この世で弥陀に救われるのか? [Q&Aシリーズ]
(真実の仏法を説いておられる先生の書かれた「とどろき」より載せています)
(質問)
この世で阿弥陀仏に救われる(信心獲得)
というのは、いつとはなしに
ありがたくなることでしょうか?
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(答え)
いいえ。
「どの薬が効いたのやら、いつの間にか咳が止まって
風邪が治るように、仏法を聞いているいくと
だんだん疑いの心がとれて、
いつとはなしにありがたくなったのが信心だ」
と思っている人がありますが、
親鸞聖人は、「弥陀の救いは一念で完成する」
と教えられています。
一念とは、「時尅の極速」といわれ、
何億分の一秒より短い、時間の極まりをいいます。
例えば千年間真っ暗な部屋も、
光が来た一瞬で
闇が破れて明るくなるように、
弥陀の救いはあっという間もない瞬間に
完成するのです。
(質問)
「いつとはなしに救われる」というのは
間違いなのですか?
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(答え)
間違いです。
真宗の中には、
「例えば、重い米俵を背負っていたのに、
ネズミが米俵をかじっていたために、
その穴から米がじょろじょろ流れ出て、
いつとはなしに軽くなるように、
信心といっても、いつとはなしに苦が抜けるのだ」
などと説く人がありますが、
もしそれが本当なら、
「三世業障一時に罪消えて」(御文章)
とおっしゃった蓮如上人は大うそつきになります。
“三世の業障(後生暗い心)という
米俵に苦しんでいる人には、
その重荷を一念で弥陀に奪い取られて
躍り上がる時があるのだ”と、
上人は教えられているのです。
(質問)
「弥陀に救われても、そんなにハッキリするものではない」
と言う人もいますが?
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(答え)
とんでもない。
例えば腹痛でコロゲ回っていた人が、
名医の注射一本で、激痛がケロリと治まった時、
治ったかどうか本人に分からないなどという
バカげたことがあるでしょうか。
いわんや苦しみの元である「後生暗い心」が
一念で弥陀にぶち破られ、
「いつ死んでも浄土往生間違いなし」と、
大安心大満足の心に生かされながら、
ハッキリしないはずがありません。
ハッキリしていないのは、
救われていないからです。
救われたらだれよりも救われた本人がハッキリします。
同時に、ハッキリ救われたことを叫ばずにいられません。
(質問)救われたら、本当にハッキリするのですか?
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(答え)
親鸞聖人は、
「愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、
本願に帰す」
“私は29歳の春、弥陀に救われた”と、
ハッキリ『教行信証』に書いておられます。
聖人のご著書のすべては、
弥陀の本願のとおりに救われた、
ご自身の喜びの体験を告白されたものばかりです。
覚如上人も、
「私は今、弥陀に救われたことを喜んでいる」と、
『執持鈔』にハッキリおっしゃっています。
蓮如上人も、
「他力の信心ということをば今既に獲たり、
乃至今こそ明らかに知られたり」(御文章)
とハッキリ書かれているではありませんか。