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極楽に往生するか、地獄へ堕つるか、あなたはどちらを選びますか!? [後生の一大事]

今日から始める「終活」のススメ

「終活」
近頃、新聞や雑誌でしばしば見かける言葉です。
(平成23年のとどろきを載せています)
学生が行う「就活(就職活動)」のことではありません。
「終わりの活動」の略で、
昨年の流行語大賞候補にも選ばれました。

やがて訪れる人生の終末に向け、
元気なうちから葬儀や墓、遺言について考え始める。
そういう活動をする人が今、増えているようです。
“終活”において本当に大切なこととは何か。
仏さまの教えから学びましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・
●自分らしい最期を、
   自分で決めたい

昨年のヒット商品「エンディング(終末)ノート」は、
テレビ番組で紹介されて話題となりました。
(平成23年のとどろきから載せています)
大手文具メーカーが発売するや、
年間目標の5万冊がわずか一月ほどで売れてしまったといいます。
書式の決まっている遺言書とは違い、
エンディングノートには、
「人生の終末をこう迎えたい」という理想や要望を
自由に書き残せるようになっています。
葬式や墓の形式、延命治療の希望、相続についてや、
知人の連絡先といった自分しか分からない情報も
細かく書き留めておけます。
日記感覚で書ける手軽さから、
若い世代にも支持されているようです。

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エンディングノートを書く動機はいろいろあるでしょう。
あるテレビ番組で、
「2人の子供に迷惑をかけたくないので」
と語る60代の主婦が紹介されていました。
夫が他界した際、
「夫が喜ぶ葬式とは?
他人とは違う、夫らしい形で見送りたい」
と孤軍奮闘。
その経験から、家族が苦労しないよう、
早いうちに“自分らしい最期”を決めておこうと
思ったそうです。
かつて、葬儀は地域単位で取り組むものでした。
その土地の慣習になたって執り行われ、
近所の住民が総出で手伝ったものです。
しかし隣近所とのつきあいが希薄になった今日、
葬式は“限られた人たちのもの”となってきました。
長引く不況の影響もあって、
何事もお金をかけず効率的に済ます一方で、
先の主婦のように、多くの人が葬式や墓に、
「その人らしさ」を求めるようになったのです。
身内や親友だけで行う「家族葬」や、
火葬のみで済ます「直葬」、
墓地に埋葬せず山や海に遺灰をまく「自然葬」といった
新たな弔いの形が定着し、
型にはまらない理想の墓石を生前から準備する人が
増えてきたのもこのためでしょう。

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また、『朝日新聞』が昨年行った世論調査では、
3人に1人が自分の葬式を「しなくてもよい」と答え、
「墓は要らない」と考えている人も2割近くあったといいます。
価値観が多様化する現代は、
「自分の最期は自分で決める時代」
になってきたのかもしれません。

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●死を見つめることが、
  なぜ前向きなの?

こんな風潮に、
「死ぬ準備なんて、エンギでもないわ・・・」。
そう思う人も少なくないでしょうが、
ある専門家は、
「終活は、自分の人生を振り返り、
前向きに生きていくための準備」
と語っています。
「えっ、死を考えることがなぜ前向きなの?」
と驚く人があるかもしれません。
言うまでもなく、死は、私たちの百パーセント訪れる未来。
一日生きれば、一日死に近づく。
今こうしている間にも、確実に墓場へ向かって
行進しているのが事実です。

昨今の、先の見えない世相もあり、
将来にさまざまな不安が見え隠れします。
“心安く老後を送りたいけれど、
国の年金も何だか当てにできないから、
経済的な備えが必要だ。
体が動かなくなったら、介護をどうしよう。
家族にはできるだけ負担をかけたくないし・・・。”
真面目によりよく生きたいと思うほど、
心配事が山積していることに気づくはず。
そんな不安を未来に抱えたままでは、
今を思い切り生きられないのではないでしょうか。
備えあれば憂いなし。
元気なうちからそれら心配のタネを一つ一つ解決していくことで、
“もしもの時”にも慌てずに済みます。

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こうして、やがて必ず行き着く「死」へ目を向ける人が
増えてきたことは、大変、意義深いことだといえるでしょう。
しかしそのような終活も、
最も大事なことが抜けていたならば、
すべて水泡に帰してしまいかねません。
最も大切なことに取り組む、
それこそ本当の“終活”であることを
教えられているのが、仏教なのです。

人生という電車を降りたら・・・

多くの人が終活で重視しているのは、
葬式・墓・遺言など、いずれも「死に方」について。

では仏教で大事といわれる“終活”は、
どんなものなのでしょう。仏教は、
「死んだら、どこへ行くのか」
という「行く先」を問題にしているのです。

ちょっと想像してみてください。

あなたは今、電車に乗っています。
車内は混み合い、空席はありません。
しばらくして、そばに座っていた人が降りる準備を始めました。
辺りをキョロキョロ見回しながら、
「苦労に苦労を重ねて手に入れたこの席を、
誰に譲ろうか・・・?」

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やがて降りていかねばならないのに、
いつまでも自分の席に執着している人を、
どう思いますか?
まして降りた後もなお、“あの席は・・・”
とこだわる人はありません。

駅に着いたら問題になるのは、
“これからどこへ向かうのか?”
という「行く先」一つでしょう。

ここで座席とは、生前、身の回りに集めた金や財産、
地位、名誉などです。
人生という“電車”を降りる時、
遺族が“座席”を奪い合うことのないように
配慮することは大切です。
しかし、降りたらどこへ行くのか、
己の「行く先」こそ、
最も問題にしなければならないのではないでしょうか。

富山県の内野清美さんは、
死に直面した友人に接して知らされたことを、
こう語っています。
ハツコさん(仮名)とは、一昨年の春に知り合って以来、
よく一緒に聞法していました。
永年、世話をしていたご両親を見送り、
独りになった心の穴を埋めたくて、
仏法を聞き始めたそうです。
ところがちょうど一年前、ハツコさんはわき見運転の車に
はねられてしまいました。
一晩中、生死の境をさまよい、
医師も家族も諦めていたほどでした。
私は事故のことを、翌日知りました。
見舞いに行かねばと思った矢先、
ハツコさんの娘さんから電話がかかってきたのです。
「先ほど意識の戻った母が、
開口一番、『内野さんに連絡して!』と言うので・・・」
吹雪の中、すぐに病院に向かうと、
集中治療室(ICU)で全身、機械につながれたハツコさんが。
特別に許可をもらい、私がICUへ入るや、
ハツコさんはこう言いました。
「内野さーん、今日、仏法聞きに行けなかった・・・。
『後生の一大事、まだ解決してないのに、死なれん!』
と思ったら、目が覚めたんよ」

事故の前は、
“話は分かるけれども、なかなか納得できなくて・・・”
と言っていたハツコさんの心が、
大きく変わったことを感じました。
死に直面すると、「死んだらどうなるか」だけが
大問題になるんですね。

夏の終わり頃に退院したハツコさんは、
つらいリハビリに耐えながら、
また聞法へ足を運ぶようになりました。

行く先は
   2つある

「死んだらどうなるのか?」
この重大な問題を詳しく教えられた方が、
仏教を説かれたお釈迦さまです。

その「行く先」に2つあると説かれています。
一つは、「無量光明土」といわれ、
とても明るい弥陀の極楽浄土です。

蓮如上人は『御文章』にこう書かれています。

「信心決定して、その信心の趣を弟子にも教えて、
諸共に今度の一大事の往生を、
よくよく遂ぐべきものなり」

平生に阿弥陀仏の救いに値って、
皆にもその不可思議の救いの素晴らしさを伝えて、
ともに無量光明土(弥陀の極楽浄土)へ往き、
仏に生まれる一大事を遂げねばならない

いつ一日として修行したこともない私たち。
日々考えているのは、
“どうすれば自分の欲を満たせるか”。
おいしい食事や儲け話、
耳や目や舌を楽しませることばかりでしょう。

たまに、どこかで困っている人の話に心を痛めてみますが、
ほとんどの時間は自分の欲求を最優先して、
ノンキに生きています。
有名な『歎異抄』には、
「罪悪深重・煩悩熾盛の衆生」
とあるように、朝から晩まで欲・怒り・妬みそねみの
煩悩に振り回され、罪悪ばかりを重ねているのが
私たち(衆生)だといわれています。
そんな実態の私が、死ねば弥陀の浄土に往って、
仏に生まれる(往生)というのですから、
まさに「一大事」でしょう。

次に、もう一つの「一大事」を、
『御文章』にこう教えられています。
「後生という事は、ながき世まで地獄に堕つることなれば、
いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、
弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし」

後生の一大事とは、未来永く地獄へ堕ちて苦しむことだから、
急いでこの一大事の解決を心にかけて、
阿弥陀仏の救いを求めねばならない

さて、「自分はどちらに行きたいか?」を考えてみましょう。
“死んだら極楽、死んだら仏”と、
死ねば誰でも極楽往生できるように教える人が多く、
安易にそう思っている人もあるようですが、
それは大きな間違いです。

蓮如上人は先のお言葉で、
“死後、明るい世界に往けるのは、
今生で「信心決定した(弥陀に救われた)」人だけだぞ”
とクギを刺しておられます。

現在ただ今、阿弥陀仏の救いに値った人だけが、
死後に光明無量の浄土へ往くことができるのです。

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では、どうすれば弥陀の救いに値えるのか。
「仏法は聴聞に極まる」
とそれを教えられています。
「聴聞」とは、聴もきく、聞もきく、ということ。
“弥陀の救いに値うには、この聴聞の一本道を進みなさい”
と、親鸞聖人は真剣な聞法を勧めておられるのです。

「たとい大千世界に
みてらん火をも過ぎゆきて
仏の御名を聞く人は
ながく不退にかなうなり」
      (親鸞聖人)

たとい、大宇宙が火の海になろうとも、
そのなか仏法を聞き抜く人は、
必ず不滅の幸せに輝くのだ

無常は待ったなし。
臨終ジタバタしても手遅れです。

生きている今、極楽浄土間違いない身にならせていただけるよう、
弥陀の救いを聞き求めることが、
人間の本当の“終活”といえましょう。

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体験手記
   【茨城県】佐藤 幸一さん(仮名・23)

お父さん、ありがとう
  必ず本当の幸せになるからね

「4年前、48歳で亡くなった父の日記は、衝撃でした」
真面目で仕事熱心な父の背中を見て育った佐藤幸一さん。
病に倒れても、明るくふるまい仕事を続けた父親の日記から、
仏法の真実を知らされたと言います。

23年前、茨城県古河市に生を受けました。
幼いころから人前で話すのが苦手で、
近所の人に挨拶もできませんでした。
不器用で運動も不得意。
友達と同じようにできず、いつも泣いていました。
それでも頑張れたのは父の姿に励まされたからです。
父は、高校卒業後30年近く、パン工場の機械修理をしていました。
家族のために、ひたむきに働く父の姿は、
私に努力の大切さを教えてくれました。
何とか自分を変えたいと、
中学でバスケットボールを始めました。
3年間厳しい練習に打つ込むうち、
運動能力は向上し、友達とも打ち解けて、
コンプレックスはなくなっていきました。
高校も、練習の厳しさで有名な学校に進み、
さらに熱中。
年末大晦日までバスケットボールでした。
しかし望んだ結果は出せず、満たされない思いが残りました。
「頑張る=よいこと」と信じてきたけど、
同じような後悔を繰り返し、一生が終わってしまうのではないか。
頑張って生きて、この先、何があるのだろう。
漠然と不安を抱え大学に入った頃、
親鸞聖人のみ教えに出遇いました。
「これ一つ達成すれば、いつ死んでも悔いなしと言えるもの、
それが親鸞聖人の教えられた人生の目的。
正しい目的に向かっての努力は100パーセント報われる」
と聞き、
「こんな教えが仏教だったのか。
頑張ることの意味が分かった!」
と心に光がさしました。
私の大学生活は、希望とともにスタートしたのです。
ところが、入学して一ヶ月もたたないある日、
父が脳出血で倒れたとの知らせが入りました。
急遽、帰省すると、病院のベッドには変わり果てた父の姿が。
一命を取りとめたものの、半身不随、あまりの変貌に、
かける言葉が見つかりません。
「一寸先は闇」とはこのことか。
仏教の真実、諸行無常を目の当たりにしたのです。
しかし父は、その後リハビリに専念し、
夏には職場に復帰しました。
とはいってもしびれは残り、
起床後2時間は半身が思うように動かず、
今までのように、重い荷物を持って工場を
駆け回ることはできなくなりました。
どんなに、もどかしかったでしょう。
けれども父は、つらいそぶりを出さず、
明るくふるまっていたのです。
一生懸命頑張るその姿に、家族は安堵しました。
少々身体が不自由でも、命さえあってくれたら・・・。

残された父の日記

ところが、無情にもその年末、
父は再び倒れ、帰らぬ人となったのです。
物言わぬ父に、会社の先輩が、
「佐藤おまえ、頑張ったよな・・・」
と呼びかけ、号泣する姿に、
私も涙を抑えられなくなりました。
悲しむ間もなく通夜・葬儀が執り行われ、
一つまみの骨となって父は家に戻りました。
家族の目に触れるリビングの食卓には、
父の日記が置かれていました。
「こんな所に置いて・・・。
私たちに見て欲しかったのかもしれないね。
これ、私はとても読めないから、あなた持ってて」
と母は、日記を私に差し出しました。
恐る恐る表紙を開いて、一枚、また一枚とめくると
「本当の幸せ、誰か教えてくれないか」
「仕事人間は、もうやめた!」
「このつらさと不安。
仏さまだけでも分かってもらえればいいかな」
闘病8ヶ月間の心の叫びがつづられていたのです。
一生懸命仕事をして認められても、死を目前にした時、
心底喜べるだろうか。
正しい方角に向かっての努力でなければ、
後悔に終わってしまうのではないか。
悲しいけれど父は、身をもって教えてくれました。
父の無常を縁として、私は親鸞聖人のみ教えに導かれ、
命懸けて悔いなき目的のあることを知らされました。
「お父さん、本当にありがとう!
真の孝行ができるよう、仏法を求め抜くからね」


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生きる力が湧いてくる [苦しみの根源]

生きる力がわいてくる
   親鸞聖人の教えで
        人生が変わった

「もう生きていけない。サヨウナラ」
大人から子供まで、自殺が後を絶ちません。
人生の荒波に翻弄されていきるのは、みな同じ。
しかし、親鸞聖人の教えによって、
明るくたくましい人生に転じた人は幸せです。

どのような心で、悩み苦しんできたのか、
それが仏法によって、いかに大変貌を遂げたのでしょうか。
み教えに生かされた2人の読者に聞いてみましょう。

仕事を終え、伴侶を看取ったあとに
       心の飢え、満たす教えに遇えた
          中森 悦夫さん(鳥取県)

私、このまま終わっちゃうの?
       子育て後のむなしさが一転
          田中 加津子さん(神奈川県)

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仕事を終え、伴侶を看取ったあとに
       心の飢え、満たす教えに遇えた
          中森 悦夫さん(鳥取県)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
両親と妻の看護のため、
定年を待たず仕事を辞した鳥取県の中森悦夫さんは、
3人を看取った後、大きな心の飢えを感じていました。
仏法と出遇い、生きる希望に満ちている
中森さんの手記です。


私は昭和8年、広島県西条町(現・東広島市)の山手の
浄土真宗の家に生まれた。
寺の境内を遊び場とし、『正信偈』の勤行もしていた。
しかし、仏教はあくまで生活の一部であって、
教えを深く学んだことはなかった。

小学6年のある夏の朝のこと。
朝礼が終わり、担任の先生が教室に入ってこられた、
「キリツ、礼」と級長が声をかけた直後、
西の空に強烈な閃光が走って、
大きなきのこ雲がハッキリ見えた。
やがて激しい衝撃が校舎の窓を揺らす。
かつてない爆発だった。
“火薬工場の火災か”、先生たちは大慌てで
広島市内へ問い合わせるが、確かな情報が届かない。
その夕方から、広島に行って被爆した人たちが
馬車に乗せられ、運ばれてきた。
多くの人が亡くなった。
間もなく戦争は終わった。

     ■共産思想に傾倒

思春期になると、片っ端からいろんな本を読んだ。
戦後の貧しい時代。
腹はいつも減っていたが、
心がそれ以上に飢えていた。

「いかに自立して生きるか」がそのころの命題だった。
柳田国男や太宰治をはじめ、
島崎藤村の『破壊』や倉田百三の『出家とその弟子』
などを読みあさった。
高校生の時、共産思想を掲げる青年組織に
顔を出すようになった。
喫茶店でコーヒーの回数券を買い、
新聞記者の話を聞いたり、
講習を聞きに静岡の伊豆まで行ったりもした。
ところが次第に、「しっくり」こなくなる。
活動にも力が入らなくなった。
資本家と闘う階級闘争で、
世の中の問題が本当に解決するのか。
こんなことをしていても、幹部の連中が喜んでいるだけ。
ほかに道があるのでは、との思いが強くなったからだ。
共産思想から離れ、将来の進路に悩むようになった。
「これからは畜産が盛んになる。
大学で学んで、将来は北海道へでも行こう」
と思い立ち、獣医の資格を取ろうと、
獣医学科のある大学をいくつか受験し、
同じ中国地方の鳥取大学の門をくぐった。

    ■キリスト教にも満足できず

大学では、かつての「心の飢え」がまた芽を吹き返した。
しかし共産主義のように、
闘争だといって皆で騒いでいるだけではだめどと感じ、
今度は、友人に誘われるままキリスト教の話を聞いた。
ルターやカルヴィンの時代に始まったプロテスタントである。
「神は存在するのか」「宗教とは一体何か」
「お釈迦さまの仏教との違いは」など、
後から後から聞きたいことがわいてきた。
牧師の勧めで教会に泊まり込んで聞いた。
後に日本聖公会を率いる有名な牧師の話を聞いたこともある。
ところがまた、言葉では言い表せない、
「しっくり」こない思いが胸を占め始めた。
教会との縁は、就職後も続いたが、
次第に足が遠のいた。

大学卒業後は鳥取県の職員として、
畜産試験場で研究員を務めた。
乳牛の栄養学を専門としたが、
農家の経営分析でも知られるようになり、
鳥取県内を講師として、説いて回るようになった。
畜産農家の人たちの相談に乗り、技術指導も続けた。
昼夜を分かたぬ働きで、
多くの人たちから必要とされていた。

     ■両親と妻が相次いで

昭和が平成に変わるころ、
両親の衰弱が目に見えて著しくなった。
道で転倒したり、踏み台から落ちたりして、
たびたび骨折し、入退院を繰り返した。
長男であったため鳥取県倉吉の自宅から
広島県東広島市の実家まで、
ほぼ毎週赴いて看病した。
およそ200キロ。
車で片道3時間以上かかった。
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永年、やりがいをもって勤めた仕事も、
両親の看護のため、定年前に辞めた。
母が亡くなると、次は父が動けなくなった。
さらにつらい事態に襲われた。
平成12年、妻・千恵子が末期ガンに倒れたのだ。
心構えもないところに、
降ってわいたように訪れた、妻の最期。
「そばに付き添い、かゆいところにでも
手が届くようにしてやりたい」
永年連れ添い、仕事に熱中する自分を支えてくれた妻に、
何とか恩返ししたい。その一心で無理を重ねた。
父が入院する倉吉駅前の病院と、
妻のいる自宅近くの病院に毎日通って、
洗濯物をまとめたり、種々の世話をする。
夜は妻のベッドの下で寝る。
“看護は、地獄だ”と思った。
3ヶ月が過ぎたころ、体に変調を来す。
不整脈と診断され、入院を余儀なくされた。
結局、知らされたのは、何もしてやれない、
どうにもならない現実と無力な自分だった。
悲しむ間もなく、父も翌年他界。
8年にわたる看護生活が終わりを告げた。
「ああ、一人、残されてしまった。
これから、どうしたらいいんかいな」
という思いしかしなかった。
家族を失い、体調の都合で仕事にも戻れず、
何をしていいか分からない。
空虚な心がどうにもならなかった。
とりあえず人生終わるまでは、なるべく元気に、
子供や兄弟に迷惑をかけないようにと、
健康を考えて栄養士の指導を受けられる
料理教室に通うことにした。

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あるいは碁会所(ごかいしょ)で盤をにらみ、
近所の集まりに顔を出す。
これといった変化のないまま日々が過ぎていった。

      ■アニメとの出会い

そんな昨年の一月。
地元紙の『日本海新聞』を開き、
お悔やみ欄を確認していた。
仕事で多く縁のあった方が亡くなっていないか。
欠礼しては申し訳ないと日課にしていたのだ。
その時、同じページの案内広告が目に飛び込んできた。
アニメ『世界の光・親鸞聖人』上映会”。
懐かしい聖人のお名前に、
子供のころ寺で勤行した記憶がよみがえる。
上映会の日、『世界の光・親鸞聖人』を初めて見た。
驚きと衝撃の連続だった。
自分を深く深く見つめられる聖人のお姿、
身命を懸けた求道と、渾身の力を込めての布教の激しさに、
心が震えた。
心の中に地割れが生じた。
暗い闇をのぞいているような、
今まで気づいていなかった内面の新たな世界が
広がっていくような気がした。
同時に、『正信偈』はお経ではなく
親鸞聖人の書かれた文章であること、
阿弥陀仏とお釈迦さまは違う仏であることなど、
今まで何も知らなかったことが分かった。
浄土真宗の家に生まれた者として
許されないことではないのかと自分を責めた。

「如来世に興出したもう所以は、
唯、弥陀の本願海を説かんがためなり」
          (親鸞聖人)
「釈迦如来が、この世に生まれ出られ、
仏教を説かれた目的はただ一つ。
大宇宙の仏方の本師本仏である
阿弥陀仏の本願を説くためであったのだ」

     ■弥陀の呼び声を

すべての人の生きる目的を明らかに教えられたお言葉に、
月一回通っていた料理教室もやめ、
家事の時間も極力省いて、購読していた月刊誌三冊も
『とどろき』ひとつに絞った。
それまで毎年3回は、救急車で運び込まれていた不整脈の症状も、
昨年の4月以降はすっかりなくなってしまった。
体調がよくなり、かつては控えていた運転も解禁し、
今は米子や鳥取市へ、自ら聞法に出かけている。

10月の鳥取でのアニメ上映会で、うれしいことがあった。
講師が、
「今後、この会場で親鸞聖人の
アニメシリーズを続けて上映します」
と案内されると、自然と拍手がわき起こった。
同じように上映会でご縁を結ばせてもらった身として、
新しい法友の現れたことも喜ばずにおれなかった。

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今は何よりも、阿弥陀仏のじかの呼び声を
聞かせていただきたい。

体は枯れていくばかりだが、心はどんどん元気になって、
力がわいてくる。大きな幸せを感じている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「私、このまま
   終わっちゃうの?」
   子育て後のむなしさが一転
      田中 加津子さん(神奈川県)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

専業主婦として、永年、家族を支えてきた
田中加津子さん(仮名)は、
子供が2人とも大学生になって手を離れた時、
言いようのないむなしさを感じたといいます。
どのような心境だったのでしょうか。

その日、長男が都内の私立大学に現役大学に
現役合格した。
高2から予備校に通わせ、科目を絞って
勉強させたかいがあった。
上の娘はもともと地道に頑張る子で、
短大の家政科が志望だったから、
それほど根を詰めて受験勉強をしたということはなかったが、
弟は違う。
受験で将来が決まるという強迫観念から、
自然と口うるさくなった。
息子も、そんな親の危機感を察知してか、
予備校に通いたいと自ら志望してきた。
経済的な負担はあったが、子の将来には代えられない。
夫の了解を得て、少し早い受験戦争は始まった。

     ■息子が合格した夜に

あれから2年。
長いようで短かったが、その夜はなかなか寝付けなかった。
子供の受験さえ終われば、一段落して楽になれるはずだったのに、
子育てももう終わりかと思うと、
心なしか寂しい。
何より、これで母親としての役割が奪われるように感じたのだ。

実際はしかし、息子はこれからも息子だし、
娘だって卒業を控えている。
ホッとするのは早い。
子供達にはまだ、就職や結婚、
出産などが待っているはずなのに。
心のすき間には言いようのないむなしさが、
パックリ口を開いている。
次の朝も、そのむなしさは消えなかった。
昨晩よりむしろ、膨らんでいるように思えた。
この心の空洞の出どころを少しずつ探ってみようと思った。

      ■空っぽな心

20代半ばで結婚し、翌年には長女が生まれた。
続けて長男が誕生。
2人の子育てに追われて、生活は慌ただしくなった。
女が母親になる。
言葉で表す以上に、酷な現実が待っていた。
名前で呼んでくれていた夫は、
いつしか自分を「母さん」と呼ぶようになった。
一抹の寂しさを感じ、時折夫に向かって自嘲ぎみに、
「私、あなたの母親じゃないわ」と言ったりもした。
だが彼は、フフン、と鼻で笑うだけ。
悔しい思いが胸いっぱいに広がって、一日、
家事も手につかずに過ごした日もあった。
それでも、そんな思いを乗り切ってこられたのは、
この子たちは私が立派に育て上げてみせるという
母親としての意地だった。
やがて、家にはほとんどいないけれど、
比較的豊かな生活を約束してくれる夫の分まで、
子育てにどっぷりつかり始めた。
都心へ二時間以内のベッドタウンに居を構えてから、
子育ては一層、腰が据わった。
長女の着る服は皆、手作り。
おやつも自然な素材にこだわり、完璧を目指した。
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息子はさらに、友達づきあいにも気を配った。
幸い、心配していたいじめや不登校、
引きこもりなども経験せずに済んだが、
子供の日常に想定できる、あらゆる場面を考えて、
細心に育児にかかわったと自負している。
そして、息子の合格。
振り返れば、自分は恵まれすぎるほどに恵まれている。
不足を鳴らすのはおかしい。
だのに何だろう。
今となっては、もうすっかり色あせた日常に、
戸惑うしかないような心境だった。
まだ40半ば、でもこの先、
何事も衰えるばかりの人生の道程が
ありありと見えてしまっていることに気がついた。
それは眼前に道が続いているかのようにハッキリしていた。
まだ華やかさを残す娘や息子がたどるであろう道は、
そのまま自分の喜びには違いない。
しかし自分のとってみれば、それは確実な衰えへの道なのだ。
しかもその先に見えているのは、「死」だった。
死を迎える時を想像してみて、
背筋が寒くなるのを感じた。
私、このまま終わっちゃうの?
子育てだけが、私の人生の、最も大事なイベントだったの?

自分が家族を支えているように思っていたが、
実は、家族に依存していただけだったのではないか。
急速に心は冷え、言いようのない荒涼感が胸を覆う。
何のための人生なのか、分からなくなってしまったのだ。
悩みは、簡単には解決できなかった。

     ■趣味とは違う何かを

むなしい心をなくすために、趣味に時間を使うことにした。
幸い、もともといろいろなことに関心を示すたちだったこともあり、
何をするかには困らない。
手芸や英会話、テニス、楽器といくつかを掛け持ちして、
毎日を忙しくすることにした。
どれを取ってみても、そこそこは楽しいし、
新たな友達もできて新鮮ではある。
ところが数ヶ月もすれば、きっと自分にはこの道は合わないのだ、
どうせ極められるはずもないと思えてきてしまうのだ。
どれも中途半端。
われながら飽きっぽいものだと、苦笑するしかない。
しかも相変わらず心の空虚は埋まらない。
こんな日々が、死ぬまで続くのかと思うと、
漠然とした不安に、押しつぶされそうな気がした。

それからしばらくして、友人を通じて『とどろき』と出遇い、
仏法を学んでいる。
親鸞聖人の教えによって、人生の不安が根底から解消できることを知った。

「難思の弘誓は、難度海を度する大船、
無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり」
          (親鸞聖人)
「弥陀の誓願は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、
苦しみの波の絶えない人生の海を、
明るく楽しくわたす大船である。
この船に乗ることこそが人生の目的だ」

仏教を聞いてから、幼いころ、
強く「死」の問題を意識していたことに気づき、
自分の抱えていた不安は、死に起因していたことが分かった。
確実な未来がハッキリしない心。
後生暗い心、無明の闇が不安の正体だったのだ。

そして、弥陀の誓願、本師本仏の阿弥陀仏のお力によって、
その暗い心がぶち破られ、本願の船に乗せられれば、
いつ死が来ても崩れない絶対の幸福になれると聞いた時、
これが人生の目的なのだと感じた。

    ★       ★
「理解するのには、時間がかかりましたが、
私の求めているものはこれだ、と分かった時、
本当に親鸞聖人の教えに出遇えてよかった、
と思いました。
私のように感じている女性は多いのではないでしょうか。
縁のある人に、この『とどろき』を紹介したいですね」
田中さんはこう言い、光に向かって生き生きと毎日を過ごしています。


 


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あなたの未来は明るいですか!? [親鸞聖人]

「親鸞聖人の教えに出遇う前は、
何に悩んでいましたか?」

全国から本誌に届く読者アンケートの回答には、
家庭や職場の人間関係、お金、病気などの悩みが、
聞法のきっかけになったという人が少なくないようです。

こんな声も寄せられています。
「仏法を聞いて、人間関係もよくなり、
人生が明るく変わってきました。
しかし、仏法の本当の目的はもっと深いところにある、
とも聞きますが・・・」

仏教を聞くのは何のためなのか?
親鸞聖人、蓮如上人にお聞きしましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

読者の体験から

●夫婦の悩みをきっかけに
     もっと大事なことを知らされました。

「親鸞さまならきっと、
私に心のやすらぎを与えてくださるに違いない!」
福岡県の山田久子さん(73)が、
すがる思いでアニメの上映会場に足を踏み入れたのは
昨年夏のことでした。
夫との関係に永らく悩んでいたといいます。

「夫が嫌いなわけではないんです。
ただ、すぐ口論になっちゃって・・・・」
この日も、夫の一言に怒りが治まらず、
家事を放棄して外に飛び出してきたのでした。
とりあえず、と向かった図書館の入り口で、
聖人のアニメ上映会のポスターを見つけたのです。
迎えてくれた女性スタッフに、
山田さんは誰にも言えずにいた胸のうちを一気に吐露しました。

「分かります、分かりますよ。
私も家族のことで随分苦しみましたから・・・」
と自身の過去も屈託なく語るスタッフと、
「この人なら!」
とすっかり意気投合しました。
その日の上映会は第一巻。
浄土真宗の盛んな鹿児島で生まれ育ち、
幼い頃から聖人のお名前に親しんでいた山田さんも、
初めて知ることばかりでした。
「親鸞聖人にこんなご苦労があったなんて・・・。
それに比べたら、私なんてまだまだね。
今日は本当に来てよかった」
と満足し、帰宅したのです。


三回目の上映会でのことです。
昼休み、参加者数名と会食していると、
スタッフからこんな呼びかけが。
「皆さんは、自分を『善人』だと思われますか?
『悪人』だと思われますか?」
何のためらいもなく「善人」に手を挙げた田代さん。
するとスタッフが次のような話を始めました。


      *         *


ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、
平和そのもののB家とが隣接していた。
ケンカの絶えないA家の主人は、
隣はどうして仲良くやっているのか不思議でたまらず、
ある日、B家を訪ね、一家和楽の秘訣を伝授してもらいたい、
と懇願した。

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B家の主人は言った。
「別にこれといった秘訣などございません。
ただお宅さまは、善人サマばかりのお集まりだからでありましょう。
私の家は悪人ばかりがそろっていますので、
ケンカにはならないのです。
ただそれだけのことです」
てっきり皮肉られているのだと、A家の主人は激怒して、
「そんなバカな!」と言おうとした時、
B家の奥で皿か茶碗でも割ったような大きな音がした。
「お母さん、申し訳ありませんでした。
私が足元を確かめずにおりましたので、
大事なお茶碗を壊してしまいました。
私が悪うございました。お許しください」
「いやいや、おまえが悪かったのではありません。
先程から始末しようと思いながら横着して、
そんなところに置いた私が悪かったのです。
すまんことをいたしました」
と、嫁と姑のやり取りが聞こえてきた。

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「なるほど、この家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。
ケンカにならぬ理由が分かった」
A家の主人は感心して帰ったという。

「A家はわが家だ。いつも、正しいのは自分、
と思いながら夫と衝突するんだわ・・・」
この時、山田さんの目が初めて
自分の内側に向けられたのでしょう。
自分を変えたい。
仏教では心を重く見る。
私の心を変えねば、幸せになれないのかしら。

もっと親鸞聖人の教えが聞きたい・・・。
田代さんは遠方の会場にも足を運ぶようになりました。
気がつけば、夫との口論もすっかり減り、
電車で出かけた帰りには、
夫が駅まで車で迎えに来てくれるようになったといいます。
「主人も私の聞法を支えてくれているんです。
そうして続けて聞くうちに、人間関係の悩みより、
もっとずっと大事な問題が人生にあると知らされてきました」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇聖人が示された
    仏法聴聞の原点


お金や病気、人間関係の悩みなどよりも
もっと大事な人生の問題とは何でしょう。
なぜ私たちは仏教を聞かねばならないのでしょうか。
親鸞聖人はこのようにお示しくださっています。
聖人がまだ「松若丸」といわれていた幼少期のエピソードです。


            ◆
4歳でお父様と死別された松若丸は、
母君お一人の手で成長なされた。
だが8歳の時に、そのお母様も亡くなってしまう。
母君の野辺送りのあと、
松若丸はしばし伯父・範綱と西の空を見上げていた。

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飛んでいく雁の群れを眺めながら、
松若丸が問う。
「どこへ行くんでしょう」
「雁も、うちに帰るんだろう」
「いいえ伯父様、人は死ねばどこへ行くんでしょうか」
予期せぬ言葉に、範綱は戸惑いの表情を浮かべ、
「ん?うーん、どこか遠いところだろうなあ」
「どんな所でしょうか。遠い所、とは」
「どんな所かと言われてもなあ」
返答に窮する範綱卿。
松若丸は一人つぶやかれた。
「死ねばどうなるんだろう」


幼くして両親の後ろ盾をい失われた聖人には、
もちろんこの先の生活の不安もあったでしょう。
しかし、それよりも大きな問題は何か。
アニメのセリフからも明らかです。
「次は私が死んでいかなければならないと思うと、
不安なんです。
何としても、ここ一つ、明らかになりたいのです」

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死んだ後のことを、「来世」とも「後生」ともいいます。
一日生きれば一日、一夜明ければ一夜、
確実に近づいているのが来世であり、後世です。
これを否定できる人はありません。
その「後世」が明るいか、暗いか。
100パーセント逃れられない未来なのに、
その行く先が全くハッキリしていないことに、
親鸞聖人は驚かれたのです。


「来世は、どこへ行くのか?」
後に「世界の光」といわれる聖人の原点がここにあります。
そして、これは私たちの仏法聴聞の原点でもあるのです。


蓮如上人は次のように教えられています。


「それ、八万の法蔵を知るというとも
後世を知らざる人を愚者とす、
たとい一文不知の尼入道なりというとも
後世を知るを智者とすと言えり」
        (御文章五帖目二通)


地球上にどれだけ多くの人がいても
「智者」と「愚者」の2通りしかない、
と仏教では教えらます。
どんな人が智者で、愚者なのか。


「八万の法蔵」とは、
お釈迦さまのご説法を書き残された一切経のことです。
今日でいえば百科事典を丸暗記して、
どんな質問にもパッと答えられる頭脳明晰な人を、
「八万の法蔵を知る」と言われています。
そんな人でも、最も肝心なわが身の行く末、後世が暗く、
死ねばどうなるか分からぬ人は、本当の智慧ある人とは言われない。
物知りな智者と他人には言われても、
幸せの最重要ポイントが抜けたら、
仏教では後生暗い「愚者」なのです。

〇最重要ポイントを知る「智者」に


では仏教で「智者」といわれるのはどんな人なのでしょう。
蓮如上人は、
「たとい一文不知の尼入道なりというとも後世を知るを智者とす」
と仰っています。
「一文不知の尼入道」とは、文字のタテヨコも分からぬ人。
新聞を読んでもチンプンカンプン、というような人です。
しかしそんな人でも、
「死ねば必ず極楽浄土へ往って仏になれる」
と後生ハッキリしている人は、
後世を知る「智者」だと仰せです。

どれだけたくさんの人がいても、
この智者と愚者しかいない。
智者か愚者かを峻別する「ものさし」は、
才能の有無、知識の量、社会的な地位や名声などではなく、
「後世を知るか、否か」
これ一つだと仏教は教えられるのです。

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〇快適な空の旅、
   その大前提


「後世」(後生)について、こんな飛行機の例で考えてみましょう。
私たちの生まれた時が、飛行場を飛び立った時とします。
20歳の人は20年前に、50歳の人は50年前に、
飛び立った飛行機です。
飛行機には、必ず「○○空港へ」という目的地があります。
私たちが機内で映画を見たり、音楽を聴いたり、
食事や会話を楽しめるのは、
乗っている飛行機にハッキリした行き先があるという
安心感があるからでしょう。

ところが、もし機長が放送で、
「皆さん、この飛行機は、
どこへ向かって飛んでいるのか分かりません。
下は見渡す限り海原で、着陸地は見当たりません。
燃料はあと5時間ほどでございます。
その間どうぞ、空の旅をゆっくりとお楽しみください」
などと言ったら、どうでしょう。
とても快適な旅にはなりませんね。
「あと5時間あるから大丈夫」
と、安心できる人はないでしょう。

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アベノミクスで好調に見える日本経済も、
消費税増税で先行きはどうなるか、
景気の不安が漂っています。
停止している原発を稼働させるか。
廃炉にするにも、時間や経費がかかる。
使用済み核燃料をどうするのか。
放射線の影響を受けた地域の皆さんは、
帰るに帰れず苦しんでいる。
いずれもハッキリしない未来が不安なのです。
このように、現在と未来は密接不離な関係にあり、
未来の明暗が現在の明暗を分ける重要なカギなのです。

同様に、後世(後生)どうなるかハッキリしないまま、
残りの人生を楽しめと言われて、心から楽しめるでしょうか。

後世がハッキリしないことほどの大問題はありません。
しかも「一寸先は闇」、
いつ、燃料が切れるか分からないのがこの旅の実態ですから、
仏教では、これが人生の最優先問題だと教えられるのです。


私たちが重要だと考えている政治や経済、科学や医学、
倫理や道徳、芸術やスポーツなどは、
この例えでいえば、いかに長く安全に飛べるか、
どうすればフライトが快適になるかという問題でしょう。
それらも大事ですが、
あくまでもそれは着陸地がハッキリしていてのこと。
飛行機自体の着陸地がなければ、
どんなに快適であってもフライトそのものが悲劇です。

だから、
「多くのことを知るよりも、最も大事なことを知る人こそが智者」
とお釈迦さまは仰るのです。

後世がハッキリしない人は愚者、
と言われる蓮如上人の真意もうなずけるでしょう。

仏教では、私たちが人間に生まれた目的は、
本師本仏の阿弥陀仏の本願に救い摂られて、
いつ死んでも弥陀の浄土(無量光明土)へ往けると定まった
「智者」になることだ、と教えられます。

「日も月も 蛍の光 さながらに
   行く先に弥陀の 光輝く」
と詠んだ人があります。
確実な未来が太陽より明るい人は、
一息一息が浄土に向かう大満足。
仏教は、「後世を知らぬ愚者」を、
「後世を知る智者」に大転換させる教えなのです。

お釈迦さまは、阿弥陀仏の本願一つを生涯、教えていかれました。
阿弥陀仏とは、大宇宙で最尊第一の仏さまです。
後世を知る智者になれるのは、この阿弥陀仏が


「すべての人を
必ず正定聚(絶対の幸福)に救う」


と誓われているからです。
これを弥陀の本願といいます。
仏教で「正定聚」とは、
死ねば必ず弥陀の浄土へ往って仏になるに定まった人のことで、
「後世を知る人」のこと。
阿弥陀仏は、一秒よりずっと短い一念に、
正定聚(絶対の幸福)に救い摂ると約束なされているのです。


先月も学んだ蓮如上人の「聖人一流の章」にはこれを、
「一念発起・入正定之聚」
と仰っています。
私たちがこの世に生まれてきたのは、
弥陀の本願を聞いて、
必ず浄土に生まれられる絶対の幸福に救われるためです。

政治も経済も科学も医学も、
愚者が智者(後世を知る正定聚の人、絶対の幸福者)
になるために存在するのです。
また、蓮如上人は


「一念の信心定まらん輩は、
十人は十人ながら百人は百人ながら、
みな浄土に往生すべき事更に疑いなし」
             (御文章五帖目四通)


とも仰せです。この
「十人は十人ながら、百人は百人ながら」
というお言葉を聞いて多くの人は、
「誰でも彼でも、死んだら極楽へ往けるのだろう」
と思っていますが、それは間違いですよ、
「一念の信心定まらん輩」のことだよ、
と蓮如上人は釘をさしておられます。
「一念の信心定まらん輩」
とは
「一念の信心が定まった人」
ということです。
今、阿弥陀仏のお力によって正定聚に救い摂られ、
極楽往きが決まったことを、
「一念の信心が定まった」
と仰っています。

「現在、弥陀に救い摂られた正定聚の人は、
死ねば必ず浄土へ往ける。
だから、仏法を真剣に聞き求め、
早く正定聚の身になりなさいよ」
と教え勧められているのです。

私たちはこの正定聚に救う力を持たれた仏さまは、
大宇宙に阿弥陀仏一仏しかましまさぬ。
弥陀以外の一切の諸仏・菩薩等には助ける力はありませんから、
蓮如上人は『御文章』に、


「末代無智の在家止住の男女たらん輩は、
心を一つにして、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、
更に余の方へ心をふらず」
           (五帖目一通)
と仰っています。
阿弥陀仏以外の仏や菩薩、神々を「余の方」といい、
それら一切に心をふらず、本師本仏の弥陀一仏を信じよ、
それが智者になる唯一の道だ、
と明示されているのです。


これら前知識のご教導に従い、
一日も片時も急いで阿弥陀仏一仏に向かい救い摂られ、
後生明るい智者となれるよう、聞法精進いたしましょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


(読者の声)
私はこう知らされました


今回テーマとなった蓮如上人のお言葉を聞いた
読者の声を紹介します。


■生きる目的が分かった
全人類は一日たてば一日、確実に「後世」に近づいています。
何十億の人がいても無関係な人はない。
しかも、この世は百年生きても過ぎ去れば夢のまた夢。
後世は永遠です。
確実な未来である永久の後世、
「死んだらどうなるか」の最大事が分からなければ、
多くのことを知っていても、
仏教では「愚者」といわれます。
阿弥陀仏の本願に救われ、いつ死んでも極楽往生間違いなしと
後生明るい「智者」になることが、
私の生きる目的であるとよくわかりました。
              (北海道・30代男性)


■私の確実な未来


多くの知識や教養、生活を豊かにし、
他者からも評価されます。
大切なことですが、どれだけ知識があっても、
「死んだらどうなるか」の疑問に答えることはできません。
必ず訪れる自分の未来なのに、
明るいのか暗いのかハッキリしていないのは、
何と愚かなことか。
阿弥陀仏の本願によらねば、
後世を知る智者にはなれないと知らされ、
人間に生まれた最も大事なことを教えていただき、
感謝せずにはいられません。
          (富山県・女性)


■仏教の断言に驚き


仏教では、ノーベル賞を取り、
世の称賛を浴びるような人も、
後世を知らねば“愚かな人、気の毒な人”
と言ってしまうのですから、驚きです。
考えてみれば、「後生を知らない」とは、
「一歩先の自分の未来が分からない」こと。
そんな者が智者といえるはずがない、と納得しました。
                (長野県・20代女性)


■「弥陀一仏」に心定まる


後世を知らざる愚者から、後世を知る智者になるには、
「阿弥陀仏一仏を信じよ、さらに余の方へ心をふるな」と
親鸞聖人も蓮如上人も徹底して教えておられることをお聞きし、
弥陀一仏と心が定まりました。
             (福井県・男性)


 


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弥陀の光明は太陽も、月の光も超越する! [阿弥陀仏]

普放無量無辺光(普く無量・無辺光、)
無碍無対光炎王(無碍・無対・光炎王、)
清浄歓喜知恵光(清浄・歓喜・智慧光、)
不断難思無称光(不断・難思・無称光、)
超日月光照塵刹(超日月光を放ち、塵刹を照らしたもう。)
一切群生蒙光照(一切の群生、光照を蒙る)

「帰命無量寿如来
南無不可思議光」
「阿弥陀仏に親鸞、救われたぞ
阿弥陀仏に親鸞、助けられたぞ」
と、絶対の幸福に救い摂られた親鸞聖人が、
「どうして極悪の親鸞が、
こんな幸せな身に救い摂られたのか。
それは救いたもうた阿弥陀如来が、
もの凄いお力の仏さまであったからなのだ」

と、弥陀のお力を十二の働きに分けて絶賛されているのが、
この六行です。

「十二光」といわれています。
「光」とは仏教で仏さまのお力を表されます。
前号で「智慧光」まで解説しました。
今回は「不断光」「難思光」「無称光」「超日月光」
について述べましょう。

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不断光

不断光」とは、「途切れることのないお力」
ということです。

一念で阿弥陀仏に救い摂られたことを
「信心決定」とか「信心獲得」「信心を獲る」
といわれますが、
阿弥陀仏から賜ったその「他力の信心」が、
死ぬまで変わらずに続くのです。
弥陀に救い摂られるまで(信前)は、
自分で何とか途切れないように、続かせようとしている。
これを自力といわれます。
「仏法のことを思おう」「忘れないようにしよう」
と努力しているのです。

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ところが、弥陀に救われてから(信後)は、
私が忘れないように努めているのではない、
「他力の信心」が私を死ぬまで導いてくだされる。
仏法のことを忘れている時も、
何を思っている時も「信心」が変わらないのは、
阿弥陀仏の「不断光」の働きによるのです。

蚊取り線香に火をつけると、火の力で最後まで進みます。
火を押して「もっと進め、ここを燃やせ」と努力しなくても、
火はそのまま最後まで燃えるでしょう。
一念の信心の火がつくと、その後、
続かせようとしなくても、
全く仏法と別なことを思っている時も、
信心は死ぬまで続いてくだされる。
救われるまで(信前)とは、まるで逆になるのです。
これもまた例えですが、昔はよく、馬子(まご)が馬を引き、
その馬に人や物をのせて運んでいました。

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この場合、主人は馬子であり、
その主人に馬が引かれている、という状態です。
信前はそのように、私が主人となって、
信心を引っ張ろう、引っ張ろうとしている。
「ほかのことを考えないようにしよう」
「仏法のことを思おう、思おう」としているのです。
ところが、他力の信心を獲得してから(信後)は、
その信心が主人となって、
私が引っ張られ生かされる人生に変わってしまう。
蓮如上人はこれを、次のように教えられています。

「『一念の信心を獲て後の相続』というは、
更に別のことに非ず、はじめ発起するところの安心(あんじん)に
相続せられて、
とうとくなる一念の心のとおるを、
『憶念の心つねに』とも、『仏恩報謝』ともいうなり。
いよいよ帰命の一念、発起すること肝要なり」
と仰せ候なり
               (御一代記聞書)

●難思光

「難思光」とは、文字どおり、「想像もできないお力」
ということです。

食いたい、飲みたい、楽がしたい、
金が欲しい、名誉が欲しい、女が欲しい、
男が欲しいと、自分の欲望を満たす「相対の幸福」
しか思っていない私たちには、「絶対の幸福に救い摂る」
という弥陀の本願力は、想像を超えています。

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「この世はどうにもなれない」「絶対の幸福に助かった、
ということなどあるはずがない」「人生に、完成も卒業もない」
と思い込んでいるすべての人にとって、
「平生の一念に、人生の目的を果たさせる」
という弥陀のお力は、人智を超越していますから、
「難思光」と言われるのです。

●無称光

「無称光」は、「言うことができないお力」
ということです。

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親鸞聖人は、阿弥陀仏に救われた世界を、
何とか伝えようとなされたのですが、
不完全な言葉で伝えることはできないと、
絶望への挑戦であったに違いありません。

この、心も言葉も絶えた世界を、「大信海」と高らかに、
次のように讃嘆されています。

大信海を按ずれば、貴賎・緇素(しそ)を簡ばず(えらばず)、
男女・老少を謂わず、造罪の多少を問わず、
修行の久近(くごん)を論ぜず
            (教行信証)
“貴いとか賤しいとか、僧侶とか俗人とか、
男女、老少、罪の軽重、善根の多少など、
大信海の拒むものは何もない。
完全自由な世界である”
と明言し、続いて「非ず」を14回も重ねて、
一切の人智を否定されています。
想像も言語も絶えた「真実の信心」の、
ギリギリの表現に違いありません。

行に非ず・善に非ず・頓(とん)に非ず・漸(ぜん)に非ず、
定(じょう)に非ず・散に非ず、正観に非ず・邪観に非ず、
有念(うねん)に非ず・無念に非ず、
尋常に非ず・臨終に非ず、多念に非ず・一念に非ず。
ただこれ、不可思議・不可称・不可説の信楽なり
              (教行信証)

言葉の絶える笑話があります。
炭火を運ぶ小僧がつまずいて、思わず火の粉が足の上にこぼれた。
アチチ!と飛び跳ねる小僧を面白がって、
いじわる和尚が問答しかける。
「こりゃ小僧。アチチ!とは、いかなることか言うてみよ」
「はぁ、はぁ」
と返事はするが、なんとも言いようがない。
「それぐらい説明できぬようでは、和尚にはなれぬぞ」
と大喝すると、窮した小僧、とっさに残り火を
和尚のツルツル頭めがけてふりかけた。

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「アチチ!アチチ!なにをするか、バカもん!」
和尚たまらず怒鳴りつける。
すかさず小僧、
「和尚さま。アチチ!ということを説明してみなされ。
それぐらい講釈できぬようでは、和尚とはいえませぬ」
と打ち返したという。
月並みの体験でも、その表現に困惑するのがよく分かります。
ましてや言葉にもかからず、文字にも表せず、
思い浮かべることさえできぬ大信海を、
懸命に伝えようとされる聖人ですが、とどのつまりは、
「ただこれ、不可思議・不可称・不可説の信楽(信心)」
としか言いようがなかったのです。

●超日月光

「超日月光」とは、「日月を超えた光」ということで、
阿弥陀仏の光明は、昼間いちばん明るい太陽の光も、
夜最も明るい月の光も、はるかに超越していることを
讃嘆されているお言葉です。

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「日も月も 蛍の光さながらに
   行く手に弥陀の光かがやく」

これは、先の大戦後、A級戦犯として刑場の露と消えた東条英機が、
死の直前に歌ったものといわれます。

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エリート軍人として駆け上がり、
抜群の記憶力から「カミソリ東条」
と呼ばれていた彼は、独裁内閣を築きました。
戦争を主導し、赫々(かっかく)たる戦果を上げていた時は
騎虎(きこ)の勢いでしたが、
敗戦するや犯罪人として巣鴨刑務所の独房に収監されます。
板敷きの上にワラ布団を置き、毛布5枚のほか、
何も持ち込めない。
そこには、かつての総理大臣、陸相、参謀総長、内務、
文部、軍需、外務の各大臣を歴任した威厳は微塵もありませんでした。
孤影悄然(こえいしょうぜん)たる姿は、
人間本来の実相を見せつけられた思いであったでしょう。
世人のつけた一切の虚飾をそぎ落とされたそこにあるものは、
か弱き葦のような、罪悪にまみれた自己でしかありませんでした。

戦犯の9割が仏教徒だったことから、
刑務所では浄土真宗の布教使が教誡師として
法話をすることになりました。
東京は30度を越える暑さの中、
風も入らぬ蒸し風呂のような仏間で東条は、
扇子も使わず、身動き一つせずに聴聞していたといいます。
顔からダラダラ流れ落ちる汗を、ぬぐおうともしない東条の真剣さに打たれ、
布教使も汗まみれで法話を続けました。
獄中で親鸞聖人の教えを聞法し、
多生にもあい難い弥陀の本願を喜ぶ身となった東条
は、
よく『正信偈』を拝読し、人にも勧めていたといいます。
(※弥陀の本願喜ぶ身とは、弥陀に救われたこと)
それで、弥陀のお力を「超日月光」とも
言われることを知っていたのでしょう。

絞首台の階段を上る前に、残した辞世が先の
「日も月も蛍の光さながらに」の歌です。
この世で最も明るい日の光も、はるかに超え勝れている弥陀の光明を、
親鸞聖人は「超日月光」と言われているのです。

●すべての人が救われる

阿弥陀仏は、これら十二の光を大宇宙に普く放って、
塵刹を照らしてくだされているのだよ

と言われているのが、

普放無量無辺光(普く無量・無辺光、)
無碍無対光炎王(無碍・無対・光炎王、)
清浄歓喜知恵光(清浄・歓喜・智慧光、)
不断難思無称光(不断・難思・無称光、)
超日月光照塵刹(超日月光を放ち、塵刹を照らしたもう。)
の5行です。
「塵刹」とは、「チリのような世界」ということ。
大宇宙の中では、この地球も塵芥(ちりあくた)の一つに過ぎません。
宇宙はちょうど、大きな部屋にたくさんの塵が
浮かんでいるようなものです。
カーテンのすき間から陽光が差し込んで、見えることがありますね。
地球は、浮かんでいる塵の一つ。
そこに70億人の人が住んでいるのです。
「塵刹を照らす」とは、その大宇宙のすべての世界を
照らしてくだされている、ということです。そして、
「すべての人が、このような弥陀の光明のお育てにあずかって、
必ず無碍の世界へ出させて頂くことができるのだ。

皆人よ、どうか親鸞と同じように、
『帰命無量寿仏如来 南無不可思議光』と叫ばずにおれない身に、
早くなってもらいたい」
と、阿弥陀仏の偉大なお力を讃えられている、
『正信偈』のお言葉です。


 


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すべての仏に喜びまもられる大安心の身に [阿弥陀仏]

阿弥陀仏に救われたらどうなる?

すべての仏に
 喜びまもられる
  大安心の身に

頻発する豪雨、地震、不可解な凶悪事件や生活物資の値上げ、
年金・福祉から個別に抱える問題に至るまで、
私たちは日常に、大小さまざまな不安を感じています。
立場の差はあれ、そんな心配と無縁な人はないでしょう。

仏教は、それら不安の根本を解決する教えですが、
どうして不安がなくなるのでしょう。

今回は親鸞聖人が詳しく示されたお言葉から学びましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●親鸞聖人の実体験
   「皆さんも、早く同じ幸せに」

阿弥陀仏に救われると、どんな幸せに生かされるのでしょうか。
親鸞聖人は、

「南無阿弥陀仏をとなうれば
この世の利益(りやく)きわもなし」
       (現世利益和讃)
“弥陀に救われ念仏する身になれば、
この世で、限りない大功徳大利益(りやく)を頂いて、
幸せ一杯、満足一杯で生活させてもらえるようになるのだよ

「こころは浄土にあそぶなり」(帖外和讃)
心は弥陀のお浄土へ往ってあそんでいるように、
明るく愉快なのだ

とおっしゃっています。
「苦悩の絶えない人生に、そんな喜びがあるものか」
「単なる空想の物語ではなかろうか」
だれでも疑問に思うでしょう。
しかし親鸞聖人は、ご自身の上に確認されていないことを、
推測で述べられる方ではありません。
これらは聖人の生々しい実体験の告白であり、
同時に、「早く皆さんも、こんな幸せな身になってくれよ」
と勧めておられるお言葉なのです。

●この世で獲られる十の利益(りやく)

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では聖人が、「きわもなし」と証言されている「利益」とは、
どのようなことでしょうか。
弥陀から賜る無限の幸せを、
十にまとめて教えられているのが、
有名な「現生十種の利益」です。

「現生」とは、死後ではなく、「現在、生きている時」。
「利益」は仏教で「幸福」のことですから、
「現生十種の利益」とは、この世で弥陀から頂く
十の幸せを言われるものです。

主著『教行信証』には、
「金剛の真心を獲得する者は、
横に五趣・八難の道(どう)を超え、必ず現生に十種の益を獲(う)。
何者をか十と為る(する)」
と説かれ、十の利益を教えられています。
「金剛の真心」とは、
「金剛石(ダイヤモンド)のような硬い、真実の信心」のこと。
弥陀に救い摂られると、いかなる人から
どんな非難攻撃を受けようとも微動だにせぬ、
金剛石のような不壊不変(ふえふへん)の信心を賜りますから、
「弥陀に救われた」ことを、
「金剛の真心を獲得する」と言われているのです。
次に「横」とは、仏教で「他力」(阿弥陀仏の本願力)を表します。
「横に五趣・八難の道を超え」とは、
「阿弥陀仏のお力によって、
永の迷いの打ち止めをさせられた」こと。
その人は必ず、この世で十種の幸福を頂くのだ
と言われているのが、「必ず現生に十種の利益を獲」というお言葉です。
「必ず」ですから、「十の利益を頂く人もいる、
頂かない人もいる」というものではありません。
「阿弥陀仏に救われた人(金剛の真心を獲得する者)」は、
間違いなく、頂けるのです。
今回は、その「現生十種の利益」の中で、
「護られる幸せ」という点で共通している、
次の三つの利益を中心にお話いたしましょう。

①冥衆護持の益
④諸仏護念の益
⑥心光常護の益

「護持」「護念」「常護」とは、
いずれも「護られる」ということです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すべての仏、菩薩、諸神に護られる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●夜昼つねに休みなく
     冥衆護持の益

初めの「冥衆護持の益」とは、「冥衆」の「冥」は、
“片明かり”を表す字で、ちょうど夏のスダレのように、
「一方からは見えるが、もう一方からは見えない」
状態をいいます。
「冥衆」とは、あちらからはこちらが分かる、
そういう世界の人たちのことで、
「諸神」と「菩薩」のことです。
「諸神」とは、仏教で教えられる色々の神、
「菩薩」は、仏のさとりを求めて努力している人、
具体的には観音菩薩や勢至菩薩、地蔵菩薩など。
阿弥陀仏に救われると、これらもろもろの神や菩薩たちが、
護ってくだされる幸せを、「冥衆護持の益」と言われているのです。

分かりやすく親鸞聖人は『ご和讃』に、

「南無阿弥陀仏をとなうれば
梵王帝釈帰敬す
諸神善神ことごとく
よるひるるねにまもるなり」

阿弥陀仏に救われて、お礼の念仏を称える身となった人は、
梵王・帝釈が敬い、諸天・善神が皆、夜昼常に護ってくだされ、
心配のない生活をさせていただけるのだ

と教えられています。
「夜昼、常に」ですから、24時間、無休です。
ほかにも

「南無阿弥陀仏をとなうれば
四天大王もろともに
よるひるつねにまもりつつ
よろずの悪鬼をちかづけず」
「天神地祇(てんじんちぎ)はことごとく
善鬼神となづけたり
これらの善神みなともに
念仏のひとをまもるなり」

と、「四天大王」「善鬼神」などの神々に護られる利益を証言され、
また、

「南無阿弥陀仏をとなうれば
観音勢至はもろともに
恒沙塵数(ごうじゃじんじゅ)の菩薩と
かげのごとくに身にそえり」
と、観音菩薩や勢至菩薩、ガンジス河の砂の数ほど沢山の菩薩方が、
影のように離れず護ってくだされている
大安心の心境を、告白されています。
このように、数限りもない冥衆(神々や菩薩方)が、
私たちのほうからは見えませんが、
向こうからは私たちの一挙手一投足まで
よくみそなわし護ってくだされるのだと、
親鸞聖人はおっしゃっているのです。

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●「どうか護らせて
     ください」
     諸仏護念の益

次に「諸仏護念の益」の「諸仏」とは、
大宇宙に無限にまします仏方のこと。
最高無上の仏覚を開かれた方々ですから、
「冥衆」よりも上の方です。
大日如来、薬師如来、ビルシャナ如来はじめ、
『阿弥陀経』には六方(東西南北上下)にまします
恒河沙(ごうがしゃ)の仏の名が説かれていますが、
それら大宇宙の無数の仏さま方に護られ、
大安心の生活させていただける幸せを、
「諸仏護念の益」と言われるのです。

この利益に生かされた聖人は、

「南無阿弥陀仏をとなうれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
よろこびまもりたまうなり」

阿弥陀仏に救われたならば、
大宇宙にまします数え切れないほどの沢山の仏方が、
百重にも千重にも取り巻いて、
護ってくだされるのだ
”と高言されています。
「よろこびまもりたまうなり」ですから、
イヤイヤ仕方なく、ではない。
義理や仁義で護るのでもありません。
諸仏方のほうから、
「どうか護らせてください。お願いです」
と言われるのですから驚きです。
では、欲や怒りや愚痴一杯の、
お粗末な私たちを、なぜ諸仏方が護ってくだされるのかといえば、
それは
「我々の先生である、本師本仏の阿弥陀仏に助けてもらった、
尊い人だ」
と、諸仏が護ってくだされるのだよ。

私を助けたもうた阿弥陀仏が、
最高に尊い方だからなのだ。

だから弟子の諸仏方は幾重にも囲んで、
夜昼常に、喜び一杯護ってくだされるのだよ、
こんな大安心がほかにあろうか、といわれているのです。

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ですから、阿弥陀仏に救い摂られると、
あらゆる恐怖観念から解放されて、明るくたくましく
生き抜くことができるのです。

病気なども静かに安堵して療養できるから、
全快も早くなります。
最近の医学では、従来純粋に器質的な病気とされていた目の病気、
皮膚病、心臓病、糖尿病、結腸炎、じんましん、ぜんそく、
そのほか、精神と何の関係もないように考えられる病気も、
心配やイライラした気持ちの連続など、
精神的なものがかかわって引き起こされているともいわれます。
古人の言にも、病気は病と気からである、
とあり、米国のジョン・A・シンドラー博士も、
「良い感情は最良の薬である」
「快い感情は奇蹟的に作用する」
と言っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある働き盛りのサラリーマンが、夜明け方、
手洗いに起きて中庭へタンを吐いた。
それが真っ赤だったので、びっくり仰天。
てっきり結核と思い込んだ彼は、ヘナヘナと、
その場に座り込んでしまった。
いつまでも帰らぬ夫を案じて起きてきた妻が、
それを見つけて、ようやく寝室まで連れ戻し、
頭に手をやると相当の熱だ。
早速、医者を呼ぶなどしての大騒ぎ。
ワケを聞いた妻が、よくよく庭に出て確かめてみると、
散った椿の花の上に、タンを吐いたことが分かった。
真相を話すと、たちまち熱は下がり、
ケロリとした本人は、張り切って勤めに出かけたという。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
精神的な立ち直りが、その人の生活のすべてに好影響を与え、
職場の人々とか取引先のような対人関係も自然に好転し、
したがって経済的にも恵まれるようになるのです。
ところが、こんなことはだれでも一応承知しているのですが、
そんな心になれないのが人間の常ではないでしょうか。
悪いことと知りながら腹を立て、
いけないと思いながらクヨクヨ苦しむ。
このどうにもならない心に、
他力の妙用(みょうよう)によって安らかな明るさを
与えられるのが、
諸仏に護念される者の大利益(だいりやく)であり、
さればこそ聖人は、

「南無阿弥陀仏をとなうれば
この世の利益きわもなし
流転輪廻のつみきえて
定業中夭のぞこりぬ」
      (現世利益和讃)

弥陀に救われ念仏を称えれば、
永らく苦しめてきた罪消えて、
当然受くべき大難や若死にからも免れ、
この世も幸せ一杯に暮らせるようになるのだ

と断言なされているのです。

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●こころは
   浄土にあそぶなり
      心光常護の益

ここまで、大宇宙のすべての諸神・菩薩・諸仏に護られる幸せについて、
親鸞聖人からお聞きしてきましたが、
さらに「心光常護の益」の「心光」とは、
阿弥陀仏のお力のこと。

助けてくだされた阿弥陀仏が、
「私に護らせてくれ」と護ってくだされるのが、
「心光常護の益」です。
これを親鸞聖人は、

「金剛堅固の信心の
さだまるときをまちえてぞ
弥陀の心光摂護して
ながく生死をへだてける」

「阿弥陀仏に救い摂られた一念」を
「金剛堅固の信心のさだまるとき」と言われ、
その時を弥陀が待ちかまえて、
摂め取って護ってくだされるのだ

と教示されています。
普通は、守ってもらうほうが守ってくださる方に、
「どうか守ってください」とお願いするものでしょう。
病気でいえば、患者が医者に「どうか助けてください」
と懇願するのが常識です。
逆に医者は患者に「どうかあなたを診察させてください、
治療させていください」と頼む話など、
聞いたことがありません。

“よくよくお慈悲を聞いてみりゃ、
助くる弥陀が手を下げて、
任せてくれよの仰せとは、
ほんに今まで知らなんだ”

とも歌われているように、阿弥陀仏は、
おまえたちに、助かりたいという
純粋な気持ちなんかこれっぽっちもないことを、
よーく知っているから、
どうか私に助けさせてくれ、護らせてくれ

と、助ける方が助ける相手に、
お願いなされている
のですから、
常識外れとしか言いようがありません。
まさに親鸞聖人が「超世の悲願」
(この世の常識を超えた弥陀の救い)
と絶賛されているとおりではありませんか。

このように、「諸神」や「菩薩」などの冥衆も、
その上の「諸仏」も、その諸仏の先生の「阿弥陀仏」も、
大宇宙のこれらの方々が皆、
「どうか護らせてください」と、
あちらから頭を下げておられるのです。

屈強なボディガードを何人も雇って警護してもらえば、
治安の悪い国でも安心できるでしょうが、
それはあくまでも仕事であり、お金のためです。
裏切られて暗殺されることもありますから、
不安はぬぐえません。
しかし「金剛の真心を獲得」した人には、
冥衆も諸仏も、本師本仏の阿弥陀仏も、
「夜昼つねに、よろこびまもりたまうなり」
四六時中、喜んで護ってくだされるのです。

「こころは浄土にあそぶなり」
心は極楽浄土へ往って遊んでいるように楽しいのだよ
と聖人が言われるのも、当然でしょう。

早く皆さんも弥陀の本願を聞き開き、
かかる大利益を弥陀から頂いて、
心は浄土に遊ぶ身になってくれよ、
と念じておられる、親鸞聖人の教えです。

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親鸞聖人の恩徳讃 [親鸞聖人]

 恩徳讃のこころ
       寄せては返す
          波のような
           無限の報謝

親鸞聖人は約800年前、
京都に誕生され、90歳でお亡くなりに
なりました。
その波乱万丈のご一生は、
「たくましき親鸞」と多くの人を魅了しています。
目覚しいご活躍の源泉は、何であったのか。
聖人の『恩徳讃』のこころを、聞かせていただきましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なぜ こんな気持ちに 
       なられたのか

浄土真宗の人ならば、親鸞聖人の「恩徳讃」を
知らない人はいないでしょう。

如来大悲の恩徳は
身を粉にして報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし

「如来」と言われているのは「阿弥陀如来」のこと、
「師主知識」とは、その弥陀の御心を、
正しく教え伝えてくだされた方々のこと
ですから、
意味はこうなります。

阿弥陀如来から受けたご恩には、
身を粉にしても報いずにおれない。
その阿弥陀如来の御心を伝えてくだされた、
お釈迦さまはじめ歴代の高僧方のご恩にも、
骨を砕いてもお返しせずにおれない

身を粉に骨を砕いたら、死んでしまいます。
「命捨てても、ご恩返しせずにおれないのだ」
と言われているのです。

聖人がこんなお気持ちになられたのは、
阿弥陀如来からどんなご恩を受けられたからでしょうか。

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●“命捨てても報いずにおれぬ”
        阿弥陀如来のご恩とは

駅のホームから過って転落した人が、
電車が来る直前に救出されたならば、
危険を冒して助けてくれた人の恩は、
生涯忘れないでしょう。
溺死寸前に救出され、九死に一生を得たならば、
「命の恩人」にどんなお礼でもしたいと思います。
どの病院に行っても原因不明の腹痛で、
のたうち回っていたところ、
ある医者の注射1本で治った。
「あのままなら死んだかもしれん」
と命拾いした人は、
名医と仰いで恩返しせずにいられないはずです。
このように、受けた恩に感謝し、
なんとかお返ししたいと思うことは、
色々あります。

しかし、それでも「身を粉にしても」「骨を砕きても」
とまではなりません。
たとえ命を救われても、
その恩返しのために「命」を捨てては、
元も子もないからです。

ところが親鸞聖人は、
「阿弥陀如来」と、「師主知識」のご恩には、
命捨てても報いずにおれない、
といわれています。

こんな知恩報恩の熱火の法悦は、
どうしていただかれたのか。

それが分からなければ、聖人の「恩徳讃」の御心は、
全く分かりません。
そこで、「阿弥陀如来」とはどんな方か、
「師主知識」の元祖である「お釈迦さま」とは、
どういう関係か、まず知っていただきましょう。

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阿弥陀如来と釈迦如来

お釈迦さまは、今から約2600年前、
インドで活躍なされた方です。
35歳で仏という最高のさとりを開かれてから、
80歳でお亡くなりになられるまでの45年間、
釈迦が説かれた教えを、今日、仏教をいわれます。

地球上でただお一人、仏のさとりを開かれた方ですから、
「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」
といわれます。

そのお釈迦さまが、
「私の尊い先生を紹介しに来たのだよ」と、
私たちに教えてくだされたのが、
阿弥陀如来といわれる仏さまです。

阿弥陀如来と釈迦如来との関係について、
蓮如上人は、『御文章』に次のようにおっしゃっています。

ここに弥陀如来と申すは、
三世十方の諸仏の本師本仏なり

お釈迦さまは、地球上でただ一人の、
仏のさとりを開かれた方でありますが、
大宇宙には地球のようなものが数え切れないほどあり、
そこにはまた、無量の仏がましますと説かれています。

それらの仏を「三世十方の諸仏」と言われているのです。
「本師本仏」とは先生、師匠ということですから、
阿弥陀如来は、その大宇宙の仏方の先生だということです。
大宇宙の仏方は皆、
阿弥陀如来のお弟子ということであります。

地球のお釈迦さまも、十方諸仏の一人ですから、
阿弥陀如来と釈迦如来の関係は、
師匠と弟子、阿弥陀如来を先生とするなら、
お釈迦さまは生徒、ということになります。

弟子の使命は、先生の御心を正確に、
一人でも多くの人にお伝えすること以外にありませんから、
お釈迦さまは45年間、自分の師である阿弥陀如来の本願以外、
教えていかれなかった
のだと、
親鸞聖人は『正信偈』に、
こう断言されています。

如来、世に興出したまう所以は、
唯、弥陀の本願海を説かんがためなり

弟子であるお釈迦さまが、
先生である阿弥陀如来の本当に願っていられる御心一つ、
生涯教えていかれたのが、仏教です。

そのただ一つお釈迦さまが説かれた「弥陀の本願」を、
インド・中国・日本の歴代の高僧方が
正しく伝えてくだされたなればこそ親鸞、
弥陀に救い摂られることができたのだ、
「弥陀と師教の大恩は、身を粉に、骨砕きても足りませぬ。
微塵の報謝もならぬ懈怠なわが身に、
寝ても覚めても泣かされる」
と感泣なされているのが「恩徳讃」なのです。

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弥陀の本願は
    「生きている今、救う」お約束

弥陀の本願によって救い摂られた親鸞聖人は、
その弥陀の本願を「平生業成」と明らかにされました。
「平生」とは、死んだ後ではない、
生きている現在ということです。
仏教と聞くと「死んだら極楽」「死んだら仏」と、
死後の救いを教えたものとほとんどの人が思っていますが、
それは間違いだ、仏教は生きている現在が勝負だ

と言われているのが「平生」ということです。
次に「業」とは、事業の「業」の字を書いて
仏教では「ごう」と読みます。
親鸞聖人は「人生の大事業」のことを「業」と言われています。

大事業と聞いて、多くの日本人が思い浮かべるのは、
あの豊臣秀吉でしょう。
天下を取り、大阪城や聚楽第(じゅらくだい)を造り、
栄耀栄華を極めた太閤秀吉は、
人生の大成功者と羨望されています。
ところが辞世に、
「露と落ち、露と消えにし 我が身かな
   難波のことも 夢のまた夢」
と残して、寂しく世を去りました。

権勢を誇り、わが世の春を謳歌しても、
栄枯盛衰、盛者必滅(じょうしゃひつめつ)は世の習い。
人は最後、死んでいかねばならない。
百パーセント逃れることはできません。
死ぬ時に、「夢のまた夢」としか感じられないものが、
果たして「人生の大事業」といえるでしょうか。

死ぬまで働いても、
地球の半分が自分のものになるわけでなし。
秀吉ほどのこともできません。
しかも、今死ぬとなったら、
1000円札一枚も持ってはいけない。
必死にかき集めた財産も、地位も名誉も、
「夢のまた夢」と、はかなく消えてしまうのです。
そんなもののために、私たちは生まれてきたのか。
苦しくても生きるのは、そのためでしょうか。

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治る見込みもないまま、
体中に何本もチューブをつけられ、
かろうじて生命を維持している終末患者がいます。

つらい治療に耐えてでも生きる意味が分からねば、
「死ぬのを待つだけじゃないか」と、
本人も周囲も悲歎せずにおれません。

しかし考えてみれば、私たちの人生も、
ただ毎日毎日「喰て寝て起きてクソたれて」と
同じことの繰り返しならば、
それとどこが変わるでしょう。

死を待つだけの人生と言われて、
だれが反論できるでしょうか。

たとえ病気が治って20年、30年長生きしても、
死はあっという間です。
「死んでいく時には、かねてから頼りにし、
力にしている妻子や財宝も、
何一つ頼りにならぬ。
みんなはぎ取られて、一人でこの世を去らねばならない
」と、
蓮如上人は、こう教戒されています。

まことに死せんときは、
予てたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三途の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ

その臨終の嵐にも、
絶対に崩れない喜び・満足を得ることこそが、
人生の大事業なのだと明らかにされた方が、
親鸞聖人なのです。

それは「いつ死んでも必ず弥陀の浄土へ往ける、
大安心・大満足の身になること」であり、

『歎異抄』には「無碍の一道」と言われています。
一切がさわりとならない、絶対の世界」、
今日の言葉では「絶対の幸福」ということです。

この絶対の幸福になるために生まれてきたのだ、
生きているのだ、どんなに苦しくても自殺してはいけないのは、
その大事業を果たすためなのだよと、
親鸞聖人は「業」の一字で教えられているのです。

次に「業成」の「成」とは、
「完成」の意味です。
人生の大事業が完成することを「業成」と言われ、
それは死んでからではないから「平生業成」
と言われるのです。

どうして平生に、人生の大事業が完成できるのか。
それは阿弥陀如来が、そう誓われているからなのだと、
弥陀の御心を明らかにされた方が親鸞聖人ですから、
親鸞聖人の教えを「平生業成の教え」といわれるのです

●「ああ・・・」
     救われた聖人の驚きと喜び

親鸞聖人が平生業成の身になられたのは、
29歳の時であったと、主著『教行信証』に、
聖人ご自身がおっしゃっています。
では、人生の大事業完成には、
どれくらい時間がかかるのか、
親鸞聖人は「一念」と言われています。

一念とは、これ信楽開発の時剋の極促を顕す

「『一念』とは、人生の大事業が完成する、
何億分の一秒よりも速い時をいう
」 
“人間の生まれたのは、これ一つであった”
と、人生の目的が成就したのを
「信楽開発(しんぎょうかいほつ)」と言い、
その分秒にかからぬ速さを「時剋の極促」
と言われています。

その何十億分の一秒よりも短い「一念」で、
人生の大事業が完成した時の驚きと喜びを、
生々しく感動的に、こう叫び上げられています。

噫(ああ)、弘誓の強縁は多生にも値い(もうあい)がたく、
真実の浄信は億劫にも獲がたし

ああ・・・なんたる不思議か、
親鸞は今、多生億劫の永い間、
求め続けてきた歓喜の生命を得ることができた

「噫(ああ)」とは、阿弥陀如来の御心どおり、
「平生業成」に身になった時の驚きと喜びの、
言葉にならぬ言葉なのです。
何十年来の、まさかと思う人と会った時に、
「ああ!あんたじゃないの」と言うでしょう。
「あなた、久しぶりね、ああ!」とは言いません。
「ああ!」の感嘆が先です。
人生の大事業を完成された聖人は、
あまりの驚きに、まず「噫」と叫ばずにおれなかった。

何にそんなに驚かれたのか。次に、
「多生億劫にもあえぬ阿弥陀如来の本願に、
今あうことができた、何の間違いか親鸞、
この身に救い摂られたことを喜ばずにはおれない」
と告白され、
「まことなるかなや、摂取不捨の真言、
超世希有の正法」
「まことだった!本当だった。
弥陀の誓いにウソはなかった」
と叫ばれているのが、その驚きの理由です。
「弥陀の本願まことだった」とは、
どういうことか。
「こういう、とてつもないことが、
ハッキリ知らされたのだ」
と聖人は、次のように表明されています。

●「弥勒より幸せな親鸞だ」

真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心を
きわむるがゆえに、龍華三会の暁、
まさに無上覚位をきわむべし。
念仏の衆生は、横超の金剛心をきわむるがゆえに、
臨終一念の夕(ゆうべ)、大般涅槃を超証す
」(教行信証)

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本当にそうだったなぁ!
あの弥勒菩薩と、今、同格になれたのだ。
全く弥陀の誓願不思議によってのほかはない。
しかもだ。弥勒は五十六億七千万年後でなければ、
仏のさとりが得られぬというのに、
親鸞は、今生終わると同時に浄土へ往って、
仏のさとりが得られるのだ。
こんな不思議な幸せが、どこにあろうか

弥勒大士とは、仏のさとりに最も近い、
等覚というさとりを得ている菩薩のこと。
その弥勒とこの世で同等になるのですから、
驚嘆するのも当然でしょう。しかも、
「今は弥勒と肩を並べる身であるが、
死ねば、先に仏のさとりが得られるのだ」
弥勒菩薩よりも幸せ者になった、
この世と後世の、二度の弥陀の救いに疑い晴れたという、
聖人の大慶喜なのです。
選挙で当選した時の、あの喜びようはどうでしょう。
4年に一度とはいえ、
オリンピック・メダリストの感激ぶりはどうでしょうか。
たかが選挙、オリンピックといえば驚くかもしれませんが、
人生の大事業完成とは比ぶべくもありません。

弥勒信仰の人は、今でも決して少なくありませんが、
聖人のこんな言葉を聞けば、
馬鹿か狂人の寝言としか思えぬでしょう。
事実、江戸時代、有名な比叡山の学僧が
『教行信証』を狂人の書だと、
唾棄(だき)して庭に投げたといわれます。
では、どうしてこんな幸せを獲られたのか。
阿弥陀如来が本願に、そのような身に救い摂る、
と誓われているからなんだ。

その本願とおりになったから、
「弥陀の本願まことだった!」
と叫ばれ、馬鹿じゃと非難されようが、
「親鸞、弥勒よりも幸せな身に救われた」
と宣言せずにいられなかったのです。

だから親鸞、この身に救いたもうた阿弥陀如来の大恩と、
伝えてくだされた方々の厚恩には、
身を粉にしても、骨を砕いても報いずにおれない。
じっとしていられないのだ」
と、「恩徳讃」があふれ出るのです。

一人じゃないぞ二人だぞ
    二人じゃないぞ三人だ
      「その一人は親鸞なり」

人生の大事業に完成がある、仏教に卒業がある
と聞くと、
「この世で完成したということなどあるか、卒業があるか」
と反発する人がいます。
「どんな道も、死ぬまで求め続けることが素晴らしいんだ。
完成したら何もすることがなくなって、つまらんでしょ」
と言うのです。
一見もっともな意見に聞こえますが、
考えてみてください。
学校の卒業式で、
「皆さんこれで卒業ですから、
後は何もしなくていいですよ。遊んでなさい」
という教師があるでしょうか。
「卒業後が、学校で学んだことを生かして、
世のため、人のため、全力を尽くしなさい」
と言うはずです。

親鸞聖人は、29歳で人生の大事業を
完成されてからの生きざまが、すごいのです。
平生業成の身になられてから、
90歳でお亡くなりになられるまでの61年間は、
まさに「恩徳讃」を地でいく目覚ましい大活動でした。

関東でご布教を開始された聖人の、
興隆をねたみ、山伏の弁円が稲田の草庵に
刀を振りかざして押しかけてきた時も、
「私が弁円の立場にいたら、同じく殺しに行くにちがいない。
殺すも殺されるも、恨むも恨まれるも、
ともに仏法を弘める因縁になるのだ」
と剣の下をくぐられ、
「御同朋、御同行」と弁円を済度(さいど)されたのは、
「身を粉にしても」の「恩徳讃」がなければ、
できることではないでしょう。

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また豪雪の中、一夜の宿を邪険(じゃけん)に断る
日野左衛門の門前で、
石を枕に雪を褥(しとね)に休まれたのも、
日野左衛門になんとか弥陀の本願伝えたい、
「寒くとも たもとに入れよ 西の風
弥陀の国より 吹くと思えば」
“阿弥陀如来からお受けした、大きなご恩を思えば、
親鸞。ものの数ではない”
と、まさに「骨を砕いても」の報恩の実践でした。

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「救われたつもり」の真宗の道俗の中には、
「こんな尊い世界、言うて分かることじゃない。
衆生済度は死んでから」
と、少しも伝えようとしない人がありますが、
そんな消極的、退嬰的(たいえいてき)化石と、
聖人の燃える「恩徳讃」とは、
無縁であることがお分かりになるでしょう。

かくして波乱万丈の90年の生涯を生き抜かれた聖人は、
これで終わりではないぞと、
お亡くなりになる時には、こうも言われています。

我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲(うらわ)の片男浪(かたおなみ)の、
寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり
」(御臨末の御書)

親鸞、死ねば、阿弥陀如来の極楽浄土へ往くぞ」
と初めにハッキリおっしゃっています。

「死んだらどこへ行くのか分からん」とは言われていません。
平生業成の身になっておられた聖人は、
「死ぬと同時に浄土へ往ける」と、
ハッキリしておられたのです。

「親鸞、死ねば一度は極楽へ往くけれども、
八功徳水の温泉につかって、
百味の飲食(おんじき)たらふく食うて、
応法の妙服着て、ヘソ出して寝ていよう、
なんかとは思ってないぞ。
弁円に殺されかけてひどかった、
日野左衛門の門前で、雪の中寒かった、
せめて極楽ではゆっくり休もう、
などというつもりは微塵もない。
海の波が寄せかけ寄せかけ来るように、
すぐにこの娑婆へ戻ってくるぞ。
まだ弥陀の本願を知らない人ばかりだ。
阿弥陀如来のお名前さえも知らん人もいる。
知っていても、
『死んだら極楽、死んだらお助け』
と聞き誤っている者ばかり。
阿弥陀如来の御心を知らず、
苦しみ悩んでいる人に伝えに来るぞ。
じっとしてなどおれるか。
沖に引いた波がすぐに陸に押し寄せてくるように、
すべての人が救われるまで、親鸞は無限に活動せずにはおれないのだ。
一人で仏法喜んでいる人があれば、
二人で喜んでいると思ってくれ。
二人で喜んでいれば、それは三人だ。
親鸞も手を取り合って喜んでいる。
そんな人だけじゃない。
どう聞けば、どう求めればと泣き泣き求めている人にこそ、
親鸞は寄り添うて、ともに泣いているぞ」
「恩徳讃」は、死んで終わりではない、
平生業成の身になってから、無限に続くのです。

その親鸞聖人の、熱き「恩徳讃」のご活躍によって、
私たちは今、尊い仏縁に恵まれ、
無上の尊法に遇わせていただくことができた。

聖人ご生誕なかりせば、弥陀の本願を聞くことも、
平生業成の身に救われることもなかったと、
心から「恩徳讃」を歌える身になることこそが、
親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)
を勤修(ごんしゅ)する目的であります。

よくよく知っていただきたいと思います。


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清浄光の働き [阿弥陀仏]

普放無量無辺光(普く無量・無辺光、)
無碍無対光炎王(無碍・無対・光炎王、)
清浄歓喜知恵光(清浄・歓喜・智慧光、)
不断難思無称光(不断・難思・無称光、)
超日月光照塵刹(超日月光を放ち、塵刹を照らしたもう。)
一切群生蒙光照(一切の群生、光照を蒙る)

 

ここで親鸞聖人は、阿弥陀仏のもの凄いお力を
絶賛なされています。
阿弥陀仏は大宇宙くまなく、無量光・無辺光
・無碍光・無対光・光炎王光・清浄光・歓喜光
・智慧光・不断光・難思光・無称光・超日月光
という十二の光明を放って

無数にある地球のような世界のすべての人々を、
照らしてくだされる。

その絶大なご念力に照育されて親鸞、
救い摂られることができたのだ。
なんという幸せ者なのか。
深重なる弥陀のご恩徳に、感泣せずにおれない」
弥陀に救われた聖人の慶びが、
一言一句にみなぎっています。

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では「弥陀の救い」とは、どんなことでしょうか。
それを知るために、まず『正信偈』とはどんなお聖教か、
お話ししましょう。
親鸞聖人が『正信偈』を書かれたお気持ちは、
「どうか皆さんに、知ってもらいたいことがある。
私亡き後の世の人々にも、なんとかして伝えたいことがある」、
これ以外にありませんでした。

「そのためにはどう書いたらよいのか、
どう表現したら分かってもらえるだろうか」
と、一字一涙の思いで筆を執られたのが
『正信偈』です。

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その「知ってもらいたいこと」とは、
何であったのか。
『正信偈(しょうしんげ)』という名前に明らかです。
「正信」は「正しい信心」、「偈」は「うた」ということですから、
『正信偈』は「正しい信心を表された偈」ということ。
親鸞聖人が、私たちに「なんとしても伝えたかったこと」
とは、「正しい信心」一つであったのです。

●「正しい信心を獲得せよ」
       聖人90年のメッセージ

せっかく聖人が「伝えたい」と言われても、
中には「信心」と聞くと、自分とは何の関係もないことだと
思われる人もあるかもしれません。
しかし、私たちは何かを信じなければ、
一日たりとも生きてはいけないのです。

例えば、明日も生きておれると、命を信じて生きています。
いつまでも達者でおれると健康を信じております。
夫は妻を、妻は夫を信じ、
子供は親を、親は子供を信じて生きております。

金の信心もあれば、名誉や地位の信心もあります。
宗教を否定する共産主義者は、共産主義を信じている人たちです。
神や仏を信ずるだけが信心ではありません。
何かを信じておれば、それはその人の信心です。

何を命として信ずるかは一人一人違ってましょうが、
すべての人は何かの信心を持って生きているのです。
生きるということは、イコール信ずることだということです。

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ところが私たちは、信じていたものに裏切られた時に
苦しみ悩みます。

病気になると、健康に裏切られたことで苦しみます。
子供に老人ホームに入れられて泣くのは、
命と信じて育てた子供に裏切られたからです。
しかも深く信じていればいるほど、
それらに裏切られた時の悲しみや怒りは大きくなります。
こんな事件がありました。

米ロサンゼルス郊外の住宅で、
元ファンド投資家の男(45)が妻子ら5人を殺して
自殺する無理心中事件があった。
妻(39)と義母(69)のほか、19歳、12歳、7歳の息子3人の
計5人を自宅で射殺。
自殺した男を含めて6人の遺体が発見された。
遺書には、家計悪化が無理心中の理由だと説明。
捜査当局は、株価急落を目の当たりにして
家族殺害を決意したとみている。
男は過去に企業ファンド投資家として巨額の利益をあげ、
英紙に「勝ち組」として取り上げられたこともあったという。
急激な米経済の悪化を背景にした悲劇に衝撃が広がっている。
(平成20年12月のとどろきです。)

信じていたものに裏切られた懊悩(おうのう)は、
人を自殺や心中にまで走らせるのです。

●本当の幸福になりたければ

私たちは決して、苦しんだり悲しんだりするために
生まれてきたのではないし、生きているのでもありません。
幸福を求めて生きているのです。

では、裏切らないものを信じて、
私たちは生きているでしょうか。

たとえ70年、80年信じられるものがあったとしても、
私たちは最後、死なねばなりません。
いよいよ死ぬ時には、信じていた家族や、お金や財産、
名誉にも裏切られ、この肉体さえも焼いていかねばなりません。
蓮如上人はこう訓戒されます。

まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ
                   (御文章)
“病にかかれば妻子が介抱してくれよう。
財産さえあれば、衣食住の心配は要らぬだろうと、
日頃、あて力にしている妻子も財宝も、
いざ死ぬ時には何ひとつ頼りになるものはない。

一切の装飾は剥ぎ取られ、独り行く死出の旅路は丸裸、
一体、どこへゆくのだろうか

やがて必ず裏切られるものを信じて生きているから、
苦しみ悩みが絶えないのだ、
本当の幸福になりたければ、絶対に裏切ることのない
正しい信心を獲なさいよと、親鸞聖人は教えているのです。

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正信偈の「正」という字は、「一に止まる」と書きます。
正しいものは「一つしかない」ということです。
二つも三つもあるものではありません。
そのただ一つの正しい信心を、
親鸞聖人が明らかになされたのが、
この『正信偈』です。冒頭の、
「帰命無量寿仏如来
南無不可思議光」
(無量寿如来に親鸞、帰命いたしました。
不可思議光に親鸞、南無いたしました)
と言われている2行は、「正しい信心」を阿弥陀如来から賜って、
永遠に変わらぬ無上の幸せに救い摂られた聖人が、
その自身の実体験を、
「阿弥陀如来に親鸞、救われたぞ!
阿弥陀如来に親鸞、助けられたぞ!」
と絶叫されているお言葉なのです。

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では、すべての人に「正信心」を獲得させ、
絶対不変の幸福に救いたもう弥陀のお力とは、
いかなるものなのか。

聖人が続けて『正信偈』に懇切に説き明かされているのが
「十二光」です。
「光」とは仏教で「仏さまのお力」を表し、
「光明」ともいわれます。
「十二光」とは、本師本仏の阿弥陀仏のお力を、
十二の特長に分けて教えられたもの。

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その中、5番目の「光炎王光」まで述べてきました。
今回は、次の「清浄光」についてお話しいたしましょう。

●清浄光

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「清浄光」とは、貪欲(欲の心)を照らしてくだされる、
弥陀のお力のことです。
「ヘソのない人がいても、欲のない人はない」
といわれるように、
私たちは、「あれが欲しい」「これも欲しい」
という欲の心一杯。
無ければ無いで欲しい。
有れば有るでもっと欲しいと、際限もなく求める心です。
食いたい、飲みたい、金が欲しい、男が欲しい、女が欲しい、
褒められたい、楽がしたい、眠たい。
満足を知らず、どれだけ手に入れても足りない。
欲深い人のことを、「あいつは汚い人だ」といわれるように、
欲は「汚い心」。
「汚い」というのは外見のことではなく、
欲の心が深いことをいうのです。

道警札幌中央署が25日、札幌市中央区の無職男(71)を
窃盗の疑いで現行犯逮捕した。
男は生活保護を受給しており、
犯行時、財布に約75万円の現金を持っていた。
調べに対し、「自分の金を使いたくなかった」と供述しているといい、
同署は生活費を浮かせて生活保護費を蓄えるために
万引きをしたとみている。
発表によると、男は同日午前11時50分ごろ、
同区内のスーパーでおにぎり、納豆巻き、洋菓子などの
食料品計14点(計約3000円相当)を盗んだ疑い。
男は着ていたジャンパーの中に次々と商品を入れ、
清算せずに店を出たため、気づいた警備員が追いかけて取り押さえた。
同署によると、持っていた現金は、
受給した生活保護費を少しずつためたものとみられ、
2つ折りの財布に入れてポケットの中に所持していた。

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75万円の現金を所持していた人が、3000円の万引き。
自分の金は、一円でも使いたくない。
こんな人のことを「欲深い、汚い人だ」と言いますが、
この人だけのことでしょうか。
自惚れているために分からないだけで、
すべて私たちは欲の塊なのです。

この汚い心を照らし出して、「お前はこんなに汚い心を持っているんだぞ」
と知らせてくだされる阿弥陀仏のお働きを、
清浄光」といわれているのです。

●欲深い私がどうして救われたのか

親鸞聖人は、弥陀の光明に照らし抜かれた自己の姿を、
こう告白されています。

悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、
名利の大山に迷惑して

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ああ、バカな親鸞だなぁ。愛欲の広海におぼれ、
大きな山ほどの名利の欲望に、
朝から晩まで振り回されて、
感謝もなければ懺悔もない。
なんと情けないことか

「愛欲」とは、男女の欲や、親子友人との愛情。
その愛したい愛されたい心の多いのを、
広い海に例えられています。
「沈没」とは、「浮かび瀬がなく、完全に沈みきっている」こと。
「愛欲の広い海におぼれ、沈みきっている親鸞だ」
と懺悔されているのです。
次の「名利」とは、「名誉欲」と「利益欲」のことで、
「名誉欲」とは、キレイな人と褒められたい、
能力を評価されたい、悪口言われたくない心。
「利益欲」とは、一円でも多く儲かりたい、
損したくない心。
財産が欲しい、他人の持たぬものを持ちたい。
これらの名誉欲・利益欲が大きな山ほどあって親鸞、
迷惑している」とおっしゃっています。
阿弥陀仏に救われ、ハッキリ照らされ知らされた自己を、
懺悔されているお言葉です。

それまでも、「愛欲、名誉欲、利益欲の深い自分だなあ」
とは思っていますが、
本当の「欲の心」というものがすべて知らされるのは、
弥陀の救いに値(あ)った時。

その汚い心を“汚い心”と照らして懺悔させ、
「こんな欲深い私が、どうして救われたんだろうか」
と喜びに転じてくださるのが、弥陀の「清浄光」の働きです。


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阿弥陀仏の救いは、だんだんではなく、即時に決する [阿弥陀仏]

憶念弥陀仏本願(弥陀仏の本願を憶念すれば、)
自然即時入必定(自然に即の時に必定に入る)

(親鸞聖人の書かれた正信偈のご文です。 )

 

「弥陀仏」とは、本師本仏の「阿弥陀仏」のことです。
大宇宙にまします無数の仏方(十方諸仏)の師であり、
平たく言えば、一番偉い仏さまです。
「阿弥陀如来」とも「弥陀」とも言われます。
大宇宙最高の仏さまですから、
親鸞聖人は「無上仏」とも仰って、
広大なご威徳を讃仰なされています。
「本願」は「誓願」とも言われるように、
「誓い」であり「約束」のこと。
「弥陀仏の本願」とは、大宇宙の仏方の師である阿弥陀仏が、
「どんな人も われをたのめ 必ず絶対の幸福に救い摂る」
と誓われているお約束をいうのです。

『歎異抄』冒頭に、
「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて」
とある「弥陀の誓願」も、
この「阿弥陀仏の本願」のことです。

●阿弥陀仏は、なぜ本願を建てられたのか

私たちは毎日、何を求めて生きているのでしょうか。
“夢を実現するため”“まずは就職”“家族を養う”
“晩酌だけが明かりだ”“健康が一番”など
答えは十人十色ですが、
いずれも「幸福」を求めてのことでしょう。
少しでも不安を無くして明るく生きたい。
充実感が欲しい。
つまらない人生より楽しいほうがいい。
すべての人は、幸せになりたくて生きているのです。
これに異論を唱える人はないでしょう。
政治も経済も、科学も医学も、
芸術もスポーツも、法律も倫理も道徳も、
あらゆる人間の営みは、「どうすれば幸せになれるか」
の追求以外にありません。

ところが、現実はどうでしょう。
政権交代や内閣改造によって
私たちの人生の何が変わったでしょうか。
科学の進歩に比例して、
「幸せ感」もアップしているでしょうか。

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1950年代、日本でテレビ放送の始まった当初は、
一台20万という価格が
平均サラリーマンの年収に匹敵したため、
街頭テレビに多くの人が群がっていました。
テレビのある裕福な家庭には、
プロレス中継など人気番組に
近所中が寄り合い、歓声をあげていたそうです。
やがて量産され低価格になると爆発的に普及し
「一家に一台」、電気冷蔵庫・洗濯機と合わせて
“三種の神器(じんぎ)”と言われるようになりました。

放送開始から半世紀を経た今、
手元のパソコンや携帯電話、
また浴室や移動の車中でも
見ることができる、「一人に一台」の時代です。
画面は白黒からカラーへ、
ブラウン管から薄型液晶へ。
より精細な画質をとフルハイビジョンへ。
地デジ化の推進も、きれいな画像だけでなく、
データ通信によって視聴者が番組に参加できる、
通販を見ながらリモコン・ショッピングなど、
さまざまなメリットが訴えられています。
さらに現在、メーカー各社が鎬を削っているのが
“飛び出す映像”3D。
(平生23年の記事を載せています)
手で触った感覚まで再現しようとしているのですから、
驚きです。
そのうち、料理番組ではテレビから香りが漂い、
画面のゲストたちと一緒に試食できる時代が
来るかもしれません。
物が豊かになり、暮らしが快適になれば
「幸せ」になれる。
「便利」イコール「幸福」と信じて私たちは、
常に“ワンランク上の生活”を目指してきました。

では、それで真の満足を得られたでしょうか。
“世の中は 一つかなえば また二つ
    三つ四つ五つ 六つかしの世や”
と歌われるように、どこまでいっても満足できない、
何を手に入れても安心がない。
結局どこにもたどり着けないまま、
ゴールのない円周をグルグル回り続けているような感覚に
苛(さいな)まれてはいないでしょうか。

阿弥陀仏は、このように本当の安心も満足もなく、
苦から苦、闇から闇へとさまよい続けている私たちを
ご覧になられて、
「何のために生まれ、生きているのか、
分からないではないか。何としても助けたい。
人間に生まれてよかったと生命の大歓喜を与えてやりたい。
一人残らず、必ず本当の幸福に救ってみせる」
と、ただお一人立ち上がってくだされたのです。

この熱い誓いが「阿弥陀仏の本願」であり、
親鸞聖人は“苦海に人生を明るく渡す船”
に例えて、こう宣言されています。

生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける
        (高僧和讃)

“苦しみの波の果てしない海に、
永らくさまよい続けてきた我らを、
弥陀大悲に願船だけが、
必ず乗せて渡してくださるのだ”

●まことなるかなや、弥陀の本願

次に「憶念」とは、「憶」も「念」も「おもう」ということです。
「念」は“明記不忘”とも言われ、
手帳にハッキリ記して忘れないように、
途切れることなく思い続けること。
弥陀の誓いに疑い晴れて、
大安心大満足に救い摂られた心が
途切れることなく続くのが「念」です。
この「念」から、縁にふれ折にふれ、
弥陀のご恩が時々思い出され喜ばれ、
合掌感泣させられるのが「憶」です。
例えると、「念」は地下水、
「憶」はその地下水から湧き出る井戸の水のようなもの、
といえるでしょう。
井戸から水が出るのは、地下水脈があってのこと。
地下水がなければ、どれだけ深く井戸を掘っても、
水は出てきません。
豊かな地下水があるからこそ、
所々に掘った井戸から、水が湧き出るのです。

「誠なるかなや、摂取不捨の真言、
超世希有の正法」(教行信証)
“まことだった!本当だった!
絶対の幸福に救う弥陀の本願、ウソではなかった”
と救い摂られた人は、
必ず「どうしたらこのご恩に報いることができるのか」
という心がおきることを聖人は、
「憶念の心つねにして仏恩報ずるおもいあり」
と和讃されているのです。
無論、弥陀の本願に救われなければ「憶」も「念」も
ありませんから、
「憶念弥陀仏本願(弥陀仏の本願を憶念すれば)」
とは、
「阿弥陀仏の誓いどおり、
絶対の幸福に救い摂られたならば」
と言われている一行です。

●「他力」の正しい意味は

続いて「自然」とは、「しぜん」と書いて、
仏教では「じねん」と読みます。
「他力」のことです。
世間では「他力」というと、他人の力や、
天地自然の力と思われています。
常識的に解釈して、
自分の力以外をすべて他力と思い、
太陽の働きや、雨や風や空気、その他自然の働きや、
自分以外の人間の力などすべてを
他力だと思っているのですが、
とんでもない他力間違いです。
なぜなら、もし太陽やその他の自然現象を
すべて「他力」としますと、
阿弥陀仏が、時には干ばつで人間を
苦しませることになります。
地震によって我々の生命を奪ったり、
台風で人命をおびやかしたり、
財産を失わせたりする、呪いニクムべき、
悪魔になることがあるということになります。
これらすべて他力、阿弥陀仏のお力とすることは、
大慈大悲の阿弥陀仏に対する
どんでもない濡れ衣であり、
大変な冒涜といわねばなりません。
勿論、自然の力や人々の協力の恵みに対して
感謝の気持ちを持つことは
結構なことではありますが、
これらは自然の力であり、
人間の力と言うべきもので、
絶対に他力といってはならないのです。

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「他力」の語源は仏教ですから、
仏教の意味に従わなければなりません。
親鸞聖人は『教行信証』に、
「『他力』と言うは如来の本願力なり」
と仰っています。
私たちをこの世から
未来永遠の「絶対の幸福」に救い摂る、
阿弥陀如来の本願力のみを
「他力」といわれるのです。

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この弥陀のお力(他力)を、
『正信偈』のここでは「自然(じねん)」
と仰っているのであって、
決して山や川や天候、
大地・宇宙の運行のことではありません。
無論「自然食品」などという時の“
有機・無農薬”のことでないことも、
お分かりになるでしょう。
(ある新聞で実際、そんな解釈をしている記事に
引っくり返ってしまいました)
さらには、「自然に」を「いつとはなしに」「気がつかないうちに」
「なんとなく」という意味で理解し、
「弥陀に救われるのは、いつとはなしだ」
「救われても自覚がないことを
『自然に』といわれている」
などと嘯く(うそぶく)人も少なくないのですが、
これもまたとんでもない誤解であることは、
次の「即時」の意味を知れば鮮明になるでしょう。

●弥陀の救いはだんだんではない

「即の時」とは「一念」のことです。
「一念」とは、親鸞聖人が
「時剋の極促」と仰っているように、
アッともスッとも言う間もない瞬間、
何兆分の一秒より短い時間の極まりをいい、
弥陀の救いの極めて速いことです。
「必定(ひつじょう)」は、「
必ず仏になれる身」のことで、
五十二位あるさとりの中でも、
下から数えて五十一段目、
あと一段で仏という位をいいます。
「正定聚(しょうじょうじゅ)」ともいわれ、
今日の言葉で「絶対の幸福」といえることも、
繰り返し述べてきました。
今日あって明日どうなるか分からない、
薄氷を踏むような儚い幸せではなく、
地震・洪水・病気・事故、どんなことがあっても
絶対に裏切られない大安心大満足の身になったことを、
「必定(ひつじょう)に入(い)る」
と言われているのです。
その「絶対の幸福」に救われるのは、
「だんだん」でもなければ
「いつとはなしに」でもない、
本願に疑い晴れた一念で
救い摂られるのだよ
と、
親鸞聖人は『正信偈』に、
「自然(じねん)に即の時に必定に入る」
“弥陀の本願力によって、
一念で絶対の幸福(必定)になる”
と朝晩の勤行(おつとめ)で教えられ、
同じく蓮如上人は「聖人一流の章」に、
「その位を『一念発起・入正定之聚』とも釈し」
“弥陀に救い摂られた一念に、
絶対の幸福(正定聚)になるのである”
と教示されているのです。

まとめますと、
「憶念弥陀仏本願
自然即時入必定」
の二行は、
「阿弥陀仏に救い摂られたならば、
弥陀のお力によって、一念で絶対の幸福、
“いつ死んでも浄土で仏になれる身”になるのだ」

と教えられているお言葉であり、
早くその身になってもらいたい、
真剣に仏法を聞きぬけよと、
勧めておられるお言葉です。

では、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と
口に称える「念仏」とは何なのか。
厄除けか、何かのまじないか。
世間では、「念仏称えれば
救われると教えたのが親鸞聖人」と、
教科書にまで記述され、
それが常識になっているのですが、
聖人は「念仏」について、
どう教えられているのでしょうか。

「弥陀に救い摂られた感謝報恩である」
と言われ、あくまでもお礼であり、
称えて救われるものでは断じてないのです。


 


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西洋文明はお釈迦さまの手のひらの上をうろうろしているに過ぎない [仏教はどう評価されているのか]

 

①東洋の世界観
世界はどうなっているのか~物理学~

「まさか物理学より広い世界観はないでしょ?」
とあなたは思っていませんか?
天才的な物理学者たちは、
驚くべきことを発見しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

●2000年前に物理学を先取り
20世紀の爆発的な科学の進歩によって、
ミクロの世界から大宇宙まで、
物理学は急速に自然のしくみを解き明かしました。
その現代物理学の柱が2本あります。

■相対論
まず一つ目は、時間と空間の関係を解明し、
現在はカーナビなどに使われている『相対論』です。
光に近い速度では、時間がゆっくり進み、
空間はゆがんでしまうという想像を絶する理論です。

たった一人で作りあげた天才、アインシュタインが、
何と、物理的な考えを究極に突き詰めていくと、

仏教に説かれる概念と、
酷似したものがあると言っているのです。

さらに、次のようにも言っています。
現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものが
あるとすれば、それは仏教です。

■量子論
もう一つは、ミクロの世界を解き明かし、
パソコンや携帯電話、半導体などに使われ、
現代生活になくてはならない『量子論』です。
その内容は、
「すべての物質は波であり、粒子である」という、
これまた想像を絶するものでした。

ところが、量子論をつくった代表的な3人、
ボーアと、ハイゼンベルク、シュレーディンガーも、
東洋思想を学んでいます。

量子論の父、ノーベル賞物理学者
ニールス・ボーア(1885~1962)
原始物理学論との類似性を認識するためには、
われわれは仏陀や老子といった思索家が
かつて直面した認識上の問題にたち帰り、
大いなる存在のドラマのなかで、
観客でもあり演技者でもある我々の位置を
調和あるものとするように努めねばならない。

波動方程式によって
ミクロの世界を
波として説明したシュレーディンガー(1887~1961)
は著書の中で、波動方程式が、
東洋の哲学の諸原理を記述していると語り、
次の言葉も有名です。
西洋哲学へは東洋思想の輸血を必要としている。


ミクロの世界を、粒子として説明した、
ドイツのノーベル賞物理学者
ハイゼンベルク(1901~1976)は、
日本のすごさの原因を次のように考えています。
過去数十年の間に、日本の物理学者たちが
物理学の発展に対して
大きな貢献をしてきたのは、
東洋の哲学的伝統と、「量子力学」が、
根本的に似ているからなのかもしれません。


その代表、中間子論により日本初のノーベル賞を受賞した
湯川秀樹(1907~1981)は仏教から多くを学んでいます。

素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、
仏教には多くを教えられた。

世界初の原爆を開発した責任者、
語学の天才オッペンハイマー(1904~1967)
は語学に堪能で、仏教も学んでいました。

「原子物理学の発見によって示された人間の理解力は
必ずしもこれまで知られていなかったわけではない。
また、べつだん新しいというわけでもない。
我々の文化にも先例があり、仏教やヒンズー教では
中心的な位置を占めていた。
原子物理学は、いにしえの智慧の正しさを例証し、
強調し、純化する。

「ブーツストラップ(靴ひも)理論」により、
素粒子「クオーク」を用いず、
最新の実験結果を説明した
カリフォルニア大学物理学科長
ジェフリー・チェ(1924~)
は、仏典の説く宇宙モデルと、
自分の理論が同じ概念であると知り、
愕然としたと言います。

1969年のことです。
当時、「東洋哲学」の勉強をしていた高校生の息子が、
大乗仏教について私に話してくれたときの驚き、
悔しさはいまでも鮮明です。
私は、仏教とはおそろしく非科学的な感じの概念と
思っていましたから、
私の理論との結びつきにひどく狼狽しました。
それから、ずいぶん時間はかかりましたが、
当初の狼狽や当惑は、
やがて、畏怖(いふ)の念に変わっていきました。


その他、微分積分学のライプニッツも
どうやら仏教を学んでおり、
一つの電子軌道に3つ以上の電子が入れない、
「パウリの排他律」で有名なパウリや、
コンピューターを開発した天才数学者ノイマンも、
量子物理学の究極の真理の中に、
数多く共通した仏教の哲学があることを
発見していました。


また、素粒子の世界だけではありません。
1980年代後半に生まれた『複雑系』の研究をし、
シュレーディンガーの主著の日本語訳でも知られる
中村量空(なかむらりょうくう 1948~2001)は、
私が仏教の縁起に関心をもったのは、
複雑な世界の実態を説く縁起(因縁果の道理)の世界観が、
現代の複雑なシステムの理解に強いインパクトを
与えるだろうと思ったからである。

人や物の結びつきを説くこの世界観に立てば、
何らかのパースペクティブ(見通し)が得られるにちがいない。
そこから現代科学の探究する複雑なシステムを見れば、
どんなイメージがわいてくるだろうか。
縁起のアイデアを現代科学に生かそうという試みは、
むしろ新鮮な刺激を
サイエンスに与えてくれるような気がする。」
と述べています。

物理学だけではありません。
もともと数学はインドが強く、
ゼロもインドで発見されたのですが、
数学者の中にも、『三平方の定理』の名付け親で、
当時の重鎮だった東大の
末綱恕一(すえつなじょいち 1898~1970)
は仏教を取り入れた数学論を展開しています。
科学技術の進歩をよく方向づけることのできるのは
仏教ばかりであろうと、
私は絶大な期待をかけている。
キリスト教にはいくつかのドグマ(宗教上の教義)があって、
到底今日の科学と相容れないところがありますが、
仏教は科学を包容することができるはずであります。

この貴重な仏教を、
我々が滅亡させてはならないのであります。


生化学者では、日本生化学会会頭
水原舜爾(みずはらしゅんじ 1915~)氏
仏教は、現代科学にちっとも矛盾しないばかりか、
これから科学が進みゆく究極のところを
先取りした感があります。

逆に、宗教学から科学を眺めると、
東大宗教学教授、
岸本英夫(きしもとひでお 1903~1964)は、
世界に数ある宗教の中でも、仏教ほど、
近代的な科学思想と手をたずさえて、
摩擦の少ないものはまれであろう。

と考えています。
では、これらの学者達は、
仏教の何を評価しているのでしょうか。
それこそ、この後2章で紹介する、
仏教の根幹であり、すべての仏典を一貫して流れる
『因果の道理』です。

●釈迦の手のひらでうろうろする孫悟空

最新の物理学でさえ、
2600年前のお釈迦さまに勝てないのか、
次のように言う専門家もあります。

現代の日本における最高の理論宇宙物理学者
池内了(いけうちさとる 1944~)氏は、
様々な発見をしてきた物理学だが、
物理学者は未だに仏の掌をうろうろしている
存在でしかないのである。

東大理学部学科卒のサイエンスライター
竹内薫(たけうちかおる 1960~)氏は、
最先端の宇宙論も、
キント雲で世界の果てをめざしても
お釈迦さまの手のひらからは外へは
抜け出せない孫悟空の物語と
同じように、仏教的な世界観に通じてしまうのだから
仕方がないかもしれない。

          『アタマにしみこむ現代物理』


・・・・・・・・・・・・・・
②東洋の人間観1
「私は誰?」本当の私。~心理学~

「さすがに心理学より深い人間観はないでしょ?」
と思っていませんか?
心理学こそ、仏教には遠く及びません。


●心理学をはるかに先取り
「人間と生まれて一生の間に、
どうしても出会わねばならぬ人が、一人いる。
それは自分自身だ」
と言われるように「自分探し」といえば、
どんな年代もいつか誰かが問題にしています。
今日、心理学関係の、神経科学、行動科学、
認知科学のような、色々な分野の考え方を総動員すると、
人は自分で思っているほど、自分の心を分かってはいない
という結論が出てきます。
「これが自分の心だ」と思っている心は、
「意識」と呼ばれるもので、
その下に、私を動かしている「無意識」とよばれる心が
発見されているのです。

ですが「無意識」は、名前の通り、
意識できない心ですから、
西洋で学問的に論じられるようになったのは、
フロイトが1900年に『夢判断』を出版してからです。  
ところが仏教では、心を八つに分け、
意識や無意識といわれるもののもっと奥にある
「阿頼耶識(あらやしき)」が本心だとされています。 
 


東大の比較思想学の権威
中村元(なかむらはじめ 1912~1999)も、
次のように言っています。
心理学者のユング(1875~1961)が到達した認識は、
実は仏教やインド哲学では既に2000年以上前から
説かれていたものであったということが
よく知られています。

実際、深層心理学という新たな学問体系を開いたユング自身、
著書に中国仏教について次のように記述しています。
私の患者には、一人の中国人もいなかったのですが、
彼らの心的発展を研究して得たものは、
何千年来東洋の最もすぐれた精神の持ち主たちが苦労して
切り開いた教えと実によく対応していました。

『戦争と平和』で有名なロシアの文豪
トルストイ(1828~1910)は、
仏説譬喩経の『人間の実相』の物語を知り、
あまりに自分の心をズバリ言い当てていることに、
次のようにショックを受けています。
「東洋の寓話を読んで、大きな衝撃を受けた。
これ以上、人間の姿を赤裸々に表した話はない。
単なる作り話ではなく、誰でも納得のゆく真実だ。」

また、今日の脅迫性障害治療の世界的権威、
ジェフリー・M・シュウォーツの
『心が脳を変える脳科学と心の力』
によれば、今日の脳科学によっても、人の心は、
この世の物質(脳の化学反応など)によって
決定されるのではないことが明らかになるつつあり、
「仏教哲学では、人の選択は物理的世界の
何ものによっても決定されない。これが真理だ。」

2000年以上も前に、
心が世界を生み出すと教えた仏教が
強いインパクトを与えています。

日本の心理学の第一人者、
河合隼雄(かわいはやお 1928~2007)
も次のように言います。
仏教はふつういうところの宗教ではない。
それは言ってみれば、『知恵』なのである。

そういうことは、これまでもよく言われてきた。

③東洋の人間観2
えっ?人工知能にまで?ロボット工学

物理学と心理学の両方に関連し、
人工知能やロボット工学でも、仏典の、
深く精緻な心理分析が活躍しています。

●ロボット工学でも息をのむ活躍
ロボット工学に近づく程、
人の心を論理的に学ぶ必要に迫られてきました。
その際、なんと仏典を研究している学者は
一人や二人ではありません。

ロボットコンテストの開催を最初に提唱した
東京工業大学名誉教授 
森政弘(もりまさひろ 1927~)氏は
次のように驚いています。
唯識仏教では八識(八つの心)に基づいて
心理の詳細巧妙な解析を展開しており、
その精緻さには驚くべきものがある。


人工知能の開発者、「人工知能の父」と言われる、
マサチューセッツ工科大学教授
マービン・ミンスキー(1927~)は
人工知能の開発には、当然、
人間の心の構造の研究が大切になる。
ところが、現在の心理学は、十分に教えていない。
そこで、心を専門とする宗教の中に、
人間の心の構造を解明した宗教はないかと調べてみた。
結果、キリスト教やマホメット教も、
ほとんど心のしくみを教えていない。
ところが、仏典には詳しく説かれていた。
釈尊は実に優れた心理学者だ。
コンピューター開発に、仏典が比類なきテキストになる


ソニーでロボット犬アイボや
二足歩行ロボットキュリオをつくった
土井利忠(どいとしただ 1942~)氏は、
次のように述べています。
従来は、宗教と科学というと、
両極端にあり、対立するもの、
そして相容れないものと考えられてきた。
たしかに、「ニュートン力学」のレベルの科学は、
宗教とは相容れない。
そして、一般の人が心の中に持っている
「科学」という概念は、
実はほとんどの場合
「ニュートン力学」のレベルにとどまっている。
だから、宗教と科学が対立して見えるのだ。
20世紀に入ってから、科学は大きな変容を遂げた。
アインシュタインの「一般相対性理論」や、
素粒子の物理学である「量子力学」など、
従来の「ニュートン力学」の概念を
大幅に塗り替える理論が確立したからだ。
とくに「量子力学」は、少し深く読むと
宗教的な概念と決して矛盾しないような
解釈が可能になってくる

慶応義塾大学理工学部工学科 
ロボティックスの前野隆史(まえのたかし 1962~)氏は
文明全般の流れについて
次のように実感しています。
実存主義は近代哲学よりも釈迦に少し近づいた。
もともと私は科学技術に携わってきたので、
考え方の基本は西洋流の論理であった。
しかし、心や意識について考えれば考えるほど
東洋流のやり方を取り入れることの重要性を
痛感せざるを得なかった。

歴史は、東洋の時代から、西洋の時代へ、
そして地球を一周して東洋の時代へという、
大きな流れだと実感するようになった。


④東洋の哲理
哲学者はどう思っているの?~哲学~

「仏教より西洋哲学の方がすぐれている」
と思っていませんか?
特に西洋の有名な哲学者たちに聞いてみましょう。

●ハイデッガーも絶句
西洋哲学で、存在と時間は切り離せないと
考えられるようになったのは、
20世紀最大の哲学者の一人、
ハイデッガー(1889~1976)の頃からです。

でも、仏教では常識。
ハイデッガーは、仏教書『正法眼蔵』で
一番有名な「有時(うじ)の巻」を知り、
驚いてしばらく絶句したと伝えられています。

なぜかというと、「有時」とは、「有(存在)は時なり」
ということだからです。

一方、ハイデッガーの主著の題名は、
今は『存在と時間』と訳されますが、
『有と時』ということです。
仏教の存在論、時間論は、
西洋哲学を2000年先取りしていたのです。

●驚異の言語学も東洋では常識

ソシュール(1857~1913)は言語学を研究し、
言葉と物事の結びつきについて解明し、
当時の西洋人に、大きな衝撃を与え、
考え方の大転換を引き起こしました。
ただ、その内容は仏教では2000年前から常識でした。

実存主義の代表者の一人、
カール・ヤスパース(1883~1969)は、
著書、大哲学者たちに仏陀とナーガルジャナを取り扱い、
次のように述べています。
「仏教の賢者は、もはや水に湿ることのない鴨のように、
世間をつらぬいて進み行く」


仏教の哲理「空」については、
社会学者であり、評論家の小室直樹(こむろなおき 1932~)
氏は、次のように言っています。
仏教の『空』は、人類が到達した
最深、最高の哲理であろう


このように、多くの人たちがほめたたえる東洋思想を、
ぜひ一度、学んでみて欲しいと、
西洋の哲学者たちからも次のようにオススメです。

仏教を人生哲学の基礎の一つにすえ、
近代の西洋に仏教を紹介した
アルツール・ショーペンハウエル(1978~1860)
はこう言い、
私は他のすべてのものより
仏教に優位を認めずにはいられない。

私は一介の案内者にすぎない。
人生の答えは、各自が古典や東洋の宗教を
ひもといて見つけてほしい。」


世界一やさしい哲学書・ベストセラー『ソフィーの世界』
をあらわしたノルウェーの
ヨースタイン・ゴルデル(1952~)氏も、
日本人に対して、次のように述べています。
「大切なのは疑問を持つことです。
『ソフィーの世界』は読者がそれぞれ大切なものを
見つけるための本です。
いわば哲学の入り口にすぎません。
しかし、この本には、西洋哲学のことしか書いてありません。
日本の若い人たちには
仏教や東洋の哲学を学んでほしいと思います


⑤すぐれた実践
いくら何でもお金は儲からないでしょ。~経営~

仏教といえば、お金に淡白で、貧しくとも清らかなイメージを
持ってはいませんか。
それでは、お金持ちの皆さんに聞いてみましょう。


仏教は、高度な哲学を含んでいますが、
日常生活と離れない、とても実践的な教えなので、
普段の人間関係でも、
すぐれたコミュニケーション能力を発揮します。

例えばビジネス書なら、スティーブン・コヴィー氏の
『七つの習慣』は、
全世界史上最高の大ベストセラーとなりました。
そのキモである第六の習慣『相乗効果を発揮する』は、
人と人との団結によって、
人々に内在する大きな力を
奇跡的に引き出すことだそうですが、
これは、他のすべての習慣の目的であり、
人生において最も崇高な活動と評価しています。
ところがコヴィーは、
『これを仏教では中道と呼ぶ』と言い、
実は他の習慣にも、
東洋的アプローチがとられています。

特に第四から第六の習慣は、
仏教では、相手を幸せにするままが
自分が幸せになる「自利利他」ということです。

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だから相手の立場に立つこと『自利利他』を心がけて、
巨万の富を築いている人が沢山あります。

有名な高島屋は、『自利利他』を心がけています。
「高島屋が発展した鍵「自利利他」は、
昔から変わらぬ当店の家風であります。」
                (高島屋二代目)
 


京セラの創始者、稲盛和夫(いなもりかずお 1932~)
氏などは、次のように言っています。
私は、いつも簡単な仏教の本をもって歩き、
飛行機のなかであろうと、どこであろうと、
閑があれば読んでいます。
そのくらい繰り返しよんでいても、
すぐに忘れてしまい、なかなか実行できません。
それでも、そうでなければならないと思い続けること、
毎日心がけることが大切だと私は思っています。
(六度万行)普通の人間が生きるための知恵として、
ぜひ取り入れるべきだと私は信じます。

六度万行とは、
布施(ふせ)・・・・・・・・・親切
持戒(じかい)・・・・・・・・言行一致
忍辱(にんにく)・・・・・・・忍耐
精進(しょうじん)・・・・・・努力
禅定(ぜんじょう)・・・・・・反省
智慧(ちえ)・・・・・・・・・修養

また、100年ほど前の自己啓発の古典、
ジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」に、
仏教は明らかに影響を与えていると言われていますが、
アメリカでは800万部の大ベストセラーになった
「小さいことにくよくよするな」
を書いた臨床セラピスト・心理学者の
リチャード・カールソン(1961~2006)
も、仏教を学び、取り入れています。
仏教の教えでは、苦難は人の成長と
心の平和に欠かせない要素だとみなされている


また米国PR会社日本法人社長
田中慎一(たなかしんいち 1955~)氏は、
コミュニケーションについて、次のように語っています。
「欧米人の頭の中には、
そういった禅とか仏教的な思想は入ってないから、
もっと科学的に考えてしまうんですね。
どちらかというと。
相手と一緒になれるわけがないじゃないかと。
あとは無限大の発想でいわゆる無限に近づいていくと
説明するのがギリギリのところでしょうね。
でも、東洋的にはよくあるでしょう。
禅の修業であの山と一体になれとか。
『ラストサムライ』なんかが向こうで流行るのも、
そういった東洋思想的な不可思議さに
ひかれ始めている証拠なんでしょう。
コミュニケーションというのは、
相手の立場に立てればこれほど強いものはないんです。
この辺は圧倒的に東洋思想のほうが強いですね。
案外、コミュニケーションの分野では
日本が世界をリードしていっても
おかしくないと実は思っているんですよ。」

●仏教経済や「共生」
このように個人的な成功哲学はもちろん、
社会全体としても、
たとえばイギリスの有名な経済学者
シューマッハ(1911~1977)は、
世界的ベストセラー『スモール イズ ビューディフル』で、
再生不可能な資源に立脚するのは愚かであり、
再生可能な資源によって小さな範囲で自己循環する
『仏教経済』を提唱しています。
「正しい経済成長の道は、唯物主義者の無頓着と
伝統主義者の沈滞の間の中道、
つまり八正道の『正しい生活』を見出すこと。」


六本木プリンスホテル(東京)、パシフィック・タワー(パリ)、
ゴッホ美術館 新館(オランダ)
クアラルンプール新国際空港(マレーシア)
などを作った世界的建築家の黒川紀章
(くろかわきしょう 1934~2007)
は、仏教を元に『共生』という言葉を作りました。
私が1960年につくった新しい概念である
“共生の思想”の原点には、
大学で学んだ「唯識思想」があります。
仏教思想として4世紀にまとめられたもので、
「二元論」と違って、善と悪を超え、
すべてを一つのものとして扱うことが感動的でした。

明治以降の日本は合理的精神に基づく二元論、
つまり精神と肉体、理性と感性、都市と自然、
科学と芸術、個と全体と対比させる考え方のもとに
発展してきました。
確かに日本が近代化を進めるなかで、
科学技術や経済の発展には必要な思想でした。
ですが、私にはそれだけでいいのか
という思いがありました。
すなわち、対立、矛盾、あるいは
厳しい競争関係にある二者、
または複数の相手がそれでもなお、
相手を互いに必要とする関係がある。
それは単純な二元論ではなく東洋的な哲学です。
互いに相携えることで
新しい時代を切り開くことができると考えたのです。」

ではなぜ、あなたは、こんなにも身近に
そんなすごいものがあるのに気づかなかったのでしょう。
(つづきの第2章はまた次回載せます)


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出会いにひそむ別れの予感 [親鸞聖人]

親鸞聖人が京都にお生まれになって
およそ800年、
親鸞さまなかりせば、我々は、
真実の仏法、到底知ることはできませんでした。

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親鸞聖人が幼くして仏門に入られたのはなぜか。
その大きな要因であるご両親との悲しい別れを、
聖人はどう受け止められたか。
聞いてみましょう。

出会いにひそむ
     別れの予感

人生は出会いの連続、と聞けば、
希望広がる未来に心弾む思いがします。
しかし「会うは別れのはじめ」。
生きることは別れること、ともいえるでしょう。
人生行路を歩むにつれ、心にしみてくる現実です。
その受け止め方も、相手や別れ方で違います。
とりわけ大恩ある両親、愛する夫や妻、
子供、兄弟姉妹、親友・・・・
それらの人々との永訣に抱く感情は
ひととおりではありません。
(永訣とは、永遠の別れのこと)
経験なくとも、描いたドラマや小説などから
「いつか皆と別れるのだな」と思いを致したことが、
だれにも一度ならずあるでしょう。


映画にもなった小説『魂萌え!』(桐野夏生著)は、
ある日突然、夫を亡くした還暦前の敏子が主人公。
信じられぬ主人の死に、
彼女の感慨をこう描いています。

敏子は、そうだった、夫は死んだのだ、
とまた改めて思い起こし、
こんな思いをこの先何度もするのだろうかと
果てしなく続く時間を重荷に感じたのだった。

平凡な主婦、敏子が、伴侶の死に惑い、
翻弄され、変化していく物語は、
特に同世代の読者の共感を呼びました。

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男性の視点もあります。
昨年3月に亡くなった作家・城山三郎さんは、
遺著『そうか、もう君はいないのか』で、
先に逝った妻・容子さんとの離別を、
こうつづっています。

あっという間の別れ、という感じが強い。
癌と分かってから4ヶ月、入院してから2ヶ月と少し。
4歳年上の夫としては、まさか容子が先に逝くなどとは、
思いもしなかった。
もちろん、容子の死を受け入れるしかない、
とは思うものの、彼女はもういないのかと、
ときおり不思議な気分に襲われる。
容子がいなくなってしまった状態に、
私はうまく慣れることができない。
ふと、容子に話しかけようとして、
われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、
なおも容子に話しかけようとする。

かけがえのない相手との別れを受け入れられぬ、
もどかしさが伝わってきます。
紹介したのは、いずれも伴侶の死を主題にした本ですが、
夫婦に限らず、大切な人を亡くしたなら、
だれでもしばらく胸ふさがれ、
“この先どうしよう”と考える気力も
起きないかもしれません。
「私」がその立場だったら、
周囲からのさまざまな励ましをどう受け止めるでしょう。

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「思いっきり泣いていい。涙かれるまで」
「気持ちを前向きに転換しよう」
「早く立ち直って、今までの生活を取り戻してください」
「つらいことは早く忘れて。
まだ若いんだからいい人でも見つけたら?」
「待つしかない。すべては時が解決してくれる」
表現はさまざまでも、どれも自分を思ってくれてのことと、
ありがたく受け止めたいとは思います。

でも真に救いになる一言は、
実際のところ、あるのでしょうか。
「自分しか分からない不安、悲しみ、いらだちがある」
と胸中を吐露する人もあります。
そのような交錯する感情の出所は、正直、
自分でもよく分からないもの。
先述の『魂萌え!』にも、こうあります。

内心苛立っていた。
なぜ、わかってくれないのだろうか、と。
ここにいる友人たちは、
高校時代からの気の置けない仲間だ。
何かあれば、我がことのように
心配して駆け付けてくれるし、
自分もそうしてきたつもりだ。
しかし、心の底の底にある、
まだ悩みという形にもならない思いや、
漠然とした不安について話し合ったことはない。(略)
友に対する距離感が、
敏子を居心地悪くさせていた。

“なぜこんなふうに感じるのか”ハッキリしないからこそ、
不安で悲しく、いらだつとしたら、
その苦悩とどう向き合えばいいのか。

わずか8歳の親鸞聖人は、
両親との永久の別れをどう受け止め、
行動されたのでしょうか。
聖人の前半生を振り返ってみましょう。

肉親の「死」から
     自身の「死」を知る

親鸞聖人は幼名・松若丸。
お父さまは藤原有範卿(ふじわらありのりきょう)、
お母さまは吉光御前といわれる。
ご両親の元、健やかに成長されたが、
平穏な日々は長くは続かず、
4歳で父君との悲しい別れ、
8歳には杖とも柱ともたのみにされた
母君と死別された。
9歳となったある春の日、
伯父の範綱(のりつな)に伴われて、
松若丸は京都東山の青蓮院を訪れた。
天台宗の座主・慈鎮和尚(じちんかしょう)にお目通りかない、
僧侶になるための出家得度の式は明日、
と案内を受ける。
その時、固く唇を結んでいた松若丸はおもむろに、
何かを懐紙(かいし)に書き付け、
伯父に渡す。
「これを慈鎮さまへ」
松若丸の無礼をたしなめる範綱に和尚は、
「よいよい。その紙をここへ」。
懐紙にしたためられていたのは、歌一首であった。

  明日ありと
思う心の 仇桜
 夜半に嵐の
  吹かぬものかは

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「今を盛りと咲く花も、
一陣の嵐で散ってしまいます。
人の命は、桜の花よりもはかなきものと聞きます。
明日といわず、どうか今日、
得度の式をしていただけないでしょうか」

松若丸の無常観に、和尚(かしょう)も深く感銘し、
すぐに儀式を行ったという。

この時の聖人の心境は、
「父去り、母も亡くなった。
次は自分の死ぬ番だ。死ねばどうなるのか。
ここ一つ、ハッキリさせねばならぬ」。

この世に生を受けしより、
陰にひなたに養育してくださったご両親との別れは、
少年、松若丸の胸に深く大きな悲しみ、
寂寥をもたらしたことは想像に難くありません。

こういう境涯を知ると、普通なら、生きる糧を心配し、
それを満足させることが第一と思うでしょう。
ところが聖人は、出家して仏道修行に励む、
という進路を選ばれました。
両親の逝去から「自身の死」という問題を、
聖人は知られた。

周囲の慰めも、生き方の充実も、
生死の問題の解決にはならないと痛感されたのです。
聖人の、その深い無常観は先のお歌にうかがえます。

「明日ありと思う心」とは、
“明日も自分は生きていられる”という心です。
毎日、私たちは「明日」のために種々の準備をします。
米をとぐ、洗濯する、学び、働く、すべて明日を信じてのこと。
未来への努力を、皆疑いません。
しかし、「明日ありと思う心」は、
明日になれば、また、「明日ありと思う心」。
その明日になれば、また、「明日ありと思う心」です。
つまり、「明日ありと思う心」は
「今日は死なぬ、と思う心」であり、
それがどこまでも続くのですから、
「永遠に死なぬ、と思っている心」なのです。

言い換えれば、明日も、来年も、10年後も、
永遠に、生きていられると思う心です。

そう聞けば、
“そんなことはないよ。
自分もいずれ死なねばならないことぐらいは
分かっている”
と思うでしょう。
だがそれは、本心からでしょうか。


「露の世は 露の世ながら さりながら」
愛娘を病で亡くした小林一茶の詠(えい)です。
「はかなきこの世と知ってはいたが、
いとしいわが娘を亡くした身は、
何と耐え難いことか」
子供の死を悲嘆しながらも、
100パーセント確実な自身の死を
はねつけている心。
現実はしかし、
「夜半に嵐の吹かぬものかは(今宵、死んでゆくのが私)」。
だから「仇桜」と、聖人は言われるのです。
必ず死にゆく自分、なのに「なぜ生きる」。
その答えを聖人は、仏の教えに求められました。

●「まだ死なぬ」
    そんな思いは
       正しいの?

それでも
“大げさな。悲観的すぎだよ”。
“そんなイヤなこと考えたくないわ。
そこそこ幸せだし、大事なことだと思うけど、
今の私には関係ないんじゃない?”
“死ぬことばっかり考えて生きていけないよ。
毎日毎日、働かなくちゃならないし。
生きるのも大変なんだ。だいたい死なんて、
まだ先の話じゃないか”

こんなつぶやきを漏らす人もあるかもしれません。
その思いが正しいのなら、若死にや、
不慮の死を遂げる人はいないはず。

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しかし実際はどうでしょう。
不条理な事件が続発しています。
茨城県のJR「荒川沖」駅近辺で、
24歳の男が白昼、包丁を振りかざして8人を殺傷。
2日後には岡山駅のホームで18歳の少年が、
38歳の男性を電車に突き落として殺害。
(平成20年のことです)
事件の被害者にならずとも、
事故や病気はいつ襲ってくるか分からない。
往来で頭上から、自殺者が降ってくる時世(じせい)。
「夜半の嵐」は決して杞憂ではないのです。
“その時”が今日か明日にも、私の身の上に起こらないと、
だれが保証できるでしょう。
ああ、生とは何と危ういものか。

聖人は、人生最大の問題に気づき、
最優先で取り組まれたのです。
これが、私たちが仏法を聞く原点だと聞けば、
うなずけるでしょうか。

●一念の鮮やかな
     弥陀の救い

比叡山で9歳から20年、
親鸞聖人は苦しい修行を続けられたが、
暗い未来に明かりが灯せず、泣く泣く下山。
京の町へ。
そこで会った旧友・聖覚法印に、
京都吉水の法然上人の元へ導かれる。
上人のご教導により、
大宇宙の諸仏を指導する師の仏・阿弥陀仏が、
すべての人を必ず無上の幸せに救うと
誓われた本願(お約束)を知る。

決死の聞法によって、信の一念、
たちどころに弥陀の救いにあったのは、
聖人29歳の春だった。

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あまりにも鮮やかな、その体験を、
こう告白されています。

弥陀の救いにあわれた聖人の、
歓喜の叫びです。

「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法」
                  (教行信証)
(まことだった、本当だった。
生きている今、こんな驚天動地の幸せに
救い摂られるとは。
弥陀の本願、ウソではなかった)

“死ねばどうなる”ハッキリしなかった聖人の、
生死の大問題が一念で解決し、
いつ死んでも浄土往生間違いなし、
歓喜の人生と転じ変わったのです。

開かれた信眼で世を眺めれば、
すべての人が今日あって明日なき幸せに身を委ね、
真っ暗な後生(死)に、
雨降るごとく堕ちていく。
その一人であったこの親鸞を、
最高の幸せに救いたもうた
無上仏・弥陀の本願のみが真実なのだ。

有名な『歎異抄』のお言葉です。

煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、
万のこと皆もって空言・たわごと・真実あること無きに、
ただ念仏のみぞまことにて在します(おわします)。

(火のついた家のような不安な世界に住む、
欲や怒りにまみれた人間のすべては、
そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない。
ただ弥陀の本願念仏のみがまことである)

この世のことすべては、まことが一つもないのだと、
人間の営み一切を、聖人は否定されていますが、
決してこれは、虚無主義ではありません。
「弥陀の本願まこと」の確信から、
すべてが滅びに向かう世の実相を訴えられたのです。

聖人はそして、「ただ念仏のみがまことなのだ」
と喝破されています。

「念仏のみぞ、まこと」とは「本願のみぞ、まこと」
を言い換えられたもの。
老若男女、賢愚貴賤、何人(なにびと)も差別なく、
ありのままで救う、という弥陀のお約束です。
弥陀の本願どおりの幸せに救われることが、
この世に生まれた、たった一つの本懐なのですよ
と、
聖人は90歳でお亡くなりになるまでの生涯、
弥陀の熱き願心を教え伝えられました。
この弥陀の本願をよく聞き、
疑いなく信知することが、
聖人が最も喜ばれることなのです。
親鸞聖人の真に慈愛あふるるメッセージを、
よくよく知っていただきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・

体験手記
最愛の妻との突然の別れ
    北海道 佐山 一郎さん

その日、カラオケサークルの集まりで歌い終えた直後、
妻は倒れました。
血圧が高かったので、連絡を聞いた時、
すぐに原因は分かりました。
妻の倒れたコミュニティセンターへ急ぐ車の、
7、8分がとても長く感じられる。
病院では医師から「手術が難しい」と聞かされ、
別れを覚悟しました。
駆けつけた娘も私も、そばにいるだけ。
何もできないのです。
そして妻は、意識を回復することはなく、
十日後に亡くなりました。
あまりに突然のことで、
何が何やら分からない。
何もしてやれなかった、の反省と後悔ばかり。
しばらくは、周りの人の声もなかなか胸に
おさまりませんでした。

やがて、どうすれば少しでも妻の供養になるのか、
と『正信偈』を拝読するようにまりました。
拝読するうち、何が書かれているか知りたくなりましたが、
だれに尋ねても分からない。
そんな時、一枚のチラシをご縁に、
『とどろき』主催の「聞法のつどい」に参加しました。
今まで聞いたことのない話で、
真剣な講師の説法から、
自身の生死の一大事を知らされ、
驚きました。

「夢の世を あだにはかなき 身と知れと
教えて還る(かえる) 人は知識なり」
妻の無常を縁に、本当の親鸞聖人の教えに
遇うことができた私は幸せです。


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