分だけではないと気づきます。
でも歌はここで終わり。
独りぼっちの心を、どう解決すればいいのかは
描かれていません。

無人島の岸でひしめくビン詰めの手紙とは何でしょうか。
現代ならさしずめ、電脳空間の海に漂うメールの類と
いえるでしょう。
あるいは、日々の思いを綴る「ブログ」といわれる日記や、
自分の「プロフィール(横顔)」
を面白おかしく過激に公開する「プロフ」
というサービスかもしれません。
そこには“自分の存在”を知らせたい
人々の声があふれています。
「だれか私に気がついて、私を愛して、
そして、この孤独を癒やして欲しい」
こんな心の叫びに、皆、
突き動かされているようです。

それはだれもが等しく抱えた、
行き場のない思いではないでしょうか。
いかに人や物、やりがいのある仕事に恵まれても、
心が独りぼっちで、無底の寂寥を感じている。
だれもが魂の連れを欲しているようです。


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●人は皆
   独りぼっち

仏教を説かれたお釈迦さまは、
“人は皆、独りぼっちである”
と厳粛な事実を教えられています。

『大無量寿経』というお経に、

独生独死 独去独来

たった独りで生まれ、たった独りで死んでいく。
来るも去るも、独りぼっち。
肉体の連れはあっても、
魂の連れはないのだとおっしゃっています。

私たちは、真の理解者を求めて
生きているといっても
過言ではありません。
すべてを分かってもらえたら、
心から救われたといえましょう。

しかし、そのような人はあるでしょうか。
自分が他人を完全に理解できないように、
私のすべてを完全に分かってくれる人もまた、
ありません。
なぜでしょう。

私たちは、一人一人が自分の心が生み出した
世界に生きているからだと、
仏教では教えられます。
自分が生み出した、
全く違う境界(きょうがい)に生きているから、
親子、夫婦といえども、
互いの世界を垣間見ることすらできないのです。
例えば同じ絵を眺めても全く同じに感じる人は、
一人もないでしょう。
それぞれの持って生まれた感覚、好み、経験など、
各人各別だからです。
では、私のすべてを理解し、
愛してくだされる方はないのでしょうか。
“この孤独地獄から救ってくださる方が、
ただお一人だけあるのだよ”と、
お釈迦さまはおっしゃっています。
それが、本師本仏の阿弥陀如来です。
阿弥陀如来は、私たちの本心を知り抜かれたうえで、
「そのまま救うぞ。おまえ一人の弥陀になる」
と誓っておられます。

すべての人は、この弥陀の本願によって、
孤独なこの魂を救っていただくために
生まれてきたのです。


親鸞聖人は29歳の御時、
この阿弥陀如来の本願に救い摂られ、

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとえに親鸞一人が為なりけり

と喜ばれました。
宇宙最高の仏さまに救い摂られ、
底知れぬほど寂しい人生が、
無限に楽しく、明るい、
素晴らしい人生に転じ変わったのです。

●だれも
   分かってくれない

寂しい心に一人泣いていたが、
親鸞聖人の教えによって、
幸せを喜ぶ身となった、「妙好人」といわれる人々が、
これまで数多くありました。
幸せを喜ぶ身となるとは阿弥陀仏に救われたということです


その中から、お軽(おかる)同行という女性を
紹介しましょう。

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カニの甲羅に似た山口県六連島(むつれじま)は、
海に迫る小高い山に、
数十軒が肩を寄せ合っている。
江戸時代末期のこの島に、
大森岩吉の次女として、
お軽は生を受けました。
幼いことから気性の激しい、
勝ち気な娘であった彼女は、
思ったことは遠慮なく口にし、行動に移す。
200年前の日本でそれは、
美徳とはなりませんでした。
早くに亡くなった姉に代わり、
年ごろとなったお軽は養子を迎えることになりましたが、
どの若者に縁談を持ちかけても、
体よく断ってくる。
調べてみると、「お軽の家へ婿に行かない」
協定が結ばれていた。
男勝りの性格が、「女のくせに」と反発を招いたのです。
そんな密約を、だれより驚いたのがお軽本人。
“だれも分かってくれないのか”という寂しさの一方で、
結婚への憧れは一層つのったことでしょう。

「連れさえあれば、
きっとこの心を分かってもらえるはず」
願いがかなって19の時、
向井幸七を婿に迎えました。
島の男たちは、「約束を破って、バカな奴」
「一生、尻に敷かれるぞ」と、
同情やら揶揄(やゆ)を浴びせ、幸七も、
「オレは泣く泣く、首に綱を巻かれて、
引っ張ってこられたのだ」
と言い訳して、お軽を疎んじました。
一方、お軽は一変して善良な主婦となり、
愛されようと必死で家庭を切り盛りして、
子宝にも恵まれました。

しかし、睦まじいように見えた夫婦関係も、
やがてほころびが見え始めます。
島で作った野菜を、
幸七が船で下関や北九州へ運んで、
行商し、一家は生計を立てていましたが、
次第に彼の足が自宅から遠のいたのです。
ある日、帰ってきた野菜船に幸七の姿が見えない。
仲間の、
「次の売り場を探してもらっているのじゃ」
の言葉を、お軽は疑いもせずに待ちましたが、
次の船でも帰らない。
「銭勘定のため、また残ってもらったんじゃ」
仲間はそう言うが、実は夫は、出先に女性を囲い、
入り浸っていたのです。
そうと知りながら、お軽に一矢(いっし)を報いるつもりで、
夫をかばう男たち。
知らぬはお軽ばかり。
だが、事はすぐに露呈し、
激昂したお軽は夫の胸ぐらをつかみ、
問い詰める。
幸七は白状しました。

●私一人のための
     弥陀の本願

幼いころから独りぼっちで、
適齢期にも寂しさを味わった。
結婚で、一旦は癒やされたかに見えたが、
今度は夫の不義によってより苦しむ。
一心に尽くした夫に疎まれる悲しさは、
身をよじるほどであったでしょう。

しかも島の者は皆、幸七を弁護し、
聞こえるのは自分への冷笑ばかり。
「だれも私を分かってくれない」
孤独な人生の救いを求め、
お軽は生まれて初めて仏門を叩く。

寺の住職・現道に事情を明かし教えを請うたのです。
あんたのためには、かえってよかった。
こんなことでもなければ、
仏法を聞くような女ではないからな、そなたは

歯に衣着せぬ現道の一言に怒ったお軽は、
そのまま家に帰ってしまったが、
それでも聞かずにおれなかった。
そんなお軽が真剣な聞法を重ね、
やがて仏法喜ぶ身となってから、
あふれる法悦を、多くの歌にしています。

(※仏法喜ぶ身とは、阿弥陀仏に救われたということ。)

阿弥陀如来を 殿御に持てば
娑婆の貧乏 苦にならぬ


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私一人の弥陀如来、魂の連れを得てごらん、
この世の苦労は苦にならぬ


変わり果てたお軽に驚き、
やがて幸七も仏縁を結ぶ。

その幸七夫妻と現道との、
こんな会話が伝えられています。

お軽が、現道に言った。
「この人が道楽をしたのは私には幸せでした。
それがご縁で、こうしてお慈悲さま(弥陀の救い)
にあわせていただけたのですから。
この人は私には善知識(仏法の先生)です」
すると幸七が、
「それを言われるとオレはつらい。
でもお前こそ、
お慈悲にあわせてくれた善知識だよ」。
「2人とも、こうして真剣に仏法を
聞いているからこそ、
私も仏縁にあわせてもらえる。
2人こそ私の善知識だ」
最後に現道はこう言い、
ともに喜び合ったといいます。

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底知れぬほど寂しいところが人生です。
それが信心決定すれば、
無限に楽しい人生となるのです。

(信心決定とは、阿弥陀仏に救われたことです。)
 


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なぜ、大無量寿経だけが真実の経なのか。 [釈迦]


親鸞聖人は『教行信証』の中に、
それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり
と、明言なされております。

これは、釈尊の説かれた経典は八万四千とか、
七千余巻とかいわれるほどたくさんありますが、
釈尊の本心を説かれた、
いわゆる出世本懐中の本懐経は
『大無量寿経』ただ一つだ
、とおっしゃったものです。

そして、この『大無量寿経』以外の教典は、皆、
方便の経だと断定なされています。

では聖人は何を根拠として
このような断定をなされたのかといいますと、
まず『大無量寿経』の巻頭に、
釈尊自らが明言なされているからです。

すなわち、
如来、無蓋(むがい)の大悲を以て三界を矜哀す。
世に出興する所以は道教を光闡し、
群萌をすくい恵むに真実の利を以てせんと欲してなり

と、宣言なされています。
これは、私がこの世に生まれ出た目的は、
一切の人々を絶対の幸福に導く、
この経を説くためであったのだ
、ということです。
この巻頭のお言葉だけでも、
すでに真実の経であることは明らかですが、
なお、この経の終わりには次のようにおっしゃっておられます。

当来の世に経道滅尽せんに、
我慈悲を以て哀愍し、
特にこの経を留めて止住すること百歳せん。
それ衆生有りてこの経に値う者は、
意(こころ)の所願に随いて、皆得度すべし

と、出世の本懐経であることのとどめを刺しておられます。
これはやがて、『法華経』など一切の経典が滅尽する、
末法法滅の時機が到来するが、その時代になっても、
この『大無量寿経』だけは永遠に残り、ますます、
すべての人々を絶対の幸福に導くことであろう、
とおっしゃったものです。

仏として
  なすべきこと

このようなことが説かれてあるのは
一切経多しといえども、この『大無量寿経』のみです。

釈尊は『大集経』その他の経典に、
私の死後1500年たつと末法という時機が来るが、
この時代になると、
一人も私の教えで助かる者がいなくなるであろう、
と予言なされています。

釈迦の教法ましませど、修すべき有情のなきゆえに、
さとりうるもの末法に、一人もあらじとときたまう

            (正像末和讃)
とおっしゃっています。

しかも、その末法一万年の後には法滅の時機といって、
一切の経典が滅する時機がやってくるであろう、
とも予言なされています。

ところが『大無量寿経』には、
かかる法滅の時代が来ても、
この経だけは永遠に残るであろうと明言なされたことは、
永遠不滅の真実経は『大無量寿経』のみであることを
釈尊自ら告白されたのと同じです。

だからこそ、この『大無量寿経』を説き終わられた時、
釈尊は、

これで如来としてなすべきことは、皆これをなせり
と慶喜なされたのは当然でありましょう。

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阿弥陀仏に救われたら、どう変わるのか。 [曇鸞大師]

惑染凡夫信心発(惑染の凡夫、信心を発しぬれば、)
証知生死即涅槃(生死即ち涅槃なりと証知せしむ。)
必至無量光明土(必ず無量光明土に至れば)
諸有衆生皆普化(諸有の衆生、皆普く化す。)
                         (親鸞聖人・正信偈)

親鸞聖人が、深く尊崇されている曇鸞大師の、
『浄土論註』の教えを紹介されているところです。

先月は「惑染の凡夫」について、詳しく解説しました。
簡単におさらいしましょう。

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「惑染」の「惑」は、欲や怒り、ねたみそねみ、など、
百八の煩悩のこと、
「染」は「染まっている」、
「凡夫」とは「人間」のことですから、
惑染の凡夫」とは、煩悩に染まり切った人間。
煩悩以外に何もない、煩悩によってできている人間のことで、
「煩悩具足の凡夫」ともいわれます。

次に、「信心がおきれば」とは、
「阿弥陀仏に救われたならば」ということですから、
「惑染凡夫信心発」
の意味は、こうなります。

煩悩一杯の人間が、阿弥陀仏に救い摂られたならば、
どうなるか

そこでまず、「阿弥陀仏に救われた(信心発・しんじんほつ)」
とは、どんなことか。
親鸞聖人のお言葉を聞かせていただきましょう。

●私たちへのメッセージ

主著『教行信証』の冒頭に、こうおっしゃっています。

難思の弘誓は、難度海を度する大船 (教行信証)

弥陀の誓願は、苦しみの波の絶えない人生の海を、
明るく楽しくわたす大船である

人生を海に例えて、「難度海」と言われています。
「難度」とは「苦しみ」のこと。
私たちの一生は、生まれてから死ぬまで、
苦しみ悩みの波が次から次とやってくる海のようなものだ、
ということで「難度海」とか「苦海」とも言われているのです。

病苦、肉親との死別、不慮の事故、家庭や職場での人間関係、
隣近所とのいざこざ、受験地獄、出世競争、
突然の解雇、借金の重荷、老後の不安・・・。
一つの苦しみを乗り越えて、ヤレヤレと思う間もなく、
別の苦しみがあらわれる。

まさに「賽(さい)の河原の石積み」
ではないでしょうか。

言い伝えによると、死んだ子供の魂は「賽の河原」に送られ、
責め苦を受けるという。

子供たちは干上がった川底で、
小石を積み上げて小さな塔を造り、
苦しみを紛らわせようとする。
だがすぐに鬼がやってきて、せっかく積み上げた石を
バラバラにするので、
子供たちは一からやり直しをさせられる

というもので、これと同様、汗と涙で築いたものが
アッという間に崩されてゆく。

「こんなことになるとは」、地震や火事、
台風や交通事故など、予期せぬ天災人災に、
何度もおどろき、悲しみ、嘆いたことでしょう。

「人生は苦なり」の、2600年前の釈迦の金言に、
皆うなずいているのではないでしょうか。

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だが私たちは決して、
苦しむために生まれてきたのではなく、
生きているのでもない。
すべての人間の究極の願いは、
苦悩をなくして、いかに明るく楽しく
難度海の人生をわたるか、に尽きましょう。

この苦悩渦巻く人生の海を、明るく楽しくわたす大船がある。
それが弥陀の誓願なのだよ
と、
私たちに贈られた聖人のメッセージが、
「難思の弘誓は、難度海を度する大船」
という『教行信証』冒頭の、一大宣言なのです。

弥陀に救われたとは

「弥陀に救われた(信心発)」とは、
この大船に乗ったことだと、
親鸞聖人は自らの体験をこう告白されています。

大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば、
至徳の風、静かに、衆禍の波、転ず。

            (教行信証)

大悲の願船に乗って見る人生の苦海は、
千波万波(せんぱばんぱ)きらめく明るい広海だ。
順風に帆をあげる航海のように、ああ、
なんと生きるとは素晴らしいことなのか

「大悲の願船に乗じて」とは、
「難度海を明るくわたす弥陀の願船に、親鸞いま乗ったぞ」
という晴れやかな宣言であり、
キラキラ輝く乗船記といえましょう。
「弥陀に救われた(信心発)」法悦を、
「大悲の願船に乗った」ことだと、言われています。

ですから「惑染凡夫信心発」とは、言葉を換えれば、
「欲や怒り、ねたみそねみの煩悩に染まり切ったドロ凡夫が、
大悲の願船に乗ったならば」
ということです。

大悲の願船に乗ったならば、「煩悩」はどうなるか。
それを表明された聖人のお言葉です。

「凡夫」というは、無明・煩悩われらが身にみちみちて、
欲もおおく、瞋り(いかり)腹だち、そねみねたむ心、
多くひまなくして、臨終の一念にいたるまで、
止まらず消えず絶えず。
             (一念多念証文)

人間というものは、欲や怒り、腹立つ心、
ねたみそねみなどの、かたまりである。
これらは死ぬまで、静まりもしなければ減りもしない。
もちろん、断ち切れるものでは絶対にない

大悲の願船に乗っても、煩悩は少しも減りもしなければ、
無くならぬ。
煩悩一杯あるがままで親鸞、
大悲の願船に乗せられたのだ
、と言われています。

シブ柿のシブがそのまま甘味になるように、
    苦しみが、そのまま、喜びになる

そう聞きますと、
「なあんだ、煩悩は変わらないのか。
それなら弥陀に救われる意味がないじゃないか。
結局、苦しみは変わらないのだから」
と言う人があります。

そんな人に聖人は、
とんでもない。変わり果てた世界があるぞ
と、次に、
「証知生死即涅槃
(生死即ち涅槃なりと証知せしむ)」
「生死、即ち、涅槃なり」とハッキリするのだ、
と言われているのです。
「生死」とは、苦しみ悩みのこと。
「即」とは、そのまま。
「涅槃」は、幸せであり満足のことですから、
生死、即ち、涅槃なり」とは、
苦しみが、そのまま、幸せになる
という、驚くべき世界です。
これを、先の『教行信証』のお言葉では、
衆禍の波、転ず」(苦しみが、喜びに転じ変わる)
とも言われています。

苦しみがそのまま、喜びに転ずるなんて、
本当なのか。
誰にでも納得できるような説明は困難ですが、
こんな例えででも、想像していただきましょう。

・・・・・・・・・・・・
少年は山ひとつ越えた学校に、
一人で通学しなければならなかった。
課外活動で遅くなった帰路などは、
どきっとするようなさびしい山道もある。
夏はジリジリ照りつける太陽に焼かれ、
冬は容赦なくたたきつける吹雪に、
しゃがみ込むこともあった。
雨が降ると、たちまち坂道が滝になる。
「ああ、もっと学校が近ければ・・・。
この山さえなかったら・・・」
いつも山と道とが、恨めしかった。
やがて学校に、美しい少女が転校してきた。
なんと彼女は同じ村ではないか。
以来、しばしば一緒に通学し、遠い学校のこと、
さびしい山道のことなども語り合う、
親しい仲になっていた。
ある日、学校を出てしばらくすると、
にわか雨に襲われた。
なかなかやみそうにない。
傘は少女の一本だけ。
思いがけず相合い傘(あいあいがさ)になった少年は、
村に着くまでひそかに願った。
“雨がやまないように”“山がもっとさびしければ”
“村がもっと遠ければいい”

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

“苦しめるもの”と、あんなに恨んでいた道の遠さも、
山のさびしさも、変わってはいないはずなのに、
今は少しも苦にならない。
“苦しみ”がかえって楽しみになっているようです。
一時的にしろ、誰にでも、
身に覚えのあるようなことではないでしょうか。

シブ柿の シブがそのまま 甘味かな
シブ柿が甘くなるのは決して、
白衣を着た科学者が、注射器で柿のシブをまず抜き取って、
それからオリゴ糖を注入しているわけではありません。
シブが、そのまま甘味に転ずるのです。
だから、百のシブなら百の甘味になる。
シブが五十しかなければ、甘味も五十。
千のシブだったら、千の甘味になります。
シブが多ければ多いほど甘味も多くなる。

これが「そのまま」ということ。
同じように、「私ほど不幸な者はいない」
と世間を呪い、他人を恨み、己の業に苦しんでいる人ほど、
弥陀に救われたならば、
「私ほどの幸せ者はない」
と、大宇宙一の果報者と生まれ変わるのです。

心は浄土に遊ぶなり

苦しみが、そのまま喜びに転ずる不思議な世界を、
親鸞聖人は、

有漏の穢身(えしん)はかわらねど
こころは浄土にあそぶなり

        (ご和讃)
ともおっしゃっています。

有漏は「漏れるものが有る」ということ。
「漏れる」とは、「煩悩が漏れ出る」ということですから、
「有漏の穢身」とは、煩悩一杯の穢い肉体、
煩悩具足の塊、ということです。

このお言葉は、
煩悩いっぱい変わらぬままで、親鸞、
浄土へ往って遊んでいるように、明るく愉快なのだ

という告白です。
29歳で弥陀に救い摂られてからの、
波乱万丈の聖人のご生涯を知れば、
いかに凄いことを言われているか、
お分かりになるでしょう。

31歳の肉食妻帯の断行は、
「色坊主じゃ」「堕落坊主じゃ」「仏法を破壊する悪魔だ」
と非難罵倒の嵐を呼びました。
35歳、死刑判決を受けられた聖人は、
関白九条公の計らいで越後流刑となり、
配所の5年、風雪に耐えておられます。
その後、関東へ移られてからは、
邪険な日野左衛門の門前で、
石を枕に雪を褥(しとね)に休まれたり、
聖人の興隆をねたんで山伏弁円が白昼堂々、
刀振りかざして殺しに来たりと、
ひどい目に遭われました。
還暦過ぎて京都に戻られてからも、
83歳の時には自宅全焼の悲運、
更に84歳の、長子善鸞の義絶事件は、
聖人最大の悲劇でありましょう。

これら万丈の波乱は、まさに「生死」の大海に
さまよっておられた親鸞聖人の、紛れもないお姿です。

ところが、そんな聖人が、
「こころは浄土にあそぶなり」
と謳いあげておられるのですから、
びっくり仰天です。

かりに29歳から毎年、一億円の宝くじが当たって、
他人もうらやむ贅沢三昧の暮らしをしておられた聖人ならば、
「こころは浄土にあそぶなり」
と断言されて、当然だと思うでしょう。
ところが、まるでその逆、
典型的な不幸続きの人生としか思えない聖人が、
「こころは浄土へ往って遊んでいるように、
明るく愉快なのだ」
と言われているのですから、
「そりゃ一体、どうことですか?」
「どこが浄土ですか?」
と皆びっくりするのです。

そんな不思議な世界のあることを、
有漏の穢身はかわらねど 
こころは浄土にあそぶなり
と叫ばれ、『正信偈』には短い言葉で、
「生死即涅槃」と、明言されているのです。

「惑染凡夫信心発(惑染の凡夫、信心を発しぬれば、)
証知生死即涅槃(生死即ち涅槃なりと証知せしむ。)」
の2行は、
曇鸞大師さま、あなたも煩悩一杯のまま、
弥陀に救い摂られて、生死の苦海が、
そのまま光明輝く広海に転じられたのですか。
親鸞も、そうでありました

という御心であると、知らされます。

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そんな世界に生かされた人は、
「必至無量光明土(必ず無量光明土に至れば)
諸有衆生皆普化(諸有の衆生、皆普く化す。)」
と次に宣言されているのは、
無量光明土」とは、弥陀の浄土のことですから、
「死ねば必ず弥陀の浄土へ往って
諸有の衆生を、皆、普く化すぞ」
と言われているのです。

「諸有の衆生」とは、苦しみ悩みの人たちのこと。
「皆」とは、一人残らず。
「化す」とは、弥陀の救いに導くことですから、
死ねば極楽へ往くけれども、
ゆっくり休んでなどおらないぞ。
すぐに戻ってきて、すべての人を助けずにおれないのだ

と曇鸞大師がおっしゃっていることを、
親鸞も同じく、無限の活動をせずにおれません
というお気持ちで、書かれているお言葉です


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まことなのは、弥陀の本願だけ! [親鸞聖人]

印度西天之論家(印度西天の論家)
中夏日域之高僧(中夏・日域の高僧)
顕大聖興出正意(大聖興世の正意を顕し)
明如来本誓応機(如来の本誓、機に応ずることを明かす)

これは親鸞聖人が、
“インド、中国、日本の正しい仏教の先生方のおかげで、
親鸞、お釈迦さまの教え、阿弥陀如来の本願を
聞かせていただけた”
とお喜びになっているお言葉です。

そして「親鸞、更に私なし」
と90年の生涯、弥陀の本願をそのまま伝えていかれたのが
親鸞聖人でありました。

驚くべき聖人の信仰告白

このように聞くと、こんな誤解をする人があるようです。
“お釈迦さまは遠い昔の方、
ましてや弥陀の本願と言われても、
私たちには信じ難い。
だから、信頼できる仏教の先生の言葉を信ずる。
これが信仰というものだ”

“親鸞さまも、お師匠さまの法然上人が、
「弥陀の本願に間違いはないぞ」と言われるから間違いない、
と信じておられたのだろう”
ところが親鸞聖人は、全く逆の、
驚くべき信仰を表白(ひょうはく)なされています。

有名な『歎異抄』第2章の、次のお言葉で聞いてみましょう。

「弥陀の本願まことにおわしまさば、
釈尊の説教、虚言なるべからず。
仏説まことにおわしまさば、
善導の御釈、虚言したまうべからず。
善導の御釈まことならば、法然の仰せ、
そらごとならんや。
法然の仰せまことならば、親鸞が申す旨、
また以て虚しかるべからず候か」

            (歎異抄二鈔)
弥陀の本願がまことだから、
それ一つ説かれた釈尊、善導、法然の教えに
間違いがあるはずがない。
これらの方の教えがまことならば、
そのまま伝える親鸞に、
どうしてウソ偽りがあると言えるのか

聖人帰京後、関東に起きた動乱

このお言葉は、どんな時に、
どんな人におっしゃったものでしょうか。
20年間、関東で布教活動された聖人は、
還暦過ぎて故郷の京都へ帰られました。
ところが、その後の関東では、
聖人の教えを聞く人たちの信仰を惑乱する、
種々の事件や問題が起きました。

その一つが日蓮の問題です。
日蓮は、後の日蓮宗を開いた人物ですが、
この男ほど仏法をそしった者はないでしょう。

念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」(四箇格言)
と触れ回り、
「念仏称える者は無間地獄に堕ちるぞ、
禅宗の者たちは天魔じゃ、
真言宗のやつらは国を亡ぼすぞ、
律宗は国賊じゃ」
当時盛んであった仏教の宗派を、
片っ端から攻撃したのです。

仏教では、仏法をそしる謗法罪は、
大恩ある親を殺すよりも重罪であると教えられます。

真実の仏教をねじ曲げ、
そしることは、すべての人の救われる唯一の道を破壊し、
幾億兆の人々を地獄にたたき堕とすことになるからです。

もちろん、お釈迦さまの一切経のどこにも
「念仏無間」などという言葉は出てきません。
それどころか釈尊は、
臨終の父王に念仏を勧められています。
「念仏無間」は日蓮の造語にすぎません。


しかし“デタラメだ”と、
初めは相手にしていなかった関東の同行たちも、
日蓮があまりに熱狂的であったため、
「ウソも百ぺん言えばホントになる」で、
次第に信仰が動揺してきました。
“もし日蓮の言うことが本当なら大変だ”
“いやいや、念仏の教え、弥陀の本願しか助かる道はないと、
親鸞さまはいつも仰せだった。
親鸞さまに限って間違いない”
“そう信じてはいるが・・・”
“本当のところを、確かめたい”
“じかに聖人さまに、お尋ねするしかない”

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かくして関東の同朋たちは、
親鸞聖人一人を命として、京都へ向かったのです。

事は後生の一大事

当時、関東と京都の往復は60日かかったといいます。
道中、箱根の山や大井川など、
旅人の難所は幾つもありました。
盗賊や山賊もウロウロしている。
まさに命懸けの旅路であったに違いありません。

しかし、事は後生の一大事。

長生きしたところで、死なぬ身になったのではありません。
必ず飛び込まねばならぬのが後生です。
吸った息が吐き出せなければ、
吐いた息が吸えなければ、その時から後生です。
一息切れた後生、浮かぶか沈むかの一大事を解決し、
いつ死んでも極楽参り間違いなしの
大安心・大満足の身になることこそ、
“なぜ生きるか”の人生の目的であると、
親鸞聖人は教え続けていかれました。

この世、50年か70年、“どう生きるか”にさえ、
命をすり減らして、
朝から晩まで走り回っているではありませんか。

捨ててはおけぬ後生の一大事に、関東の同朋たちは、
弥陀の本願が本当に救われる道なのかどうか、
これ一つ聞きたいと、命懸けの旅を決行したのです。

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弥陀の本願がまことだから

それに対する聖人のお言葉は、
意外なものだったと言えましょう。

弥陀の本願がまことだから、
それ一つ説かれた釈尊、善導、
法然の教えに間違いがあるはずがない。
これらの方の教えがまことならば、
そのまま伝える親鸞に、
どうしてウソ偽りがあると言えるのか

これでは話が逆さまではないか、
とクビをひねる人もあるでしょう。
なぜかといえば、「弥陀の本願(念仏)に疑いが起きて、
言われるとおりに「本願」が“まことかどうか”
を確かめに来ている人たちに、
「弥陀の本願」は「まことなのだから」という大前提で
語られているからです。

この大胆な逆説的な断言は、何を意味し、
どのような体験からなされたものなのでしょうか。

まことなるかなや、歓喜の叫び

親鸞聖人は29歳の時、法然上人のお導きによって、
信心決定なされました。
信心決定とは、弥陀の本願に救い摂られたことをいいます。
弥陀の本願とは、
「後生の一大事を解決して、“極楽へ必ず往ける”
大安心・大満足の身にしてみせる」
という、本師本仏の阿弥陀如来のお誓いです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある男が表を通りかかると、
道ばたの家で自分のうわさをする者がいる。
「あの男は怒りっぽくて、手が早くてね。
それが彼の欠点だよ」
「へえ、それは本当か」
男は、いきなり家に飛び込んで、
「何でオレが短気で手が早いもんか。
でたらめ言うな」
とみんなの頭をポカポカ殴りつけた。
なるほどうわさにたがわぬ男だと、
一同ハッキリしたといいます。

友人に貸した大金が返った時に、
“彼の誓約は本当だった”と、
それまでの疑いは晴れるように、
弥陀のお約束どおり、“必ず浄土へ往ける”
と大満足の身になられた聖人は、

誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法
             (教行信証)

と仰っています。
「摂取不捨の真言」も「超世希有の正法」も、
ともに弥陀の誓願のことですから、
このお言葉は、
まことだった!本当だった。
弥陀の本願にウソはなかった”
という、弥陀の本願に、
ツユチリほどの疑心もなくなった聖人の、
真情あふるる歓喜の叫びなのです。

さらに、こうも断言されています。

煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、
万のこと皆もって空言・たわごと・真実あること無きに、
ただ念仏のみぞまことにて在します(おわします)」

             (歎異抄)

いつ何が起きるか分からない火宅無常の世界に住む、
煩悩にまみれた人間のすべてのことは、
そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない。
ただ念仏(弥陀の本願)のみがまことなのだ

聖人には、弥陀の本願のほかに、
まことはありませんでした。

「念仏のみぞ、まことにて在します」は、
「本願のみぞ、まことにて在します」
を言い換えられただけです。
弥陀の本願以外に、この世に確かなものは何もない、
鮮明不動の世界に出られた聖人には、
「弥陀の本願はまことだから・・・」と、
何のためらいもなく言えたのでしょう。

「弥陀の本願まこと」が、常に聖人の信仰の原点であり、
大前提なのです。

●信前・信後で、大間違い

ところが、関東の同行にとっては、
最も間違いないのが親鸞聖人、
いちばん信じられないのが弥陀の本願。

まるっきり反対です。

弥陀に救われる前、信前は、
本願ではなく人を信じているのです。
だから、その人に間違いがあれば、
信心が全部崩れてしまいます。

関東の同行は、
“親鸞さまのおっしゃる弥陀の本願だから、間違いなかろう”
と信じているから、
「念仏無間じゃ!おまえらは親鸞にだまされているんだ」
と言われると、信仰が動揺したのです。

それに対して、弥陀に救い摂られたあと、
信後の心は、絶対に間違いない弥陀の本願の上に
立っていますから、崩れることがありません。

親鸞聖人は、
“法然上人が間違いないと言われる弥陀の本願だからまことだ”
と信じ教えられたのではありません。
法然上人のご教導を通して、
そのまま救う
という阿弥陀如来のじかの呼び声を聞き
「まことなるかな!弥陀の本願」
と、不倒の仏地に心を立てられたのです。

だから、かりに、お釈迦さまが実在の人でなかったとしても、
善導大師が間違い者だと立証されても、
法然上人はうそつきだと非難されても、
何がどのようになろうと、
弥陀の本願に対する疑心は、
兎の毛(うのけ)の先で突いたほども出ることがないのです。

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金剛の信心を獲得せよ

これを金剛の信心といわれます。
金剛石といえばダイヤモンド。
これ以上硬いものはありません。
硬いということは変わらないということ。
金剛心とは、何があっても微動だにしない心です。
迷った人間の言葉ぐらいでぐらつくような信心では、
臨終のあらしの前に吹き飛ぶのだぞ。

だが、日蓮を縁に、金剛の信心でなかったことが
知らされたのは喜ぶべきことだ。
ニセの信心を破り捨ててこそ、
真実の信心獲得まで進ませていただけるのだから、
そこまで求め抜きなさいよと、
親鸞聖人はご教示になっています。

聖人のお言葉に従い、
永遠不滅の「弥陀の本願まこと」に心を立て、
金剛不壊(こんごうふえ)の信心を
獲得させていただけるよう、
聞法精進させていただきましょう。


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苦しいのは誰のせい!? [因果の道理]

苦しいのは
   誰のせい?

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新聞に人生相談が掲載され始めて100年がたつといわれます。
それだけロングランを記録するのは、
世の中がいかに様変わりしても、
次々やってくる人生苦悩の波は果てしないからでしょう。
苦しむために生まれたのか、そんなはずはない、
じゃあ何のために生きるのか。
見つからぬ答えに落胆し、アキラメながらも、
問い続けずにおれないのです。

そんな嘆きが、新聞紙上の人生相談から、
かいま見えます。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・
▲ある20代女性の悩み

容姿が悪く、学校ではいじめられ、
職場でもうまくいきません。

母は私に過干渉で、父はすぐ感情的に私を怒る。
こんな暗い性格になったのも両親のせいだと思う。
世の中は女性を容姿で判断し、
それで人生が決められてしまうからつらい。

人生にはこうした悩みが多く寄せられています。
なぜ自分はこんなつらい運命を背負って生きねばならないのか。
両親のせい?
学校のせい?
職場のせい?

それについて仏教はどう教えられているのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●人の運命と因果の理法

仏教とは、約2600年前、
インドに現れたお釈迦さまが説かれた教えです。
仏教とも、仏法ともいわれます。

仏教は因縁を宗とす。
一切法を説くに因縁の二字を出でざるを以てなり

             (維摩経)

釈迦一代の教えを貫く根幹は、
因果の理法であるとハッキリ教えられています。

「まかぬタネは生えぬ」
原因なしに結果が現れることは絶対になく、
「まいたタネは必ず生える」。
原因は厳しく結果を開くと教えられています。

人生の幸福と不幸という運命は一つの結果であり、
それには必ず原因があります。
では何が原因で人は幸福になったり、
不幸になったりするのか?
誰もが知りたいことでしょう。

それについて仏教では、

自因自果

と教えられています。
これは自業自得ともいわれ、自分のやった行為(業)が、
自分の幸・不幸という一切の運命を決定するということです。

しかも原因(行為)と結果(運命)の関係は

善因善果 
悪因悪果 
自因自果

と厳然と説き切られます。

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善い行いをすれば、善い運命(幸福)に恵まれ、
悪い行為は、悪い運命(不幸)を引き起こすということです。

ですから仏教では、幸せになりたいなら善行に励みなさい、
不幸や災難など悪い運命が嫌なら悪い行為は慎みなさいと、
「廃悪修善」を一貫して説かれるのです。

●因果の理法が
    「分かる」とは

この因果の道理については何度も本誌に掲載してきましたので
「 善因善果 
  悪因悪果 
  自因自果」
「廃悪修善」と幾度も聞けば、
「もう分かったし、覚えている。
他の話はないのか」
と思われる読者があるかもしれません。
「仏教ではそのように教えられていると分かった」
というのも「分かった」ですが、
それは一つの知識として知っているにすぎません。
仏教では、教えのとおり実践するようになって初めて、
本当に「分かった」というのです。

因果の道理を自己の人生に引き当てて、
そのとおり実践するのは容易ではありません。
だからこそ、お釈迦さまは45年間、
7000余巻ものお経を説き続けられたのです。

昔、儒教で有名な白楽天が鳥窠
禅師に、
仏教とはいかなる教えか問うた話は有名です。
鳥窠禅師がそれは

「廃悪修善」と答えると白楽天は、嘲笑しました。
「そんなことなら3歳の子供でも知っている」
すると鳥窠禅師は
3歳の童子もこれを知るが、
80歳の翁も、行うこと難し

と即座に答えています。
「行うこと難し」
とは、因果の道理を受け入れ実践する難しさを示したものでしょう。

●因果の道理を
    受け入れられない

まかぬタネは絶対に生えぬが、
まいたタネは必ず生える。

自身に起きた一切の結果は、
善いのも悪いのも、全て自分のまいたタネの結果なのです。

これをただの話として聞く分には、
誰も否定はしないでしょうが、
いざわが身に不幸や災難が降りかかった時、
自らまいたタネと本当に思えるでしょうか。

自因自果と受け入れられず、
「あいつのせいだ」
「こいつのせいだ」
と、苦しめた犯人探しをして、
その相手を恨み呪ってはいないでしょうか。

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次に挙げるのは本誌読者Mさん(80代男性)の体験談です。
Mさんは、子供の頃、寺の日曜学校で覚えた
『正信偈』の意味を知りたいと、
ずっと求めておられた。
本屋を探してもよい本に巡り会えなかったが、
14年前本誌を知り
「親鸞聖人のみ教えがこんなに分かりやすく教えてもらえるとは・・・」
と喜ばれ、それから熱心に聞法されるようになった。
ところがある日、Mさんは病魔に襲われた。
手術は成功したが、なぜか微熱が続く。
再度診察を受けると、医師は“すぐに入院してください”
と言うばかり。
詳しいことを教えてほしいと問いただすと、
麻酔注射の際、注射針からばい菌が脊髄に入ったようだった。
症状は次第に悪化。
レントゲン写真では脊髄が真っ白に写るほどうみがたまり、
激痛で天井を向いたまま動くこともできない。
夜も眠れず、地獄の日々は三ヶ月に及んだ。
揚げ句の果てに歩行障害が残り、
Mさんは病院に対して、怒りと恨みで燃えたぎった。
病院側が謝罪したが、腹の虫は収まらぬ。
訴訟を起こし、病院側と徹底的にやり合うつもりだったという。
しかし、ふとMさんは思った。
何千人もいる患者の中で、
なぜ自分だけがこんな目に遭ったのだろう?と。
病院側にミスさえなければ、
自分が今、障害者となって苦しむという結果はなかった。
だから、不幸の原因は病院のミスにある、
と誰しも思うだろう。
しかし、それだけではその不幸が今、
自分に起きた、という運命の原因としては、
不十分であることに気づいたのです。

たとえ、病院側に落ち度があったにせよ、
もし自分がこの病院を選ばなければ、
被害者とはならなかった。

自分にとっては、ある事件の一つにすぎなかったろう。
なのになぜ、それが今、自分の身の上に起きたのか?
医療事故自体は、病院側に責任があるから、
徹底的にミスの原因を究明してもらわなければならない。
しかし、その原因が分かっても、
私が被害者となった原因は分からない。
病院が私だけを狙ったのではないのだから。
医療事故に原因が必ずあるように、
その事故が私の身に起きたのにも原因があったはず。
それは何か?

私自身の過去の行いという原因と、
病院のミスという縁が結びついて、
「今」「ここに」このような結果が起きたのだと
「自因自果」の仏説にようやく思い至ったといいます。

●一切の事象に「因」と「縁」がある

これを「因縁和合」と説かれます。
因果の道理とは、正しくは因縁果の道理といい、
因と縁がそろって結果が生じます。
一例を挙げれば、田んぼに米ができるのは、
春先にまかれたモミダネが因。
しかし、モミダネだけでは秋になっても米にはならぬ。
モミダネに土をかぶせ、水をやり、
日光を当て、適度に温度など、
もろもろの条件がそろってモミダネが米となる。
この土や水や日光に当たるのが縁です。
因だけでも結果は起きず、縁だけでも結果は起きません。
因と縁が結びついて、初めて結果が生じるのです。
自分に因がなければ、
自身の上に結果が現れることは絶対にありません。

「病院さえミスしなければ、私はこんな体にならなかった」
と恨みたくなるのは、心情的に分かりますが、
それは縁と因をごっちゃに考えているからなのです。
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●「自因自果」と知らされ
     心がスーと和らいだ

Mさんは言われます。
「医療事故の原因は、病院側にあったとしても、
その被害者が、なぜ私だったのか?
その原因は病院側には求めようもない。
こんな結果を受けねばならなかった訳が、
自分自身にあったはず。
それが業というものなのでしょう。

自分の業が、今、このように現れたに違いない。
『私が悪かったのか・・・』
そう思った時、病院や医者への恨みで張り裂けそうだった心が、
ウソのように和らいだのです」

さらに、
「訴訟を起こし賠償金を得ても、
弁護士に多額のお金を払えば、わずかなお金が手元に残るだけ。
それで苦しみが解消するわけもなく、
そのためにかかる時間や労力が無駄に思えました。
こんな体で裁判に臨んでも命を縮める。
残された体力と時間、お金で仏法を聞き、
人生の目的を果たすことにかけようと思ったんです」。

訴訟の取り下げを家族に伝えると、
家族は仏法に関心を持たれたそうです。
Mさんは言います。
「今思えば、私が最初に仏縁を結んだ『とどろき』には
三世因果の道理が書かれてありました。
私は親鸞聖人の教えに救われたのです。
残された人生、今度こそ真剣に聞かせていただきます」

    ◆       ◆

今現に起きている苦しい結果は、
過去のタネまきにほかならず、
それはMさんのように、明らかに見るよりほかありませんが、
これから先は今からのタネまきで、
どうにでも変わっていきます。
因果の道理を深く知らされるほど、
善い結果が現れた時は、仏祖のご加護と感謝し、
一層善果が来るよう努力するようになります。
また、不幸が来ても、恨んだり呪ったりせず、
もちろん泣き寝入りするのでもなく、
これまでの自己の言動や心の持ちようを反省・懺悔して、
明るい未来に向かって努力精進するようになるのです。
順境には感謝と努力、逆境には懺悔。
順逆どちらでも、Mさんのように、
人生の真の目的に向かって一層聞法精進する勝縁としたいものです。


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