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弥陀の本願ひとつを伝えられた七高僧方とは! [親鸞聖人]


(真実の仏教を説いておられる先生の書物「とどろき」から載せています)

印度西天之論家(印度西天の論家、)
中夏日域之高僧(中夏・日域の高僧)
顕大聖興世正意(大聖興世の正意を顕し)
明如来本誓応機(如来の本誓、機に応ずることを明かす)

                  (親鸞聖人・正信偈)

『正信偈』冒頭に、
「帰命無量寿仏如来
南無不可思議光」

“阿弥陀如来に親鸞、救われたぞ、
阿弥陀如来に親鸞、助けられたぞ”

と、絶対の幸福に救われた自らのことを
告白された聖人が、
どうしてこの身に救われることができたのか。
まったく弥陀のお計らいであった、

その弥陀の御心を明らかにされた釈迦の教えを、
インド・中国・日本の七高僧方が、
親鸞まで正しく伝えてくだされたおかげであったのだ

と、広大なご恩を喜ばれているのが、
「印度西天之論家
中夏日域之高僧
顕大聖興世正意
明如来本誓応機」
の4行です。

「印度西天之論家」とは、
印度で活躍された龍樹菩薩天親菩薩
二菩薩のことであり、
「中夏日域之高僧」とは、
中国の曇鸞大師道綽禅師善導大師のお三方と、
日本の源信僧都法然上人のお二人のこと。
これら三国の七人の方を、
親鸞聖人は「七高僧」と仰がれ、
その偉大な功績を続いて、
「顕大聖興世正意」
七高僧方は、大聖興世の正意を、
顕かにしてくだされたのである

と讃えておられます。

「大聖」とは、仏教を説かれたお釈迦さまのこと、
「興世」とは「現れられたこと」、
「正意」は「正しい御心」のことですから、
「大聖興世の正意」とは、
「釈迦がこの世に現れられて、仏教を説かれた目的」
ということです。

それを七高僧方は、
どのように鮮明にされているかというと、

唯、阿弥陀如来の本願ひとつを説かれるためであった
と、共通して、明らかにされているのです。

●ただ、阿弥陀如来の本願ひとつ

「阿弥陀如来の本願」とは、
本師本仏の阿弥陀如来が、


“どんな人をも
必ず助ける
絶対の幸福に”


と誓われているお約束のことで、
有名な『歎異抄』の冒頭には
「弥陀の誓願」とも言われています。

「誓願」とは「約束」のことです。
釈迦は、この「弥陀の誓願」ただ一つを説くために
仏教を説かれた、
それが「大聖興世の正意」であったのだ
と、
七高僧方が顕らかにされたことを『正信偈』に、
「顕大聖興世正意(けんだいしょうこうせしょうい)」
“大聖興世の正意を顕らかにされた”
と仰っているのです。

釈迦の教えは、
七千冊余りの膨大な数のお経になって
書き残されており、「一切経」と言われます。

その一切経に、何が説かれているのか。
釈迦は80年の生涯、どんなことを教えられたのか。
古今の歴史上、いろいろな人が、それぞれに解釈して、
「これが仏教だ」「釈迦の真意だ」と主張します。
そんな中、七高僧方はいずれも、
「仏教を説かれた釈迦の正意は、
弥陀の本願一つであったのだ」
と断言されているのです。


これは、ちょっとやそっとの問題ではありません。
ことは仏法です。
未来永劫の救いを説かれた仏教を、
間違って伝えたならば、
取り返しのつかないことになる。

たぶんこうでしょう」「私はそのように味わっています」
などという無責任発言は許されません。

その仏教について、
「釈迦の正意は、これ一つであったのだ」
と断定することは、誰でも彼でもできることではない。

7千余巻の一切経を余すところなく読破して、
すべて正しく理解されていなければ、
とても言えることではないのです。


その難事を、インド・中国・日本の、
これらの方々なればこそなされたのだ、
そのおかげで親鸞、弥陀の本願を知らされ、
救い摂られることができたのだ。
深きご恩を忘れることはできない、
お返しせずにおれないと、
このあと七高僧をお一人ずつ、名前を挙げて、
その活躍を懇ろ(ねんごろ)に紹介されているのです。

では七高僧方は、どのように、
釈迦の正意である「弥陀の本願」
を明らかにしてくだされたのか。

●七高僧方のご活躍

龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)
約1900年前、インドの人です。
釈迦がお経に、
「私の死後700年ののち、
南インドに龍樹という者が現れ、
大乗無上の法を伝えるであろう」
と予言されている、
その通りに世に登場して大活躍されました。


今日「小釈迦」と呼ばれるほど、
仏教の諸宗派かた尊敬され、
『御文章』にも
八宗の祖師龍樹菩薩」(一帖目十四通)
と言われています。

主著の『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろうん)』に、
仏教を「難行道」と「易行道」に分けられ、
易行の「弥陀の本願」を勧められているのです。

天親菩薩(てんじんぼさつ)
約1700年前、インドの人で、「世親菩薩」ともいわれます。
主著の『浄土論』は、
弥陀の本願を釈迦が説かれた
『大無量寿経』の注釈書
であり、
仏教で「論」といえば
『浄土論』のことを指すほど有名です。
『往生論』ともいわれます。
他にも多くの著書があり、
「千部の論主(せんぶのろんじゅ)」
ともいわれています。

曇鸞大師(どんらんだいし)
約1500年前、中国の人です。
親鸞聖人は、お名前の「鸞」の字を
曇鸞大師から頂かれました。

また、『高僧和讃』の中で、
曇鸞大師についての和讃が一番多く、
三十四種あります。

『正信偈』にも「本師」曇鸞と仰っている
(他には直接のお師匠・法然上人のみ)ことからも、
いかに聖人が曇鸞大師を
尊敬されていたかが知られます。

主著の『浄土論註』は、
天親菩薩の『浄土論』を解釈されたもの。
「註」とは解釈のこと。
仏教で「論註」と言えば『浄土論註』を指すほど有名で、
『往生論註』ともいわれます。

道綽禅師(どうしゃくぜんじ)
約1400年前、中国の人です。
主著『安楽集』に、
仏教を「聖道仏教」と「浄土仏教」
の二つに分けられ、
「聖道仏教では助からぬ。
浄土仏教・弥陀の本願のみを信じよ」
と、断言して教えられました。

これは道綽禅師のような方でなければ
できないことであったと、
偉大な功績を親鸞聖人は、
「道綽決聖道難証(道綽は聖道の証し難きことを決し)
唯明浄土可通入(唯浄土の通入すべきことを明かす)」
                (正信偈)
と讃嘆されています。

善導大師(ぜんどうだいし)
約1300年前、中国の人。
中国で最も仏教の栄えた唐の時代。
親鸞聖人は『正信偈』に、
「善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶっしょうい)
多くの僧侶がいたが、
「仏の正意」に明らかであったのは、
善導大師お一人であった

と、絶賛されています。
とても普通の人間とは思えないと、
聖人は「大心海化現の善導」
(仏さまが、極楽から姿を変えて現れられた方)
とも言われています。


主著の『観無量寿経疏』は、
釈迦の『観無量寿経』を解釈されたものです。

夢に現れた仏の教導を仰いで著されたので、
「写す者は経の如くせよ。一字一句、加減すべからず」
と、自ら仰っているお聖教です。

源信僧都げんしんそうず
約1000年前、日本の人。
「恵心僧都」ともいわれます。
主著の『往生要集』には、
地獄・極楽の様子がつぶさに描写され、
早く浄土往生の身になることを勧められています。


臨終の母君に説法され、
弥陀の本願に喜ぶ身となられたことをご縁として、
著されたといわれます。
(※弥陀の本願に喜ぶ身とは、弥陀に救われたこと)

法然上人(ほうねんしょうにん)
約900年前、日本の人。「源空」ともいわれます。
親鸞聖人の直接のお師匠さまです。
智慧優れ、仏教の大学者であられたことから、
「智慧第一の法然房」「勢至菩薩の化身」
と仰がれました。

勢至菩薩は、阿弥陀如来の智慧を表す菩薩であり、
化身とは、その生まれ変わりのこと。

かの有名な『選択本願念仏集』は、
弥陀の本願以外のすべての仏教を捨てよ、
閉じよ、閣けよ(さしおけよ)、抛てよ(なげうてよ)」
と徹底された書で、「捨閉閣抛(しゃへいかくほう)」
といわれます。

当時の仏教界に、水爆のような衝撃を与えました。
いずれの方も、「弥陀の本願」ひとつを
教えられたことがお分かりでしょう。


そして、
「明如来本誓応機(みょうにょうらいほんぜいおうき)」
「如来の本誓、機に応ずることを明らかにされたのだ」
と、親鸞聖人は『正信偈』に続けて仰っています。

「如来の本誓」とは、「阿弥陀如来の本願」のこと。
その「弥陀の本願」が、
「機に応ずる」と言われている「機」とは、
私たち人間のことです。

世の中にはいろいろな人があります。
男もいれば女もいる。
肌や瞳の色、国や言葉も違えば、顔かたちも違う。
感情的な人、論理を重んじる人、性格もまちまちですが、
阿弥陀如来の本願は、どんな人にも適応する」ことを、
「如来の本誓は、機に応ずる」
と言われているのです。

ちょうど水が、どんな器にも、
器に応じて入るようなものです。
丸い器なら丸く、
四角い器なら四角く水は入ります。
水が器を選んで、
こんな器には入らない、適応しない、
ということはありません。

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同様に、阿弥陀如来の本願は、
「どんな人でも必ず救う」
と誓われたお約束であることを、
七高僧方が明らかにしてくだされた
ことを、
「如来の本誓は、機に応ずることを明かす」と言われ、
そのおかげで親鸞、救われることができたのだと
感泣されている聖人は、
『教行信証』の冒頭に
こうも感激を告白されています。

ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしきかなや、
西藩・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、
遇い難くして今遇うことを得たり、
聞き難くして已に聞くことを得たり。
真宗の教・行・証を敬信して、
特に如来の恩徳の深きことを知んぬ。
ここを以て聞く所を慶び、獲る所を嘆ずるなり

              (教行信証総序)

ああ、幸せなるかな親鸞。
なんの間違いか、毛頭遇えぬことに、今遇えた。
絶対聞けぬことが、今聞けた。
釈迦が、どんなにすごい弥陀の誓願を説かれていても、

伝える人がなかったら、絶対の幸福に
救われることはなかったにちがいない。
ひろく仏法は伝えられているが、
弥陀の誓願不思議を説く人は雨夜の星である。
その希有な、弥陀の誓願を説く
インド・中国・日本の高僧方の教導に、
今遇うことができたのだ。
聞くことができたのだ。
この幸せ、何にたとえられようか。
どんなによろこんでも過ぎることはない。
それにしても知らされるのは、
阿弥陀如来の深い慈恩(じおん)である。
なんとか伝えることはできないものか

はじめに『教行信証』を起草せずにおれなかった心情を、
こう述べて、六巻の『教行信証』は書き始められています。
『正信偈』の中ではこれを、
「印度西天之論家
中夏日域之高僧
顕大聖興世正意
明如来本誓応機」
と讃えられ、懇ろにその教えをひらかれているのです。 

 


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まことなのは、弥陀の本願だけ! [親鸞聖人]

印度西天之論家(印度西天の論家)
中夏日域之高僧(中夏・日域の高僧)
顕大聖興出正意(大聖興世の正意を顕し)
明如来本誓応機(如来の本誓、機に応ずることを明かす)

これは親鸞聖人が、
“インド、中国、日本の正しい仏教の先生方のおかげで、
親鸞、お釈迦さまの教え、阿弥陀如来の本願を
聞かせていただけた”
とお喜びになっているお言葉です。

そして「親鸞、更に私なし」
と90年の生涯、弥陀の本願をそのまま伝えていかれたのが
親鸞聖人でありました。

驚くべき聖人の信仰告白

このように聞くと、こんな誤解をする人があるようです。
“お釈迦さまは遠い昔の方、
ましてや弥陀の本願と言われても、
私たちには信じ難い。
だから、信頼できる仏教の先生の言葉を信ずる。
これが信仰というものだ”

“親鸞さまも、お師匠さまの法然上人が、
「弥陀の本願に間違いはないぞ」と言われるから間違いない、
と信じておられたのだろう”
ところが親鸞聖人は、全く逆の、
驚くべき信仰を表白(ひょうはく)なされています。

有名な『歎異抄』第2章の、次のお言葉で聞いてみましょう。

「弥陀の本願まことにおわしまさば、
釈尊の説教、虚言なるべからず。
仏説まことにおわしまさば、
善導の御釈、虚言したまうべからず。
善導の御釈まことならば、法然の仰せ、
そらごとならんや。
法然の仰せまことならば、親鸞が申す旨、
また以て虚しかるべからず候か」

            (歎異抄二鈔)
弥陀の本願がまことだから、
それ一つ説かれた釈尊、善導、法然の教えに
間違いがあるはずがない。
これらの方の教えがまことならば、
そのまま伝える親鸞に、
どうしてウソ偽りがあると言えるのか

聖人帰京後、関東に起きた動乱

このお言葉は、どんな時に、
どんな人におっしゃったものでしょうか。
20年間、関東で布教活動された聖人は、
還暦過ぎて故郷の京都へ帰られました。
ところが、その後の関東では、
聖人の教えを聞く人たちの信仰を惑乱する、
種々の事件や問題が起きました。

その一つが日蓮の問題です。
日蓮は、後の日蓮宗を開いた人物ですが、
この男ほど仏法をそしった者はないでしょう。

念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」(四箇格言)
と触れ回り、
「念仏称える者は無間地獄に堕ちるぞ、
禅宗の者たちは天魔じゃ、
真言宗のやつらは国を亡ぼすぞ、
律宗は国賊じゃ」
当時盛んであった仏教の宗派を、
片っ端から攻撃したのです。

仏教では、仏法をそしる謗法罪は、
大恩ある親を殺すよりも重罪であると教えられます。

真実の仏教をねじ曲げ、
そしることは、すべての人の救われる唯一の道を破壊し、
幾億兆の人々を地獄にたたき堕とすことになるからです。

もちろん、お釈迦さまの一切経のどこにも
「念仏無間」などという言葉は出てきません。
それどころか釈尊は、
臨終の父王に念仏を勧められています。
「念仏無間」は日蓮の造語にすぎません。


しかし“デタラメだ”と、
初めは相手にしていなかった関東の同行たちも、
日蓮があまりに熱狂的であったため、
「ウソも百ぺん言えばホントになる」で、
次第に信仰が動揺してきました。
“もし日蓮の言うことが本当なら大変だ”
“いやいや、念仏の教え、弥陀の本願しか助かる道はないと、
親鸞さまはいつも仰せだった。
親鸞さまに限って間違いない”
“そう信じてはいるが・・・”
“本当のところを、確かめたい”
“じかに聖人さまに、お尋ねするしかない”

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かくして関東の同朋たちは、
親鸞聖人一人を命として、京都へ向かったのです。

事は後生の一大事

当時、関東と京都の往復は60日かかったといいます。
道中、箱根の山や大井川など、
旅人の難所は幾つもありました。
盗賊や山賊もウロウロしている。
まさに命懸けの旅路であったに違いありません。

しかし、事は後生の一大事。

長生きしたところで、死なぬ身になったのではありません。
必ず飛び込まねばならぬのが後生です。
吸った息が吐き出せなければ、
吐いた息が吸えなければ、その時から後生です。
一息切れた後生、浮かぶか沈むかの一大事を解決し、
いつ死んでも極楽参り間違いなしの
大安心・大満足の身になることこそ、
“なぜ生きるか”の人生の目的であると、
親鸞聖人は教え続けていかれました。

この世、50年か70年、“どう生きるか”にさえ、
命をすり減らして、
朝から晩まで走り回っているではありませんか。

捨ててはおけぬ後生の一大事に、関東の同朋たちは、
弥陀の本願が本当に救われる道なのかどうか、
これ一つ聞きたいと、命懸けの旅を決行したのです。

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弥陀の本願がまことだから

それに対する聖人のお言葉は、
意外なものだったと言えましょう。

弥陀の本願がまことだから、
それ一つ説かれた釈尊、善導、
法然の教えに間違いがあるはずがない。
これらの方の教えがまことならば、
そのまま伝える親鸞に、
どうしてウソ偽りがあると言えるのか

これでは話が逆さまではないか、
とクビをひねる人もあるでしょう。
なぜかといえば、「弥陀の本願(念仏)に疑いが起きて、
言われるとおりに「本願」が“まことかどうか”
を確かめに来ている人たちに、
「弥陀の本願」は「まことなのだから」という大前提で
語られているからです。

この大胆な逆説的な断言は、何を意味し、
どのような体験からなされたものなのでしょうか。

まことなるかなや、歓喜の叫び

親鸞聖人は29歳の時、法然上人のお導きによって、
信心決定なされました。
信心決定とは、弥陀の本願に救い摂られたことをいいます。
弥陀の本願とは、
「後生の一大事を解決して、“極楽へ必ず往ける”
大安心・大満足の身にしてみせる」
という、本師本仏の阿弥陀如来のお誓いです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある男が表を通りかかると、
道ばたの家で自分のうわさをする者がいる。
「あの男は怒りっぽくて、手が早くてね。
それが彼の欠点だよ」
「へえ、それは本当か」
男は、いきなり家に飛び込んで、
「何でオレが短気で手が早いもんか。
でたらめ言うな」
とみんなの頭をポカポカ殴りつけた。
なるほどうわさにたがわぬ男だと、
一同ハッキリしたといいます。

友人に貸した大金が返った時に、
“彼の誓約は本当だった”と、
それまでの疑いは晴れるように、
弥陀のお約束どおり、“必ず浄土へ往ける”
と大満足の身になられた聖人は、

誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法
             (教行信証)

と仰っています。
「摂取不捨の真言」も「超世希有の正法」も、
ともに弥陀の誓願のことですから、
このお言葉は、
まことだった!本当だった。
弥陀の本願にウソはなかった”
という、弥陀の本願に、
ツユチリほどの疑心もなくなった聖人の、
真情あふるる歓喜の叫びなのです。

さらに、こうも断言されています。

煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、
万のこと皆もって空言・たわごと・真実あること無きに、
ただ念仏のみぞまことにて在します(おわします)」

             (歎異抄)

いつ何が起きるか分からない火宅無常の世界に住む、
煩悩にまみれた人間のすべてのことは、
そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない。
ただ念仏(弥陀の本願)のみがまことなのだ

聖人には、弥陀の本願のほかに、
まことはありませんでした。

「念仏のみぞ、まことにて在します」は、
「本願のみぞ、まことにて在します」
を言い換えられただけです。
弥陀の本願以外に、この世に確かなものは何もない、
鮮明不動の世界に出られた聖人には、
「弥陀の本願はまことだから・・・」と、
何のためらいもなく言えたのでしょう。

「弥陀の本願まこと」が、常に聖人の信仰の原点であり、
大前提なのです。

●信前・信後で、大間違い

ところが、関東の同行にとっては、
最も間違いないのが親鸞聖人、
いちばん信じられないのが弥陀の本願。

まるっきり反対です。

弥陀に救われる前、信前は、
本願ではなく人を信じているのです。
だから、その人に間違いがあれば、
信心が全部崩れてしまいます。

関東の同行は、
“親鸞さまのおっしゃる弥陀の本願だから、間違いなかろう”
と信じているから、
「念仏無間じゃ!おまえらは親鸞にだまされているんだ」
と言われると、信仰が動揺したのです。

それに対して、弥陀に救い摂られたあと、
信後の心は、絶対に間違いない弥陀の本願の上に
立っていますから、崩れることがありません。

親鸞聖人は、
“法然上人が間違いないと言われる弥陀の本願だからまことだ”
と信じ教えられたのではありません。
法然上人のご教導を通して、
そのまま救う
という阿弥陀如来のじかの呼び声を聞き
「まことなるかな!弥陀の本願」
と、不倒の仏地に心を立てられたのです。

だから、かりに、お釈迦さまが実在の人でなかったとしても、
善導大師が間違い者だと立証されても、
法然上人はうそつきだと非難されても、
何がどのようになろうと、
弥陀の本願に対する疑心は、
兎の毛(うのけ)の先で突いたほども出ることがないのです。

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金剛の信心を獲得せよ

これを金剛の信心といわれます。
金剛石といえばダイヤモンド。
これ以上硬いものはありません。
硬いということは変わらないということ。
金剛心とは、何があっても微動だにしない心です。
迷った人間の言葉ぐらいでぐらつくような信心では、
臨終のあらしの前に吹き飛ぶのだぞ。

だが、日蓮を縁に、金剛の信心でなかったことが
知らされたのは喜ぶべきことだ。
ニセの信心を破り捨ててこそ、
真実の信心獲得まで進ませていただけるのだから、
そこまで求め抜きなさいよと、
親鸞聖人はご教示になっています。

聖人のお言葉に従い、
永遠不滅の「弥陀の本願まこと」に心を立て、
金剛不壊(こんごうふえ)の信心を
獲得させていただけるよう、
聞法精進させていただきましょう。


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あなたも親鸞聖人が好きになる! [親鸞聖人]

 底知れぬ魅力はどこから?
みんな親鸞聖人が好きになる

3年前の七百五十回忌を縁に、
親鸞聖人の、時代を超えた人気を
再認識された方も多いでしょう。

浄土真宗の人はもちろん、
著名人や作家、思想家など、
聖人を讃仰する声は世に満ちています。
例えば、
鎌倉(時代)というのは、
一人の親鸞を生んだだけでも偉大だった
        (司馬遼太郎)
有名な歴史小説家が、日本を代表する
人物として聖人の名を挙げています。

また文豪・夏目漱石も、
親鸞上人に初めから非常な思想が有り、
非常な力が有り、非常な強い根底の有る思想を持たなければ、
あれ程の大改革(肉食妻帯)はできない
と驚きとともに称讃しています。

鋭い感性を持った作家や知識人が、
なぜこれほど聖人をたたえるのでしょう。

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●31歳の肉食妻帯(結婚)
  世の常識を破り、断行なされた御心は?

90年のご一生のエピソードの中から、
今回は特に有名な「肉食妻帯」について学びましょう。
「親鸞聖人が非常な強い根底のある思想をもたなければ、
あれ程の大改革はできない」
と夏目漱石がたたえた肉食妻帯とはどういうことなのでしょう。
僧侶には元来、「戒律」という決まり事があり、
「肉食妻帯の禁」はその代表的なものです。
肉食は「殺生(生き物を殺すこと)」であり、
妻帯は「女犯(にょぼん)」ですから、
いずれも修行(善行)を妨げる悪の行為として禁じられるのです。
その戒律を公然と破り、肉食妻帯されたことは、
仏教界では重大かつ衝撃的な事件でした。
どんな経緯があったのでしょうか。
聖人のアニメで見てみましょう。

なぜあえて茨の道を?

このように、当時、肉食妻帯の断行は
大変な茨の道でありました。
その険しい道を、なぜあえて、聖人は歩まれたのでしょう。
「つらい修行がイヤになったから?」
「自分に正直に生きていかれたのだろう」
皆さん、いろいろ思われましょうが、
そこには、仏法の教えに基づいた確固たる理由があったのです。
紹介したアニメのセリフに、その心が表明されています。

全ての人がありのままの姿で救われるのが、
真実の仏法(阿弥陀如来の本願)であることを
分かっていただくご縁になれば、
親鸞、厭いは致しません

よいか、玉日、僧侶も、在家の人も、
男も、女も、ありのままで、
等しく救いたもうのが阿弥陀如来の本願。
その真実の仏法を、
今こそ明らかにせねばならぬのだ

世間の評判や保身、自己の利益ではなく、
阿弥陀如来(弥陀)の本願をいかに多くの人に
明らかにするかだけを
問題にされていることが分かります。
肉食妻帯もそのためだ、と聖人は明言されているのです。
では、聖人が生涯これ一つ開顕なされた弥陀の本願とは、
どんなことなのでしょうか。

●すべての人を救う
  阿弥陀如来の本願

阿弥陀如来とは、お釈迦さまが私たちに
紹介してくだされた仏さまです。
仏教では、この大宇宙には、
地球のような世界がガンジス川の砂ほど無量にあり、
それぞれに仏がまします。
十方諸仏といい、地球上の釈迦もその一仏です。
これらの諸仏方が「われらの尊い先生、本師本仏だ」
と崇敬し、異口同音に褒めたたえるのが
阿弥陀仏という仏さまなのです。
その阿弥陀仏が、全ての人を無上の幸せに救ってみせると、
命懸けで誓われたお約束が「阿弥陀仏の本願」です。
この無上殊勝の本願を私たちに教えるために、
釈迦は仏教を説かれたのだと、
親鸞聖人は、

「如来、世に興出したまう所以は、
唯弥陀の本願海を説かんがためなり」
           (正信偈)
釈迦如来がこの世に現れられた目的は、
ただ弥陀の本願一つを教えるためであった

と断言なされ、ご自身も、釈迦が唯説なさった
弥陀の本願を生涯、説き明かされたのです。
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弥陀の本願は「十方衆生(全ての人)」
を無上の幸せに必ず救う、という誓いです。
全ての人が対象ですから、
私もあなたも、この本願に無関係な人は
一人もないのです。

●どんな者を救う
    お約束か

では阿弥陀仏は、約束の相手である私たちを、
どのような者と見られているのでしょう。
これが分からねば、弥陀の本願と相応せず、
救われませんから、極めて重要です。
有名な『歎異抄』第1章には、

「罪悪深重・煩悩熾盛の衆生を助けんがための願にてまします」
煩悩の激しい最も罪の重い極悪人を助けるために
建てられたのが、阿弥陀仏の本願である

とあります。
阿弥陀仏の本願は、欲、怒り、ネタミ、
ソネミの煩悩が激しく燃えている極重の悪人が相手である、
と仰せです。
全ての人間を、煩悩の塊であり、罪悪を造り通しの者であると
見抜かれているのです。

●聖人20年間の
    煩悩との格闘

このような弥陀の本願を知られなかった聖人は、
9歳で仏門に入ってより20年、
煩悩と格闘なさっていました。
4歳で父上、8歳で母上と悲しい別れをなされ、
「次に死ぬのは自分だ。死ねばどうなる?」
と100パーセントの未来、後生(来世)不安な心を解決したいと
願われてのことです。
それには仏道に励むしかないと、
厳しい修行に身を投じられました。
日々、懸命に身を修め、勉学に励み、やがて並ぶ者なき優秀さで
「叡山の麒麟児」とまでうたわれていました。
ところが、誰よりも厳しく自己を律して
思い知らされたのは己の醜い内面でした。
そのきっかけが、玉日姫との出会いだったのです。

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仏の化身か魔性の女か、あまりの美しさに虜になった聖人は、
寝ては夢、起きては現(うつつ)と姫の幻想に苦悶します。
思いを「仏道一つ」と振り払っても、
「親鸞さま、親鸞さま」
と鈴を振るような声が耳について離れない。
身は叡山にあって善を修め、
口に尊い経文を唱えつつ、心は女性を抱き締めている。
「ああ・・・この心・・・」
封じ込めようとするほど、
マグマの如く噴き上がる煩悩は果てしがない。
煩悶する聖人の苦しみは、いかばかりであったでしょう。

●問題は「心」

こんな話があります。
二人の禅僧が諸国行脚中、小川にさしかかった。
美しい娘が、連日の雨で川が増水し、
とび越えられずモジモジしている。
「どれどれ、私が渡してあげよう」
僧の一人が、無造作に抱いて渡してやった。
途方に暮れていた娘は、顔を赤らめ礼を言って立ち去った。
同伴の僧がそれを見て、かりにも女を抱くとはけしからんとでも
思ったのか、無言の行に入ってしまった。
戒律のやかましい禅宗では、
女性に触れてはならないとされているからだろう。
日が暮れて、女を渡した僧が、
「どこかで泊まることにしようか」
と声をかけると、
「生臭坊主との同宿はごめんこうむる」
連れの僧は、そっぽを向いた。
「なんだ、お前、まだあの女を抱いていたのか」
件(くだん)の僧はカラカラと笑った。
連れの僧は、いつまでも抱いていた心の生臭さを突かれて、
返す言葉がなかったという。

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・・・・・・・・・・・・・・・
問題は、その心にあるのです。
心こそ、もっとも最大視されねばならないはずなのに、
人間の社会では、どんな悪い考えを抱いていても、
それだけで法律に抵触(ていしょく)するわけではありません。
私たちがふだん、善悪の基準としている法律や道徳は、
恐喝や詐欺など口の行為にも時には触れますが、
主に問題になるのは身の行為です。
そんな善悪に慣れていると、
聖人の苦しみは理解しがたいものでしょう。
法を犯すわけでも、道徳に背くわけでもないのに、
心で思うだけで何か悪いのかと思うのも、無理からぬことです。

●心の動き
  すべて知っておるぞ

しかし、仏さまは「見聞知」のお方。
「そなたのやっていることを見ておるぞ、
口で言っていることを聞いておるぞ、
心で思っていることを知っておるぞ」
と、私たちの身口意の全てをごらんになっている。

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だから仏教では、私たちの行いを
身、口、心の三方面から教えます。
「身口意の三業」といい、特に重視するのが
「意業(心の行い)」です。
心で思わぬことを言ったり、やったりはしない。
私たちのどんな言動も心の命令によるのですから、
司令塔である心を、仏教は最も重視するのです。
例えれば口や身は火の粉、
心が火の元です。
火元へ放水せねば鎮火できぬように、
心の悪を取り締まらぬ限り、
身や口の悪は止まないのです。
親鸞聖人もそう熟知され、何とか心を正そうと懸命に努力されましたが、
山中で悪いことを「見ざる」「言わざる」「聞かざる」はできても、
「思わざる」だけはどうしてもできなかった。
どうにもならぬ心の悪に絶望し、
ついに修行を断念、泣く泣く比叡山を下りられました。
やがて聖人は、法然上人との邂逅(かいこう)を果たし、
間もなく阿弥陀如来(弥陀)の本願によって救い摂られたのです。
29歳の御時でした。

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●肉食妻帯は
   すべての人の姿

形の上で肉食をせず、妻を娶らず(めとらず)とも、
心はどうか。
親鸞聖人が20年の修行を捨てて山を下りられたのは、
口や身は「麒麟児(きりんじ)」でも、
常に心で女を抱き続けている自己に驚かれたからです。
その聖人が弥陀の救いにあわれて知らされたのは、
そういうどうにもならなぬ親鸞を、
阿弥陀仏一仏が遠い過去からお見抜きで、
“その煩悩具足のおまえをそのまま救ってやろう”
とお立ちづめであった、ということでした。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとえに親鸞一人が為なりけり」  
           (歎異抄)
五劫という永い間、熟慮に熟慮を重ねて
建ててくだされた弥陀の本願は、
こんな煩悩の塊の親鸞一人のためでありました

と絶叫されています。
弥陀の光明に照らし抜かれた一念に、
煩悩100パーセントの真実の自己が疑いなく知らされ、
同時に、今死んでも浄土往生間違いなし、
と本願に疑い晴れたのです。
そして、知らされた罪悪深重の自己の姿は、
全ての人間の姿なのだと、聖人は喝破されています。
口や身で殺さなくても、心で思えば殺生であり、
たとえ結婚していなくても、心で犯せば女犯(にょぼん)です。
心を見れば、全ての人間が肉食妻帯の悪人であり、
そんな者をそのままで、極楽一定の身に必ず救う
と、阿弥陀仏は誓われているのです。
地獄一定の親鸞を、よくぞ救いたもうた。
この弥陀のご本願、いかにしたら一刻も早く、
一人でも多く伝えられようか。
聖人は全生命を懸けずにいられなかった。
破天荒な肉食妻帯も、弥陀の本願の布教以外には
ありませんでした。
そのために受ける非難攻撃など物の数ではない。

「唯仏恩の深きことを念じて、
人倫の嘲り(あざけり)を恥じず」
        (教行信証)
弥陀の本願を知らぬ人たちから疑謗破滅を受けるほど、
ますます弥陀の救いを伝えなくては、と親鸞、
ファイトが湧いてくる

と立ち向かわれたのです。

●ご活躍の源泉は?

このように、親鸞聖人のご生涯には、
我々の想像を超えたご活躍が随所に見られます。
それは、聖人が特別優れていられたからできたことなのか。
もちろん、ズバ抜けた学識と教化力、
人徳を持つお方でありましたが、
ご自身は意外な告白をなさっています。

「小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもうまじ」
(少しぐらいは他人を哀れみ、悲しみ、
助ける心があるように思っていたが、
とんでもない錯覚だった。
親鸞には、慈悲のかけらもなかったのだ)

救われても煩悩具足は変わらない。
人を助けたい心などさらさらない親鸞なのだ、と仰せです。
「エッ、それなら私と一緒。
でも、あれほどのご布教はどうして?」
と尋ねる私たちに聖人は、
「それは私の力ではない。
南無阿弥陀仏のお働きによるのだよ」
と教えられています。
聖人が29歳の御時、阿弥陀如来の本願に救い摂られた、
とは、阿弥陀仏が苦悩に沈む全ての人間を救うために、
大変なご苦労の末に成就なされた「南無阿弥陀仏」
の六字の御名号を頂いたということです。

「弥陀をたのめば南無阿弥陀仏の主になるなり。
南無阿弥陀仏の主になるというは、信心を獲ることなり」
           (蓮如上人・御一代記聞書)
(弥陀に救われたとは、煩悩具足の私が
南無阿弥陀仏の六字の名号と一体になったことをいう。
それを信心獲得ともいうのだよ)

と言われています。
この南無阿弥陀仏には、
「無上甚深の功徳利益の広大なること、
極まりなし」
          (御文章)
といわれるように、大宇宙の宝が全て封じ込められていますから、
「功徳の大宝海」とか「至徳」といわれます。
弥陀に救われたならば、煩悩具足のままで
南無阿弥陀仏と一体になり、至徳具足となるのです。

●南無阿弥陀仏の
   躍動に身をまかせ

南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏の「智慧(厳しさ)」と「慈悲(優しさ)」
の結晶です。
阿弥陀仏は「光寿無量の仏」といわれます。
「光明(智慧)」と「寿命(慈悲)」に限りがないということで、
阿弥陀仏がどんな煩悩具足の極悪人をも救ってくださるのは、
救うお力が無限であるからです。
この弥陀から賜った智慧の働きが、
聖人の厳しさとなって現れれば、
いかなる迫害にもひるまぬ肉食妻帯の断行となり、
弥陀の慈悲の現れが、底無しの慈愛に満ちた聖人の優しさです。
聖人90年のご活躍の源泉は、
29歳、弥陀の救いにあわれ、
名号六字と一体となったことであり、
その後の大活躍は、全て南無阿弥陀仏の偉大な躍動なのです。
多くの人を引きつける聖人の底知れぬ魅力は、
この南無阿弥陀仏の智慧と慈悲の顕現(現れ)であることを
よく知っていただきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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体験手記
「アニメは聖人直々のご説法」
    忘れられぬ母の姿
   山村 恭子さん(熊本県)

私を親鸞聖人の教えに導いてくれたのは、
今は亡き母でした。
昭和24年に私の妹が3歳で亡くなってから、
母は仏教に心を寄せ、昭和55年に父、さらには祖父が亡くなると、
それからは毎日のように寺参りするようになりました。
しかし、何か今一つ物足りないと思っていたようです。
そんな母に、祖母が雨でびしょ濡れになった一枚のチラシを渡しました。
そのチラシをご縁に、この世で明らかに救うと誓われた弥陀の本願、
本当の親鸞聖人の教えに巡り遇い、
聞くようになりました。
自分の求めていたものがあったと
大喜びした母の変わりようは大変なものでした。
いちずに家族に伝えようと、仏法一筋、聴聞最優先で、
毎週、遠方まで聞法に行くようになったのです。
自己にも子供たちにも厳しい母の言動が私は理解できず、
反発ばかりしていました。
「何でこんないい話、聞かんとね」
と、母はよく口にしていました。
それは「仏法を聞け、聞け」
という母の勧めであったのでしょう。
仏縁のない私たちに、何としても弥陀の本願を聞かせたかったのだと思います。

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やがて、そんな母が心臓を悪くして入院し、
私は介護の毎日となりました。
病院で母は、アニメ『世界の光・親鸞聖人』
を毎日一巻ずつ見ていました。
「このアニメは親鸞聖人の直のご説法だ」
と、アニメを見る時はご説法を聴聞するのと同様に
身支度を整え、ベッドの上で正座して見ていました。
私も世話のために、一緒に座って見ていましたが、
今にして思えば、仏法の分からぬ私に、
母は姿にかけて仏法の尊さを教えてくれたのでしょう。
上映が終わると、ビデオテープを巻き戻し、
明日見るアニメを準備しておくのが、私の仕事でした。

そんな母から、私が仏法を聞く縁となった衝撃的な事件がありました。
いつものように朝食の世話を済ませ、
自宅へ戻って庭掃除をしていた時、
看護師から電話がありました。
「お母さんの様子がおかしいので、
すぐ病院に戻ってきてください」
とのこと。
容体が悪化したのかと思い、
すぐ駆けつけると、目を真っ赤にして
「本当だった。私をこんな幸せにしてくださるとは本当だった」
と繰り返し弥陀の本願を喜ぶ母がいたのです。
看護師さんは様子がおかしい、と思ったのでしょう。
仏縁の薄い私も、容体がおかしいとしか思えませんでした。
その時母は、このような歌を私に筆記させました。

  あら不思議
心は弥陀に いだかれて
 南無阿弥陀仏の
    船の中とは

その後もなかなか仏法を聞こうとしなかった私でしたが、
“阿弥陀さまに救われた、明らかな世界が本当にあるんだな”
と知らされ、いろいろなご縁によって、
今は親鸞聖人の教えを求める身となりました。
亡き母に心から言いたいです。
「お母さん、私を生んでくれて本当にありがとう。
仏法を伝えてくれて本当にありがとう」
姿にかけて教えてくれた母の聞法を見習い、
この大恩に報いるべく、弥陀の救いにあうまで
真剣に聞き求めたいと思います。

 


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親鸞聖人から、あなたへのメッセージ [親鸞聖人]

親鸞聖人から、あなたへメッセージ

難思の弘誓は
難度の海を度する大船、
無碍の光明は
無明の闇を破する慧日なり

      (教行信証総序)

阿弥陀さまは苦しみ多い世間の海を、
明るく楽しく渡す大きな船を造られています。
阿弥陀さまにはその大船に、私たちを必ず乗せて
極楽浄土まで届けて下さるお力があります。

今月も、親鸞聖人の主著『教行信証』の
冒頭のお言葉について学びましょう。


●「無碍の光明」とは

まず、「無碍の光明」について解説いたしましょう。
「光明」とは、「力」ということです。
一般にも、「親の七光り」「親の威光」
という言葉が使われます。
社長の息子が、実力もないのに難なく出世したり、
有名人の娘が、さほど魅力がなくても芸能界入りしたりすると、
「あれは親の七光りだ」とささやかれます。
もちろん、実際に親から虹のごとき七色の光がでるワケではなく、
親の「力」を「光」で表しているのです。
仏教では、「仏さまのお力」を「光明」といいます。
「無碍の光明」とは、すべての仏の本師本仏である
阿弥陀仏のお力のことです。

阿弥陀仏のお力は、何ものにも遮られない(碍とならない)
偉大な力ですから「無碍の光明」と言われ、

親鸞聖人は『正信偈』に阿弥陀仏のことを「無碍光如来」とも
仰っています。
この弥陀のお力を「他力」ともいいます。

●「他力」の本当の意味

「他力」と聞くと、どんなイメージがあるでしょうか。
「他人任せ」「他人依存」「自立心がない」
「自主性がない」など、
弱々しいものの代名詞になっており、
「他力本願ではダメだ」「他力本願を脱却しよう」
と使われたりもします。
それが高じてか、仏教を聞いている人までが
弱いイメージで見られがちです。
しかし、本当はどうなのでしょう?

強そうで弱いものは歯であり、
弱そうで強いものは舌だといわれます。
そういえば、バリバリ何でもかみ砕く歯は、
一見、強そうに見えますが案外もろく、折れたり、
虫歯でボロボロになったりします。
それに対して、弱そうに見えるコンニャクのような舌は、
生涯、抜けもせねば短くもならず、
「年取って、体のあちこち悪くなったが、
舌だけは元気」という人が多いようです。
同じように、人生にも、強そうで弱いものと、
弱そうで強いものとがあります。
お釈迦さまは、金や財産、名誉や権力を持っている人は、
一見、強そうに見えるが、本当は弱いものだ、
と仰っています。

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それに反して、弥陀に救われ、絶対の幸福に生かされている人は、
「他力の信心」などといわれますから、
他人に頼る弱い人間のように思われるかもしれませんが、
いざ鎌倉という時には、不思議な力を発揮しますので、
強い人間だと言われています。

事実、日本を一握りにし、難攻不落の大阪城を築き、
天下に号令した太閤秀吉も、
辞世の言葉は哀れなものでした。
「露とおち
露と消えにし 我が身かな
難波のことも 夢のまた夢」
と、寂しく息を引き取っています。
お釈迦さまの仰るとおり、
もはやそこには、天下人としての面影はありません。

遠くは欧州全土を征服したナポレオンや、
アレキサンダー、ジンギスカンも、
回天の大事業を成し遂げましたが、
人類に、一体、何を残したというのでしょうか。
大観すれば、ただひとときの夢の戯れにすぎません。

近くは、日本を不敗の神国と妄信し、
世界を相手に宣戦した立て役者、
東条英樹も、緒戦のカクカクたる戦果を上げていた時分は、
騎虎(きこ)の勢いでしたが、一敗地にまみれ、
A級戦犯の筆頭として、板敷きの上にワラ布団を置き、
五枚の毛布のほかは、
何も持ち込めない巣鴨の刑務所にぶち込まれ、
軍事法廷に立たされるや、
かつての、総理、陸相、参謀総長、内務、文部、
外務の各大臣を歴任した威厳は微塵もなく、
孤影悄然(こえいしょうぜん)たる姿に、
人間本来の相(すがた)を見せつけられた思いを、
皆したはずです。

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しかも、その彼が、一度(ひとたび)、
仏縁に恵まれ大慈大悲の阿弥陀仏の本願にあうや、
死刑直前に、
「さらばなり 有為の奥山 今日こえて
弥陀のみもとで のびのびと寝ん」
「日も月も 蛍の光 さながらに
行く手に 弥陀の 光輝く」
と詠み遺しています。
人間のつけた、一切の虚飾を振るい落とされた、
そこにあるものは、か弱き葦(あし)のような、
罪悪にまみれた自己でしかありません。
悪夢から覚めた彼は、大罪を犯したが、
多生にも億劫にもあい難い、
弥陀の救いにあえたこと一つが有り難かったと、
絞首台に勇み足で立ったといわれています。

財産は、地変に遭えば潰れる。
建物は、災禍に遭えば灰になる。
名誉や地位の箔は、死の前には執着を増ばかり。
妻子は、輪廻の仲立ちにしかなりません。
全てが、一朝の夢にしかすぎないことが分かれば、
本願他力に生き抜かれた親鸞聖人のたくましさも、
蓮如上人の無碍の大活躍も理解されることと思います。

●極楽浄土まで届けてくださる阿弥陀仏のお力

このように、「他力」とは、
他人に依存することではありません。

他力の「他」とは、阿弥陀如来に限り、親鸞聖人は、

「他力」と言うは如来の本願力なり(教行信証)

とズバリ教えられています。
では、阿弥陀仏の本願力(他力)とは、
どのような力でしょうか?

それは、私たちを必ず南無阿弥陀仏の大船に乗せて
極楽浄土に届け、仏に生まれさせてくださるお力です。

ですから、阿弥陀さまに救われ、
南無阿弥陀仏の大船に乗った人には、
「極楽へ行けるだろうか」の不安は微塵もありません。
まだ救われていなければ、
「いつも親切しているし、
後ろ指さされるようなことはしていないから、
死んで悪いところにはいかないだろう。
でも、ひょっとしたら・・・」
「こんな嫌な心が出てくるようではナァ、
悪い世界に堕ちるのではなかろうか」
と、様々な疑いや不安が出てきて、
往生浄土(極楽に往く)の「碍り(さわり)」
(妨げ)となります。
この弥陀の本願に対する疑いの心を「無明の闇」といわれます。
往生浄土の「碍り」である無明の闇を照破する(無くす)
阿弥陀仏のお力を、「無碍の光明」と言われるのです。

阿弥陀仏の偉大なお力を、親鸞聖人は、ご和讃に、
「無明長夜の闇を破し
衆生の志願を満てたまう」
と教導されています。
阿弥陀仏は、昿劫といわれる遠い過去から今日まで、
私を迷わせ苦しませてきた苦悩の根元“無明長夜の闇”
をブチ破ってくださり、
「いつ死んでも極楽浄土に生まれさせる」願いを、
私たち(衆生)の身の上に満たしてくだされるのです。

こんな凄いお力の仏さまは阿弥陀仏だけです。
大宇宙に無量の仏さまがおられても、
無明の闇を晴らすことはできない。
お釈迦さまもできないことなのです。

●「無明の闇」を破る太陽

「慧日」とは、「智慧の太陽」のことで、
阿弥陀仏のお力を、無明の闇を破る太陽に例えられています。
「天に二日(にじつ)なし」ともいわれますように、
無明の闇を破る「太陽」もまた唯一なのだよと、
親鸞聖人は、弥陀の救いを称賛されているのです。
「必ず極楽浄土へ往ける」と、
未来明るい智者になるには、
智慧の太陽に照破されるまで、
仏法を聞かせていただくしかありません。

無碍の光明によって無明の闇が破られ、
いつ死んでも極楽往生間違いなしの身になった時、

人間に生まれてよかった!
苦しみも悲しみも、涙で過ごした日々も、
この幸せになるためだった。
この世の一切は、無上の法悦を得るために存在していたのだ

と生命の歓喜が沸き起こるのです。
この真実の幸せを獲るためにこそ、
私たちは生まれてきた。
そして今、生きているのです。

最後に今一度、『教行信証』冒頭のお言葉を拝読いたしましょう。

難思の弘誓は難度の海を度する大船、
無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり
            (教行信証総序)
“阿弥陀さまは 苦しい多い世間の海を、
明るく楽しく渡す大きな船を造られています。
阿弥陀さまにはその大船に、私たちを必ず乗せて
極楽浄土まで届けて下さるお力があります”

八百年の時を超えて、親鸞聖人の力強いメッセージが
胸に迫るではありませんか。


 


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弥陀の救いは完全な平等 [親鸞聖人]

凡聖逆謗斉廻入(凡・聖・逆・謗、斉しく廻入すれば、)

如衆水入海一味(衆水の海に入りて一味なるが如し)

 

自由と平等。この2つは、古今の人類が希求してやまぬ究極の理想でしょう。

だが実際は、自由を追求すれば不平等になり、

平等を徹底すると不自由を強いられる。

小学校の駆けっこでは、「順位をつけない」ことで

「平等性」を保とうと試みられていますが、

自由な競争心を失わせ活力を奪うと懸念する声もあります。

また、私有財産を禁じ完全平等を目指すはずの共産主義国家で、

貧困にあえぐ民衆をはた目に、独裁統治者や一部の特権階級が富を独占し

豪奢に暮らす、いわば「超格差社会」が出現しやすい事実は、

いかに「平等」が実現困難か示しているといえるでしょう。

考えてみれば、生まれもっての能力や家柄、国籍、肌の色、

男女の違いや容姿のよしあし、学問や経験の浅深など、

あらゆることが十人十色、千差万別で、一人も同じ人はありません。

現在、地球上に70数億人の人がいるといわれますが、

それらの人はみな異なります。

いわゆる「差別」は、紛れもない現実です。

そんな中、すべての人が真の平等になれる、

驚くべき世界の厳存を喝破されている親鸞聖人のお言葉が、

「凡聖逆謗斉廻入

如衆水入海一味」

の二行なのです。意味は一言でこうです。

阿弥陀仏に救い摂られたならば、才能の有無、健常者・障害者、

人種や職業・貧富の違いなど関係なく、

万川の水が海に入って一味になるように、

すべての人が、同じよろこびの世界に共生できるのだよ

聖人が、かかる不思議な「弥陀の救い」を明示されている目的、

その御心は、

「道俗時衆共同心」

と『正信偈』の最後に言われているとおり、

“すべての人よ、この親鸞と同じように、

「弥陀に救われたぞ、助けられたぞ」と叫ばずにおれない身になってくれよ”

これ以外には何もありませんでした。

だが、「すべての人を同じ幸せに生かし切る」弥陀の救いは、

あまりにも常識からかけ離れているために、

簡単に分かることではない。

そこで聖人は、後の世の私たちのために、

法友と大喧嘩されてまで「一味平等」の弥陀の救いを開示してくだされたのが、

今日「信心同異の諍論(じょうろん)」といわれている大論争です。

 

●信心同異の諍論

 

この争いの相手は、聖信房・聖観房・念仏房の3人。

みな法然上人の高弟です。

当時、法然上人は、「智恵第一の法然房」「勢至菩薩の化身」といわれ、

日本一の仏教の大学者でした。

有名な大原問答は、京都の大原で、

各宗派のトップの学者たちを相手にたったお一人で、

7000余巻の一切経を縦横無尽に引用して、

完膚なきまでに論破なされた大法論です。

また主著の『選択本願念仏集』は、

当時の仏教界に水爆級の衝撃を与えた事実によっても、

いかに法然上人が常人を超えた方であったか、知られるでしょう。

その法然上人には、380余人という多くのお弟子がありました。

聖信房・勢観房・念仏房の3人は、中でもトップクラスの俊秀であり、

親鸞聖人の先輩でもあったのです。

聖人34歳の御時。3人が、「信心」について話し合っているのを耳にされます。

アニメ『世界の光・親鸞聖人』第2部で見てみましょう。


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念仏房「高弟2人が、何の話かな」

聖信房「今、お師匠さまの信心は凄い。

あんな信心にはとても我々はなれんと言っておったのだ」

念仏房「そりゃそうだ。智恵第一のお師匠さまと、同じ信心になれるものか」

勢観房「大原の法論でもそうだった。

    300余人の日本中の学者を向こうに回して、

    たったお一人で打ち破られたお方だからなあ」

念仏房「勢至菩薩の生まれ変わりと、みんなが言うのも当然だ」

聖信房「そんな方の信心と、同じになれないのが当たり前よ

 

ここで親鸞聖人が、摩擦を避けて“見て見ぬふり”をされたならば、

論争は起こらなかったでしょう。

後に先輩から疎まれ門内で孤立されることもなかったかもしれません。

だが“極悪の親鸞を、絶対の幸福に救ってくださった弥陀の厚恩には、

身を粉に骨砕きても報いずにはおれない”と、

燃える「恩徳讃」に生き抜かれる聖人には、

弥陀の本願の聞き誤りを、看過することはできなかったのです。


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親鸞聖人「少し、よろしいでしょうか」

念仏房「何だ、親鸞か」

親鸞聖人「今、お師匠さまの信心と、同じになれるはずがないと、

仰っておられたようですが」

聖信房「いかにも」

親鸞聖人「それは親鸞、納得できません」

念仏房「そなたはいつも先輩の言うことにケチをつける人だなあ。

善恵房殿の時もそうだった。そんなことでは、みんなから嫌われるだけだぞ」

親鸞聖人「先輩方には、申し訳ありませんが、親鸞の信心は、

お師匠さまの信心と、まったく同じでございます」

3人「なっ、何ーっ!」

念仏房「何ということを親鸞!お師匠さまを冒涜するにもほどがある。

聞き捨てならんぞ」

 

かくして、「信心が同じくなれるか、なれないか」で意見が対立した論争なので、

「信心同異の諍論」と伝えられています。

 

●師への深い尊敬

 

親鸞聖人が、法然上人をいかに尊敬されていたかは、

有名な『歎異抄』第二章の、

 

たとい法然上人にすかされまいらせて、

念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候

 

“たとえ法然上人に騙されて、念仏して地獄へ堕ちても、

親鸞なんの後悔もないのだ”

という宣言、また「救われたのは、まったく阿弥陀仏のお力によってであった」

と感泣されている聖人が、

 

昿劫多生のあいだにも

出離の強縁しらざりき

本師源空いまさずは

このたびむなしくすぎなまし

 

“親鸞、法然上人に救われた”

とまで言われている「ご和讃」からも窺えます。

聖人にとって法然上人は、まさに“いのち”であったのです。

その聖人が、

親鸞の信心は、法然上人の信心とまったく変わるところはありません。

同じです

と、何の躊躇もなく確言されていることには、

聖信房・勢観房・念仏房ならずとも、だれもが驚くのではないでしょうか。

「お前、何様のつもりだ。自惚れるな」

「法然上人をどんな方だと心得る。弟子としてあるまじきことだ」

と、激しく非難した3人の気持ちも分からないでもありません。

この3人も、ただの人ではなかった。

法然上人から親しく教えを受け、

皆さんに伝えることを使命としていた仏教の専門家であり、

法然門下380余名の中でも高弟と目され、

お師匠さまへの尊敬の深さは一方ならぬものでした。

だからこそ、親鸞聖人の、

「私の信心は、法然上人と同じです」の発言にいきり立ち、

「同じになれるはずがない。撤回せよ」と迫ったのです。

法然上人を尊敬していない3人なら、こんな反応はありえないでしょう。

また学問や理屈で分かることなら、

優秀な人たちが間違えるはずもありません。

 

●法然上人のご裁断

 

どれだけ論じても埒が明かないと見て3人は、法然上人をお呼びし、

ご裁断を仰ぐことになりました。

その時の“判決文”ともいえる上人のお言葉が残っています。

 

信心のかわると申すは自力の信にとりての事なり、

すなわち智慧格別なるが故に信また格別なり。

他力の信心は善悪の凡夫ともに仏のかたよりたまわる信心なれば、

源空が信心も善信房の信心もさらにかわるべからず。

ただ一つなり。

我が賢くて信ずるにあらず。

信心のかわりおうておわしまさん人々はわが参らん浄土へはよも参りたまわじ、

よくよく心得らるべき事なり 

                 (御伝鈔) 

 

これも分かりやすく描かれた、アニメで見てみましょう。


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法然上人「そなたたちは、私の信心と、異なると言ったのだな」

3人 「そのとおりでございます」

法然上人「皆、よく聞きなさい。信心が異なるというのは、

自力の信心であるからだ

3人 「えーっ!」

法然上人「自力の信心は、智恵や学問や才能で作り上げたもの。

その智恵や学問や経験や才能は、一人一人異なるから、

自力の信心は、一人一人違ってくるのだよ

勢観房「異なるのは、自力の信心か・・・」

法然上人

他力の信心は、阿弥陀如来からともに賜る信心だから、

誰が受け取っても皆、同じ信心になるのである

聖信房「他力の信心は同じになる・・・」

法然上人「それ故に、阿弥陀如来から賜った私の信心も、

親鸞の賜った信心も、少しの違いもない。

まったく同じになるのだよ

念仏房「それでは、親鸞の言うことが正しかったのか・・・」

法然上人「いいですか。この法然と異なる信心の者は、

私の往く極楽浄土へは往けませんよ。

心しておきなさい

3人 「はあっ」

念仏房「おのれ、親鸞。

よくもお師匠さまの前で恥を・・・」

 

こうして、彼ら高弟の誤りを正された親鸞聖人は、

いよいよ孤立していかれました。

今日「信心同異の諍論」と伝えられているこの論争は、

『歎異抄』後序にも記されています。

 

●一味平等の救いを鮮明に

 

これは決して、「愚かな人たちが、うっかり誤った」

という程度のものではないのです。

何億兆年と迷い続けてきた我々一人一人の魂にかかわる、

根深い重大な問題を孕んでいることを忘れてはなりません。

では、聖信房・勢観房・念仏房の3人が、

「法然上人の信心と同じになれなくて当然」

と間違った原因はどこにあるのか。

「信心」といえば、「智恵や学問、才能、経験」で作り上げたものしか

知らなかったところにあります。

これらは一人一人異なるものであり、

法然上人は卓越しておられたから、

「信心も異なって当然」と結論したのです。


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昔、飛騨の高山と、伊豆の大島から江戸見物に行った男らが、

同宿して争っていました。

「断然、太陽は山から出て、山へ入るものだ」

と、高山の男は言う。

「バカを言え。太陽は海から出て、海へ入るもの。

この目でいつも見ていることだ」

と、一歩も引かないのは大島の男。そこへ宿屋の主人がやって来て、

「そりゃ、お二人とも大間違いじゃ。

太陽は屋根から出て屋根へ入るもの」

と笑ったといいます。

同じ時計の音でも、金回りのいい人には、

「チョッキン、チョッキン、貯金せよ」

と聞こえるそうですが、借金に追われている者には、

「シャッキン、シャッキン、あの借金どうするんだ」

と時計までもが催促するといいます。

一つの音でも思いが違うと受け取り方が変わるように、

各人各別の智恵や才能、経験で固めた「自力の信心」は、

異なるのが特徴です。

それに対して「他力の信心」は、智恵や才能、

学問や経験、善人悪人などとは関係なく、

阿弥陀仏から賜る信心だから、誰が受け取ってもまったく同じになるのです。

TV局が同じなら、各家庭のテレビが、大・小・新・旧、異なっても、

放送内容が変わるはずがない、のに例えられるでしょう。

あるいは、同じ日本銀行発行の一万円札ならば、

金襴・革・布、どんな素材の財布に入っていても、

同じく一万円の値があるようなもの、

と言えば分かりやすいでしょうか。

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慈悲平等の阿弥陀仏から賜った信心に、

相違があろうはずがない。法然の信心も親鸞の信心も、

ともに他力の信心、まったく違いはない。同じである

誤りやすいところを法然上人は懇ろに糾され、

この一味平等の絶対の救いを親鸞聖人は『正信偈』に、

「凡聖逆謗斉廻入

如衆水入海一味」

と鮮明にされて“片時も急いで弥陀の救いにあってくれよ”

と念じておられるのです。

 

 

 

 


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死んだら賀茂川の魚に食わせよとなぜいわれたのか [親鸞聖人]


親鸞聖人は常に「私が死んだら賀茂川へ捨てて、
魚に食べさせよ
」とおっしゃっていたということが、
「改邪鈔」という書物に書いてあります。

世間一般では盛大な葬式や法事や、
立派な墓を造ることに力を入れて、
死後の冥福を祈っているので、
この聖人のお言葉は何とも不可解なことと思います。
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●信心決定(しんじんけつじょう)に
       力を入れよ

この聖人のお言葉は種々に味わえますが、
まず第一は、肉体の葬式に力を入れずに早く魂の葬式、
すなわち信心決定に力を入れよ
、ということです。
親鸞聖人は信心決定した時をもって、
魂の臨終であり、葬式だと教えられたお方です。

覚如上人も、
「平生のとき、帰命の一念を発得せば、
そのときをもって娑婆のおわり臨終とおもうべし」
とおっしゃっているように、
信心決定した人は、もう葬式は終わっているのです。
だから、セミの抜け殻のような肉体の葬式など、
もはや問題ではないのです。

「つまらんことに力を入れて、大事な信心決定を忘れてはなりませんぞ」
と最後まで真実を叫び続けていかれた聖人のお言葉なのです。
庄松同行の臨終に、
「おまえが死んだら、立派な墓を造ってやるから喜べよ」
と言った時、
庄松は、「そんな石の下におらんぞ」と叫んでいった心も同じです。
次に味わえる聖人の御心は、
生前、親鸞は多くの生命を奪い、その肉を食べてきた。
中でも魚を最も多く食べて生きてきた。
いかに生きるためとはいいながら、
まことに相済まんことであった。
せめて死後なりとも、この肉体を魚に食べてもらおう

という深信因果の御心と拝します。

●同じ幸福に

また、
親鸞は幸福にも、仏凡一体、機法一体、
南無阿弥陀仏と一体にさせていただいた。
親鸞の肉体を一部刻みにしても南無阿弥陀仏の染まらぬところはない。
この親鸞の屍を食べることによって、
南無阿弥陀仏と縁を結び、次生に人間界に生まれて、
弥陀の本願を聞いて、
親鸞と同じく信心決定の大幸福を
頂いてくれる魚が一匹でもあってくれよ。
これが罪悪深重、いずれの行も及び難い親鸞の、
せめてもの最後の願いである

という御心もあったのではなかろうかと
拝察せずにおれません。

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苦しみの根源は煩悩ではなく、無明の闇! [親鸞聖人]

 


無明の闇を破するゆえ
智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆
ともに嘆誉したまえり
      (浄土和讃)

親鸞聖人のご恩に報いるには、
喜んでいただけることをしなければ
なりません。
それには聖人が生涯、教えられたみ教えを知り、
信従するのが一番です。
仏教は苦しみの原因を無明と断定しています。
無明とは明かりのない心、臨終に真っ暗になる心です。

還来生死輪転家
決以疑情為所止
(生死輪転の家に還来することは、
決するに疑情を以て所止と為す)
苦しみが際限もなくやってくるのは、
疑情(無明)が原因、と断定されています。

●煩悩と闘われた聖人

ところが、私たちはそう思えません。
お金や物質に恵まれれば、
政治や経済がよくなれば、
幸福になれると信じています。

さらに苦悩の根源を追求してゆくと、
煩悩につき当たります。
煩悩が苦悩の原因のように説かれるお経もあり、
体験上も、もっと欲が淡泊であればとか、
短気だから苦しむんだと思われます。
欲や怒りや愚痴の心を煩悩と名付けられたのは、
まことにその通りです。
仏教を大別すると、聖道仏教と浄土仏教の二つになります。
聖道仏教では、煩悩を苦しみの根源のように教え、
親鸞聖人は9歳から比叡山天台宗で、
『法華経』に説かれている難行苦行をなさいました。

煩悩が苦しみの原因のように教える方便の仏教と、
20年間取り組まれたのです。

聖人が如実に煩悩と闘われたお言葉は、
定水を凝らすと雖も識浪(しきろう)頻(しきり)に
動き、心月を観ずと雖も妄雲(もううん)猶覆う

でした。
方便を仮、真実を真ともいい、
仏教には真仮が説かれています。

真仮が分からずして助かる道理がありません。

煩悩によって日夜苦しんでいる私たちが、
苦悩の根源を煩悩と間違えるのはいたし方ありませんが、
いつまでも方便に留まって真実を見失ってはなりません。
(真は真実の教えで、仮は方便の教え、
つまり、真実の教えである“弥陀の救い”に値わせるために方便の教えを説いた。)

善悪と信疑

無明の闇を体験的に知るのは並大抵ではありませんが、
無明を解決しなければ、
生死輪転の家に還来し続けるのです。

煩悩をみつめてゆく中に、
無明が苦悩の根源と知らされてきます。
無明と煩悩を混同している人ばかりです。
煩悩と無明の区別がつかなくては、
親鸞聖人の本当のみ教えは分かりません。

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煩悩は善悪相対であり、
無明は信疑廃立、全然違います。

仏教では煩悩具足、煩悩成就の凡夫と教えられるように、
煩悩は死ぬまで無くなりません。

無明はきれいになくなるときがあります。
無明が分かるのは臨終ですが、
肉体の臨終に分かっても手遅れ、
心の臨終にたたない限り、解決できません。

後生暗い人(死後がハッキリしていない人)を愚者と
仏教では言います。

蓮如上人は『御文章』に、
八万の法蔵を知るというとも、
後世を知らざる人を愚者とす。
たとい一文不知の尼入道なりというとも、
後世を知るを智者とす

と仰います。

後生明るい人は、どんな人であっても智者、
後生暗い人は、学者であっても愚者です。

人生の智者か愚者かは、
無明が晴れたか否かで分かれます。

無明の闇は学問では分かりませんが、
真面目に己れの死を見つめてゆくと知らされてきます。

親鸞聖人29歳の御時、
「信受本願 前念命終」
と仰っているのは、心の臨終です。

闇を破する弥陀の本願

無明を破るのが光明。
光明は仏教では智慧といい、
後生暗い心を解決できる仏は、
阿弥陀仏しかなく
釈尊(釈迦)は阿弥陀仏を
智慧光仏と名づけておられるのです。

「凡夫にそんなハッキリできるものか」
という人は、
阿弥陀仏が無明を破ることができるかと
疑っているのと同じです。
我が身の無明さえも知らず、
破っていただいた体験がないのは当然。
無明が破れなければ、
阿弥陀仏は智慧光仏ではなくなり、
釈尊も親鸞聖人もウソつきになります。
親鸞聖人は、阿弥陀仏によって無明を破っていただかれ、
「釈尊が智慧光仏と名づけられたのは、
まことだったなあ」
と感動的に仰っているところです。
一切諸仏も三乗衆もほめたたえられます。
一切とは十方微塵世界。
大宇宙には数え切れない仏がましまし、
三世諸仏、一切諸仏といいます。
三乗衆とは、声門・縁覚・菩薩のこと、
私たちとはケタ違いに勝れた人たちが
異口同音にほめたたえられます。
それは三世諸仏も三乗衆も破れなかった無明を
阿弥陀仏が破られるからです。

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●真の報恩

親鸞聖人の生涯は、阿弥陀仏一仏に向かってゆくと、
必ず無明が破られるときがある、
そこまで聞き求めなさい、のご教示です。

私たちが無明の晴れるまで求め抜いたとき、
親鸞聖人は一番お喜びになられるのです。

 


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あなたの未来は明るいですか!? [親鸞聖人]

「親鸞聖人の教えに出遇う前は、
何に悩んでいましたか?」

全国から本誌に届く読者アンケートの回答には、
家庭や職場の人間関係、お金、病気などの悩みが、
聞法のきっかけになったという人が少なくないようです。

こんな声も寄せられています。
「仏法を聞いて、人間関係もよくなり、
人生が明るく変わってきました。
しかし、仏法の本当の目的はもっと深いところにある、
とも聞きますが・・・」

仏教を聞くのは何のためなのか?
親鸞聖人、蓮如上人にお聞きしましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

読者の体験から

●夫婦の悩みをきっかけに
     もっと大事なことを知らされました。

「親鸞さまならきっと、
私に心のやすらぎを与えてくださるに違いない!」
福岡県の山田久子さん(73)が、
すがる思いでアニメの上映会場に足を踏み入れたのは
昨年夏のことでした。
夫との関係に永らく悩んでいたといいます。

「夫が嫌いなわけではないんです。
ただ、すぐ口論になっちゃって・・・・」
この日も、夫の一言に怒りが治まらず、
家事を放棄して外に飛び出してきたのでした。
とりあえず、と向かった図書館の入り口で、
聖人のアニメ上映会のポスターを見つけたのです。
迎えてくれた女性スタッフに、
山田さんは誰にも言えずにいた胸のうちを一気に吐露しました。

「分かります、分かりますよ。
私も家族のことで随分苦しみましたから・・・」
と自身の過去も屈託なく語るスタッフと、
「この人なら!」
とすっかり意気投合しました。
その日の上映会は第一巻。
浄土真宗の盛んな鹿児島で生まれ育ち、
幼い頃から聖人のお名前に親しんでいた山田さんも、
初めて知ることばかりでした。
「親鸞聖人にこんなご苦労があったなんて・・・。
それに比べたら、私なんてまだまだね。
今日は本当に来てよかった」
と満足し、帰宅したのです。


三回目の上映会でのことです。
昼休み、参加者数名と会食していると、
スタッフからこんな呼びかけが。
「皆さんは、自分を『善人』だと思われますか?
『悪人』だと思われますか?」
何のためらいもなく「善人」に手を挙げた田代さん。
するとスタッフが次のような話を始めました。


      *         *


ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、
平和そのもののB家とが隣接していた。
ケンカの絶えないA家の主人は、
隣はどうして仲良くやっているのか不思議でたまらず、
ある日、B家を訪ね、一家和楽の秘訣を伝授してもらいたい、
と懇願した。

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B家の主人は言った。
「別にこれといった秘訣などございません。
ただお宅さまは、善人サマばかりのお集まりだからでありましょう。
私の家は悪人ばかりがそろっていますので、
ケンカにはならないのです。
ただそれだけのことです」
てっきり皮肉られているのだと、A家の主人は激怒して、
「そんなバカな!」と言おうとした時、
B家の奥で皿か茶碗でも割ったような大きな音がした。
「お母さん、申し訳ありませんでした。
私が足元を確かめずにおりましたので、
大事なお茶碗を壊してしまいました。
私が悪うございました。お許しください」
「いやいや、おまえが悪かったのではありません。
先程から始末しようと思いながら横着して、
そんなところに置いた私が悪かったのです。
すまんことをいたしました」
と、嫁と姑のやり取りが聞こえてきた。

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「なるほど、この家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。
ケンカにならぬ理由が分かった」
A家の主人は感心して帰ったという。

「A家はわが家だ。いつも、正しいのは自分、
と思いながら夫と衝突するんだわ・・・」
この時、山田さんの目が初めて
自分の内側に向けられたのでしょう。
自分を変えたい。
仏教では心を重く見る。
私の心を変えねば、幸せになれないのかしら。

もっと親鸞聖人の教えが聞きたい・・・。
田代さんは遠方の会場にも足を運ぶようになりました。
気がつけば、夫との口論もすっかり減り、
電車で出かけた帰りには、
夫が駅まで車で迎えに来てくれるようになったといいます。
「主人も私の聞法を支えてくれているんです。
そうして続けて聞くうちに、人間関係の悩みより、
もっとずっと大事な問題が人生にあると知らされてきました」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇聖人が示された
    仏法聴聞の原点


お金や病気、人間関係の悩みなどよりも
もっと大事な人生の問題とは何でしょう。
なぜ私たちは仏教を聞かねばならないのでしょうか。
親鸞聖人はこのようにお示しくださっています。
聖人がまだ「松若丸」といわれていた幼少期のエピソードです。


            ◆
4歳でお父様と死別された松若丸は、
母君お一人の手で成長なされた。
だが8歳の時に、そのお母様も亡くなってしまう。
母君の野辺送りのあと、
松若丸はしばし伯父・範綱と西の空を見上げていた。

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飛んでいく雁の群れを眺めながら、
松若丸が問う。
「どこへ行くんでしょう」
「雁も、うちに帰るんだろう」
「いいえ伯父様、人は死ねばどこへ行くんでしょうか」
予期せぬ言葉に、範綱は戸惑いの表情を浮かべ、
「ん?うーん、どこか遠いところだろうなあ」
「どんな所でしょうか。遠い所、とは」
「どんな所かと言われてもなあ」
返答に窮する範綱卿。
松若丸は一人つぶやかれた。
「死ねばどうなるんだろう」


幼くして両親の後ろ盾をい失われた聖人には、
もちろんこの先の生活の不安もあったでしょう。
しかし、それよりも大きな問題は何か。
アニメのセリフからも明らかです。
「次は私が死んでいかなければならないと思うと、
不安なんです。
何としても、ここ一つ、明らかになりたいのです」

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死んだ後のことを、「来世」とも「後生」ともいいます。
一日生きれば一日、一夜明ければ一夜、
確実に近づいているのが来世であり、後世です。
これを否定できる人はありません。
その「後世」が明るいか、暗いか。
100パーセント逃れられない未来なのに、
その行く先が全くハッキリしていないことに、
親鸞聖人は驚かれたのです。


「来世は、どこへ行くのか?」
後に「世界の光」といわれる聖人の原点がここにあります。
そして、これは私たちの仏法聴聞の原点でもあるのです。


蓮如上人は次のように教えられています。


「それ、八万の法蔵を知るというとも
後世を知らざる人を愚者とす、
たとい一文不知の尼入道なりというとも
後世を知るを智者とすと言えり」
        (御文章五帖目二通)


地球上にどれだけ多くの人がいても
「智者」と「愚者」の2通りしかない、
と仏教では教えらます。
どんな人が智者で、愚者なのか。


「八万の法蔵」とは、
お釈迦さまのご説法を書き残された一切経のことです。
今日でいえば百科事典を丸暗記して、
どんな質問にもパッと答えられる頭脳明晰な人を、
「八万の法蔵を知る」と言われています。
そんな人でも、最も肝心なわが身の行く末、後世が暗く、
死ねばどうなるか分からぬ人は、本当の智慧ある人とは言われない。
物知りな智者と他人には言われても、
幸せの最重要ポイントが抜けたら、
仏教では後生暗い「愚者」なのです。

〇最重要ポイントを知る「智者」に


では仏教で「智者」といわれるのはどんな人なのでしょう。
蓮如上人は、
「たとい一文不知の尼入道なりというとも後世を知るを智者とす」
と仰っています。
「一文不知の尼入道」とは、文字のタテヨコも分からぬ人。
新聞を読んでもチンプンカンプン、というような人です。
しかしそんな人でも、
「死ねば必ず極楽浄土へ往って仏になれる」
と後生ハッキリしている人は、
後世を知る「智者」だと仰せです。

どれだけたくさんの人がいても、
この智者と愚者しかいない。
智者か愚者かを峻別する「ものさし」は、
才能の有無、知識の量、社会的な地位や名声などではなく、
「後世を知るか、否か」
これ一つだと仏教は教えられるのです。

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〇快適な空の旅、
   その大前提


「後世」(後生)について、こんな飛行機の例で考えてみましょう。
私たちの生まれた時が、飛行場を飛び立った時とします。
20歳の人は20年前に、50歳の人は50年前に、
飛び立った飛行機です。
飛行機には、必ず「○○空港へ」という目的地があります。
私たちが機内で映画を見たり、音楽を聴いたり、
食事や会話を楽しめるのは、
乗っている飛行機にハッキリした行き先があるという
安心感があるからでしょう。

ところが、もし機長が放送で、
「皆さん、この飛行機は、
どこへ向かって飛んでいるのか分かりません。
下は見渡す限り海原で、着陸地は見当たりません。
燃料はあと5時間ほどでございます。
その間どうぞ、空の旅をゆっくりとお楽しみください」
などと言ったら、どうでしょう。
とても快適な旅にはなりませんね。
「あと5時間あるから大丈夫」
と、安心できる人はないでしょう。

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アベノミクスで好調に見える日本経済も、
消費税増税で先行きはどうなるか、
景気の不安が漂っています。
停止している原発を稼働させるか。
廃炉にするにも、時間や経費がかかる。
使用済み核燃料をどうするのか。
放射線の影響を受けた地域の皆さんは、
帰るに帰れず苦しんでいる。
いずれもハッキリしない未来が不安なのです。
このように、現在と未来は密接不離な関係にあり、
未来の明暗が現在の明暗を分ける重要なカギなのです。

同様に、後世(後生)どうなるかハッキリしないまま、
残りの人生を楽しめと言われて、心から楽しめるでしょうか。

後世がハッキリしないことほどの大問題はありません。
しかも「一寸先は闇」、
いつ、燃料が切れるか分からないのがこの旅の実態ですから、
仏教では、これが人生の最優先問題だと教えられるのです。


私たちが重要だと考えている政治や経済、科学や医学、
倫理や道徳、芸術やスポーツなどは、
この例えでいえば、いかに長く安全に飛べるか、
どうすればフライトが快適になるかという問題でしょう。
それらも大事ですが、
あくまでもそれは着陸地がハッキリしていてのこと。
飛行機自体の着陸地がなければ、
どんなに快適であってもフライトそのものが悲劇です。

だから、
「多くのことを知るよりも、最も大事なことを知る人こそが智者」
とお釈迦さまは仰るのです。

後世がハッキリしない人は愚者、
と言われる蓮如上人の真意もうなずけるでしょう。

仏教では、私たちが人間に生まれた目的は、
本師本仏の阿弥陀仏の本願に救い摂られて、
いつ死んでも弥陀の浄土(無量光明土)へ往けると定まった
「智者」になることだ、と教えられます。

「日も月も 蛍の光 さながらに
   行く先に弥陀の 光輝く」
と詠んだ人があります。
確実な未来が太陽より明るい人は、
一息一息が浄土に向かう大満足。
仏教は、「後世を知らぬ愚者」を、
「後世を知る智者」に大転換させる教えなのです。

お釈迦さまは、阿弥陀仏の本願一つを生涯、教えていかれました。
阿弥陀仏とは、大宇宙で最尊第一の仏さまです。
後世を知る智者になれるのは、この阿弥陀仏が


「すべての人を
必ず正定聚(絶対の幸福)に救う」


と誓われているからです。
これを弥陀の本願といいます。
仏教で「正定聚」とは、
死ねば必ず弥陀の浄土へ往って仏になるに定まった人のことで、
「後世を知る人」のこと。
阿弥陀仏は、一秒よりずっと短い一念に、
正定聚(絶対の幸福)に救い摂ると約束なされているのです。


先月も学んだ蓮如上人の「聖人一流の章」にはこれを、
「一念発起・入正定之聚」
と仰っています。
私たちがこの世に生まれてきたのは、
弥陀の本願を聞いて、
必ず浄土に生まれられる絶対の幸福に救われるためです。

政治も経済も科学も医学も、
愚者が智者(後世を知る正定聚の人、絶対の幸福者)
になるために存在するのです。
また、蓮如上人は


「一念の信心定まらん輩は、
十人は十人ながら百人は百人ながら、
みな浄土に往生すべき事更に疑いなし」
             (御文章五帖目四通)


とも仰せです。この
「十人は十人ながら、百人は百人ながら」
というお言葉を聞いて多くの人は、
「誰でも彼でも、死んだら極楽へ往けるのだろう」
と思っていますが、それは間違いですよ、
「一念の信心定まらん輩」のことだよ、
と蓮如上人は釘をさしておられます。
「一念の信心定まらん輩」
とは
「一念の信心が定まった人」
ということです。
今、阿弥陀仏のお力によって正定聚に救い摂られ、
極楽往きが決まったことを、
「一念の信心が定まった」
と仰っています。

「現在、弥陀に救い摂られた正定聚の人は、
死ねば必ず浄土へ往ける。
だから、仏法を真剣に聞き求め、
早く正定聚の身になりなさいよ」
と教え勧められているのです。

私たちはこの正定聚に救う力を持たれた仏さまは、
大宇宙に阿弥陀仏一仏しかましまさぬ。
弥陀以外の一切の諸仏・菩薩等には助ける力はありませんから、
蓮如上人は『御文章』に、


「末代無智の在家止住の男女たらん輩は、
心を一つにして、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、
更に余の方へ心をふらず」
           (五帖目一通)
と仰っています。
阿弥陀仏以外の仏や菩薩、神々を「余の方」といい、
それら一切に心をふらず、本師本仏の弥陀一仏を信じよ、
それが智者になる唯一の道だ、
と明示されているのです。


これら前知識のご教導に従い、
一日も片時も急いで阿弥陀仏一仏に向かい救い摂られ、
後生明るい智者となれるよう、聞法精進いたしましょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


(読者の声)
私はこう知らされました


今回テーマとなった蓮如上人のお言葉を聞いた
読者の声を紹介します。


■生きる目的が分かった
全人類は一日たてば一日、確実に「後世」に近づいています。
何十億の人がいても無関係な人はない。
しかも、この世は百年生きても過ぎ去れば夢のまた夢。
後世は永遠です。
確実な未来である永久の後世、
「死んだらどうなるか」の最大事が分からなければ、
多くのことを知っていても、
仏教では「愚者」といわれます。
阿弥陀仏の本願に救われ、いつ死んでも極楽往生間違いなしと
後生明るい「智者」になることが、
私の生きる目的であるとよくわかりました。
              (北海道・30代男性)


■私の確実な未来


多くの知識や教養、生活を豊かにし、
他者からも評価されます。
大切なことですが、どれだけ知識があっても、
「死んだらどうなるか」の疑問に答えることはできません。
必ず訪れる自分の未来なのに、
明るいのか暗いのかハッキリしていないのは、
何と愚かなことか。
阿弥陀仏の本願によらねば、
後世を知る智者にはなれないと知らされ、
人間に生まれた最も大事なことを教えていただき、
感謝せずにはいられません。
          (富山県・女性)


■仏教の断言に驚き


仏教では、ノーベル賞を取り、
世の称賛を浴びるような人も、
後世を知らねば“愚かな人、気の毒な人”
と言ってしまうのですから、驚きです。
考えてみれば、「後生を知らない」とは、
「一歩先の自分の未来が分からない」こと。
そんな者が智者といえるはずがない、と納得しました。
                (長野県・20代女性)


■「弥陀一仏」に心定まる


後世を知らざる愚者から、後世を知る智者になるには、
「阿弥陀仏一仏を信じよ、さらに余の方へ心をふるな」と
親鸞聖人も蓮如上人も徹底して教えておられることをお聞きし、
弥陀一仏と心が定まりました。
             (福井県・男性)


 


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親鸞聖人の恩徳讃 [親鸞聖人]

 恩徳讃のこころ
       寄せては返す
          波のような
           無限の報謝

親鸞聖人は約800年前、
京都に誕生され、90歳でお亡くなりに
なりました。
その波乱万丈のご一生は、
「たくましき親鸞」と多くの人を魅了しています。
目覚しいご活躍の源泉は、何であったのか。
聖人の『恩徳讃』のこころを、聞かせていただきましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なぜ こんな気持ちに 
       なられたのか

浄土真宗の人ならば、親鸞聖人の「恩徳讃」を
知らない人はいないでしょう。

如来大悲の恩徳は
身を粉にして報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし

「如来」と言われているのは「阿弥陀如来」のこと、
「師主知識」とは、その弥陀の御心を、
正しく教え伝えてくだされた方々のこと
ですから、
意味はこうなります。

阿弥陀如来から受けたご恩には、
身を粉にしても報いずにおれない。
その阿弥陀如来の御心を伝えてくだされた、
お釈迦さまはじめ歴代の高僧方のご恩にも、
骨を砕いてもお返しせずにおれない

身を粉に骨を砕いたら、死んでしまいます。
「命捨てても、ご恩返しせずにおれないのだ」
と言われているのです。

聖人がこんなお気持ちになられたのは、
阿弥陀如来からどんなご恩を受けられたからでしょうか。

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●“命捨てても報いずにおれぬ”
        阿弥陀如来のご恩とは

駅のホームから過って転落した人が、
電車が来る直前に救出されたならば、
危険を冒して助けてくれた人の恩は、
生涯忘れないでしょう。
溺死寸前に救出され、九死に一生を得たならば、
「命の恩人」にどんなお礼でもしたいと思います。
どの病院に行っても原因不明の腹痛で、
のたうち回っていたところ、
ある医者の注射1本で治った。
「あのままなら死んだかもしれん」
と命拾いした人は、
名医と仰いで恩返しせずにいられないはずです。
このように、受けた恩に感謝し、
なんとかお返ししたいと思うことは、
色々あります。

しかし、それでも「身を粉にしても」「骨を砕きても」
とまではなりません。
たとえ命を救われても、
その恩返しのために「命」を捨てては、
元も子もないからです。

ところが親鸞聖人は、
「阿弥陀如来」と、「師主知識」のご恩には、
命捨てても報いずにおれない、
といわれています。

こんな知恩報恩の熱火の法悦は、
どうしていただかれたのか。

それが分からなければ、聖人の「恩徳讃」の御心は、
全く分かりません。
そこで、「阿弥陀如来」とはどんな方か、
「師主知識」の元祖である「お釈迦さま」とは、
どういう関係か、まず知っていただきましょう。

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阿弥陀如来と釈迦如来

お釈迦さまは、今から約2600年前、
インドで活躍なされた方です。
35歳で仏という最高のさとりを開かれてから、
80歳でお亡くなりになられるまでの45年間、
釈迦が説かれた教えを、今日、仏教をいわれます。

地球上でただお一人、仏のさとりを開かれた方ですから、
「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」
といわれます。

そのお釈迦さまが、
「私の尊い先生を紹介しに来たのだよ」と、
私たちに教えてくだされたのが、
阿弥陀如来といわれる仏さまです。

阿弥陀如来と釈迦如来との関係について、
蓮如上人は、『御文章』に次のようにおっしゃっています。

ここに弥陀如来と申すは、
三世十方の諸仏の本師本仏なり

お釈迦さまは、地球上でただ一人の、
仏のさとりを開かれた方でありますが、
大宇宙には地球のようなものが数え切れないほどあり、
そこにはまた、無量の仏がましますと説かれています。

それらの仏を「三世十方の諸仏」と言われているのです。
「本師本仏」とは先生、師匠ということですから、
阿弥陀如来は、その大宇宙の仏方の先生だということです。
大宇宙の仏方は皆、
阿弥陀如来のお弟子ということであります。

地球のお釈迦さまも、十方諸仏の一人ですから、
阿弥陀如来と釈迦如来の関係は、
師匠と弟子、阿弥陀如来を先生とするなら、
お釈迦さまは生徒、ということになります。

弟子の使命は、先生の御心を正確に、
一人でも多くの人にお伝えすること以外にありませんから、
お釈迦さまは45年間、自分の師である阿弥陀如来の本願以外、
教えていかれなかった
のだと、
親鸞聖人は『正信偈』に、
こう断言されています。

如来、世に興出したまう所以は、
唯、弥陀の本願海を説かんがためなり

弟子であるお釈迦さまが、
先生である阿弥陀如来の本当に願っていられる御心一つ、
生涯教えていかれたのが、仏教です。

そのただ一つお釈迦さまが説かれた「弥陀の本願」を、
インド・中国・日本の歴代の高僧方が
正しく伝えてくだされたなればこそ親鸞、
弥陀に救い摂られることができたのだ、
「弥陀と師教の大恩は、身を粉に、骨砕きても足りませぬ。
微塵の報謝もならぬ懈怠なわが身に、
寝ても覚めても泣かされる」
と感泣なされているのが「恩徳讃」なのです。

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弥陀の本願は
    「生きている今、救う」お約束

弥陀の本願によって救い摂られた親鸞聖人は、
その弥陀の本願を「平生業成」と明らかにされました。
「平生」とは、死んだ後ではない、
生きている現在ということです。
仏教と聞くと「死んだら極楽」「死んだら仏」と、
死後の救いを教えたものとほとんどの人が思っていますが、
それは間違いだ、仏教は生きている現在が勝負だ

と言われているのが「平生」ということです。
次に「業」とは、事業の「業」の字を書いて
仏教では「ごう」と読みます。
親鸞聖人は「人生の大事業」のことを「業」と言われています。

大事業と聞いて、多くの日本人が思い浮かべるのは、
あの豊臣秀吉でしょう。
天下を取り、大阪城や聚楽第(じゅらくだい)を造り、
栄耀栄華を極めた太閤秀吉は、
人生の大成功者と羨望されています。
ところが辞世に、
「露と落ち、露と消えにし 我が身かな
   難波のことも 夢のまた夢」
と残して、寂しく世を去りました。

権勢を誇り、わが世の春を謳歌しても、
栄枯盛衰、盛者必滅(じょうしゃひつめつ)は世の習い。
人は最後、死んでいかねばならない。
百パーセント逃れることはできません。
死ぬ時に、「夢のまた夢」としか感じられないものが、
果たして「人生の大事業」といえるでしょうか。

死ぬまで働いても、
地球の半分が自分のものになるわけでなし。
秀吉ほどのこともできません。
しかも、今死ぬとなったら、
1000円札一枚も持ってはいけない。
必死にかき集めた財産も、地位も名誉も、
「夢のまた夢」と、はかなく消えてしまうのです。
そんなもののために、私たちは生まれてきたのか。
苦しくても生きるのは、そのためでしょうか。

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治る見込みもないまま、
体中に何本もチューブをつけられ、
かろうじて生命を維持している終末患者がいます。

つらい治療に耐えてでも生きる意味が分からねば、
「死ぬのを待つだけじゃないか」と、
本人も周囲も悲歎せずにおれません。

しかし考えてみれば、私たちの人生も、
ただ毎日毎日「喰て寝て起きてクソたれて」と
同じことの繰り返しならば、
それとどこが変わるでしょう。

死を待つだけの人生と言われて、
だれが反論できるでしょうか。

たとえ病気が治って20年、30年長生きしても、
死はあっという間です。
「死んでいく時には、かねてから頼りにし、
力にしている妻子や財宝も、
何一つ頼りにならぬ。
みんなはぎ取られて、一人でこの世を去らねばならない
」と、
蓮如上人は、こう教戒されています。

まことに死せんときは、
予てたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三途の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ

その臨終の嵐にも、
絶対に崩れない喜び・満足を得ることこそが、
人生の大事業なのだと明らかにされた方が、
親鸞聖人なのです。

それは「いつ死んでも必ず弥陀の浄土へ往ける、
大安心・大満足の身になること」であり、

『歎異抄』には「無碍の一道」と言われています。
一切がさわりとならない、絶対の世界」、
今日の言葉では「絶対の幸福」ということです。

この絶対の幸福になるために生まれてきたのだ、
生きているのだ、どんなに苦しくても自殺してはいけないのは、
その大事業を果たすためなのだよと、
親鸞聖人は「業」の一字で教えられているのです。

次に「業成」の「成」とは、
「完成」の意味です。
人生の大事業が完成することを「業成」と言われ、
それは死んでからではないから「平生業成」
と言われるのです。

どうして平生に、人生の大事業が完成できるのか。
それは阿弥陀如来が、そう誓われているからなのだと、
弥陀の御心を明らかにされた方が親鸞聖人ですから、
親鸞聖人の教えを「平生業成の教え」といわれるのです

●「ああ・・・」
     救われた聖人の驚きと喜び

親鸞聖人が平生業成の身になられたのは、
29歳の時であったと、主著『教行信証』に、
聖人ご自身がおっしゃっています。
では、人生の大事業完成には、
どれくらい時間がかかるのか、
親鸞聖人は「一念」と言われています。

一念とは、これ信楽開発の時剋の極促を顕す

「『一念』とは、人生の大事業が完成する、
何億分の一秒よりも速い時をいう
」 
“人間の生まれたのは、これ一つであった”
と、人生の目的が成就したのを
「信楽開発(しんぎょうかいほつ)」と言い、
その分秒にかからぬ速さを「時剋の極促」
と言われています。

その何十億分の一秒よりも短い「一念」で、
人生の大事業が完成した時の驚きと喜びを、
生々しく感動的に、こう叫び上げられています。

噫(ああ)、弘誓の強縁は多生にも値い(もうあい)がたく、
真実の浄信は億劫にも獲がたし

ああ・・・なんたる不思議か、
親鸞は今、多生億劫の永い間、
求め続けてきた歓喜の生命を得ることができた

「噫(ああ)」とは、阿弥陀如来の御心どおり、
「平生業成」に身になった時の驚きと喜びの、
言葉にならぬ言葉なのです。
何十年来の、まさかと思う人と会った時に、
「ああ!あんたじゃないの」と言うでしょう。
「あなた、久しぶりね、ああ!」とは言いません。
「ああ!」の感嘆が先です。
人生の大事業を完成された聖人は、
あまりの驚きに、まず「噫」と叫ばずにおれなかった。

何にそんなに驚かれたのか。次に、
「多生億劫にもあえぬ阿弥陀如来の本願に、
今あうことができた、何の間違いか親鸞、
この身に救い摂られたことを喜ばずにはおれない」
と告白され、
「まことなるかなや、摂取不捨の真言、
超世希有の正法」
「まことだった!本当だった。
弥陀の誓いにウソはなかった」
と叫ばれているのが、その驚きの理由です。
「弥陀の本願まことだった」とは、
どういうことか。
「こういう、とてつもないことが、
ハッキリ知らされたのだ」
と聖人は、次のように表明されています。

●「弥勒より幸せな親鸞だ」

真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心を
きわむるがゆえに、龍華三会の暁、
まさに無上覚位をきわむべし。
念仏の衆生は、横超の金剛心をきわむるがゆえに、
臨終一念の夕(ゆうべ)、大般涅槃を超証す
」(教行信証)

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本当にそうだったなぁ!
あの弥勒菩薩と、今、同格になれたのだ。
全く弥陀の誓願不思議によってのほかはない。
しかもだ。弥勒は五十六億七千万年後でなければ、
仏のさとりが得られぬというのに、
親鸞は、今生終わると同時に浄土へ往って、
仏のさとりが得られるのだ。
こんな不思議な幸せが、どこにあろうか

弥勒大士とは、仏のさとりに最も近い、
等覚というさとりを得ている菩薩のこと。
その弥勒とこの世で同等になるのですから、
驚嘆するのも当然でしょう。しかも、
「今は弥勒と肩を並べる身であるが、
死ねば、先に仏のさとりが得られるのだ」
弥勒菩薩よりも幸せ者になった、
この世と後世の、二度の弥陀の救いに疑い晴れたという、
聖人の大慶喜なのです。
選挙で当選した時の、あの喜びようはどうでしょう。
4年に一度とはいえ、
オリンピック・メダリストの感激ぶりはどうでしょうか。
たかが選挙、オリンピックといえば驚くかもしれませんが、
人生の大事業完成とは比ぶべくもありません。

弥勒信仰の人は、今でも決して少なくありませんが、
聖人のこんな言葉を聞けば、
馬鹿か狂人の寝言としか思えぬでしょう。
事実、江戸時代、有名な比叡山の学僧が
『教行信証』を狂人の書だと、
唾棄(だき)して庭に投げたといわれます。
では、どうしてこんな幸せを獲られたのか。
阿弥陀如来が本願に、そのような身に救い摂る、
と誓われているからなんだ。

その本願とおりになったから、
「弥陀の本願まことだった!」
と叫ばれ、馬鹿じゃと非難されようが、
「親鸞、弥勒よりも幸せな身に救われた」
と宣言せずにいられなかったのです。

だから親鸞、この身に救いたもうた阿弥陀如来の大恩と、
伝えてくだされた方々の厚恩には、
身を粉にしても、骨を砕いても報いずにおれない。
じっとしていられないのだ」
と、「恩徳讃」があふれ出るのです。

一人じゃないぞ二人だぞ
    二人じゃないぞ三人だ
      「その一人は親鸞なり」

人生の大事業に完成がある、仏教に卒業がある
と聞くと、
「この世で完成したということなどあるか、卒業があるか」
と反発する人がいます。
「どんな道も、死ぬまで求め続けることが素晴らしいんだ。
完成したら何もすることがなくなって、つまらんでしょ」
と言うのです。
一見もっともな意見に聞こえますが、
考えてみてください。
学校の卒業式で、
「皆さんこれで卒業ですから、
後は何もしなくていいですよ。遊んでなさい」
という教師があるでしょうか。
「卒業後が、学校で学んだことを生かして、
世のため、人のため、全力を尽くしなさい」
と言うはずです。

親鸞聖人は、29歳で人生の大事業を
完成されてからの生きざまが、すごいのです。
平生業成の身になられてから、
90歳でお亡くなりになられるまでの61年間は、
まさに「恩徳讃」を地でいく目覚ましい大活動でした。

関東でご布教を開始された聖人の、
興隆をねたみ、山伏の弁円が稲田の草庵に
刀を振りかざして押しかけてきた時も、
「私が弁円の立場にいたら、同じく殺しに行くにちがいない。
殺すも殺されるも、恨むも恨まれるも、
ともに仏法を弘める因縁になるのだ」
と剣の下をくぐられ、
「御同朋、御同行」と弁円を済度(さいど)されたのは、
「身を粉にしても」の「恩徳讃」がなければ、
できることではないでしょう。

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また豪雪の中、一夜の宿を邪険(じゃけん)に断る
日野左衛門の門前で、
石を枕に雪を褥(しとね)に休まれたのも、
日野左衛門になんとか弥陀の本願伝えたい、
「寒くとも たもとに入れよ 西の風
弥陀の国より 吹くと思えば」
“阿弥陀如来からお受けした、大きなご恩を思えば、
親鸞。ものの数ではない”
と、まさに「骨を砕いても」の報恩の実践でした。

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「救われたつもり」の真宗の道俗の中には、
「こんな尊い世界、言うて分かることじゃない。
衆生済度は死んでから」
と、少しも伝えようとしない人がありますが、
そんな消極的、退嬰的(たいえいてき)化石と、
聖人の燃える「恩徳讃」とは、
無縁であることがお分かりになるでしょう。

かくして波乱万丈の90年の生涯を生き抜かれた聖人は、
これで終わりではないぞと、
お亡くなりになる時には、こうも言われています。

我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲(うらわ)の片男浪(かたおなみ)の、
寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり
」(御臨末の御書)

親鸞、死ねば、阿弥陀如来の極楽浄土へ往くぞ」
と初めにハッキリおっしゃっています。

「死んだらどこへ行くのか分からん」とは言われていません。
平生業成の身になっておられた聖人は、
「死ぬと同時に浄土へ往ける」と、
ハッキリしておられたのです。

「親鸞、死ねば一度は極楽へ往くけれども、
八功徳水の温泉につかって、
百味の飲食(おんじき)たらふく食うて、
応法の妙服着て、ヘソ出して寝ていよう、
なんかとは思ってないぞ。
弁円に殺されかけてひどかった、
日野左衛門の門前で、雪の中寒かった、
せめて極楽ではゆっくり休もう、
などというつもりは微塵もない。
海の波が寄せかけ寄せかけ来るように、
すぐにこの娑婆へ戻ってくるぞ。
まだ弥陀の本願を知らない人ばかりだ。
阿弥陀如来のお名前さえも知らん人もいる。
知っていても、
『死んだら極楽、死んだらお助け』
と聞き誤っている者ばかり。
阿弥陀如来の御心を知らず、
苦しみ悩んでいる人に伝えに来るぞ。
じっとしてなどおれるか。
沖に引いた波がすぐに陸に押し寄せてくるように、
すべての人が救われるまで、親鸞は無限に活動せずにはおれないのだ。
一人で仏法喜んでいる人があれば、
二人で喜んでいると思ってくれ。
二人で喜んでいれば、それは三人だ。
親鸞も手を取り合って喜んでいる。
そんな人だけじゃない。
どう聞けば、どう求めればと泣き泣き求めている人にこそ、
親鸞は寄り添うて、ともに泣いているぞ」
「恩徳讃」は、死んで終わりではない、
平生業成の身になってから、無限に続くのです。

その親鸞聖人の、熱き「恩徳讃」のご活躍によって、
私たちは今、尊い仏縁に恵まれ、
無上の尊法に遇わせていただくことができた。

聖人ご生誕なかりせば、弥陀の本願を聞くことも、
平生業成の身に救われることもなかったと、
心から「恩徳讃」を歌える身になることこそが、
親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)
を勤修(ごんしゅ)する目的であります。

よくよく知っていただきたいと思います。


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出会いにひそむ別れの予感 [親鸞聖人]

親鸞聖人が京都にお生まれになって
およそ800年、
親鸞さまなかりせば、我々は、
真実の仏法、到底知ることはできませんでした。

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親鸞聖人が幼くして仏門に入られたのはなぜか。
その大きな要因であるご両親との悲しい別れを、
聖人はどう受け止められたか。
聞いてみましょう。

出会いにひそむ
     別れの予感

人生は出会いの連続、と聞けば、
希望広がる未来に心弾む思いがします。
しかし「会うは別れのはじめ」。
生きることは別れること、ともいえるでしょう。
人生行路を歩むにつれ、心にしみてくる現実です。
その受け止め方も、相手や別れ方で違います。
とりわけ大恩ある両親、愛する夫や妻、
子供、兄弟姉妹、親友・・・・
それらの人々との永訣に抱く感情は
ひととおりではありません。
(永訣とは、永遠の別れのこと)
経験なくとも、描いたドラマや小説などから
「いつか皆と別れるのだな」と思いを致したことが、
だれにも一度ならずあるでしょう。


映画にもなった小説『魂萌え!』(桐野夏生著)は、
ある日突然、夫を亡くした還暦前の敏子が主人公。
信じられぬ主人の死に、
彼女の感慨をこう描いています。

敏子は、そうだった、夫は死んだのだ、
とまた改めて思い起こし、
こんな思いをこの先何度もするのだろうかと
果てしなく続く時間を重荷に感じたのだった。

平凡な主婦、敏子が、伴侶の死に惑い、
翻弄され、変化していく物語は、
特に同世代の読者の共感を呼びました。

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男性の視点もあります。
昨年3月に亡くなった作家・城山三郎さんは、
遺著『そうか、もう君はいないのか』で、
先に逝った妻・容子さんとの離別を、
こうつづっています。

あっという間の別れ、という感じが強い。
癌と分かってから4ヶ月、入院してから2ヶ月と少し。
4歳年上の夫としては、まさか容子が先に逝くなどとは、
思いもしなかった。
もちろん、容子の死を受け入れるしかない、
とは思うものの、彼女はもういないのかと、
ときおり不思議な気分に襲われる。
容子がいなくなってしまった状態に、
私はうまく慣れることができない。
ふと、容子に話しかけようとして、
われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、
なおも容子に話しかけようとする。

かけがえのない相手との別れを受け入れられぬ、
もどかしさが伝わってきます。
紹介したのは、いずれも伴侶の死を主題にした本ですが、
夫婦に限らず、大切な人を亡くしたなら、
だれでもしばらく胸ふさがれ、
“この先どうしよう”と考える気力も
起きないかもしれません。
「私」がその立場だったら、
周囲からのさまざまな励ましをどう受け止めるでしょう。

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「思いっきり泣いていい。涙かれるまで」
「気持ちを前向きに転換しよう」
「早く立ち直って、今までの生活を取り戻してください」
「つらいことは早く忘れて。
まだ若いんだからいい人でも見つけたら?」
「待つしかない。すべては時が解決してくれる」
表現はさまざまでも、どれも自分を思ってくれてのことと、
ありがたく受け止めたいとは思います。

でも真に救いになる一言は、
実際のところ、あるのでしょうか。
「自分しか分からない不安、悲しみ、いらだちがある」
と胸中を吐露する人もあります。
そのような交錯する感情の出所は、正直、
自分でもよく分からないもの。
先述の『魂萌え!』にも、こうあります。

内心苛立っていた。
なぜ、わかってくれないのだろうか、と。
ここにいる友人たちは、
高校時代からの気の置けない仲間だ。
何かあれば、我がことのように
心配して駆け付けてくれるし、
自分もそうしてきたつもりだ。
しかし、心の底の底にある、
まだ悩みという形にもならない思いや、
漠然とした不安について話し合ったことはない。(略)
友に対する距離感が、
敏子を居心地悪くさせていた。

“なぜこんなふうに感じるのか”ハッキリしないからこそ、
不安で悲しく、いらだつとしたら、
その苦悩とどう向き合えばいいのか。

わずか8歳の親鸞聖人は、
両親との永久の別れをどう受け止め、
行動されたのでしょうか。
聖人の前半生を振り返ってみましょう。

肉親の「死」から
     自身の「死」を知る

親鸞聖人は幼名・松若丸。
お父さまは藤原有範卿(ふじわらありのりきょう)、
お母さまは吉光御前といわれる。
ご両親の元、健やかに成長されたが、
平穏な日々は長くは続かず、
4歳で父君との悲しい別れ、
8歳には杖とも柱ともたのみにされた
母君と死別された。
9歳となったある春の日、
伯父の範綱(のりつな)に伴われて、
松若丸は京都東山の青蓮院を訪れた。
天台宗の座主・慈鎮和尚(じちんかしょう)にお目通りかない、
僧侶になるための出家得度の式は明日、
と案内を受ける。
その時、固く唇を結んでいた松若丸はおもむろに、
何かを懐紙(かいし)に書き付け、
伯父に渡す。
「これを慈鎮さまへ」
松若丸の無礼をたしなめる範綱に和尚は、
「よいよい。その紙をここへ」。
懐紙にしたためられていたのは、歌一首であった。

  明日ありと
思う心の 仇桜
 夜半に嵐の
  吹かぬものかは

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「今を盛りと咲く花も、
一陣の嵐で散ってしまいます。
人の命は、桜の花よりもはかなきものと聞きます。
明日といわず、どうか今日、
得度の式をしていただけないでしょうか」

松若丸の無常観に、和尚(かしょう)も深く感銘し、
すぐに儀式を行ったという。

この時の聖人の心境は、
「父去り、母も亡くなった。
次は自分の死ぬ番だ。死ねばどうなるのか。
ここ一つ、ハッキリさせねばならぬ」。

この世に生を受けしより、
陰にひなたに養育してくださったご両親との別れは、
少年、松若丸の胸に深く大きな悲しみ、
寂寥をもたらしたことは想像に難くありません。

こういう境涯を知ると、普通なら、生きる糧を心配し、
それを満足させることが第一と思うでしょう。
ところが聖人は、出家して仏道修行に励む、
という進路を選ばれました。
両親の逝去から「自身の死」という問題を、
聖人は知られた。

周囲の慰めも、生き方の充実も、
生死の問題の解決にはならないと痛感されたのです。
聖人の、その深い無常観は先のお歌にうかがえます。

「明日ありと思う心」とは、
“明日も自分は生きていられる”という心です。
毎日、私たちは「明日」のために種々の準備をします。
米をとぐ、洗濯する、学び、働く、すべて明日を信じてのこと。
未来への努力を、皆疑いません。
しかし、「明日ありと思う心」は、
明日になれば、また、「明日ありと思う心」。
その明日になれば、また、「明日ありと思う心」です。
つまり、「明日ありと思う心」は
「今日は死なぬ、と思う心」であり、
それがどこまでも続くのですから、
「永遠に死なぬ、と思っている心」なのです。

言い換えれば、明日も、来年も、10年後も、
永遠に、生きていられると思う心です。

そう聞けば、
“そんなことはないよ。
自分もいずれ死なねばならないことぐらいは
分かっている”
と思うでしょう。
だがそれは、本心からでしょうか。


「露の世は 露の世ながら さりながら」
愛娘を病で亡くした小林一茶の詠(えい)です。
「はかなきこの世と知ってはいたが、
いとしいわが娘を亡くした身は、
何と耐え難いことか」
子供の死を悲嘆しながらも、
100パーセント確実な自身の死を
はねつけている心。
現実はしかし、
「夜半に嵐の吹かぬものかは(今宵、死んでゆくのが私)」。
だから「仇桜」と、聖人は言われるのです。
必ず死にゆく自分、なのに「なぜ生きる」。
その答えを聖人は、仏の教えに求められました。

●「まだ死なぬ」
    そんな思いは
       正しいの?

それでも
“大げさな。悲観的すぎだよ”。
“そんなイヤなこと考えたくないわ。
そこそこ幸せだし、大事なことだと思うけど、
今の私には関係ないんじゃない?”
“死ぬことばっかり考えて生きていけないよ。
毎日毎日、働かなくちゃならないし。
生きるのも大変なんだ。だいたい死なんて、
まだ先の話じゃないか”

こんなつぶやきを漏らす人もあるかもしれません。
その思いが正しいのなら、若死にや、
不慮の死を遂げる人はいないはず。

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しかし実際はどうでしょう。
不条理な事件が続発しています。
茨城県のJR「荒川沖」駅近辺で、
24歳の男が白昼、包丁を振りかざして8人を殺傷。
2日後には岡山駅のホームで18歳の少年が、
38歳の男性を電車に突き落として殺害。
(平成20年のことです)
事件の被害者にならずとも、
事故や病気はいつ襲ってくるか分からない。
往来で頭上から、自殺者が降ってくる時世(じせい)。
「夜半の嵐」は決して杞憂ではないのです。
“その時”が今日か明日にも、私の身の上に起こらないと、
だれが保証できるでしょう。
ああ、生とは何と危ういものか。

聖人は、人生最大の問題に気づき、
最優先で取り組まれたのです。
これが、私たちが仏法を聞く原点だと聞けば、
うなずけるでしょうか。

●一念の鮮やかな
     弥陀の救い

比叡山で9歳から20年、
親鸞聖人は苦しい修行を続けられたが、
暗い未来に明かりが灯せず、泣く泣く下山。
京の町へ。
そこで会った旧友・聖覚法印に、
京都吉水の法然上人の元へ導かれる。
上人のご教導により、
大宇宙の諸仏を指導する師の仏・阿弥陀仏が、
すべての人を必ず無上の幸せに救うと
誓われた本願(お約束)を知る。

決死の聞法によって、信の一念、
たちどころに弥陀の救いにあったのは、
聖人29歳の春だった。

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あまりにも鮮やかな、その体験を、
こう告白されています。

弥陀の救いにあわれた聖人の、
歓喜の叫びです。

「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法」
                  (教行信証)
(まことだった、本当だった。
生きている今、こんな驚天動地の幸せに
救い摂られるとは。
弥陀の本願、ウソではなかった)

“死ねばどうなる”ハッキリしなかった聖人の、
生死の大問題が一念で解決し、
いつ死んでも浄土往生間違いなし、
歓喜の人生と転じ変わったのです。

開かれた信眼で世を眺めれば、
すべての人が今日あって明日なき幸せに身を委ね、
真っ暗な後生(死)に、
雨降るごとく堕ちていく。
その一人であったこの親鸞を、
最高の幸せに救いたもうた
無上仏・弥陀の本願のみが真実なのだ。

有名な『歎異抄』のお言葉です。

煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、
万のこと皆もって空言・たわごと・真実あること無きに、
ただ念仏のみぞまことにて在します(おわします)。

(火のついた家のような不安な世界に住む、
欲や怒りにまみれた人間のすべては、
そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない。
ただ弥陀の本願念仏のみがまことである)

この世のことすべては、まことが一つもないのだと、
人間の営み一切を、聖人は否定されていますが、
決してこれは、虚無主義ではありません。
「弥陀の本願まこと」の確信から、
すべてが滅びに向かう世の実相を訴えられたのです。

聖人はそして、「ただ念仏のみがまことなのだ」
と喝破されています。

「念仏のみぞ、まこと」とは「本願のみぞ、まこと」
を言い換えられたもの。
老若男女、賢愚貴賤、何人(なにびと)も差別なく、
ありのままで救う、という弥陀のお約束です。
弥陀の本願どおりの幸せに救われることが、
この世に生まれた、たった一つの本懐なのですよ
と、
聖人は90歳でお亡くなりになるまでの生涯、
弥陀の熱き願心を教え伝えられました。
この弥陀の本願をよく聞き、
疑いなく信知することが、
聖人が最も喜ばれることなのです。
親鸞聖人の真に慈愛あふるるメッセージを、
よくよく知っていただきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・

体験手記
最愛の妻との突然の別れ
    北海道 佐山 一郎さん

その日、カラオケサークルの集まりで歌い終えた直後、
妻は倒れました。
血圧が高かったので、連絡を聞いた時、
すぐに原因は分かりました。
妻の倒れたコミュニティセンターへ急ぐ車の、
7、8分がとても長く感じられる。
病院では医師から「手術が難しい」と聞かされ、
別れを覚悟しました。
駆けつけた娘も私も、そばにいるだけ。
何もできないのです。
そして妻は、意識を回復することはなく、
十日後に亡くなりました。
あまりに突然のことで、
何が何やら分からない。
何もしてやれなかった、の反省と後悔ばかり。
しばらくは、周りの人の声もなかなか胸に
おさまりませんでした。

やがて、どうすれば少しでも妻の供養になるのか、
と『正信偈』を拝読するようにまりました。
拝読するうち、何が書かれているか知りたくなりましたが、
だれに尋ねても分からない。
そんな時、一枚のチラシをご縁に、
『とどろき』主催の「聞法のつどい」に参加しました。
今まで聞いたことのない話で、
真剣な講師の説法から、
自身の生死の一大事を知らされ、
驚きました。

「夢の世を あだにはかなき 身と知れと
教えて還る(かえる) 人は知識なり」
妻の無常を縁に、本当の親鸞聖人の教えに
遇うことができた私は幸せです。


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